その手を離さない

豆丸

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この手を離さない

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 神殿にある聖壇と呼ばれる祈りの間で、聖女たちは祈り続けている。 
 祈りは聖なる光となり溢れ、薄くなった結界を満たしていく。 
 
 その中で聖女の一人は小さなため息を落とした。ため息は誰にも気付かれる事なく、聖なる祈りと共に空に融けていった。 

 
聖女様と呼ばれ彼女は振り向いた。 
   
神殿では誰も聖女たちを名前で呼ばない。 
彼女たちの名前に価値はなく、聖女の力のみ価値がある。個のない全、暗い気持ちが沸き上がるが、顔に出すことはなかった。
 
 聖都を守る結界は聖女たちの祈りに支えられている。だから、感情を表に出してはいけない、聖なる祈りに不純物を込めてはならないと教わったから。
 
もし、結界が崩れたら魔物が大挙で押し寄せ聖都を蹂躙するだろう。 
 
 勇者が魔王を倒して半年たち緩やかに魔物の被害は少なくなった。中には統率者である魔王を失い暴走する魔物いるため、油断ならない。   
 
聖女の祈りの結界があれば、魔物は聖都に入ってこれない。 
聖女の祈りは魔王討伐後も重要であると言える。聖女の役割は彼女達が死ぬまで続くのだ。

 彼女たちには、自由と引き換えに法外な給金と安定した衣食住を与えられていた。
 
 
(勇者様……。) 
聖女は思う、ただ一人を  
 
(わたくしは………。)

 
「聖女様、勇者様がまた面会をご希望になられておられますが、どのようにお断りいたしましょうか?」 
聖女付きの侍女は断る前提で話を進める。  

なぜなら、彼女が勇者の面会を断るのは5回目だったからである。
  
 最初こそ、共に魔王を倒した勇者様の面会を断るなんてとんでもないと苦言を呈していた侍女も、断る理由も言わず頑なな彼女に諦めたようだ。
  
「気分が悪いとお伝え下さい」 
 さらりと聖女が告げる。侍女は一度何が言いたそうに聖女を見るが、会釈をすると勇者に伝えに下がっていった。  


 
「お会い出来ず残念です。ご自愛するように伝えて下さい」勇者は分かりやすくがっくり肩を落とした。 
 
 勇者様お可哀想に…聖女様も素直になれば良いのに、と侍女は思うが口には出さない。 
 
5回目の拒絶である。 
  
彼も馬鹿ではない、理由が嘘であることは重々承知している。 
 
(聖女は俺に会う気はないのだ。俺は嫌われてしまったのか?)思わず拳に力がはいる。   
 
彼は忘れられずにいるのだ。 
 
魔王城に向かう最後の日、裸で抱き締めた彼に人って温かいんですねと恥ずかしそうに微笑んだ彼女が。
 
「また来ると聖女殿に伝えて下さい」 
 勇者は諦めるつもりはなかった。侍女に告げると重い足を引きずるように帰っていった。

   
◆◆◆

  
 常夜の町アリーヤから魔王城を見ることができた。 
周りを万年雪に覆われたアリーヤは最果ての町、人間が生活している最後の町と呼ばれ、そこから先は、暗黒の魔王の領域になる。
 
 白い極寒の雪の中に禍々しく巨大な黒い角が生えている。角に見えるそれは魔王城に他ならない。 
 
 それは勇者と聖女、仲間たちが目指した最終地点である。 

 城はこれからの苛烈な戦いを予感させるのに充分な邪気を撒き散らし、虚空を黒に染め上げる。
 
死ぬかもしれない…誰もが思う。 
 
明日が今生の別れかもしれない。 
  
 景気付けの意味で一番歳上の戦士が宴をしようと提案した。 
拒否するものは誰もなく、最期の町で一番高い酒と肉を食べ、歌い踊り最期になるかもしれない晩餐を楽しんだ。 
   
 深夜を過ぎると一人、また一人と部屋に帰って行く。 
 中には連れだって部屋に帰るものや宿の食堂にそのまま寝ている迷惑者もいる。 

勇者は、聖女を探し宿屋をさ迷う。 
部屋をノックしたが返事はない。 
 
 いつもなら諦めているが、今日が話が出来る最後になるかもしれない、強い気持ちが彼の行動を積極的にする。
 
ふっと見ると二階のテラスが空いていた。もしかしているかもしれない、勇者は期待を込めてテラスに向かう。 
  
 びゅおおっと冷気が勇者の顔を容赦なく冷やすが気にならない、お目当ての聖女が居たからだ。  
 
(良かった彼女だ!) 
 
