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昭和二十年
第57話・星空
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相部屋となった第三期生がそわそわとして落ち着かない。はじめての大都会広島、学業と乗務の二重生活に浮足立っているのかと思っていたが、それだけではなかった。
「合格発表が今日やったんか!?」
第一期生、第二期生の驚愕を夏子が代表して声にした。第三期生は互いにチラリと目を合わせ、首根っこを掴まれたように縮こまっている。
「結果も知らんと女学校に来てみたら校長先生が『ここに来ている生徒は全員、合格です』言うたんです」
合格が知らされてから広島入りした去年までとは、まるで違う。慌ただしいにもほどがあると、夏子も千秋も第二期生も開いた口が塞がらない。
しかし美春だけは子犬のようにうずうずして、尻尾があれば激しく振りそうだった。
「ほんで、何人が入ったん?」
「九十八人です」
「えらい増えたねぇ!」
「今年から授業が増えるかねぇ!?」
「三百人もおれば、電鉄は安泰じゃね!」
わぁっと沸き立ち、喜びを噛みしめ合っている先輩に、おずおずと第三期生が問いかけた。
「授業って、減ったんですか?」
これに答える役目には、家政女学校の生き字引である第一期生が相応しい。つまり美春と夏子、千秋の出番となった。
「うちら第一期生が入った年は一日授業で、もう一日が半分授業、半分乗務じゃったんよ」
「それが次の年から、毎日が半分授業で半分乗務になってしもうたんや」
息の合った補足を求めたものの、そこに千秋はいなかった。
「千秋ちゃんがおらん!」
「どこ行ったんや!?」
大騒ぎしてベッドを覗く美春と夏子に、全員が目を丸くした。そのうちひとりが扉を指差して、呆けた声をふたりに掛けた。
「ついさっきスーッと出ていって、階段のほうに行かれました」
美春と夏子は階段を駆け下りて、夜の帳に包まれた校庭へと飛び出した。目を凝らして辺りを探してみたものの、人の気配はどこにもない。隅々にまで響き渡れと、美春が悲痛な叫びを上げた。
「千秋ちゃーん! どこねー!?」
「ごめーん、ここよー」
千秋は柄になく寄宿舎の屋根に上がっていた。ふたりは安堵の溜め息を深くついて、千秋の元へ向かっていった。
屋根にひょっこり顔を出し、待っていたと手を振る千秋にそろりそろりと歩み寄る。夢のような光景に、ひそめた眉も緩んでいった。
「どないしたん? 急にいなくなって、ビックリしたわ」
「ごめんねぇ、外の空気を吸いたくなったんよ。それに、うちらばっかり話したら二年生の出番がないけぇ」
申し訳なさそうに愛想笑いをする千秋を挟み、美春と夏子が腰を下ろした。辺りを覆う春の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、遮るものひとつない夜空を見上げた。
「そういうことなんね。二年生にも、引っ張ってもらわなぁいかんね」
「うちらは、最後の一年か。あっという間やね」
「まだ終わっとらんわ。今年から専攻科で、花嫁修業じゃ」
「美春ちゃんは、花嫁さんになりたいん?」
花嫁みたいになりたいからと、挺身隊に化粧をお願いしていた夜を思い出した。それほどまでに憧れる島の花嫁とは、どれだけ美しいのだろう。
「美春ちゃん、花嫁さんの話を聞かせてぇな」
夏子の問いに、美春はゆっくりと顔を上げ、夢でも見ているように夜空を見つめた。
「貧乏な島じゃけぇ、白無垢はひとつしかないんよ。それをみんなで大事にして、婚礼じゃあ飾りをいっぱいつけて、島のみんなで花嫁さんを祝うんよ。その日のためにいっぱい魚を釣って、大漁旗をいっぱい上げた船を出して……どんなお祭りも敵わんわ」
うっとりとする美春から、夏子も千秋も婚礼の光景が目に浮かんだ。小さな島でも、その全員がふたりの門出を祝うのだ、どれだけ壮大なことだろう。
「千秋ちゃんは綺麗じゃけぇ、花嫁衣装がきっと似合うよ」
屈託なく囁かれ、千秋は一瞬にして沸騰した。それが美春には可笑しくて、思わず微笑みかけていた。そんな美春に、夏子は息を呑んでいる。
「美春ちゃん……今、えらい大人っぽいで」
「そうなん? うちにはわからん」
「ちゃんと大人に近づいとるんじゃね……。美春ちゃんは卒業したら、花嫁さんになりたいん?」
美春は夜空に答えを探した。しかし、瞬く無数の星たちは輝くだけで応えてくれない。遥か遠くの星屑よりも、ずっと近くに手掛かりはあった。
「はじめは島に帰って先生になりたかったんよ。でも、お兄ちゃんをうちの電車に乗せんと、島に帰れんわ」
つまらなそうに言ってみたが、膝を抱えて前後にゆらゆら揺れる様から期待感が滲み出ていた。それはそのうち未来への展望に形を変えて、弾む心が言葉となって美春の口から飛び出した。
「ねぇ、千秋ちゃんは卒業したら何したいん!?」
「そりゃあ、女優さんがええわ! 宝塚歌劇団は電鉄会社がやってんねんで!? 広島電鉄少女歌劇団を作って、千秋ちゃんが主役をやったらええ」
「何ね、夏子ちゃんはからかってばっかりじゃ。そういう夏子ちゃんは、何したいん?」
