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三
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しおりを挟む「……シルヴァン殿下……?」
どうして殿下がここにいるのかが分からない。
夜空と同じ色彩をもつその人は、確かに私の前に立っている。
今頃あのきらびやかな会場で、お姉さまと共にあるべき人なのに。
「探したよ、リディアーヌ」
「……っ、中座をして申し訳ありませんでした。気分が優れなかったもので」
私は慌ててそう言い訳をした。
二人の姿を見ているのが辛かったから、なんて口が裂けても言えない。お祝いの席に相応しくないもの。
「ああ。大変だったね。変な輩に絡まれてしまって。だから僕が君のエスコートをしたかったのに……」
「え……?」
私のそのどうしようもない言い訳を信じてくれたらしく、シルヴァン殿下は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すぐにでも君のところに飛んでいきたかったのだけど、式典の直前で行けなくてごめんね。ジュリエンヌも顔面蒼白で慌てていて、そちらの説得もあったから」
シルヴァン殿下はそっと私の隣へと腰かける。ぴったりと。
近い。近すぎるのではないですか。
それに、何を言われているのかよく分からずにいる。
「お姉さまの説得、ですか?」
「『リディのところへ行って、あの男をぶん殴る!』って息巻いて大変だったんだよ。麗しの聖女様が」
「まあ、お姉さまったら」
お姉さまの様子を思い出しているのか、シルヴァン殿下は口の端から笑みを逃がした。
私もつられて笑顔になる。
お姉さまは案外パワフルな面もお持ちで、私たち姉妹を比べて私を貶めるような輩がいると、鉄拳制裁をかましたりもしていた。
聖女に認定されてからは、控えているらしいけれど。
「さて、リディアーヌ」
シルヴァン殿下は笑顔のまま私の髪を一束手に取った。そしてそのまま口付けをする。
私はその仕草に、ぴしりと固まった。
「中座したのならば、聞いていなかったかな。――私との婚約を、受け入れてくれる?」
金の瞳が真っ直ぐに私を射る。
自信げに見えて、どこか奥底に不安が入り交じったようなそんな瞳をしている。
「ひ、人違いではありませんか?」
私は震える声でそう告げていた。喉がからからだ。
まさか、そんな。
本当に、私は心から姉の幸せを願っていた。だから、淡い恋心には蓋をしようと――
壇上でのシルヴァン殿下と姉のジュリエンヌの姿を思い出す。顔を見合わせて、微笑みを湛える二人が、とても眩しく見えていた。
「愛しい人を違えるなんてことはないよ。リディアーヌ。私のかわいいリディ」
「ぴっ」
次は手を取られて、驚きのあまり今度は私が小鳥のようにさえずってしまう。
いと、いとしい?
わたしが?
かわいい???
「わ、私は聖女じゃありません……」
「私は聖女と結婚したい訳ではないし、その必要はないよ。リディが欲しい」
いよいよキャパオーバーだ。
頭がぐらぐらと沸騰しそうで、夢か現かもよく分からない。
「婚約者候補として、リディアーヌの名前を出して宣言してきた。あとは、君の承諾を得るだけだ。無理強いしたら許さないと暴力的な聖女様からも念を押されている」
ね、リディ。
そう優しく名を呼ばれて、私は言葉を出せずに、でもしっかりと頷いた。
がばりと抱きしめられたらドキドキと安心が入り交じって、「よろしくお願いします」とだけ、ようやくか細く答えることが出来た。
――――――――――
落ち着いた私は、シルヴァン殿下に優しく促されて会場に戻った。
会場にいた人たちから視線が注がれる。注目されることに慣れていない私は、少しだけ身を竦ませた。
「ご覧、リディアーヌ。あの隅の方を」
そんな私の肩を抱くと、シルヴァン殿下はそっと耳元でそう囁きながら会場の隅の方を指さした。
そこに居たのは、カーテンのそばに立つ、黒衣を身に纏う人物だ。
フードを目深に被り、眼鏡も掛けているから一体誰なのか分からない。
ただ、怪しすぎて周囲の人たちは自然と避けているように見える。
「ええと、あちらのお方は……?」
「叔父上だよ。こういった場が大嫌いなくせに、ジュリエンヌに悪い虫がつかないかは見張っていたいらしい」
シルヴァン殿下はくすくすと笑いながらそう告げる。
あの怪しい人物は、王弟殿下だという。逆に目立ち過ぎているが、みんな触れないであげているらしい。
「あの……つまり……王弟殿下は」
「ジュリエンヌと恋仲だ」
「まあ……!」
王弟殿下が天文学に精通しており、父を師と仰いで共に長年研究していたことは私も知っている。
だがまさか、そんなことになっているとは夢にも思わなかった。
