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第一章の裏話
追話 使用人の日記より執事カルドの日記 ⑤
しおりを挟む今、泣いているのは誰であろうか。妻であろうか。息子であろうか。義弟であろうか。
私には泣く資格はない。泣く権利はない。泣く道理がない。
旦那様のお役に立って、ご奉仕しなければならない。なのに、私は間違った。
妻や息子が自慢とし、手本となるように。そう心がけてきたのに。
私は私の主の宝物を守りきれなかった。
「フェスマルク主席殿。奥方には私から伝えますか?それとも、貴方が伝えますか?」
ザクス様は、旦那様にそうたずねられました。
「私が…伝えます」
旦那様は、振り絞るように、答えられました。
「医務官としては、以上となります」
ザクス様はそういうと、旦那様の肩を掴み、うつむいたままの旦那様へ、こう申されました。
「年長者の友人として、また個人として、怒りがわかないことはありませんが、どうか、はやまったことをなさらないように。今、ティスを失ったら、彼女は…」
「わかっています。わかってはいるが…クレトスさん…私は、父や母を戦争で亡くしました。この上、子供を喪い…俺は…何を憎めばいいのでしょうか!」
悲痛な叫びを伴う旦那様の言葉を、その場にいた者、全てが聞きました。
「俺が…もっと強ければ…!」
ザクス様は、旦那様から離れ、私達の方を向きながら、深く頭を下げられた。
王宮の医務官の中でも、首席といえば、国どころか、大陸一の医師でもあり、爵位も個人のみとはいえ、公爵に並ぶほど、権威のある方が、一介の使用人、それも獣人のみの私達へと、頭を下げられたのだ。そして、ザクス様自身は、国有数の貴族でもあられていた。
「私は、今回、王から必ず奥方を救うようにと、厳命されました。けれど、奥方は、お子を救うようにと、意識の混濁の中で嘆願なされました」
私たちの顔を見て、旦那様へと強い視線を向けられた。
「憎むのは、私にしなさい。私の力不足で、奥方…いえ、国の宝である子を宿す力を失わせたのです。貴方は充分強い。自分の魔力で、自分に呪いをかけるのではなく、私を呪いなさい」
そうして、再び頭を深く下げられた。
「力になれず、申し訳ありませんでした。お屋敷の方々にも、再度、深くお詫びいたします」
旦那様も、私達も何もいえませんでした。ザクス様は、王宮へとお戻りになられました。
私は、命を持って謝罪をしようと思った。お子様の命が戻るわけではない。どのような魔法も、死者を呼び戻すことはできない。また、胎児は精霊の領域であり、精霊は力を貸さない。
ただ、私は、死にたかった。
「旦那様、私を」
殺していただけませんか。
そういい切る前に旦那様はおっしゃった。
「ダメだ!」
広間に、強く拒絶の言葉が響きました。私の価値がない命を持ってしても、旦那様の溜飲は下げられない。一瞬、そう思ったのだ。
「これ以上、家族を失わせるな!カルド…ついてきてくれ…フィオナは…もう少しあとで、ディアの側にきてくれ」
そう旦那様はおっしゃられると、奥様の元へと参られました。
私は、旦那様の言葉に、不甲斐ない自分に対して、そして、逃げようとしたことへの怒りで震えた。
こんな私をまだ家族と思っていただいても、私は…いえ、その時に私は、命を持って復讐を決めたのだ。
寝室へと入ると、消毒液と私でもわかるほどの濃厚な魔力の残り香があった。
「ねぇ…ティス…私ね…子供が産まれたらね…みんなでピクニックしたり…お茶をしたりしたいな…」
奥様は薬の影響か、ぼんやりとなされていました。旦那様に、毎日のように仰っておられた言葉を…話され出したのです。
「ああ…そうだな」
いつも旦那様は、笑顔で答えておられました。その時も、無理に笑おうとなされていました。
奥様の手を握られる力が強くなったようでした。
「それでね…私はね…絶対に子供の前では…笑ってあげてるの…安心…するでしょ?」
「ああ…!」
涙混じりのお二方を、私は、忘れることはできない。
奥様は、すでに自分の身体の異変に気づいておられたのだ。
「どんなことでも…きいてあげてね…ほめてあげて…大好きだって…いって…」
「ディア!」
奥様の涙をみて、旦那様は奥様を強く抱きしめられました。
「いいお母さんに…なって…あげたかったな…」
そういって、奥様は、お子がすでにいなくなった腹部に向かっておっしゃられた。
