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第四章

67 想い人との密会

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 エステリア伯爵邸ではマルティナが父親から亡命の話を聞いた日の数日後から使用人達は慌ただしく動いていた。

 亡命の話は既にエステリア伯爵邸で働く使用人全員に口外禁止の命令と共に通達されている。その為、今は使用人達が慌ただしく動き、亡命の準備を進めているのだ。そして、マルティナ自身も今は亡命の準備を進めていた。
 基本的な準備は全て屋敷で働く使用人が行っている。だが、彼女の私物に関してはそうはいかない。流石にマルティナの私物、その全てを亡命先へと持っていく事など不可能だろう。その為、彼女の私物に関しての選別はマルティナ自身が行うしかないのだ。

「お嬢様、これに関してはどうなさいますか?」
「……それは持って行かないわ」
「分かりました」

 マルティナは使用人と共に、亡命先へと持って行く物と持って行かない物の選別を行っていた。初めての慣れない作業ながらも、使用人達の手助けでマルティナは選別を進めて行く。

 そして、その作業に一区切りが着いた時だった。選別作業が一段落した事で休憩しているマルティナの元にこの屋敷で働く使用人の一人がやって来た。

「失礼します。お嬢様にお手紙が届いております」
「手紙?」
「ええ、こちらになります」

 その使用人は手に持っていた手紙が入っている封筒をマルティナへと手渡した。手紙を受け取ったマルティナは訝しげな表情を浮かべるが、差出人の名前を見た瞬間、表情を変えて慌てて封筒の封を開けて、手紙を取り出した。

「あっ、ああ、クリス……」

 そして、マルティナは急いた様子でその取り出した手紙を読み始める。マルティナがその手紙を読み進めるにつれ、彼女の顔には感極まった様な表情が浮かべ始める。そして、手紙を読み終えたマルティナは、おもむろに目を閉じてその手紙を胸元で抱きしめた。

「お、お嬢様?」

 だが、彼女のそんな不思議な行動を不審に思う者達がこの場にいた。そう、先程までマルティナと共に亡命の準備をしていたこの場にいる使用人達だ。

「お嬢様、一体何を……?」

 彼女のその様子を不審に思った使用人が発したその言葉でマルティナはこの場にいるのが自分一人ではない事を思い出したのか、慌てて手紙を抱きしめるのを止め、姿勢を元に戻した。

「っ、な、何でもないわっ。亡命の準備を再開しましょう」

 そして、マルティナは何かを取り繕うとするかの様に、先程まで行っていた私物の選別作業を再開しようとした。使用人達は、先程のマルティナの様子を不審に思ったが、その事に触れてほしくない、というマルティナの気持ちも察した使用人達は、それ以上は先程の様子に関して彼女に問いかける事も無く、マルティナの言葉に従いながら彼女の私物の選別作業の手伝いを再開するのだった。





 マルティナが手紙を受け取った日の深夜、彼女はまるで平民が着る様なボロ外套を身に纏い、自分が暮らす屋敷を抜け出し、一人、王都の街中を進んでいた。この時間、屋敷で働く使用人達は全員が寝静まっており、マルティナが屋敷から抜け出そうとする行動を咎める者は誰もいなかった。その為、彼女は楽に屋敷から抜け出す事に成功していた。

 こんな時間に屋敷を抜け出してまでマルティナが向かう目的地、それは王都の外れにある丘の上だ。この場所は他の者達にはただの丘の上でしかないが、彼女にとっては重要な意味を持っている場所であった。
 そして、丘の上に着いたマルティナはその丘に一本だけ植えられている木の下で待ち人を待っていた。そんなマルティナの元に、彼女と同じ様なボロ外套を着た一人の男性が近づいてくる。その男性はマルティナの傍まで近づいていくと、おもむろに彼女へ声を掛けた。

「先に来ていたのかティナ、ここに来てくれたという事は僕の手紙を読んでくれたんだね」
「っ、クリスっ!!」

 そう、マルティナが受け取った手紙の主であり、彼女が来るのを待っていた人物、それがこの男だった。彼の名はクリストフ・グラントと言った。
 クリストフはこのエルクート王国に仕える騎士であり、国より騎士爵の爵位を賜っている人物だ。彼は、見目麗しい容姿と薄い金色をした髪色、薄いエメラルド色をした瞳が特徴的な、好青年という言葉が相応しい男性であった。

