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女郎蜘蛛の束縛
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「里香さん、こちらのネイルは処分しましょうか?」
本日はお休みだと家に滞在中の里香さんに、私は造花入りの缶の横にあった分離したネイルを手に取る。
「昨日整理をさせていただいて気が付いたのですが、里香さん、これとまったく同じ別のネイルを使われていますよね。なら、こちらは不要かと思うのですが」
ベッドで横になったままの里香さんは、躊躇うように視線を外す。
「……それは、そこに置いておいて」
(やっぱり)
「なら、使えるようにしますか?」
「え……できるの?」
がばりと起き上がった里香さんを、ベッド下に座っていた玄影さんが落ちないように支える。
けれど彼には目もくれない里香さんに私は「はい」と頷いて、
「目薬を使います」
私はポケットから、用意していた目薬を取り出した。
里香さんが傍までくる。彼女に見えるようにしながら、分離してしまっているネイルの瓶を開けた。
「分離したり、ドロドロになてしまったネイルに目薬をニ、三滴たらします。多いと固まらなくなってしまうので、少しずつ慎重に。蓋をして本体を倒し、空気が入らないようにゆっくりと転がして混ぜます。しばらくコロコロ続けると……」
「……混ざった」
「良さそうですね」
見てみてください、とボトルを手渡すと、里香さんは蓋を開いて迷いなく左手の薬指に塗った。
「ホントに戻ってる……」
「やっぱり、本当は左手の薬指に塗っていたんですね」
「え……?」
戸惑いの目を向ける里香さんは、しまったという顔をした。
「違う、これはっ」
「里香さん。昨日の帰り、あいりさんにお会いしました。……あいりさんの左手の薬指、里香さんの左足の薬指のネイルの色と同じでした」
「え……?」
「おまじない、ですよね。おそらくは、お二人が一緒にいた時からの。里香さんが手ではなく足の爪を塗っていたのは、飲食店でネイルは禁止されているからではないでしょうか」
視線を落とした里香さんが、手にしたボトルをぐっと握りしめる。
「私、最初は里香さんが、あいりさんと離れたがっているのだと思いました。そのために、私達が呼ばれたのではないかと。けれど里香さんは、私達にこの目薬になってほしかったんですね。離れてしまったお二人を元に戻す、小さなきっかけに」
「……違う。私は、あの子と離れないとだから、元に戻るなんて――」
コトン、と。玄関から届いた小さな音に、四人が視線を向ける。
動いたのは玄影さんで、マオは静かに私の側に立っていた。
郵便受けが開けられる。取り出されたのは、六枚の白い花弁を開いた星型の花。中央は紫色の細かな花弁が。
「白い桔梗……?」
呟いた私に、マオが「いや」と応えて、
「おそらくは、クレチマスだろうな。それも、テッセンという種類の」
頷いた玄影さんが引き継ぐ。
「クレチマスの中でもテッセンという種類は、単体の花言葉を持つんです。テッセンは、"鉄線"。ツルが鉄のように強く堅いことから、日本でも古くから鉄線花と呼ばれ親しまれてきました。花言葉は"甘い束縛"、"縛り付ける"。そして、この花の美しさからちなんで、"高潔"」
「束縛、縛り付ける……!? まさかあいり、気づいて……っ」
「里香さん!?」
膝を抱えるようにしてうずくまった里香さんの肩に、慌てて触れる。
――震えている。
「アタシは、蜘蛛なんだ」
「え……?」
「この身体には、女郎蜘蛛の血が流れている。好いた相手を身勝手に縛り付け、不幸に陥れる、女郎蜘蛛の血」
里香さんは自身の身体を抱きしめるようにして、
「自分は平気だと思っていたんだ。子供の頃から他人にはあまり興味がなかったし、女郎蜘蛛だったのは辿るのも面倒なくらい、何代も前の先祖だったから。だけどやっぱり、アタシは女郎蜘蛛だった。あいりが仲良くしてくれて、初めて自分よりも大切な存在が出来たと思ったら、どんどん、おかしくなっちゃって……。あいりが他の人に笑いかけるのが嫌だ。あいりが、アタシ意外の誰かに好かれるのも嫌だ。ずっとアタシだけを見てて、ずっとアタシの側にいてくれたらいいのにって」
「っ、里香さん、それは……」
「アタシは、アタシはあいりを私なんかに縛り付けたくないのに、制御できない欲求がもっともっとって溢れて来るんだよ。はじめはなんとか誤魔化して、友達でいようと思った。けど、無理だった。アタシには、この蜘蛛の糸が切れない」
「…………」
おねがい、と。里香さんは震える声で呟く、
「あいりをアタシの糸から逃がしてあげて。花もネイルも、この家だって。全て捨てて隠れてしまえばいいってわかっているのに、アタシには、出来なかった。逃がしたくないって、アタシの"蜘蛛"が拒絶するんだ。あれを飼ったのだって、あいりに諦めてもらうためだって言いながら、もしかしたらもっと気にかけてくれるようになるんじゃないかって期待してた。あいりが花を入れ始めて、うれしいって、思ったんだ」
里香さんは目尻を掌で拭う。
「アンタ達を呼んだのだって、あいりがいなくてもアタシは大丈夫だって、見限ってもらうためだったのに。もしかしたら、花以上のことをしてくれるんじゃないかって。……会いに来てくれるんじゃないかって、どこかで待ってたんだ。逃してあげたいのに、逃してあげられない。こんな、こんなあやかしの血が憎くてたまらない……!」
叫ぶようにして涙を流す里香さんの背を撫でる。
