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「――言ったらいいじゃないですか、直接」


 何の前触れも無く唐突に切り出されたその言葉に、思わず間抜けな声で「は…?」と訊き返してしまった。
 執務机越し、こちらを見下ろすように真正面に立っている、それを言った張本人――カシムは、今の今まで業務報告をしていた同じ口調で、それこそ報告の続きとばかりに、表情すら変えることなく淡々と続ける。
「そこまでイヤだイヤだああイヤだ~って顔に出してしまうくらいなら、いっそその方が建設的でしょう」
「あのな……」
「今の殿下は、正直、非常にキモチワルイことこのうえないです」
「おい、カシム……」
「何もしないでウジウジウジウジウジウジウジウジ……いいトシした大の男がモジモジしてる姿って本当にキモチワルイんで即刻やめてください」
「だから、それは何の話だ?」
「アリーシア様の話に決まってるでしょう」
 咄嗟にぐっと言葉に詰まる。


 あれから――初めてアリーシアを抱き締めて眠りについた、あの夜から一週間が過ぎた。


 やはり案の定、アリーシアはユリサナ行きを決めた。
 そのための様々な手配については、すべてカシムに一任した。互いで摺り合せた内容も含め、それは逐一、私へ報告するよう命じてある。
 今まさに、その報告を受け取らんとしていたところだった。


 数日前、ティアトリード侯爵が王都を去ったという報せを受け、それを告げに赴いた際のことが、まざまざと思い出される。


『――ユリサナへ行きます』
 迷いのカケラすらうかがえぬきっぱりとした声音でもって、そう彼は言った。
 こちらへと向けられた、あまりにも真っ直ぐな視線に、数日の猶予期間のうちに決めておいたはずの覚悟がぐらぐらと揺らぐような感覚を覚えたが、そこはぐっと奥歯を噛み締めて耐え、まさに絞り出すように『わかった』と肯いた。――それでも、彼を真っ直ぐに見返すことは出来なかったけれど。
『ならば早速、君のユリサナ行きを手配しよう。心配することはない、ティアトリード侯爵の手も及ばないよう万全に……』
『あ、いいです、そこまでしていただかなくても』
『え……?』
 用意していた返答を唐突に遮られ、驚いて思わず彼を振り返ってしまう。
 途端、相変わらず私を射抜くように見つめていた、その真っ直ぐな強い瞳とぶつかる。
 即座にその視線で私を絡め取った彼は、とりたてて何事でもないような口調で、当然のように、それを告げたのだ。
『確かに、父の報復があると思えば怖ろしいですし、心配してくださる殿下のお気持ちはとてもありがたく思いますけれど……でも保護までしていただく必要はありません』
『なんだと……?』
『だって父が私に何かできるとしても、それはせいぜい、この国に居る間だけでしょう? ならば、ここに匿っていただいていることで充分です。お手数はおかけしてしまいますが、ユリサナに渡る手配だけしていただければ、あとは自分で何とかして生きていきますので大丈夫です』
 ――何を言っているんだ……!
 まさに脳天を鈍器で殴られたような強烈な衝撃に頭がぐらぐらと揺れる。あまりの危機意識の無さに、おまえは自分の身を何だと思っているんだと、思わず声を上げかけた。――その一瞬を先んじて、
『この十年、そのためだけに生きてきました』
 静かに穏やかに、そんな言葉で畳み掛けられる。
 その瞬間、反射的に出しかけた怒声を飲み込んでいた。


 枷を断ち切り、自身の翼で見果てぬ空へ飛び立つ――それは、すべてを諦めてきた彼の、唯だ一つの望み。


 彼がユリサナ行きを望むことは、聞くまでもなく解っていた。
 私は、そんな彼を、ユリサナの自分の宮で保護するつもりだったのだ。
 この国で自分の傍に置いておけないなら、せめて厳重に護送して、何からも護られるよう誰の目にも触れない場所で過ごさせて……いずれ帰国するそれまでの間を、この手の及ぶ場所で待っていてもらいたかった。
 このサンガルディアから出たこともないアリーシアのことだ、右も左もわからぬ見知らぬ土地に放り出され裸一貫で一から始めなければならないのなら、ユリサナの風習に慣れるまでの間だけでも、皇太子宮の奥深くで安全に護られながら過ごすことを、言い含めれば甘んじて受け入れてくれると考えていた。当然、彼を説得するに足る材料も揃えてあった。
 ここまで早く、まさにこちらに何も言わせないタイミングでもって、不要だと、突き付けられさえしなければ、私はそれを口に出していただろう。