 マルティナは彼の事をクリスという愛称で呼んでいた。クリストフの方もマルティナの事を愛称であるティナと呼んでいる。
 そして、マルティナはクリストフの姿を見るなり、感極まった様子で彼の元まで駆けていき、一気にその体へと抱き着いた。

「クリス、会いたかったわ!!」

 クリストフは自分に抱き着いてくるマルティナを優しく受け止めた。彼に抱き着くマルティナの頬は赤く染まっている。

 この光景を傍から見れば、恋人同士の逢瀬としか見えないだろう。事実、二人は秘密の恋人関係だった。勿論、二人が付き合っているという事は、本人たち以外は誰も知らない。

 クリストフの持つ騎士爵という爵位は国に仕える騎士の中でも功績のある一握りの者に与えられる一代限りの爵位だ。だが、その地位は、最下級の貴族である男爵位よりも更に下に位置しており、端的に言うなら騎士爵という身分は貴族と平民の中間、半端者とも言える身分だった。
 そんな騎士爵という貴族とも言えない半端な身分であるクリストフと伯爵令嬢という身分であるマルティナ、その二人が恋愛関係であるなど許される筈も無いだろう。
 だからこそ、二人は自分達のこの関係を周囲に知られない様に必死に隠し通してきた。この丘の上は二人が密会する為の秘密の場所であったのだ。

 二人は互いを抱きしめ合って暫くすると、クリストフは今も抱き着いているマルティナをおもむろに引き離した。すると、マルティナはその顔に露骨に残念そうな表情を浮かべる。愛しい人である彼女のその表情にクリストフは思わず胸が高鳴るが、彼はマルティナに聞かなければならない事があった。ゆっくりとマルティナを引き離した彼は真剣な表情で彼女を見つめながら口を開いた。

「それで、どうしたんだ、ティナ。突然、今すぐ会って話したい事があるって書かれた手紙を貰った時はびっくりしたよ」

 実は、マルティナは亡命の話を父から聞いた直後、クリストフに今すぐに会いたい、会って話したい事がある、という内容の手紙を送っていた。今日、彼女が受け取っていた手紙はその返事だったのだ。
 そして、その手紙に『今日、この二人の秘密の場所で会いたい』という旨が記されていた。
 だからこそ、マルティナはこんな夜も更けた時間にこっそりと屋敷を抜け出してまでこの場所まで赴いたのだ。

 クリストフからのその問いの言葉に、マルティナは一瞬だけ固まったかと思うと、息を飲んだ後、何かを決心したかのようにおもむろに口を開いた。

「……これはね、私と貴方だけの内緒の話よ? ……実はね、私ね、家族や使用人達を連れてアルティエル王国に亡命する事になったの」
「ぼっ、亡命!?」
「しっ、静かに。誰に聞かれるかわからないわ」

 大声で叫びそうになったクリストフをマルティナは制する。こんな夜も更けた時間のこの場所に誰かがいるとは思えないが、それでも誰に聞かれるか、分からないからだ。
 それを悟ったクリストフは声を小さくして、マルティナに話の続きをする。

「ご、ごめん……。でも、どうして急に亡命なんて……」
「それはね……」

 そして、マルティナはなぜ自分達が亡命する事にしたのかという経緯や理由を話し始めた。『アメリア・ユーティスの復讐』の事、もしかしたら自分や家族もアメリアの復讐対象に入っているかもしれない事、その為にアルティエル王国に亡命してアメリアから自分達の身を隠す事など、彼女は自分達の亡命に関係する事の全てをクリストフに対して語っていった。