領地には王弟殿下もよく訪れていて、その時に幼いシルヴァン殿下を連れて来ていた。
幼いころから、私とお姉さまとシルヴァン殿下は親しくしていたのだ。
「私……てっきり殿下はお姉さまと婚約されるのかと思っていました」
思わずそう呟いた。本当にそう思っていた。
確かにシルヴァン殿下と手紙のやり取りはずっとしていたけれど、お姉さまのついでだと思っていたし、内容も天文学のことについてだった。
それにまさか王弟殿下とお姉さまが恋仲になっているなんて、気が付かなかった。
「……リディ」
腰をぐっと引き寄せられ、私は殿下の胸元にすっぽりとおさまった。
またあの令嬢たちの悲鳴が聞こえた気がする。
「これからは、我慢しなくていいんだよね? 今まで何かとうるさかったジュリエンヌもいなくなるし」
「は、はい?」
「長かった……叔父上の意気地無しめ。巻き込まれた僕の身にもなってくれ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、苦しくも愛しい。
少し恥ずかしいけれど、私はそっと彼の背に手を回して、その感触を確かめた。
――それからの話を少しだけ。
地回説の提唱を契機に、不正や癒着の温床となりつつあった教会のやり方について根本的な是正が行われた。
教会側にも現状を憂う者たちがいた。革命のようなものだとシルヴァン殿下は仰っていた。
旧教会の権勢と共にあったプレヴァン家がどうなったか、私ははっきりとは聞いてはいないが、想像にかたくない。
ただ、あの小鳥令嬢については、星詠みの力を有しているとの認定があったため、今はお姉さまの元で聖女修行をしているらしい。
性根を叩き直す、とお姉さまが仰っていた。
ほんわり穏やかに見えて、実は拳で語るタイプの聖女であるお姉さまの性格を知り、小鳥令嬢も大層驚いていたそうだ。今では「お姉さま」と呼んで慕っている。
ジュリエンヌのお姉さまの妹は私だけだというのに。
「リディ、どうしたの?」
「申し訳ありません。少し考え事をしていました」
嫉妬の炎を燃やしながらぼんやりとしていると、シルヴァン殿下にそう話しかけられた。
今は妃教育の合間に、こうしてお茶の時間を設けていただいているというのに失礼なことだ。
「あまり根を詰めないようにね。君の勤勉さは知っている。昔もよく勉強のし過ぎで熱を出していただろう」
「あっ、あれは……幼子の知恵熱です!」
「君はあの頃から愛らしかったね。懸命に努力する姿がとてもいじらしくて」
後から知ったことだが、昔からシルヴァン殿下は私のことを好いていてくれたらしい。
そしてお姉さまも、昔からの王弟殿下に夢中だったそうだ。
勉強に集中していて全く気が付かなかった。
お姉さまと王弟殿下の気持ちが通じ合い、結婚の体裁が整うまでの間、どうやらシルヴァン殿下は色々と口止めをされていたらしい。
そして、『かわいい妹を茨の道に進ませたくない』とずっと反対していたジュリエンヌお姉さまを懐柔するため、王弟殿下との仲を取り持ったのもシルヴァン殿下だったとか。
なかなかお姉さまへ婚約の申し込みが出来ずにもだもだとしていた王弟殿下のお尻を叩いたのも殿下だという。
私が知らないうちに、いつの間にかそうして周囲が固められていたことを知り、驚いたけれど嬉しく思う。
かつて、星に願ったことがあった。
幸せになれますように。大好きな人たちがみんな、楽しく過ごせますように。と。
「ふふ」
「どうしたの? リディ」
幼い頃のその記憶を思い出してつい笑ってしまうと、優しい顔をしたシルヴァン殿下が私を見ていた。
「いえ。幸せだなぁと、思いました。これからもよろしくお願いいたします」
「……っ、リディ! ああ、かわいすぎる!!」
「きゃあ!」
そう頭を下げると、最初は目を丸くしていたシルヴァン殿下が、突然がばりと抱きついてきた。驚いて手に持っていたクッキーが床に落ちてしまう。
「くそっ、婚約期間なんてまどろっこしい期間を設けるなんて……叔父上め、また巻き添えにしてくれたな」
シルヴァン殿下は、私の耳元でそう悪態をつく。
……私がクッキーの行く先を目で追えたのはそこまで。
それからは、自分の身に降りかかる出来事に対応することでいっぱいいっぱいになってしまった。
―――――――
天に導かれた善き日。
国では二組の王族の結婚式が盛大に執り行われた。
美しき双子の花嫁に、集まった国民たちから惜しみない祝福が送られたという。
おわり
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このお話のために地動説を調べたのですが、かなり奥が深かったです。闇も……!
応援ありがとうございます!
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