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「フェル、起こして差し上げられなかったから怒っているの? 私のせいで眠れなかったみたいだから、起こさなかったのだけれど……」
「うん。……うん。……ごめん、さっきの言葉は忘れて。……変な夢を見て、気が動転しているみたいだ」
「夢? そういえばとてもつらそうな顔をしていたわ」
「いや、……たいしたことじゃない。定期的に見るんだ」
「そのことのほうが心配だわ。……それにダリウスは私の護衛ですし、側にいるのはおかしなことではないでしょう?」
「うん、全くそのとおりだ。ちゃんとわかってる。だから……、いや、なんでもない」

 随分と歯切れの悪い言葉だ。心なしか、顔を顰めているようにも見える。まるで、自分に言い聞かせるような言葉に聞こえる。

 ――まさか、昨晩のことで私が愛想を尽かして出ていこうとしていると思われたのかしら?

 それであれば護衛騎士と私を引き離そうとして、なおかつ今も私の体を拘束し続けていることにも説明がつく。

「フェル? わたくしただ少し、ダリウスに馬についての知識を共有していただいていただけですわ」
「馬?」
「ええ、少し……」

 少しどころか、血の気が引いて倒れてしまいそうになる程度には気分の悪い話だ。フェルナンドには悟られぬようにしようと思えば思うほどに、ミリアの言葉とダリウスの説明が頭の中に浮かんでくる。不吉な記憶をかき消すようにフェルナンドの胸に額を擦らせて息をつくと、彼は慰めるように私の髪を撫でた。

「あまり気分のいい知識ではなかったのかな」
「……ええ。……ダリウスにも迷惑をかけてしまったし……。これはもう忘れることにします」
「迷惑というのは、あなたが持っているそのハンカチに関係している?」
「え……? ええ、そうなのです。少し気分が優れなくて」
「気分が? ユゼフィーナ、私を見て」

 柔らかに話していたフェルナンドが、私の気分が優れないということを知った途端に声音を低めた。その声の色に驚きつつ顔を上げると、険しい顔つきの彼と至近距離で視線が絡み合う。

「今はもう、平気なのよ」
「……昨日は無理をさせたのに。あなたの体調にも気づかないで私は……」
「フェル、きゃあ!?」

 唇を歪めながらつぶやいたフェルナンドが、私の返事を聞くことなく私の体を持ち上げる。まるで少し前のダリウスのようだ。しかしその手つきはダリウスのものよりももっと遠慮がなく、抱き上げられた体はぴったりとフェルナンドの体に触れていた。

「今日のユフィの仕事は、一日ベッドに横になっていることにしよう」
「フェル、大丈夫だから! お、おろしてちょうだい」
「なぜ? これ以上あなたに苦しい思いをさせるわけにはいかないよ」
「待ってフェル、みんなに見られるわ……!」
「あなたの騎士も同じことをしていたじゃないか。ユフィ、ダリウスはよくて、私ではだめなのかな」

 まさか、私がダリウスに抱き上げられているのを見て、慌てて庭に降りてきたとでもいうのだろうか。絶句していると、フェルナンドはためらいなくその足を邸へと動かして道を進んでいく。迷いない歩みに、もう一度声を上げた。

「そ、そうではなくって! フェル、あなたの格好、まるで寝室から飛び出してきた人みたいだわ」
「実際そうだよ」
「このままの格好で戻ったら、おかしな噂をされてしまうでしょう!?」
「第二王子はユゼフィーナに惚れ込んでいて、朝も夜も見境なく寝室に連れ込んでいるって?」
「わかっていらっしゃるなら……」
「半分は本当なのだから気にしないよ。その噂よりも私はユゼフィーナの体の方が大事だ」
「フェル……! あなただって夢見が悪かったと言っていたじゃない! それに昨日も言ったけれど、私少しくらい乱暴にされても平気なのよ……!」

 私もフェルナンドの好きなようにすればいいと思っているのは事実だが、それが私のためにフェルナンドの平穏を奪ってしまうものならば、話はまた変わってくるのだ。

 焦りながらもそれを伝えようと声を上げると、フェルナンドの足は邸に入ったところでぴたりと止まった。

 ようやくわかってくれたのだと安堵して、フェルナンドの手から降りようと何気なく視線を彼の目線の先に向けて、私の呼吸もぴたりと止まってしまった。

「……おやおや、……老いぼれが邪魔をしてしまいましたかな」

 私たちの前に立つアレクは、フェルナンドにとっては第二の父のような存在だと聞いている。フェルナンドが唯一この邸の中で頭が上がらない相手なのだと言っていた。

 束の間の沈黙が流れ、じわじわと己の顔が赤くなっていくのがわかる。ほかの使用人たちとは違い、アレクには私とフェルナンドの本当の関係性を知られているのだ。フェルナンドもさすがにこれには正気に戻ったのだろう。うろうろと視線を彷徨わせ、居心地が悪そうに口を開いた。

「あー……、違う、これは」
「仲がよろしいようで結構ですが。……レディの言葉には、常に耳を傾けられるべきかと」

 アレクはただ微笑みながら話すだけでも威圧感がある。

 また、寝起きのままの姿であるフェルナンドときっちりと身だしなみを整えたアレクが顔を突き合わせているのも、強い違和感があった。もしかすると、フェルナンドの幼少期に、彼に礼儀作法を教えたのはアレクなのかもしれない。

「……そのとおりだね。ユフィ、申し訳ない。あなたの意志を無視する形になってしまった」
「いえ、そのような……! 体を気遣ってくださったのよね。でもこのとおり、本当に平気なの」

 アレクの言葉に、素直に私への謝罪をしたフェルナンドは、心なしか耳が垂れ下がった子犬のようにも見える。可愛らしい姿に心をくすぐられて、図らずとも顔に笑みが浮かんだ。

「だけどユフィ、私がどうしても心配だから、今日はゆっくり休んでいてほしいよ」

 フェルナンドは、過剰なほど私を思いやってくれている。

 今までの私は体調不良を誰かに指摘されたことも、心配をされたこともなかった。だからだろうか。

 ミリアの言葉を思い出して黒い靄のような悪感情がたまっていたはずの胸から、淀みが消え失せたように感じる。

 本当に何の問題もないのだが、フェルナンドがここまで懇願しているのだから私が折れるべきだろう、と開きかけた唇が音を発することはなかった。

「おそれながら旦那様、……本日の予定のことでございますが、国王陛下より王宮へのご招待をいただいております。此度は旦那様のみならず、奥様までお呼びのようです」
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