「だから、私達は亡命する事を選んだの。あのアメリア・ユーティスから身を隠す為に、ね」

 そして、マルティナから全てを聞き終えたクリストフは、複雑な表情を浮かべる。

「……やっぱり、『アメリア・ユーティスの復讐』なんて噂は信じられない?」
「……ああ」

 クリストフも『アメリア・ユーティスの復讐』という噂に関して、多少は耳にしている。だが、彼はあの夜会にはいなかった為、その噂に対しては懐疑的だったのだ。
 彼自身も王太子の婚約者であったアメリアの事をある程度は知っている。彼は国に仕える騎士として、何度かアメリアの姿を見た事があった。
 だからこそ、クリストフがアメリアに対して抱いている印象は常に王太子を支えながら、王太子よりも目立たない様に一歩だけ身を引いている深窓の令嬢という印象でしかなかった。
 そんな彼の頭の中ではどうしても『アメリアという深窓の令嬢』と『復讐』という二つが繋がらないのだ。
 しかも、帰ってきたアメリアは謎の力を以って、王宮の一部を破壊したのだという。何も知らない者がこの噂を聞けば眉唾物の類の噂であるとしか思えないだろう。
 ユーティス侯爵家が取り潰された今、客観的に見ればアメリアは何の力も持たない只の小娘に過ぎない。普通に考えれば、そんな彼女が一連の高位貴族の連続失踪事件の首謀者だとは到底思う事は出来ない。

 また、彼にはその噂の事よりも重要な事があった。そう、マルティナやエステリア伯爵家の亡命の話だ。

「それより、ティナが家族と一緒に亡命するという事は、もう僕たちは会う事が出来ないのか……?」

 亡命とは、つまりはそういう事でもある。エステリア伯爵家が外国へと亡命する以上、子の国に仕える騎士であるクリストフは、もう二度とマルティナに会う事は出来ないだろう。彼の言葉を肯定するかの様に、マルティナはゆっくりとした動きで首肯する。

「……っ、そん、な……」

 もう自分達は二度とこの世で何よりも愛しい人に会えなくなると悟った彼は全てを失ったかの様な絶望感に心が支配されてしまいそうになる。
 その時、マルティナがクリストフの手を掴み、優しく握った。

「ティ、ナ……?」
「だからね、お願い、この国を捨てて私と一緒に逃げましょう? 貴方と二度と会えなくなるなんて私には耐えられないの」

 そう言うマルティナの瞳には今にも泣きだしそうに潤んでいる。

「それ、は……?」
「ねぇ、お願い、クリス、お願い、お願いよ……」

 マルティナの懇願にクリストフは言葉が詰まり、息を飲む。それも当然だ、幾ら恋人であるマルティナに懇願されたとはいえ、そう簡単に国を捨てる決断は出来る物ではない。  平民の出ながら、騎士爵を賜る程の功績を彼は上げてきた。クリストフは将来の王国騎士団の団長候補にも名前が連なるだろうと噂される程の素晴らしい才能の持ち主であった。
 そんな彼が、簡単に今迄仕えてきた国を捨てる選択が出来る筈も無い。国を捨てるという事は、彼が今迄積み重ねてきた者全てを投げ出す事に他ならないからだ。

「ねぇ、クリス、答えを、聞かせて……」

 マルティナの言葉にクリストフは、人生で一番と言ってもいい程に苦悩する。恋人から、急に国を捨てて欲しいと迫られれば、苦悩するのも至極真っ当な反応だ。

「…………………………分かった。僕はティナに着いていく。一緒にこの国から逃げよう」

 それでも、彼は悩みぬいた末にこの瞬間、自分が今まで積み重ねてきたものの全てを投げ出して、マルティナと共に国を捨てる決断をした。彼は本気でマルティナに恋慕の念を抱いていた、本気でマルティナの事を愛していたのだ。それこそ、彼女の為に国と自らが積み重ねてきたもの全てを捨てるという選択すらしてしまう程に、だ。

「本当!? 嬉しいっ!!」

 クリストフのその答えを聞いたマルティナは満面の笑顔を浮かべて、再び彼に抱き着いた。愛しい恋人であるクリストフが自分について来てくれると言ってくれた事が嬉しかったのだろう。マルティナは頬を赤らめ、クリストフに抱き着いたまま離れようとしない。クリストフも抱き着いてきた彼女を優しく抱きしめた。

 そして、そんな愛し合う二人の逢瀬は、彼等二人が満足するまで続けられる事になるのだった。
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