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〈ヒーロー〉と〈悪役令嬢〉編
【68】花街にて −1− シシリー・セルナサスは✕✕を刻み、★
しおりを挟むアリシアとフィリップが結婚した、初夏の季節が再び巡ってきた。
(もう一年になるのね……)
シシリーが花街暮らしを始めた時からも、これで一年以上が経つことになる。
あの日も――シシリーは青楼にいた。
主君であるフィリップの晴れ舞台であるというのに、ユースタスは暇をとって、朝から晩まで彼女と一緒にいてくれたのだ。
自らの腹に手を触れ、シシリーはあの日のことを思い返す。
***
『やあ、シエラ』
『おはようございます、ユウ様。……本当に来たのですね』
『? 約束していただろ?』
『そうだけど……』
本当に来るのかしらと、実は疑っていた。だってユースタスはフィリップの騎士なのだ。
きらびやかな祝祭のなか、パレードの時は彼らの馬車の護衛をして然るべきひとなのだ。こんなふうな、お忍びの恰好が相応しいひとではない。
『……せっかくのご婚礼なのに……』
『お祝い事など、これから何度でもあるだろう』
『確かに、それはそう……』
あの夫婦は、婚約者時代から仲良しだった。子沢山になる想像はし難くない。
王や妃としてのみならず、愛しあう者として、ふたりは子どもを強く欲しがっていたことだし。
『一緒に飲もう、シエラ。仕事の日なら飲めないが、今日の俺は休みだからな』
『お酒を飲むためにお休みしたみたいじゃない、それ』
ふわりと笑って、頷いて。シシリーはユースタスと一緒にお酒を飲んだ。
幼馴染のフィリップとアリシアの晴れ姿は見れないで、ただ、血のつながった兄と一緒にいた。
結婚できない兄と、おめでたい日を過ごした。
***
アリシアの出産後、七日七晩が経ってから。
シシリーは、やっと花街に帰ってきた。
(私の何がそこまで信頼できるというのかしら? アリシアの世話にも赤ちゃんの世話にも関わらせて――)
王子様のご生誕を祝って、騎士様や魔法士様たちはまた宴会を開くとのこと。シエラはその宴にも踊り子として呼ばれた。この二週間は大忙しだ。
宴当日、ユースタスはまたもや騎士ユースタスとしてお酒の席に現れ、またまた他の娼妓のお胸をむぎゅむぎゅと押し付けられていた。
「ねえ、シエラ、ちょっと」
「…………はい」
魔法士カルノことカールに声をかけられ、シエラは作り笑いで返事する。
あの夜はなかなかエグい扱いをされたが、この魔法士が出禁になったりという大事にはなっていない。彼は今も変わらず、この青楼の金蔓なるお客様のひとりだ。
「ユウくん、モテモテだね」
「そうですね」
「ちょっと悪戯を仕掛けてきてもいい?」
「なぜ私に聞くのです? 願わくは、意地悪はしないでいただけると」
「じゃあ、仕掛けてくるよ。これは悪戯であって意地悪じゃないからね」
見た目だけは女の子と見紛うほど可愛い最年長美少年カールおじさんは、純白の髪を揺らし、寄り道しつつ、ユースタスたちのいる席へちょこまかと移動した。
なるほど、あんなに可愛くて小さいと、どの席に行っても娼妓のお姉さんたちから可愛がられるようで。それが楽しいらしい。
自分の可愛さを存分に利用している御仁だ。中身おじさんだが。
「おい、ユースタス、楽しそうだな!」
「なんだ、カール」
楽しそうなのはどっちだ。娼妓のお姉さん(たぶん年下)にデレデレして。
「どっちが先に潰れるか勝負しよう」
「は?」
そうしてカールは、どん、と酒瓶をテーブルに置いた。
(今の動き……)
いったいどこから出してきたのやら。そのボトル。
なんだか怪しかった。
「――ふはははっ、先日の鬱憤は晴らさせてもらったぞ! ユウ! ざまあ!」
「んな、数ヶ月前のこと……根に持つな……」
(ユウ兄様が……負けた? お酒で……?)
