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【一】一・兄弟王子と出遭う放課後

061. 仲良くなれない王子様

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「へえ? のっぴきならない事情、ね」

 イラリアをじろりと睨みつけ、私は彼女の腕の中から抜け出す。異臭のする方に目を向けて、その実験机へと歩いていった。

「あっ、姉さま。不用意に近づいたら危ないですよー……」
「私は、今や大学院の薬学部に在籍している身よ。馬鹿にしないで。
 この部活でも薬について学んだし、過去の人生では翠玉エメラルドクラスの学生だったの。貴女を目覚めさせるために、新種の魔法薬だって生み出したわ。
 それで? いったいどんな事情があれば、殿下にを飲ませられるというのかしら。とっても気になるわ」
「飲ませたんじゃありません。ただ、ちょっと……彼が調薬を間違えただけです。ええ、私はなにも悪くないのです!」
「あら、そう。先生は今いらっしゃらないようだけど、そうすると、部長である貴女に責任があるのではなくって? それに――」

 と、机の上に散らばった薬草たちを手で指し示す。イラリアは眉をへにゃりと下げ、明らかに困った顔をした。

「白を切りたいなら、テーブルの上はどうにかしておいた方が良かったわね。この状況を見るに、そう、言葉巧みに殿下を騙して、間違った薬草を選ぶように――催吐薬を作ってしまうように促したのでしょう。貴女ったら、ものすごく悪い子ね」
「だ、だってぇ……あの人が姉さまに何かしたから、姉さまが来ないんだと思ったんだもん……ただの復讐だもん……」
「ただの復讐って何よ、物騒ね。そもそも、どうして殿下のせいってことになるのよ。まあ、たしかに――」
「僕が兄上のことを仄めかしたからですね」

 その声に、イラリアは「びゃっ」と驚いたように変な叫び声をあげる。
 彼女のいる場所と反対側、私の左隣に、今しがた廊下で遭遇した彼――黒髪の男子学生の姿があった。

「先程は、すみませんでした。オフィーリア
「いえ、私こそ。我が家の者が失礼をいたしました。セルジオ第二王子殿下。お体は大丈夫ですか?」
「はい、なんとか。変な薬を作ってしまったのは僕の過失ですしね。平気です。でも、リスノワーリュさん――イラリアさんは、どうやら僕のことが嫌いなようです」
「まあ。そんなこと――ないわよね? イラリア」
「うぐ……、まあ、べつに……」

 彼女はぎごちなさたっぷりに頷いて、私を呆れさせてくれた。こんな簡単な嘘くらい、綺麗に吐いてほしい。
 それで未来の侯爵夫人わたしのパートナーになるつもりなの? と問いただしたかったけれど、殿下もいることなので我慢する。

「貴女、殿下とは一年前までクラスメイトだったでしょう。その時からこんな態度をとっているの?」

 セルジオ第二王子殿下は、廃太子バルトロメオの異母弟だ。
 国王陛下と第二妃様の間に生まれたご子息で、一、二年生まではイラリアと同じく金剛ダイヤクラスに所属するクラスメイトだった。
 彼女が死の眠りによって休学していなければ、昨年や今年も同学年だったはずだ。

「クラスメイトだった時は、べつに、話すこともありませんでしたから。私と彼はグループが違うというか、ですね」
「ええ。避けられていましたね。何かをキッカケにそうなったんですけど、何でしたっけ?」
「――普段は空気のように存在感のない殿下が、クラスで他の人たちが姉さまの噂話をしていた時に……『オフィーリア姉上は亡くなったと決まったわけではない。くだらないことをほざくな』なんてっ、そんなことをおっしゃったのですよ! ほんとあり得ない!」
「?」
「?」

 私とセルジオ殿下は顔を見合わせ、首を傾げる。ちょっと意味がわからなかった。
 今の何が『ほんとあり得ない』のだろう。

「ねえ、イラリア? つまり……それは、殿下が私に関する噂話を止めてくださったということでしょう? わからなくてごめんなさいね、貴女は何が嫌だったのかしら?」
「『オフィーリア姉上』ですよ。しかも人前で」
「オフィーリア姉上?」
「そう。特に『姉上』が気に食わないのです」
「その呼び方が?」
「ええ、そうです。――だってっ!」

