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番外編 王子殿下の思い人
第九話
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「あの、ありがとうございました」
城の廊下を歩きながら、クラリスが礼を言えば、
「ああ、いや。当然のことを言っただけなんだけど……もしかして君にとっては余計な真似だったかな?」
「まさか! とんでもない! 助かりましたわ!」
「なら、いいけど」
ビンセント殿下に微笑まれて、頬が熱を持つ。
やっぱり素敵な人だと、クラリスはそう思った。ディオン様のことさえなければ、自分もきっと皆と同じように熱を上げていたに違いない。
「彼とは恋人同士だったんです」
俯きながら、そう言った。口にするのは心苦しかったけれど、あれだけの醜態をさらした以上、説明しないわけにはいかなかった。
「でも、最終的にディオン様は、妹のアニエスを選びました。それで、妹は気を使ったのだと思います。わたくしが好きだった相手と一緒にいられるように、と」
「それは気を使ったとは言わないな。無神経と言った方がいい」
ビンセント殿下と同じように足を止めれば、彼が真剣な表情で自分を見下ろしていた。
「あれはあなたの品位をおとしめる行為以外の何物でもない。そうだろう?」
淡々とした口調だったが、怒っているようにも見える。
「妹の婚約者と出席などすれば、社交の場であなたが何と言われるか、容易に想像が付く。それでなくても、あんな真似をすれば、君も彼も傷つくだけだ」
「それは、そうです、けど……」
こんなにはっきりアニエスを非難する人を初めて見た気がする。我が儘だけれど甘え上手だから、結局、皆が許してしまうのだ。お父様もお母様も……。
「君はまだ彼が好きなのか?」
ビンセント殿下にそう問われて、口ごもってしまう。
「え、あの、それは……」
「ああ、悪い。酷な質問だったね。傷心中の女性に言う台詞じゃない。ただ、彼は見る目がないなと、そう思ったものだから、つい……」
ビンセント殿下が言った。
「私は知的な女性が好きなんだ。会話が楽しいと感じる女性がいい。君のようにね」
「それは、ありがとう存じます」
クラリスは、ずり下がった眼鏡を押し上げる。彼とはそんなに話した覚えもないけれど、お世辞でも褒められれば嬉しいものだ。
ふと、ビンセント殿下の青い瞳と目が合って、クラリスは慌てて視線をそらした。何故こうも彼と視線が合うのだろうかと、不思議に思う。見つめられているような気がしてならない。
「……覚えていないかな?」
ビンセント殿下に、そう問われて、首を傾げてしまう。
「君とは一度会っているんだけどね?」
えぇ? 仰天した。彼の顔を見上げると、
「ほら、去年の剣術大会の前日に王立図書館で会ったんだけど、分からない? 君はずっと自分の好きな書物の話をしてくれた。とても楽しかったよ」
記憶を探り、思い出す。確かに医療院に行った帰り、市井の王立図書館に立ち寄り、そこで出会った男性と長々話し込んだ記憶がある。人見知りだった筈の自分でさえ打ち解けてしまえるほど、彼はとても聞き上手で、話が弾んでしまったのだ。
けど、やはり首を傾げてしまう。
王立図書館で出会った彼は眼鏡をかけていて、口数少なく、瞳の色も髪の色も今とは違う。礼儀正しい彼は、もっと大人しい雰囲気だった。魔法剣士などという荒事にはまったく向いていない感じだったけれど……。
まじまじとビンセント殿下の顔を見上げれば、彼はふっと笑った。
「お忍びだったから、外見を変えていたんだよ。魔具でね。ほら」
ビンセント殿下が取り出した眼鏡をかけると、瞳の色が青から茶色に変わる。整えられた金髪を手で乱すと、確かに見覚えがある顔だった。ということは、髪の色も何らかの方法で茶色に変えていたのだろう。
そこでクラリスは、ひいっと悲鳴を上げそうになった。
「も、申し訳ありません!」
王太子様だけじゃなくて、第二王子様にまで不敬な真似を! あああ、穴があったら入りたい!
