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赤い爪のおまじない

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「……里香さん。私は里香さんを尊敬します。だって、自分の気持ちも相手のためにって押し込めて、あいりさんと離れたんですから」

「どこが。表面上は突き放していたって、ちゃんと逃がしきれてない。慰めとか、いらないんだけど」

「慰めなんかじゃありません。本心です。だって……私は、逃がしてあげなきゃってわかっているのに、離れるどころか話してあげることすら、出来てないんです」

「……アンタが?」

「はい。お相手の優しさに甘えて、その人の幸せより、自分の欲を優先させているんです。……私からしたら、里香さんよりもよっぽと私のほうが"蜘蛛"ですよ」

「……アンタは、人間だろ」

「人間、なんですけどね。でも人間だって、独占欲はあります。相手が自分を見てくれるのならと策を張る、狡猾さだって」

「……どれもアンタには似合わない言葉」

「でも、本当ですから」

 苦笑する私を、里香さんがじっと見る。
 探るような眼。同時に、その頭の中では、たくさんの感情を繋ぎ合わせているような。

「里香さんもご存じでしょうが、人間にとって、左手の薬指は特別な意味を持ちます。婚姻や特別な関係を誓う場所でもありますから。調べてみたら、左手の薬指にだけ異なる色を塗るという"おまじない"がありました。好きな相手と両想いになれる、恋のおまじないです」

「…………」

「お二人のどちらから始められたのかは分かりませんが、調べれば簡単にわかる"おまじない"です。里香さんはあいりさんを、恋人ではないと言いました。恋人ではないだけで、あいりさんを特別に想っているんですよね。だからこそ爪を染めながら、女郎蜘蛛の血に苦しんでいる。好いた相手を不幸に陥れるあやかしの血だから。里香さんは、あいりさんを幸せにしたいから」

「……あいりが、アタシのせいで不幸になるなんて、考えるだけで死にたくなる」

「でも里香さんは、女郎蜘蛛ではありませんよ」

「……は? アンタ、なに言って……」

「女郎蜘蛛のご先祖様は、ずっと前の話なんですよね? そこから繋がるひとりひとりが、誰かと結ばれて代を繋ぎ、そして里香さんに辿りついている。なら、里香さんの血には、女郎蜘蛛さんの血よりもはるかに多くの"人間の"ご先祖様の血が流れているってことですよね」

「…………」

「その方々全員が、お相手を不幸にされたのでしょうか。私はあやかしに詳しくはありませんから、そもそも女郎蜘蛛というだけで必ずしも相手を不幸に出来るのかという点についても懐疑的です。確かに血の衝動は、本能に結びつくのかもしれません。だけど行動を決めるのは、心ではないでしょうか。少なくとも、里香さんは女郎蜘蛛の本能よりもあいりさんを愛する心が勝ったから、お別れを切り出したのではないですか?」

 里香さんが自身の爪を見つめる。
 その瞳に宿る愛情に、私は頬を緩めた。
 だって、お二人はきっと。

「もう一度、お二人でお話されてみてはどうでしょうか。あやかしとか、女郎蜘蛛の本能とかは抜きにして。里香さんとしての素直な心をお伝えすることが、重要なのではないかと。それで離れることになったのなら、その時は、一緒に泣きましょう」

「……なんでアンタと」

「逃がしてあげたいのに、逃がしてあげられない同士ですから。呼んでくだされば、いつだって来ます」

 里香さんが濡れた瞳を緩めて、薄く微笑む。と、

「いくら大切だろうと、幸せであってほしいと願おうと、人はある時とつぜんに死ぬぞ」

「マオさん……?」

 彼は冷たい表情のまま、里香さんを見つめ、

「その"ある時"は、それこそ今この瞬間かもしれない。その時お前は、後悔しないか? こんなことならもっと早く、もっと時間の許すまま、一緒にいれば良かったと」

「それは……」

「幸せになれるのかどうかなんて、自分の行動次第でいくらでも変えられるんじゃないか? けどな、死だけは絶対に、誰にも変えられない。本当に辿り着くかどうかもわからない未来を怖がって、離れている間に失うくらいなら、俺は"今"を有効に使う。この手を取ってくれるように。俺を選んでくれたのなら、絶対に幸せにするために。その覚悟に、あやかしの血なんて関係ないと思うがな」

「……そうだ、ね。アタシはこの血を言い訳にして、覚悟を決めることから、逃げてたのかも」

 里香さんは立ち上がり、玄影さんに「花、ちょうだい」と手を差し出す。
 白い布製の花弁にそっと頬を寄せ、

「お願い。縛り付けることを、許して」

 それから決意を固めたようにして、ベッドに置かれていたスマホを手に取った。
 電話をかける。相手は、言わずもがな。

「……あいり? その、久しぶり。……話が、したくて」

 途端、え、と里香さんが虚を突かれたような顔をした。
 真っ青な顔で、スマホから耳を放す。

「里香さん?」

「……電話、切れた」

「! そんなはず――」

 刹那、ピンポン、ピンポン、ピンポンと。
 三度響いた呼び鈴の音に、里香さんがハッとしたようにして駆けだす。
 外も確認せずに勢いよく開けた扉の先。立っていたのは――。

「っ、あいり」

 里香さんが彼女の名を呼んだ、次の瞬間。

「りかっ!」

 あいりさんが里香さんの首元に腕をまわして、抱き着いた。
 よろけた里香さんが、上り口に腰を落とす。

「あ、あいり――っ」

「里香のばか!!」

 あいりさんが顔を上げる。
 大きな瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。

「里香と一緒だと幸せになれないって、どうして決めつけるの!? どうしてあいりの気持ちを聞いてくれないの!? どうして、どうしてあいりを嫌いになったのなら、もう二度と関わるなって、本気で拒絶してくれないの……っ!」

「ちがっ、あいりを嫌いになるなんてあり得ない!」

「なら、好き? 好きだよね? あいりのことが好きだから、この爪、赤くしてくれてるんだよね?」

 里香さんの身体に乗り上げながら、左手の指を絡めるあいりさん。
 耳まで顔を真っ赤にした里香さんが、観念したように「……すき」と零す。
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