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 俺も300年ほど生きてきて、そのうち80年は今の生活を続けてこれたけれど。

 なんと自分の不甲斐ないことでしょう。

 たった数滴の血に、ほとんど我を忘れてしまった。

 沢山のバディと組んできたけど、なんだか、灯の血は強烈だった。その違いはどこにあるのか。

 わからないことがものすごく怖い。

 よって今日の俺は、頭を冷やすために某チェーン店の氷を使った飲み物を、一番でかいサイズで買って飲みながら、我らが事務室兼待機室へと向かった。

 ガチャリとドアを開けると、アリアナがニコニコしながら「おはようございます」と言った。

 次に灯が、「ルナ、おはよう」と言った。

 俺は「ッス」とだけ答え、そそくさといつものソファに腰を落ち着けた。

「ルナリア様、今日はわたくし、行きたいところを事前に調べてまいりましたの」
「ああそう」
「本当はダメだと言われていたのですけれど、ルナリア様が護衛をしてくれるということで、なんとか父の許可を得られたのですよ」

 アリアナの父親とは俺もそれなりに面識があるが、それはそれは老齢の吸血鬼らしい厳しい顔をしているのだが、一人娘のアリアナには心底弱いのだ。

「んで、どこに行きたいのさ?」
「ネズミの国ですわ!」

 わーい、やったー!と俺も言えたらどれだけ良いだろう。

「この都市を出ても良いって、よくあの堅物ジジイが許可したな」
「お父様はルナリア様をとてもよく思ってらっしゃるからですよ」

 はたして俺は、ハイネストのお家に何かしただろうか。甚だ疑問だ。

「灯さんもそれでよろしくて?」
「そちらが問題ないのであれば、おれは何もいう事はありません」

 かくして俺たちは、魔界都市を出て程近い地域にあるテーマパークへと向かった。

「日本に来たら是非行ってみたいと思っていたのですが、それがまさかルナリア様とご一緒出来るなんて、まるで夢のようですわ」

 恍惚とした表情を浮かべるアリアナを隣にして、俺たちは入場券を手にゲートを進む。もちろん入場券はハイネストの奢りだ。

 賑わうアーケードを潜り抜けると、そこはまるで異次元のような活気を帯びた空間だった。

「わたくし、あれに乗りたいです!」

 そう言って走り出すアリアナについて行くと、キャーという悲鳴が聞こえるジェットコースターだった。

 地上何メートル上か、俺にはわからないくらい高いところにあるレールを、非力そうなカートが、ゴーッと音を立てて滑り落ちて行く。

「行きますわよ!」

 少し後ろを歩く灯も、別段嫌な顔はしていない。

「勘弁してくれ……」

 という俺の呟きを、誰も気にも止めていないようだった。

 あっという間に自分たちの番が来て、俺はアリアナの隣、灯は後ろに座った。

 安全バーが降りてきて、ぎゅっと腰を抑えつける。

 コースターのスタッフである女性が、笑顔で手を振った、その直後。

 ガタガタガタと、急な上り坂を、てっぺんむけて進み出す。

「ヒッ!」

 と、息を飲んだ直後、ゴーッと凄まじい速さで、耳元を風が走り抜けて行った。その間の記憶は定かではない。

 とにかく地上に無事に降り立った俺は、自分を落ち着かせようと必死に深呼吸を繰り返した。

「楽しいです!」

 ニコッと微笑むアリアナだ。俺は、ごめん、もう二度と乗りたくない。

「お前は普段飛んでるだろ。何でジェットコースターが苦手なんだ?」

 灯の質問ももっともだけれど。

「あのね、自分の羽で、好きなように飛ぶのと、飛ばされるのは全然違うから!!」

 といつものように言ってから、ハッとして目を逸らす。それから、不自然なのはわかってるけど、アリアナの腕を取って歩き出す。

「次はあれにしよう!じゃないと俺の身が持たない」
「あら、ルナリア様はああいう、可愛いメリーゴーランドがお好きなのですか?」
「そういうわけじゃないんだ、全然」

 首を傾げるアリアナを引き連れて、俺はそう、できるだけ灯と話さないように努めた。

 しかし無情にも時間は過ぎ去って行くもので、日が暮れてきた頃、夕食をパーク内で食べた俺たちは、そろそろ帰ろうか、という雰囲気になった。

「あ、お伝えするのを忘れていましたが」
「何?」

 アリアナの、何というか含みのある表情に、嫌な予感がした。

「実はこの近くのホテルに一泊しようと思っていたのです。ちょうどスイートルームが空いていましたので」
「ほう…?」
「ルナリア様と灯さんの分も、お部屋を取っておきましたので、明日はこの近くの水族館に行きましょう」

 なんて気がきく子だろう、とは思わない。

「ちょっと待てよ!俺はそんなの、」
「別に良いだろう。おれたちはアリアナ嬢の護衛として同行している。彼女がそうしたいと言うなら、おれたちは従うべきだ」

 灯が真顔で正論を言ったので、俺ももう何も言えなくて。

 それで、タクシーを拾ってアリアナが滞在するホテルへ向かった。

 セレブが利用するような豪奢で大きなホテルは、従業員の態度もまた格別で、終始笑顔を崩さない女性スタッフの案内で向かったのは、最上階のスイートルーム、の隣の、セミスイートというお部屋だ。