「どうして謝るんだ?」
「ビンセント殿下だったとは露知らず、馴れ馴れしい態度を取りましたこと、ここにお詫びいたします!」
「いや、構わないんだけど……参ったな、言わない方が良かったかな?」
ビンセント殿下は本当に困っているようで、
「まぁ、この際だから、全部言ってしまおうかな。君、あの時、偽名を使ったろ?」
「も、申し訳……」
「ああ、謝らなくて言い。君もお忍びだったんだから当然だよ。でも、教養の深さと洗練された立ち振る舞いから、貴族なんじゃないかって当たりを付けて、調べてもらったんだ。そうしたらアニエス王女とクラリス王女の名が浮上した。それでこっちから縁談を持ちかけたんだよ。君にもう一度会いたいと、そう思ったから」
「あの、それは、どういう……」
「剣術大会の飛び入り参加は、君にいいところを見せたかったからなんだ」
そうビンセント殿下が告白する。
「君がどこかで見ているんじゃないかって期待してね。それで全力で勝ちに行ったんだけど……当の君は寝込んで観戦していなかった上、考えなしだと兄上に叱られた間抜けが私なんだ」
はははと笑う。どこか苦笑いといった雰囲気だ。
「返事は焦らないよ。けど、出来れば今回の件、真剣に考えて欲しい」
クラリスは真っ赤になって俯いた。ここまで言われて分からないほど鈍くはない。
「本当にわたくし、でしょうか?」
「ん?」
「アニエスと間違えている、何てことは……」
「流石に好きになった女性を間違えたりしないよ」
ビンセント殿下がそう言った。
「わたくしの話、面白かったですか?」
つい、そんなことを聞けば、頷いてくれた。
「もちろん。だから、もう一度会って話したいと、ずっとそう思ってた」
じわりと涙が浮かんでしまう。嬉しくて、嬉しくて……。
陰気で可愛げの無い本の虫……。そう陰口をたたかれて、自分の殻に閉じこもってきたけれど、本当は誰かと話したかった。書物の中で繰り広げられる素晴らしい世界について、誰かと語り合いたいと、ずっとそう思っていたのだ。それを一時でも叶えてくれたあの青年が、目の前の彼だったなんて……。
「あの、もし、お茶会にお招きしたら、受けて下さいますか?」
「喜んで」
そう言って笑った彼の顔を一生忘れないかもしれない。
城の廊下を歩きながら、クラリスが礼を言えば、
「ああ、いや。当然のことを言っただけなんだけど……もしかして君にとっては余計な真似だったかな?」
「まさか! とんでもない! 助かりましたわ!」
「なら、いいけど」
ビンセント殿下に微笑まれて、頬が熱を持つ。
やっぱり素敵な人だと、クラリスはそう思った。ディオン様のことさえなければ、自分もきっと皆と同じように熱を上げていたに違いない。
「彼とは恋人同士だったんです」
俯きながら、そう言った。口にするのは心苦しかったけれど、あれだけの醜態をさらした以上、説明しないわけにはいかなかった。
「でも、最終的にディオン様は、妹のアニエスを選びました。それで、妹は気を使ったのだと思います。わたくしが好きだった相手と一緒にいられるように、と」
「それは気を使ったとは言わないな。無神経と言った方がいい」
ビンセント殿下と同じように足を止めれば、彼が真剣な表情で自分を見下ろしていた。
「あれはあなたの品位をおとしめる行為以外の何物でもない。そうだろう?」
淡々とした口調だったが、怒っているようにも見える。
「妹の婚約者と出席などすれば、社交の場であなたが何と言われるか、容易に想像が付く。それでなくても、あんな真似をすれば、君も彼も傷つくだけだ」
「それは、そうです、けど……」
こんなにはっきりアニエスを非難する人を初めて見た気がする。我が儘だけれど甘え上手だから、結局、皆が許してしまうのだ。お父様もお母様も……。
「君はまだ彼が好きなのか?」
ビンセント殿下にそう問われて、口ごもってしまう。
「え、あの、それは……」
「ああ、悪い。酷な質問だったね。傷心中の女性に言う台詞じゃない。ただ、彼は見る目がないなと、そう思ったものだから、つい……」
ビンセント殿下が言った。
「私は知的な女性が好きなんだ。会話が楽しいと感じる女性がいい。君のようにね」
「それは、ありがとう存じます」