 しかし、そんなこと言えるはずがなかった――たとえ彼が止めなくても、最初から出来るはずもなかったのだ。
 彼の翼を折り、枷に繋ぎ、“保護”という建前のもとで再び檻に閉じ込めようとすることなど―――。


『――そう、か……』
 肯いてはみたものの、割り切れない気持ちが騒ぐ。
 彼を手放すことに対して、気持ちに折り合いをつけていたはずなのに……その覚悟が、如何に貧弱なものだったかが知れる。
 折り合い、なんてものじゃなく、あったのはただの打算だった。彼を自分の手の届く場所に繋いでおくために、その為に必要な建前をこねくり回していただけで、彼が自身の手を離れて飛び立っていってしまう、それを考えたくないあまりに他所へと目を逸らし続けていただけのことではないか。
 自覚したと同時、彼の目を見つめることが憚られた。真っ直ぐな彼の視線を受け止めることすら、苦痛に感じた。
『君の意向はアレクにも伝えておく。後はカシムと話を進めておけ』
 かろうじて、その言葉だけを無理矢理のように口から引きずり出してくるや、踵を返し、彼の前から逃げ出した。


 それ以来、ずっと彼の目を真正面から見つめることが出来ずにいる―――。


「初恋を覚えたばかりの子供じゃあるまいし。手を出すどころか添い寝を強要しちゃうとか……うわあ、ホント気持ち悪っ! だから一体なにがしたいんですか?」
「だから……! オマエその口のききかた、いい加減どうにかしやがれよ……!」
 とはいえど、そうそう強気で返すことも出来ない自分が情けない。――確かに、コイツの言うことも尤もだ。
 本当に、自分でも自分が何をしたいのかがよくわからない。
 カシムの言うとおり……おそらくアリーシアから聞いたのだろうが、あの日――自分の気持ちを自覚したあの夜以来、夜ごと彼の寝床へと押しかけるのが日課になっていた。
 当然、あわよくばコトに及んでやろうという下心が無いはずもなかったが……結局、何も出来ずに夜が明ける。その繰り返し。
 ただ自分の腕の中に彼のぬくもりがある、という、それだけに安心を覚えて眠りに就く。
 本当に、私は一体、彼に何を望んでいるというのだろう。
 ただ一つ確かなのは、彼のぬくもりから離れ難く思っている、それだけははっきりしているけれど。
 ――カシムに言われるまでもない……こんな自分、自分が一番気持ち悪く思ってるさ……。
「手放したくないならないで、そう当人に言えばいいでしょうに。――というか、普段の殿下であれば、間違いなくそうしているはずですよね。たとえ相手がイヤだと言っても、うんと言わせるまで繋いで閉じ込めて責め苛むことくらい普通に……」
「おまえは、自分の主人をひとでなし扱いまでする気か……!」
 私はそこまで非道ではない! と、そこは声を大にして否定しておくも……しかし、確かに普段の自分ならばそれに近いことはするかもな、という自覚もあった。
 普段の自分ならば……どんな手段を使っても我を通そうとしていたはずだ。これまで、そのようにして私は自分の望むものを手に入れてきた。強い意志をもって自分を貫いて生きてきた。何の力も無かった子供の頃ならば涙を飲むことも多々あったが、今や皇太子という立場に就いた私には、叶えられぬことなど何も無い。
 私が一言『ここにいろ』とさえ命じさえすれば、悩むまでも無いことだと、そんなにも簡単なことでしかないと、自分でも解っているのに……なのに、アリーシアには、それをしたくなかったのだ。自分の望みなど叶えられなくとも、アリーシアの望みを優先してやりたいと思った。
 そんな、初めて覚えた自分に戸惑う。
 彼が欲しい、側に置きたいと願いながら、それを言葉にさえ出せずにいる。それほどまでに強く願っているというのに、他の誰に命じてまで叶えたくないとさえ思っている。万が一にも奇跡的な可能性で、彼から自発的にここにいると、私の傍から離れないと、言ってくれない限り、私の望みが叶うことは、決してない。
 それがはっきりしていてさえ、何も出来ない自分。だから、こちらの想いが伝わって欲しいと、伝わらぬならせめてそのぬくもりだけでも傍に引き寄せていたいと、眠る彼に縋り付くのが精一杯。――なんて滑稽で無様な様だろう。
