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39.水晶宮にて④せめて私達くらいは

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(SIDE:ドナテラ)

「殿下、あまり時間がありません。我々は、貴女に従います」

 ギークリーが強い口調でなおも畳み掛けると、侍女達も決意のこもった目で頷いた。

「で、でも、できな……」

 よろめき、震える指を壁について、やっとのことで自身の身体を支える。

 自分だけであれば、まだいい。
 だがこの状況下における決断は、ドナテラの責任において、この場にいる者すべての生死を左右する。

 まかり間違えば瞬く星屑のように、一瞬で消し去ってしまう可能性だってあるのだ。

 火を放たれた王宮から、舞い上がった灰が風に乗り、ひらりひらりと所在なく宙を舞う。

 こうしている間も、多くの命が失われていく。
 平民も、貴族も、圧倒的な暴力の前にはみな平等に。

『どちらも同じ。平民も、貴族令嬢も大差ありません』

 ミランダがあの日、アナベルに言い放った言葉どおりの光景が、今まさに、目の前に広がっている。

 壁についた手をぐっと内に握りしめると、指先が手の平に食い込み、微かに血が滲んだ。

『これは貴女の役目です』

 ――なぜ、私が。
 継承権を持つ、王女。

 使い勝手の良いその王女は、『宗主国への人質』という名目で、厄介払いされるように、あっさりと捨てられてしまった。

『貴女が守り、導き、決断するのです』

 ――――なぜ、私が。
 誰に迷惑をかけるでもなく、示されるまま、たゆたう柳のように生き、これからも、そうしていくつもりだったのに。

 何を為したこともなく、何を為せるわけでもなく、生きているけれど死んだように息を潜め、ただ、ただ、ひっそりと。

『私だって、初めは何も出来ませんでした』

 だが爛々と、黄金に輝く眼差しがドナテラを射た時、身の内から焼き尽くされるような熱さを、確かに感じたのだ。

 ドナテラは、襲い掛かる感情を、すべて呑み込む。

 そしてしばらく目を瞑った後、徐に口を開いた。

「……怪我人を、水晶宮へ受け入れます」

 何か出来るかもしれないし、何も、出来ないかもしれない。

 ドナテラの決断に、ミランダの侍女長を務めていたルルエラが、にこりと微笑む。

「承知しました。……ミランダ殿下の薬草園が、確か本館のガゼボ付近にあったと記憶しています。私室に図鑑がありますが、帝国の公用語のようで、今ここに読めるものはおりません」

 ですが、絵だけでも参考になるのではないでしょうかと、助言してくれた。

 他国の公用語は、外交以外で使用する機会がないため、学ぶ貴族は少ない。

 だが、政略結婚で他国に嫁ぐ可能性の高い、王族は――――。

「……私が、読めます」

 そう言うと、ドナテラはゆっくりと頷き、それから少しだけ微笑んだ。


 ***


(SIDE:アナベル)

 カナン王国の王女、ドナテラが水晶宮の門を開き、自ら治療にあたる。

 水晶宮の内部に足を踏み入れた兵士達は、すべてを奪われ、荒れ放題に荒れ閑散としたその様子に、皆一様に絶句した。

 当初殺気立っていた兵士達は、王女でありながら貴賤問わず受け入れ、平民にも敬意を以て接するドナテラの真摯な態度と、柔らかな雰囲気にあてられ、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 貴族出身の騎士も、平民出身の兵士もみな平等に、症状ごとに部屋を分け、軽傷で治療の心得がある者をそれぞれ各部屋に配置し、最低限、出来る範囲での治療をおこなう。

 急に騒がしくなった外の様子に耳をそばだて、アナベルはそろりと部屋を出た。

 怪我人だろうか、苦しそうに呻く声とともに、たまに軽症者の笑い声も聞こえる。

「お腹がすいたわ……」

 宮内の井戸があるため、今のところ水には困らないが、あんな固いパンはとても食べられない。

 床に投げつけ、転がったパンを部屋の隅目掛けて蹴ると、ボールのようにコロコロと転がって行った。

 人目を避けながら、まともな食べ物がないかと厨房へ向かうと、何かを煮ているらしいモニカとドナテラの声が聞こえる。

「……なんだか凄い色ですね。本当に食べられるんですかね?」
「でもミランダ殿下のメモには、『食用も可』と記載されているわ」
「いや、あの方を基準に考えると、ロクな事になりません。ミランダ殿下が大丈夫だったからといって、我々が食べられる保証はどこにもありません」