数十分後。美貌の騎士ユースタスは見事に酔い潰され、綺麗な顔を朱に染めてぐったりしていた。
毒もお酒も、そこまで弱くはないはずなのに。
「はは、まるで赤ちゃんみたい。可愛いねぇユウくん」
「やめろ……さわるな……、や……」
カールはユースタスをからかって、彼の頬を突っついたり摘まんだりする。
シシリーもお酒を注いだりまた踊ったりと仕事があるので、ずっと彼らを観察しているわけにもいかなかったが……。
見るかぎり、ユースタスはカールの好き放題にされていて。シシリーの胸はチクチクと痛みを訴えた。
「さて、どこかで休ませてやれるか?」
なんて紳士然とした声でカールが青楼の者に聞いた時、ふたりの様子を窺っていた彼女はびっくりしたものだ。
「なあ、シエラも」
「あ、はい……」
ついでと言わんばかりに呼ばれ、道中のカールとの会話相手を任され、ユースタスを別室で休ませるべく移動する。
「……カール様」
「これくらいしないと、あいつは動けないだろ。お優しい男だから」
「先ほど動けなくさせたのは貴方ですけどね。眠り薬でも入れましたか」
「……ほら、これ、あげる」
はぐらかされた。悪いお方だ。
「なんですか、それ」
カールの小さな手にあったのは、小さな本だった。薄い本ともいえるような。
「淫紋の書だ」
「…………淫紋の描き方くらい知っております。シエラですから」
性的に感じやすく、子を宿しやすくさせる魔法魔術である。
「カール様。まさかお膳立てのつもりですか?」
「姫君の幸せは、キミたちのおかげなんだろ? なら恩返しをしないとな」
「……幼馴染ですから、あの方がたは」
「それにしても、王子様のご誕生か」
カールは切なげに目を細め、すごいな、めでたいな、と呟いた。いきなり悪ふざけを止められたようで、シシリーはちょっと面食らう。
(ああ、そういうこと)
ショタおじ魔法士カールは、俺様騎士ユースタスと同じく、アリシアの攻略対象だ。彼女と一緒になってもおかしくない男だった。
きっと、彼は。
「富豪は傷心旅行中だし、ボクもどこか行こうかな」
「王宮勤めの魔法士では、軽々しく遠出できないのでは?」
「あははっ、そうだね」
「……やはり、皆さん、彼女のことが――」
「でも、あいつは違うよ」
食い気味に言われ、会話役の娼妓シエラは思わず押し黙る。
「まだ逃げるのかい? シエラ」
「…………だって……」
部屋に到着すると、追って伝えられた姐からの指示で、シエラはユースタスを看病することになった。
汗を拭いてやり、苦しそうなら解消し、やるならやっちゃいなさいよーとのことだ。こちらもお節介な姐さん娼妓である。
「じゃあ、あとはおふたりで~」
カールも去っていき、本当にふたりきりになった。密室になった。
「ユウ兄様……平気……?」
「んー……」
ベッドにおろされたユースタスは、まだ赤い顔をして、ぽんやりとしていた。気絶はしていないが、とても眠そうだ。
「眠いのよね、今夜は添い寝にしましょうか、あ、その前に汗を」
「……シシリー」
「なぁに」
彼の上衣をはだけながら、シシリーはゆるりと首を傾げる。
「? これ、脱がすわよ」
「うん……」
露わになった彼の筋肉は、今日も、いつか彼が自賛したように美しかった。
(大切なひとを守るため、己が責務を果たすために鍛えた体は、美しい――)
シシリーは彼の下穿きも何もかも脱がせ、しっかり汗を拭き、そしてユースタスに口づける。
「キス、しちゃったわよ、兄様」
ユースタスはふんわり満足げに笑い、酔った熱い体でシシリーを抱き寄せた。