 わかっていてさえ、どうにもできない。どうしたらいいのかもわからない。
「でしたら、いっそ特攻して玉砕したらどうです?」
「あのな……オマエいつか憶えてろよ……?」
「別に殿下を罵倒してるわけじゃありませんよ。幾らアホだなーと思っていても、それを言葉に出すほど命知らずではありませんので」
「………おいこら」
「ただ単に一般論として、いっそ盛大にフラれてしまえば諦めも付くんじゃないですか? と言ったまでです」
「尚のこと失礼だな! この私がフラれるなんてあるはずが……」
「なら殿下は、アリーシア様に好かれている自信がおありだとでも?」
「…………っ!!?」
 そこでまたしても言葉に詰まる。――このやろう……ホントだからコイツは何をどこまでお見通しなんだ……!!
「予め言っときますけど……あのアリーシア様に『察してくれ』とか、とことん無茶にもほどがある要求というものですからね?」
「…そんなもの、言われなくてもわかってる!」
「殿下が添い寝にくるのも、抱き枕扱いされていると思ってるだけで、コレッッッポッチ! すら、意識のカケラもされてないですよ? こっちがドン引きするくらい、殿下のことなんてあの方の頭の中には、コレッッッポッチ! も! 無いですよ?」
「わっ…わかって、るっっ……!」
 ――しかし、ちょっと泣きたくなってきた……コレッポッチ強調しすぎだ、ばかやろう。
 そんなことくらい、こちとら毎晩の共寝で既に充分わかっているのだ。あんなにも密着している状態にもかかわらずあそこまでスヤスヤと眠られたら、彼がこちらを意識してないことなんて明白ではないか。
 本当に、どこまでもコイツは性格が悪すぎる。毎度のことながら、いい加減やめてほしい、わかっている上で傷口を抉ってくるのは。
「私のことなど放っておけ! とにかくまずはアリーシアの望みを出来る限り最善な形で叶えてやりたい、それが最優先だっ!」
 今さらコイツに隠すのも無意味だとは思うが、とはいえ一方的にやりこめられているのも不愉快で、とりあえず主人としての威厳だけは保っておくべく、そんな格好つけたセリフを返す。
 途端、待ってましたとばかりにニッコリと微笑みを返された。――うわ何だこの鳥肌、尋常じゃない。
「そう仰ると思っていました」
 背筋からぞくっと走った怖気のせいで全身に寒イボ全開にしながら硬直した私のことなど、知ってか知らずか、普段にあるまじき満面にっこにこ笑顔のカシムが、まさに立て板に水の如く喋り出す。こちらを置き去りにする気マンマンなのが明らかに見てとれるほど澱みなく。
「さすが殿下、器が大きくていらっしゃる。――ぶっちゃけ困ってたとこなんですよねーアリーシア様のあの残念っぷりには。いくら神殿住まいが長かった所為で世間知らずだとしても、なんであの方、あそこまで自分の価値とかわかってないんでしょうね。幾らいいトシした大人でも、あそこまでの美人を護衛も付けずに一人で放り出せるはずもないでしょうに。外に出した途端、最悪どこぞに攫われて売り飛ばされて凌辱三昧の生活が待ってるのが関の山ってものですよね。…とは、幾ら何でもさすがに面と向かっては言えないので、ホント困ってたんですよ。いやーさすが殿下、その懐の深さに救われますー」
 ――ちょっと待て何かそれ嫌すぎる予感しかしないぞ……?
「おかげで、アリーシア様のご希望どおりにしてさしあげることができますよ。あの方、普っ通ーに庶民に紛れて乗合馬車でマルナラまで行く気マンマンでして、さすがに紛れられるハズもないので引き止めたかったんですが、ああ見えてアリーシア様ちょー頑固ですからね、おまけに護衛も要らないなんて言い出し始めるし、そこまでのご希望を叶えるのは私ですら少々どころではない躊躇いを覚えてしまうほどでしたけど、どうしても聞き入れてもらえないものですから、もうどうしたものかと……いや~本当に殿下の懐が深くて助かりましたよねっ! ――では早速手配の方を……」
「――て、ちょっと待てっというか何してくれてんだ貴様ーーーーーーーっっ!!!!!!」



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