逃がしてあげたいのに、逃がしてあげられない。その言葉に、私の心も罪悪感に軋む。
本日はお休みだと家に滞在中の里香さんに、私は造花入りの缶の横にあった分離したネイルを手に取る。
「昨日整理をさせていただいて気が付いたのですが、里香さん、これとまったく同じ別のネイルを使われていますよね。なら、こちらは不要かと思うのですが」
ベッドで横になったままの里香さんは、躊躇うように視線を外す。
「……それは、そこに置いておいて」
(やっぱり)
「なら、使えるようにしますか?」
「え……できるの?」
がばりと起き上がった里香さんを、ベッド下に座っていた玄影さんが落ちないように支える。
けれど彼には目もくれない里香さんに私は「はい」と頷いて、
「目薬を使います」
私はポケットから、用意していた目薬を取り出した。
里香さんが傍までくる。彼女に見えるようにしながら、分離してしまっているネイルの瓶を開けた。
「分離したり、ドロドロになてしまったネイルに目薬をニ、三滴たらします。多いと固まらなくなってしまうので、少しずつ慎重に。蓋をして本体を倒し、空気が入らないようにゆっくりと転がして混ぜます。しばらくコロコロ続けると……」
「……混ざった」
「良さそうですね」
見てみてください、とボトルを手渡すと、里香さんは蓋を開いて迷いなく左手の薬指に塗った。
「ホントに戻ってる……」
「やっぱり、本当は左手の薬指に塗っていたんですね」
「え……?」
戸惑いの目を向ける里香さんは、しまったという顔をした。
「違う、これはっ」
「里香さん。昨日の帰り、あいりさんにお会いしました。……あいりさんの左手の薬指、里香さんの左足の薬指のネイルの色と同じでした」
「え……?」
「おまじない、ですよね。おそらくは、お二人が一緒にいた時からの。里香さんが手ではなく足の爪を塗っていたのは、飲食店でネイルは禁止されているからではないでしょうか」
視線を落とした里香さんが、手にしたボトルをぐっと握りしめる。
「私、最初は里香さんが、あいりさんと離れたがっているのだと思いました。そのために、私達が呼ばれたのではないかと。けれど里香さんは、私達にこの目薬になってほしかったんですね。離れてしまったお二人を元に戻す、小さなきっかけに」
「……違う。私は、あの子と離れないとだから、元に戻るなんて――」
コトン、と。玄関から届いた小さな音に、四人が視線を向ける。
動いたのは玄影さんで、マオは静かに私の側に立っていた。
郵便受けが開けられる。取り出されたのは、六枚の白い花弁を開いた星型の花。中央は紫色の細かな花弁が。
「白い桔梗……?」
呟いた私に、マオが「いや」と応えて、
「おそらくは、クレチマスだろうな。それも、テッセンという種類の」
頷いた玄影さんが引き継ぐ。
「クレチマスの中でもテッセンという種類は、単体の花言葉を持つんです。テッセンは、"鉄線"。ツルが鉄のように強く堅いことから、日本でも古くから鉄線花と呼ばれ親しまれてきました。花言葉は"甘い束縛"、"縛り付ける"。そして、この花の美しさからちなんで、"高潔"」
「束縛、縛り付ける……!? まさかあいり、気づいて……っ」
「里香さん!?」
膝を抱えるようにしてうずくまった里香さんの肩に、慌てて触れる。
――震えている。
「アタシは、蜘蛛なんだ」
「え……?」
「この身体には、女郎蜘蛛の血が流れている。好いた相手を身勝手に縛り付け、不幸に陥れる、女郎蜘蛛の血」
里香さんは自身の身体を抱きしめるようにして、
「自分は平気だと思っていたんだ。子供の頃から他人にはあまり興味がなかったし、女郎蜘蛛だったのは辿るのも面倒なくらい、何代も前の先祖だったから。だけどやっぱり、アタシは女郎蜘蛛だった。あいりが仲良くしてくれて、初めて自分よりも大切な存在が出来たと思ったら、どんどん、おかしくなっちゃって……。あいりが他の人に笑いかけるのが嫌だ。あいりが、アタシ意外の誰かに好かれるのも嫌だ。ずっとアタシだけを見てて、ずっとアタシの側にいてくれたらいいのにって」
「っ、里香さん、それは……」
「アタシは、アタシはあいりを私なんかに縛り付けたくないのに、制御できない欲求がもっともっとって溢れて来るんだよ。はじめはなんとか誤魔化して、友達でいようと思った。けど、無理だった。アタシには、この蜘蛛の糸が切れない」
「…………」
おねがい、と。里香さんは震える声で呟く、
「あいりをアタシの糸から逃がしてあげて。花もネイルも、この家だって。全て捨てて隠れてしまえばいいってわかっているのに、アタシには、出来なかった。逃がしたくないって、アタシの"蜘蛛"が拒絶するんだ。あれを飼ったのだって、あいりに諦めてもらうためだって言いながら、もしかしたらもっと気にかけてくれるようになるんじゃないかって期待してた。あいりが花を入れ始めて、うれしいって、思ったんだ」
里香さんは目尻を掌で拭う。
「アンタ達を呼んだのだって、あいりがいなくてもアタシは大丈夫だって、見限ってもらうためだったのに。もしかしたら、花以上のことをしてくれるんじゃないかって。……会いに来てくれるんじゃないかって、どこかで待ってたんだ。逃してあげたいのに、逃してあげられない。こんな、こんなあやかしの血が憎くてたまらない……!」
叫ぶようにして涙を流す里香さんの背を撫でる。
逃がしてあげたいのに、逃がしてあげられない。その言葉に、私の心も罪悪感に軋む。
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