「ごめんね…お母さんが守ってあげなかったら…いけなかったのに…ごめんね…ごめんね…」
私は、その場から逃げ出すように、離れました。耐えれなかったのです。お二方の悲しみを、私は共有することなど、できなかった。
広間に戻ると、ランディといつのまにいたのか、ティルカだけがいた。フィオナは、キャスとナザドを寝かしつけにいったのだろう。
奥様に会う前に涙を涸らす必要もあったのだろう。
そこで、私はようやく、今が真夜中近くになっていることを自覚した。時間の感覚がなくなっていたのだ。ザクス様の施術も、数分間だと思っていたが、その後、フィオナから、何時間もかかっていた、貴方は何も話せなくなっていたと聞かされ、どれほど、私は我を見失っていたのかようやく知ることができた。
ランディに抱かれ、大泣きをしているティルカは、私の姿をみると駆け寄ってきた。
無様にも、奥様を守れなかった父をなじるものかと思ったのだが、ティルカは、私の腕の中に飛び込むと、泣きじゃくって、自分自身を責め始めたのだ。
「親父…坊っちゃまは、俺が弱かったから、精霊様の元に戻ってしまったんだ…」
「ティルカ…そうじゃないんだ」
「いいや!俺がもっと強かったら!坊っちゃまは、産まれてこれたんだ!」
ティルカは何も悪くない。その言葉をかけることすら、私にはできなかった。
私が悪いのだと、ただ、その言葉をいうことすら、私にはできなかったのだ。
抱きしめることすらできず、受け止めるこしかできなかった。
「ティル坊。こっちにくるだ」
ランディが、ティルカを呼ぶ。屋敷で産まれてから、ランディはティルカのお守りをずっとしていた。もしかしたら、いや、私よりも、父親らしいだろう。
「ランディおじさん…」
鼻をすすりながらも、ランディの腕にいくティルカ。ランディは、ティルカを抱きしめ、頭を撫でてやる。
「オラはボージィン様のお考えはわからねぇ。でもな、誰のせいでもねぇだ。自分を責めても、誰も喜ばねぇ。運命っちゅうもんも、オラにはわからねぇ。だけどな、ティル坊が、血豆潰しても、骨を折っても、泣かずに坊っちゃまの為だって、頑張ってたのは、オラも、カルド様も…勿論、旦那様や奥様だって知ってるだ」
剣術を教えた時、私の剣術は人を殺す剣術であり、手加減しても、怪我をすることを教えていた。
「自分の頑張りを自分で否定するでねぇ。坊っちゃまの為だっていってたことまで、否定してしまうぞ。そうなったら、坊っちゃまはどう思うんだ?」
「坊っちゃまが、どう思うか…悲しいと…思う」
「ティル坊が、思うなら、その通りだ。オラはティル坊の直感を信じるだ。だから、今は何をしたらいいか、わかんべ?」
ランディがそういうと、ティルカは頷いて、私の元へと再び来て、先程よりも強く抱きついてきた。
「親父…すまねぇ…」
ああ。この子は、なんと、強く育っているのか。
「私こそ…すまない、ティルカ…ありがとう、ランディ」
今度は、ティルカを抱きしめた。暖かい命を、抱きしめた。
「カルド様も、少し休むだよ。ゆっくり、休んで…それから、思うようにすればええだ。屋敷のことは、オラとスラ吉が守ってみせるだ。ティル坊も、協力してくれると、助かるだ」
「わかってるよ、おじさん!…親父、旦那様のそばにいて、見届けてくれ。それから、思ったことをすればいい。俺は、どんなことをしても、どんな結果になろうと、親父の息子でよかったと、思ってるから」
二人が広間を出ていってから、私は、刃こぼれしている剣を変え、以前ヴェルム様に打っていただいた剣を二振り腰にさした。ミスリルでできたこの二振りは、此度の戦場には持っていかなかった。
双剣は、集団戦にむかない。特に私のスキルでは、周りを巻き込んでしまう。さらに、守ることを捨てたときにしか、この双剣は持ち出さなかった。
呼吸を整え、魔力を使えることを確認する。戦場の疲労も、魔力の消費もすでに回復を終えていた。
しばらく広間でお待ちしていると、旦那様も、同じように装束を整え、精霊と契約してから滅多に使われることのなかった杖と、ミスリルの剣を腰にさして、ご用意を終えられてこられた。
「カルド。今から私が何をするのか、お前は見てくれるか?」
膝をつき、返答をすると、私達は、出陣したのです。
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