 冷気で寒いのだろうか自分の手に息をふきかけている小さな体。 
 
「聖女殿、寒くありませんか?」 
勇者は自分の外套を脱ぐと聖女の肩に掛けた。
 
「まあ、ありがとうございます勇者様!でも…。勇者様は寒くないのですか?」聖女は微笑むが、ふと勇者をみると軽装な為慌てて返そうとする。     
  
「返さなくて大丈夫ですよ。こうして一緒に入れば暖かい」 
 勇者は、聖女の隣に肩を寄せ座り込み外套を自分の肩にも掛けた。一つの外套に二人で入ることになる。余りに近い距離、肩と肩が触れあう。聖女の顔が赤くなる。 
 
でも、嫌ではない嬉しく彼女は思う。 
 
 聖女は恥ずかしくて目線を勇者に向けられず、真っ直ぐ星空を見た。 
 
「何をしていたのですか?」勇者は聞いた。 
 
「わたくし、小さい頃から神殿にいたでしょう。雪が初めてなんです。神殿の中は常に同じ気温なので寒いのも初めてで嬉しいです!」 
 聖女は子供のように言い募る。その姿も愛らしく微笑ましく勇者の目に映った。  
 
「ほら、息が白い!」聖女は息を吐き自分の手に掛けて見せる。 
「息をかけると暖かい!こんなこと、神殿にいたらわからなかった! 
 わたくし………勇者様と一緒に冒険出来たこと忘れません。明日、死んでしまっても、無事に魔王を倒して神殿に帰っても、歳をとっておばあちゃんになっても……」聖女は泣いていた。 
 
(ああ、わたくし告げたい言葉の半分も伝えられない) 
 
涙か止めどなく流れる。    
 
「泣かないで下さい」 
 勇者は自らの指で聖女の涙を拭う。死んでも生き残っても、二人で会えるのは最後かもしれない、その事実が二人の間に静かに横たわる。 
 
「名前を……聖女の名前を教えて下さい」勇者は囁いた。 
 
「え?」涙に濡れた目で聖女は勇者を見上げた。 
 
「今宵は最後の特別な夜です。お互い勇者、聖女の役割を捨てて、ただの人に戻りましょう」 勇者は震える手で聖女の涙を拭うと、壊れ物のように抱き締めた。彼女の両目が大きく見開かれた後、おずおずと彼を抱きしめ返した。
 
 
 どれぐらい抱きあっていたのだろう、暫くすると「わたくしの本当の名前はアリアです」彼女は呟いた。アリアの声は震え、綺麗な碧い瞳から涙が止めどなく溢れる。
  
「……アリアか……良い名前だな。俺はガイヤだ」彼もまた、泣いていた。 
 泣き笑いの顔でアリアを抱き締め、震える手で頬を包むと彼女に口づけた。  
 
 ただの人に戻ったアリアとガイヤは、お互いの名前を嗄れるまで呼びあい、互いの熱をわけあい、震える身体を温めた。 
 
     
―――そして、朝までその手を離さなかった。 
    

 
◇◇◇  

 神殿に夜が訪れる。 
 
 日が沈むと祈りの時間は終わり夕食後に、聖女たちは短い自由時間になる。自由時間に神殿の中にある図書館で、本を借りたアリアは消灯後本をめくる。 

集中できない……彼女は思う。 
 
 本の内容が入ってこない、理由はわかっていた勇者が来たからだ。 
 
(5回も面会拒否したわたくしのことさすがに嫌いになったかしら……)アリアは一人考えた。 
  
 嫌いになってほしくない……自分で勇者様を拒否したのに傷ついている。そんな資格わたくしにはないのに、神殿で一生祈り死んでいく、それがわたくしの人生の全てだったのに…変わってしまった。
 神官から魔王討伐を頼まれ外の世界を知り、勇者様に会ったしまった………その時に。  

  
 魔王討伐した勇者には王女との婚姻話が出ているという。彼には可憐な姫と幸せになってもらいたい、間違ってもわたくしの手を取ってはいけない。 
  
 聖女は例外なく子を成すと聖なる力が失われてしまう。聖女の減少は結界の脆弱化を意味する、たとえ勇者でも聖女をかどわかしたら罪に問われてしまう。 
 

 会わなくて良かったんだ、これで良かったんだ前向きになろうとすればするぼどアリアは気持ちが沈んでいくのを感じた。 

カタン。 
 
 物音がしてアリアは我に帰った、ベッドから遠い机側の窓から音がする。  
 
カーテンが捲れ風が入ってくる。 
 
 珍しい真面目な侍女が閉め忘れたのかしら?不思議思い、窓に近寄るとあるはずのない人影がそこに立っていた。 

(………ガイヤ様?) 
 
 まさか、わたくしの願望がみせる夢かしら、アクアが呆然として動かないでいると、ガイヤがアクアの腕を掴んだ。 
 
(え!本物!)腕の感触にアクアは動揺した。 
 
「ガイヤ様、何故わたくしの部屋にいるのですか? 神殿に忍びこむなんて罪にとわれますよ?」腕を引っ込めようとするが、びくともしない。 
 
「知ってる。下手したら死罪なるかもしれないな。でもアクアに会って聞きたいことがあるんだ。面会拒否されてるから裏から来た。これを聞いたら帰るよ」ガイヤはまったく悪びれずに言った。
 
「俺は聖女じゃないただのアリアが好きだ。 
 死ぬまで一緒にいたいと思う。    
 君は? 俺のことどう思っているんだ?聞かせて欲しい」ガイヤは真っ直ぐアリアを見つめる。 
  
 ああっ……アクアは息を吐いた。
 
「ず、ずるいです。わ、わたくしはいっぱい我慢して聖女としてガイヤへの気持ちを墓場に持っていくつもりだったのに、寝室まで押し掛けて言わせるつもりなんですか?」目に涙を貯めてガイヤを睨んだ。 
 
(だから……会いたくなかったの、気持ちが溢れ出してしまうから。) 

 アリアは何も言えなかった。ただ腕をガイヤの首に回してきつく抱きついた。ガイヤはアリアを横抱きにすると口づけを落とした後、滑るように窓から出ていった。 



 
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