「好きだ……シシリー……」
「お酒臭いわ、兄様。でも、」
そこから先は、まだ言えなくて。覚悟がなくて。
「淫紋を刻んで迫ったら、叱られてしまうかしら」
なんて、冗談めかして、小さく言うことしかできなかった。きっと彼には聞こえていない。
「兄様、姐さんたちのお胸を押しつけられていたわね。でも、勃っていなかった……うふふ」
するりと彼のそこに触れ、シシリーは笑う。誤魔化す。
ユースタスのユースタスはふにゃふにゃで、いつもよりかわいかった。
「ん……シシリー……あっ……あ」
「きもちいいの?」
彼自身をゆるくしごいて、漏れる吐息の色っぽさと可愛らしさに彼女はときめく。やわく責める。
(私は……ユウ兄様の赤ちゃんが、欲しい)
シシリーとユースタスは、実の兄妹。望んではいけない。叶えてはいけない。自らに言い聞かせるまでもなく、わかっている。
(たとえ、ここが異世界でも。ゲームの世界でも。出産は、子育ては、幻想じゃない。遊びじゃない)
ドレスを着たまま、彼に抱き寄せられたまま。まだ膨らみも淫紋もないお腹に手を触れてみる。ここに、ユースタスの子を宿すことなど……。
「ねえ、兄様」
「ん……んっ、ぁん……」
もしも、そういうことになったら。この兄はどんな顔をするだろう。
俺様らしいのは、シシリーの心を暴きたい時ばかりで。普段は甘くて優しいばかりのユウ兄様は。
「私も、汗を掻いてきちゃったわ」
シシリーが彼の子を孕んだと告げたら、どうするのだろう。
(……責任はとってくれるのでしょうね)
離れないでとぼやく彼の手に足首を捕まえられ、くすりと笑って。自分でドレスを脱ぎ進めながら、シシリーは想像する。
ユースタスは彼女の足の甲に口づけ、くるぶしに口づけた。やっぱり寝ぼけておいでである。
(兄様は、高潔なる騎士様だから。自分の子を見捨てたりしないわ)
しゅるん、と下着も足首までおろして、彼の手に触れさせた。彼は反射的にか握り込み、ああ、たしかに、まるで赤ちゃんみたいだった。
「それ、私の下着よ、兄様」
「ぅん……?」
代わりに彼の手に乳房を掴ませ、衣類は投げた。しばらくお胸をもみもみしてもらい、考える。思いを巡らせる。
「ユウ兄様」
淫紋の刻み方は、知っていた。それに今日はまだ避妊薬を飲んでいない。しばらく王宮にいたから、もう十日以上は飲んでいない。
「――私、もう一度、悪役令嬢になるわ」
こうして勝手に事を進めようとするなんて、まさに悪役だ。眠っているも同然のひとを襲うなど悪女だ。
「おっぱいは、またあとでね。今度は私の番」
「ん……?」
彼の雄茎をしごき、口にふくみ、彼の喘ぎ声を聞く。熱を感じる。ぴくぴくと蠢くそれを愛でる。
あふれた先走りの液をいただき、それをインクに、己の腹に淫紋の陣を描いた。
発動、させる。
「……あっ、はぁぁ……」
きゅんとお腹が熱くなり、甘い痺れが全身を走った。
薄っすらと光る魔法陣。完成した淫紋が、彼女の子宮の上に浮かび上がっている。
舞台はできた。
あとは、幕を上げて、流れに身を任せるだけ。
「さあ、兄様。お互い、今日こそ決着をつけましょう」
悪役令嬢が想いを認めるには、こんなやり方しか選べない。
シナリオのせいではない、設定のせいでもない、これは、そう――
(私の心。私が選んだ道。みんなに応援はされたけど、動くのは私だから。最後はすべて私のせいよ)
ちゅぷり、と水音をたて、彼を迎え入れる。
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