むくれる千秋に問いかけられて、夏子は夜空を見上げ「迷ってんねん、色々な」とだけ呟いた。
そして翌朝、夏子は寄宿舎から姿を消した。
「合格発表が今日やったんか!?」
第一期生、第二期生の驚愕を夏子が代表して声にした。第三期生は互いにチラリと目を合わせ、首根っこを掴まれたように縮こまっている。
「結果も知らんと女学校に来てみたら校長先生が『ここに来ている生徒は全員、合格です』言うたんです」
合格が知らされてから広島入りした去年までとは、まるで違う。慌ただしいにもほどがあると、夏子も千秋も第二期生も開いた口が塞がらない。
しかし美春だけは子犬のようにうずうずして、尻尾があれば激しく振りそうだった。
「ほんで、何人が入ったん?」
「九十八人です」
「えらい増えたねぇ!」
「今年から授業が増えるかねぇ!?」
「三百人もおれば、電鉄は安泰じゃね!」
わぁっと沸き立ち、喜びを噛みしめ合っている先輩に、おずおずと第三期生が問いかけた。
「授業って、減ったんですか?」
これに答える役目には、家政女学校の生き字引である第一期生が相応しい。つまり美春と夏子、千秋の出番となった。
「うちら第一期生が入った年は一日授業で、もう一日が半分授業、半分乗務じゃったんよ」
「それが次の年から、毎日が半分授業で半分乗務になってしもうたんや」
息の合った補足を求めたものの、そこに千秋はいなかった。
「千秋ちゃんがおらん!」
「どこ行ったんや!?」
大騒ぎしてベッドを覗く美春と夏子に、全員が目を丸くした。そのうちひとりが扉を指差して、呆けた声をふたりに掛けた。
「ついさっきスーッと出ていって、階段のほうに行かれました」
美春と夏子は階段を駆け下りて、夜の帳に包まれた校庭へと飛び出した。目を凝らして辺りを探してみたものの、人の気配はどこにもない。隅々にまで響き渡れと、美春が悲痛な叫びを上げた。
「千秋ちゃーん! どこねー!?」
「ごめーん、ここよー」
千秋は柄になく寄宿舎の屋根に上がっていた。ふたりは安堵の溜め息を深くついて、千秋の元へ向かっていった。
屋根にひょっこり顔を出し、待っていたと手を振る千秋にそろりそろりと歩み寄る。夢のような光景に、ひそめた眉も緩んでいった。
「どないしたん? 急にいなくなって、ビックリしたわ」
「ごめんねぇ、外の空気を吸いたくなったんよ。それに、うちらばっかり話したら二年生の出番がないけぇ」
申し訳なさそうに愛想笑いをする千秋を挟み、美春と夏子が腰を下ろした。辺りを覆う春の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、遮るものひとつない夜空を見上げた。
「そういうことなんね。二年生にも、引っ張ってもらわなぁいかんね」
「うちらは、最後の一年か。あっという間やね」
「まだ終わっとらんわ。今年から専攻科で、花嫁修業じゃ」
「美春ちゃんは、花嫁さんになりたいん?」
花嫁みたいになりたいからと、挺身隊に化粧をお願いしていた夜を思い出した。それほどまでに憧れる島の花嫁とは、どれだけ美しいのだろう。
「美春ちゃん、花嫁さんの話を聞かせてぇな」
夏子の問いに、美春はゆっくりと顔を上げ、夢でも見ているように夜空を見つめた。
「貧乏な島じゃけぇ、白無垢はひとつしかないんよ。それをみんなで大事にして、婚礼じゃあ飾りをいっぱいつけて、島のみんなで花嫁さんを祝うんよ。その日のためにいっぱい魚を釣って、大漁旗をいっぱい上げた船を出して……どんなお祭りも敵わんわ」
うっとりとする美春から、夏子も千秋も婚礼の光景が目に浮かんだ。小さな島でも、その全員がふたりの門出を祝うのだ、どれだけ壮大なことだろう。
「千秋ちゃんは綺麗じゃけぇ、花嫁衣装がきっと似合うよ」
屈託なく囁かれ、千秋は一瞬にして沸騰した。それが美春には可笑しくて、思わず微笑みかけていた。そんな美春に、夏子は息を呑んでいる。
「美春ちゃん……今、えらい大人っぽいで」
「そうなん? うちにはわからん」
「ちゃんと大人に近づいとるんじゃね……。美春ちゃんは卒業したら、花嫁さんになりたいん?」
美春は夜空に答えを探した。しかし、瞬く無数の星たちは輝くだけで応えてくれない。遥か遠くの星屑よりも、ずっと近くに手掛かりはあった。
「はじめは島に帰って先生になりたかったんよ。でも、お兄ちゃんをうちの電車に乗せんと、島に帰れんわ」
つまらなそうに言ってみたが、膝を抱えて前後にゆらゆら揺れる様から期待感が滲み出ていた。それはそのうち未来への展望に形を変えて、弾む心が言葉となって美春の口から飛び出した。
「ねぇ、千秋ちゃんは卒業したら何したいん!?」
「そりゃあ、女優さんがええわ! 宝塚歌劇団は電鉄会社がやってんねんで!? 広島電鉄少女歌劇団を作って、千秋ちゃんが主役をやったらええ」
「何ね、夏子ちゃんはからかってばっかりじゃ。そういう夏子ちゃんは、何したいん?」
むくれる千秋に問いかけられて、夏子は夜空を見上げ「迷ってんねん、色々な」とだけ呟いた。
そして翌朝、夏子は寄宿舎から姿を消した。
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