クラリスは、ずり下がった眼鏡を押し上げる。彼とはそんなに話した覚えもないけれど、お世辞でも褒められれば嬉しいものだ。
ふと、ビンセント殿下の青い瞳と目が合って、クラリスは慌てて視線をそらした。何故こうも彼と視線が合うのだろうかと、不思議に思う。見つめられているような気がしてならない。
「……覚えていないかな?」
ビンセント殿下に、そう問われて、首を傾げてしまう。
「君とは一度会っているんだけどね?」
えぇ? 仰天した。彼の顔を見上げると、
「ほら、去年の剣術大会の前日に王立図書館で会ったんだけど、分からない? 君はずっと自分の好きな書物の話をしてくれた。とても楽しかったよ」
記憶を探り、思い出す。確かに医療院に行った帰り、市井の王立図書館に立ち寄り、そこで出会った男性と長々話し込んだ記憶がある。人見知りだった筈の自分でさえ打ち解けてしまえるほど、彼はとても聞き上手で、話が弾んでしまったのだ。
けど、やはり首を傾げてしまう。
王立図書館で出会った彼は眼鏡をかけていて、口数少なく、瞳の色も髪の色も今とは違う。礼儀正しい彼は、もっと大人しい雰囲気だった。魔法剣士などという荒事にはまったく向いていない感じだったけれど……。
まじまじとビンセント殿下の顔を見上げれば、彼はふっと笑った。
「お忍びだったから、外見を変えていたんだよ。魔具でね。ほら」
ビンセント殿下が取り出した眼鏡をかけると、瞳の色が青から茶色に変わる。整えられた金髪を手で乱すと、確かに見覚えがある顔だった。ということは、髪の色も何らかの方法で茶色に変えていたのだろう。
そこでクラリスは、ひいっと悲鳴を上げそうになった。
「も、申し訳ありません!」
王太子様だけじゃなくて、第二王子様にまで不敬な真似を! あああ、穴があったら入りたい!
「どうして謝るんだ?」
「ビンセント殿下だったとは露知らず、馴れ馴れしい態度を取りましたこと、ここにお詫びいたします!」
「いや、構わないんだけど……参ったな、言わない方が良かったかな?」
ビンセント殿下は本当に困っているようで、
「まぁ、この際だから、全部言ってしまおうかな。君、あの時、偽名を使ったろ?」
「も、申し訳……」
「ああ、謝らなくて言い。君もお忍びだったんだから当然だよ。でも、教養の深さと洗練された立ち振る舞いから、貴族なんじゃないかって当たりを付けて、調べてもらったんだ。そうしたらアニエス王女とクラリス王女の名が浮上した。それでこっちから縁談を持ちかけたんだよ。君にもう一度会いたいと、そう思ったから」
「あの、それは、どういう……」
「剣術大会の飛び入り参加は、君にいいところを見せたかったからなんだ」
そうビンセント殿下が告白する。
「君がどこかで見ているんじゃないかって期待してね。それで全力で勝ちに行ったんだけど……当の君は寝込んで観戦していなかった上、考えなしだと兄上に叱られた間抜けが私なんだ」
はははと笑う。どこか苦笑いといった雰囲気だ。
「返事は焦らないよ。けど、出来れば今回の件、真剣に考えて欲しい」
クラリスは真っ赤になって俯いた。ここまで言われて分からないほど鈍くはない。
「本当にわたくし、でしょうか?」
「ん?」
「アニエスと間違えている、何てことは……」
「流石に好きになった女性を間違えたりしないよ」
ビンセント殿下がそう言った。
「わたくしの話、面白かったですか?」
つい、そんなことを聞けば、頷いてくれた。
「もちろん。だから、もう一度会って話したいと、ずっとそう思ってた」
じわりと涙が浮かんでしまう。嬉しくて、嬉しくて……。
陰気で可愛げの無い本の虫……。そう陰口をたたかれて、自分の殻に閉じこもってきたけれど、本当は誰かと話したかった。書物の中で繰り広げられる素晴らしい世界について、誰かと語り合いたいと、ずっとそう思っていたのだ。それを一時でも叶えてくれたあの青年が、目の前の彼だったなんて……。
「あの、もし、お茶会にお招きしたら、受けて下さいますか?」
「喜んで」
そう言って笑った彼の顔を一生忘れないかもしれない。
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