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第四章

85 マルティナのその後③

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 クリストフがミリアと出会い、このエルナト村にやってきた日から、今や早数ヶ月が経過していた。
 この村にやってきた当初、クリストフは自分達の村の一員であるミリアを助けてくれた恩人という事で客人扱いを受けていたが、今のクリストフは完全にこの村の一員となっている。
 ミリアを助けた後、彼女が住まうエルナト村まで案内されたクリストフは村の人々に、自分は今迄の記憶を失っている事、今はそんな自分を受け入れてくれる安住の地を探している事を話した。
 すると、エルナト村の人々は、貴方はミリアを助けてくれた恩人だ、数日だけでもいいからこの村でゆっくりと過ごしてほしいと言い、記憶喪失で身元すら分からないクリストフを受け入れたのだ。

 それから数日後、この村から去ろうとするクリストフに対して彼の身の上話を聞いていた村の人々は「丁度この村には空き家になっている家が一つある。だから、この村に定住しないか?」と彼に提案した。安住の地を探しているクリストフにとってもその話は悪い話では無かった為、その提案を受け入れる事にし、その日から彼はこの村の一員となったのだ。

 自分の名前以外の全ての記憶を失ったクリストフにしてみれば、この村の人々は身元すら分からない自分を受け入れてくれた恩人達である。彼がこのエルナト村への愛着を覚え、定住しようとするのは当然の流れだったと言えるだろう。

 やがて、クリストフはこの村に来る時に助けたミリアと恋に落ちる。ミリアにしてみれば、クリストフは自分のピンチに颯爽と駆けつけてくれたヒーローだ。彼女が恋に落ちるのも当然だろう。そんなミリアの真摯な恋心にクリストフが応えた形であった。

「これより、クリストフ、ミリア、両名の結婚式を執り行う」

 そして、クリストフがこの村に来てから数か月が経った今日この日、二人は小さいながらも結婚式を開き、エルナト村の人々から祝福されながら、正式な夫婦として結ばれる事になった。
 村人たちはこの村での新たな夫婦の誕生に拍手喝采を上げ、エルナト村全体がお祭り騒ぎの様相を呈している。

 だが、彼の傍に憑いているマルティナだけはそんな事実を受け入れられる筈がない。二人が付き合い始めた日から今に至るまで、彼女はまるで発狂したかの様に叫び声を上げ続けている。

(いやっ、いやっ、どうしてっ、どうして私以外の人を選ぶの!? どうして選んだのが私じゃなくてそんな貧相な村娘なの!? どうしてなの!?)

 まるで、駄々をこねる子供の様に荒れるが、意識だけの存在となっているマルティナには考える事、誰にも聞こえない声を出す事、その二つ以外は何もできない。
 彼女自身も自分の声は誰にも届かない事を分かっていながらも、マルティナは駄々をこねる子供の様に荒れ続ける。しかし、そんな事をしても目の前で起きている現実は変わらない。二人が村人達から祝福されながら正真正銘の夫婦となった事実は変わらないのだ。

「ミリア……」
「クリス……」

 頬を赤らめながら見つめあう二人、ミリアはクリストフの事を愛称でクリスと呼ぶ様になっていた。だが、それを聞いて堪らないのは彼の傍にいるマルティナの方だ。

(彼の事をクリスと呼んでいいのは私だけなのっ!! その名前で彼を呼ばないでっ!!)

 しかし、マルティナのその悲痛な声が二人に届く事は決して無い。そして、発狂寸前のマルティナを横目に二人はこの村の人々に祝福されながらキスを交わした。二人の結婚式はそこで最高潮となり、村人たち全員は一気に盛り上がる。

(いやっ、いやあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!)

 だが、二人の結婚式の一部始終をクリストフの傍で見させられる事になったマルティナは二人がキスを交わしたその瞬間、発狂した様な叫び声を狂った様に上げ続けた。
 しかし、絶賛発狂中のマルティナとは対照的に、この結婚式の主役二人は村人たちに祝福され、只々幸せそうな表情を浮かべるのだった。




 彼等二人の光景はある意味では実にありふれた光景と言えるだろう。自分の危機に颯爽と駆けつけてくれたヒーローに恋をする。まるで、よくある大衆向けの恋愛小説の様だ。
 だが、そんな光景を見せられて堪らないのは、クリストフの傍にいるマルティナの方だろう。

 自らの命を捧げる事も厭わない程に思っていたクリストフが自分の事を綺麗サッパリ忘れて、自分以外の誰かと結ばれる。それはマルティナにとってみれば生き地獄にも等しい光景だ。

 だが、クリストフの魂と一体となり、意識だけの存在となっている今のマルティナには自死を選ぶ事すら出来ない。つまり、マルティナはこれから仲睦まじくしているこの光景をそれこそクリストフが死ぬまで永遠に傍で見続けなければならないのだ。
 そして、マルティナはアメリアとは形が違えども、初めて信じていた者に裏切られるという心の痛みを本当の意味で味わう事になってしまった。信じていた者に裏切られるのはこれほど苦しいのか、と始めてアメリアが味わった苦しみをその身を持って体験していた。

(どうして、どうしてなの、クリス……)

 その時、マルティナは自分がアメリアの事を裏切ってしまったあの時、裏切られた彼女も、今の自分と同じような心の痛みを味わったのだろうという事に初めて思い至っていた。

(ごっ、ごめんなさいごめんなさい!! 貴女を裏切ってしまってごめんなさいっ!!)

 だからこそ、マルティナは初めてアメリアに対して本気で謝罪をしていた。無論、そこには謝罪する事によって許しを得られるかもしれないという打算が含まれていない訳では無い。それでも、マルティナはアメリアに対して真摯に謝罪し続ける。

(ごめんなさい、ごめんなさいっ!!!! だからお願い。もう許してっ!!)

 しかし、その謝罪の思いはもうアメリアには届かない。仮にマルティナの謝罪の思いがアメリア本人に届いたとしても、彼女はマルティナに対する罰を止めはしないだろう。
 全てはもう遅すぎるのだ。

(いやっ、いやっ、いやっ、こんな光景、もう見たくないっ!!)

 クリストフとミリアの仲睦まじい光景を見せられる度、マルティナの心は軋みを上げながら、傷付き、摩耗していく。
 二人の情事を目の前で見せられた時の彼女は完全に発狂していた。
 その後、彼女はやがて『こんな光景をクリストフが死ぬまで永遠に見続ける事になるぐらいなら、もう自分はこの世から消え去りたい』とまで思う様になってしまう様になっていた。だが、今のマルティナはクリストフと正真正銘の一心同体である。その為、彼女はクリストフが死ぬまで解放される事は無いだろう。

(お願い。もう許して……、私を解放して……。こんな光景は見たくないの。見たくないのよ……)

 マルティナは自らの命を捧げるまでに想っていた筈のクリストフが自分以外と結ばれ、仲睦まじくしているという生き地獄にも等しいこの光景を、彼が死を迎えるまでずっと傍で見守らなければならない。
 それこそが、アメリアがマルティナに与えた唯一にして最大の罰であるのだから。
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