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生真面目騎士様の成就

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 息が止まるかと思った。

 ヒューバートは、腕の中にすっぽりとおさまるリズベスのつむじを眺めながら、こっそりと息をついた。絶対に逃したくないと思った女性からの初めての告白は、ヒューバートの心の中を甘く満たしてくれる。
 何度も「夢じゃないよな?」と呟きながら、腕の中の細い身体を抱きしめた。
 すり、と胸元にこすりつけられる頬の感触が心地良い。心地良いのだが――ちょっとまずい。
 これが任務の前なら耐えられただろう。耐えられ、たと思う。
 しかし、今のヒューバートは既にリズベスの身体の感触をしっかり覚えてしまっている。それどころか、触れた時の反応も、どんな声を上げるかまで知ってしまっているのだ。
 今、身体が自由に動かないことに感謝しなければならない。そうでなければ、この場で暴走しかねなかっただろう。なんだか下半身がじくじく重たい気がするけれど、それは気のせいにしておこう。
 あとどれくらいすれば、この倦怠感から解放されるのか――。


 ◇


「――で、そのまま帰ってきたわけ?」
 執務室にランバートの声が響く。
「……当り前だろう。ただでさえ与えられた任務期間を過ぎていたんだ。多少無理をしてでも――」
「そうじゃなくって!折角のチャンスだったのに……」
 はあ、と特大のため息をこぼしたのは二人同時。自分でももったいないことをした、と思っているからこそ、ヒューバートは強く言い返すこともできずにじっとりとした視線をランバートに向けてしまう。
「――まずは、リズのご両親にお会いして結婚の許可を頂くのが」
「このムッツリ生真面目男め……!」
 絞り出すような声音の正論を途中で遮って、ランバートは頭を振った。


 あれから一週間、ヒューバートは任務の事後処理と、騎士団を空けていた間に溜まった雑務に追われていた。
 迂闊なことに、捕らえた首謀者は顧客リストを邸の中の隠し部屋に置いていたらしい。本人がいくら黙秘を貫いても、それが証拠となり、王宮内でも何人かが芋づる式に捕らえられていた。
 中には、要職に就いているものもいたということで、王宮内ではバタバタと人事の刷新が行われている。極秘事項ではあるが、薬物売買の影では、第一王子を排して第二王子を王太子にしようという計画が進められていたというから呆れたものだ。
 執務室を訪ねてきたランバートは、そこまで話すと、ふうっとひとつ息をついた。
「兄上が王位に興味がないことなど、ここでは誰でも知っていると思っていたがな……」
「フレドリック殿下は魔術に身をささげてらっしゃるからな……」
「ま、僕から始めて兄上に手を出そう――なんて穴だらけの計画を立てるようなやつらだからね。都合のいい部分しか見ていないんだろう」
「お前もフレドリック殿下を見習って、騎士団の方に少しは力を入れてはどうだ?先日の捕り物では、息切れしてたじゃないか。少し鍛えなおした方がいいんじゃないか」
「やめてよね……元々が化け物並みの体力のヒューバートが身体強化されてたっていうじゃない。そんなの、現役だってついてけないよ……」
 大げさにランバートが頭を振る。その姿を見て、ヒューバートは軽く肩をすくめた。
「フレドリック殿下が魔術師団の統括をされているように、聖騎士団の統括はお前がするよう陛下から話が来ているんだろう?そろそろ覚悟を決めろよ、ランバート」
「兄上が王位に就いたら、僕だって覚悟を決めるよ……それまでは気楽な第三王子でいたいもの」
「気楽ねえ……」
 毎度毎度、聖騎士団を動かすに足る証拠が固まっていない事件に首を突っ込んでは、こうして解決に導いているのがランバートだということは世間には知られていない。だいたいにおいて、それを手伝わされるのがヒューバートとアーヴィンだ。しかし、任務としてではなくの範疇を出たことはこれまでない。
 今回の一件で、とうとう聖騎士団の統括の任を受ける気になったのかと思っていたが、そうでもないのか――。
 そんなヒューバートの視線に気が付いたのが、ランバートはくすりと笑った。
「言いたいことはわかってるよ」
 座り込んでいたソファから「よっ」と短い声と共に立ち上がると、ランバートは続けた。
「まだまだ身軽でいた方がいい、さ」
 じゃあ、またね――軽く手を上げてそう言うと、ランバートは執務室を後にした。


 程なくして戻ったサイラスと共に、あらかたの書類をさばき終えた頃には、窓の外は暗くなり始めていた。
「あとは明日以降で問題ないだろう――お疲れ様」
「では、お先に失礼します」
 退室するサイラスを見送り、ヒューバートは席に戻ると窓の外を眺めた。ぽつりぽつりと、暗くなるのに合わせて魔術の灯りが点灯していくのが見える。
 あの告白から一週間、リズベスに会えていない。執務室の窓から見える花の小道の方角をぼんやりと見つめて、ヒューバートはため息をついた。
 身体強化魔術の完成に伴い、魔術師団との共同任務は終了している。折角気持ちが通じ合ったというのに、忙しさに紛れて会いに行くことも叶わない。
 彼女の方から来てくれたら――と思わないでもないが、向こうは向こうでやはり忙しいのだろう。そういえば、アーヴィンの顔もしばらく見ていない。こちらも副官になったことで忙しいのだろう。
 出来れば早めに会って、この先の話もしたいところだ。
 そうそう、モンクトン伯爵にもお会いする時間をいただかなくては――。
 そこまで考えたところで、執務室の扉をノックする音が聞こえた。こんな時間に誰が、と思う間もなく返事の前に扉が開く。
「ん、鍵かかってないな……っと、ラトクリフ、お前まだいたのか」
「団長?」
「あ、いやいい――もう帰ったかも、と思ってはいたんだが……」
 立ち上がりかけたヒューバートを手で制して、アッカーソンは肩をすくめた。
「サイラスにちょっと聞きたいことがあってな。まあ、明日でいいんだ。――それよりお前、こんなとこにいていいのか?」
「あ、いえ……私ももう帰るところで。何か、ありましたか?」
 アッカーソンはその返答を聞くと、眉を寄せた。
「いや、リズベス嬢が、魔術師団を辞めて実家に戻ったと聞いたから、俺はてっきり……」
「――え?」
 思わず、がたん、と大きな音を立てて立ち上がる。

 ――リズが、魔術師団を?

「申し訳ありません、お先に失礼します……!」
「あ、ああ……」
 じゃり、と手にした鍵をアッカーソンに押し付けるようにして渡すと、ヒューバートは逸る気持ちのまま部屋を飛び出した。
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