 イラリアは怒りを発散するように、実験机をバァンと叩く。薬草たちが小さく振動し、鍋の中にある薬液の水面が揺れた。

「なんですか『姉上』って!! フィフィ姉さまは私の姉さまであってセルジオ殿下の姉さまではないでしょう!?」
「ああ、そういうことですか。兄上の婚約者だったので、そうお呼びしたまでですよ。おふたりが結婚したら義姉弟になるはずだったでしょう?」
「それにしても、あの時は! もう! あいつはフィフィの婚約者じゃなかった!
 ほとんど国にいなかった殿下は知らないかもしれませんけど、フィフィ姉さまとあいつの婚約は、あいつが成人した時に解消になったんですぅ!」
「そういえば、我が兄がオフィーリア姉上に酷いことをなさったのですよね。その節は申し訳ございませんでした」
「いえ。お気になさらず」
「だから呼び方ぁっ!」

 私の声に被さるように、イラリアは甲高い声でうるさく叫んだ。
 セルジオ殿下もさすがに腹が立ってきたのだろうか、もったいぶって再び言う。

「――オフィーリア姉上」
「っ、ここまで言って、なんでやめてくれないんですか……」
「やめる必要性を感じませんから。だって――彼女は本当に、僕の『姉上』になるのですから。ね?」

 ――ああ、殿下。やっぱり怒っていらっしゃるのね。イラリアのせいで……。

 殿下の顔はにっこりと笑いながらも、氷のような冷気を放っていた。
 イラリアは「へ?」と間抜けな声を出す。

「もう箝口令は解かれましたよ。オフィーリア姉上。今朝方の書簡で」
「あら、そうだったのですね。気づいておりませんでした」
「姉上のいらっしゃるのは城内ではありませんから、僕ら宛のものより到着時間が遅れてしまったのですかね」
「フィフィ姉さまったら、まさか、あいつの兄王子と――」

 その時。またも大きな音がしてドアが開く。
 私、イラリア、セルジオ殿下の三人は一斉にドアの方を見た。

「オフィーリア、無事だったか」
「ジェームズ先生! どこにいらっしゃったのですか? 汗だくではありませんか」

 疲れた様子で入ってきたジェームズ先生に、私は駆け寄って――べつに、向こうの険悪な空気から逃げたかったわけではない――手持ちのハンカチで彼の首元や額の汗を拭った。

「イラリアに、お前を探しに行かされてたんだよ」
「まあ、イラリアに? あの子ったら、またワガママを言ったのね。申し訳ありません」
「俺のことは、まあいいんだ。ちょっと後ろを振り向いてみてくれないか。――その、あの子が泣いてるんだが」
「え……?」

 先生に促されて振り向いて、私は息を呑む。本当にイラリアがぼろぼろと泣いていた。
 今日は驚きの展開が多いみたいだわ、なんて頭の片隅が変に客観的に考える。

「フィフィ姉さまがっ、アルベルトことアルティエロと結婚するくせにジェームズ先生といちゃいちゃ浮気してセルジオの野郎にも優しくして誑かしてる……なんでぇ……」
「――先生。あの子、何か変な薬でも誤飲しましたか?」
「俺の知る限り、そんなことはない」
「ですよね。……ちょっと話を聞いてきます」

 彼女のそばに近づき、「どうしたの? イラリア」と今度はできるかぎり優しい声で問う。
 彼女はうるうると潤んだ空色の瞳で、あざとくこちらを見上げた。

「フィフィ姉さまなんて、フィフィ姉さまなんて……」
「うん。だから、どうしたのよ? ちなみに私は第三王子殿下と結婚なんてしないわよ」
「キスで瀕死になればいいんだ……!」
「なんですっ、てぁ」

 ――本当に、やけに驚きの展開が多いのよ。今日は。

 そうして彼女は乱暴に、私の唇を奪った。
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