「アリアナ…別にこんな、豪華な部屋でなくたって良かったのに」

 それこそ自分の住居にベッドも置かない俺だ。何だか逆に居心地が悪い。

「でも、灯さんと同じ部屋でも窮屈でないようにと考えたら、これくらいはあっても良いかと思ったのですが」
「それなら別に倉庫でも物置でもいいから、せめて1人部屋にして欲しかった!!」

 アリアナは、何のことかしら?みたいに小首を傾げ、さっさと自室であるスイートへ入って行った。

「ルナ」

 灯に名前を呼ばれて、ビクッと肩が震えた。今日一日上手く避けてきたつもりだったけど、同室に閉じ込められるのだから、これはもう避けられない。

「な、何?」
「とりあえず部屋に入ろう」
「……うん」

 暖かく調整された空調だけど、今の俺には暑すぎた。

「あの、昨日はごめんね?」

 どうせ気まずいのなら、先に謝っておこうと思った。もちろん昨日の件は触れないに越したことはないが、何となく胸がザワザワするのだ。

「ルナ……悪いのはおれの方だ。お前がどれだけ気を張って生きているかなんて、知ってはいても理解はできていなかった」

 そう言って灯は徐に近付いてきて、入り口のドアを背に立ち尽くしている俺の前に立った。

「ごめん。痛かったよな……」

 そっと灯の手が、俺の腕を掴んだ。支給品の白いワイシャツの下、灯が丁寧に巻いてくれた包帯がうっすらと透けて見えた。

「そんなのはさ、俺はもう慣れてるんだから気にしなくていいよ。でも、俺は灯に怖い思いをさせたかもしれない。実際に俺はおかしかっただろ?ああやって、血を見ると何も考えられなくなって……誰かを殺さなくて良かったなんて、ホッとする自分が一番怖い」

 飢えているのが恐ろしいのは、誰よりも俺自身だったりする。気が付いたら周りが血で染まり、死体の山が俺を取り囲んでいるかもしれない。そんな夢を、ほとんど毎日見ている。

 名前も知らない誰かか。それとも、俺を取り巻く、灯のような人間や、喫茶店のマスターだったり、商店街の皆んなだったり。

「灯、お願いだから、今度は躊躇わずに制御装置を使ってね?俺を止めてくれるのはお前だけだから」
「でも、」
「俺は自分が怖いよ。本当はもう辞めたい。こんな、地獄みたいな生活から、もう抜け出したいんだ」

 初めて弱音を吐いたかもしれない。言葉にすると、それは確かに俺自身の気持ちなんだと、改めて実感する。

 いや、こんな、人工血液だけで生きた80年よりもっと前から、俺は俺を辞めたかった。

 真実の俺を知ったら、灯はきっと離れて行ってしまうだろう。だからこれは、俺が死ぬか灯が死ぬか、どちらが先だとしても、ずっと話さずにいようと思う。

「わかった。もし次があれば、おれは躊躇わないと誓う。だから、今だけはこっちを向いてくれないか?おれはお前の全部が好きだ。笑っているところも、泣いているところも……他にもたくさん、お前の良いところは知っているつもりだ」

 おいで、と灯が手を差し伸べる。俺は言われるがまま顔を上げ、優しげに笑う灯の顔を見て、なんだか少し救われた気がした。

 いつの間にか涙が出ていた。泣いたのはいつぶりだろうか。どうして灯の前では、今までの自分でいられないのか。

「ルナは本当にキレイだ。おれはお前ほど美しいものを、今まで見たことがない」
「大袈裟だなぁ。ま、俺だって俺の美貌には脱帽するけど」

 涙でぐしゃぐしゃの顔だけど、とりあえず、笑うことはできた。灯のおかげだ。

 ニッと笑って、俺は広々としたセミスイートに足を向けた。なんともまあ、お高そうな部屋だ。俺の給料とノミの心臓では、生涯泊まることはないだろう。

 それからベッドがある寝室へ向かいながら、

「はぁ、なんだか今日は一段と疲れたよ。俺やっぱあの絶叫系嫌いだなぁ。無理矢理空中に放り出されて、挙句に安全バーのせいで自力で抜け出せないんだもん。疲れたし、俺先に寝るね」

 そして寝室のドアを開けて、あ、と思った。

「あー、どデカいベットがひとつしかないや。カップル向けのセミスイートなのかな?アリアナの奴、同室は別にいいけどベッドくらい分けてくれよな。あ、灯が使っていいよ。俺はどこでも寝られるから」

 そう、笑って言ったのだけど。

 無言の灯が近付いて来て、思いっきり俺を押し倒した。吸血鬼の俺でもビックリするくらいに。

 そして灯の真剣な視線が俺の瞳を直視してくる。

 俺は今までの、灯とのそういう行為を思い出して、どうしようと混乱した。

 しかし灯は違った。真剣な顔でこう言ったのだ。

「お前はどうしたらおれの言葉を真剣に受け取ってくれるんだ?」
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