 大鍋から、ホカホカと湯気が立ち上る。
 スープなら一口貰えないかしらと、そっと近付くと、モニカが文句を言っているのが聞こえた。

「そもそもあんな我儘娘に、パンをあげる必要なんかなかったんですよ!」
「……みんな持っていかれてしまったんだもの。食料の備蓄が底を尽き、あげられる物があれしかなかったんだから、仕方ないでしょう」
「知りませんよ! そもそも今いるメンバーの中では、一番尊ばれるべきドナテラ殿下の、本日初めての食事が、その辺に生えてる草って!」

 ワイワイと騒がしいモニカの声に、アナベルは固まってしまった。

 食料の備蓄が底をついたですって?

「まぁ! その辺の草だなんて……ミランダ殿下が一生懸命育てた薬草じゃないの」

 しかも新鮮むしりたてよ?
 悲惨な状況下、楽しそうに交わす二人の会話を、アナベルは呆然としながら聞いていた。

 ――あれが、最後のパン?

 こんなものいらないと、ドナテラの手を払い、床に落としたパンが?

 口元を押さえたまま、入口で固まったアナベルに気付き、モニカはギッと睨み付けた。

「アナベル様……何をしにきたんですか? 話を聞いていたなら、先程粗末に扱ったあのパンが、どれほど貴重だったのか分かったでしょう?」

 貴女が期待するようなものは、ここにはありませんよと、冷たく言い放つモニカをまぁまぁと窘めて、ドナテラはアナベルの元へと歩み寄った。

「気持ちは落ち着きましたか? 元気が出たら、後でミランダ殿下の薬草園を一緒に見に行きましょう」

 先程のことなど、無かったかのように優しく声をかけるドナテラに、「殿下は甘すぎます」と、モニカが不敬にも口を挟んだ。

「まったく、甘えすぎなのよ! 少しは手伝いなさいよ?」

 ブツブツ文句を言いながらも、先程煮ていたスープのような物をひと掬いし、カップに注ぐ。

 それまで媚を売りへつらってきた者達が、我先にアナベルを見捨てて逃げる中、結局残ったのは、蔑み、侮り、嘲笑ってきた彼女達だけだった。

「……ご」
「?」
「…………ごめんなさい」

 やっと聞こえるような、小さな小さな声で謝るアナベルを安心させるように、ドナテラはその身体をギュッと抱きしめる。

「……いいんですよ。こんな時ですもの、せめて私達くらいは仲良く過ごしましょう」

 抱きしめながら、「大丈夫、大丈夫」と呟く。
 それから、アナベルの背中をポンポンと優しく叩き、「ミランダ殿下のです」と微笑んだ。

「……お父様が裏切ったの」
「はい、聞きました。……いらないと、言われたのでしょう? それではもう、父親ではありませんね」
「でも、内乱罪は死刑だわ」
「そうですね。でも父親ではないのだから、関係ないわ」

 それほど身分は高くないですが、母方の傍系が娘を欲しがっていたから養女におなりなさい、とドナテラは微笑む。

「今は立場上、アナベル様はあまり出てこないほうが良いので、薬草を煎じて欲しいのですが……お願いできますか?」

 優しく問われ、子供のように、小さく頷く。
 モニカは大人しくなったアナベルに近付くと、先程スープを注いだカップを、ずいっと差し出した。

「ほら、さっさと飲んでください」

 許してくれたのだろうか、スープを受け取ると、何やら青臭い匂いがする。
 さすがに断れないため、アナベルはぐいっと一気に飲み干した。

「! ……にがいぃぃぃ」

 あまりの不味さに、えずきそうになるのを必死で堪える。

 ミランダ監修『栄養たっぷり』薬草スープ。

 その様子を見て、ドナテラとモニカ、調理室を覗きに来たシャロンと、護衛騎士のギークリーが笑った。


 ***


『貴女なら、きっとできます』

 誰かが信じてくれたのも、信じて託してくれたのも、初めてだった。

『大丈夫。絶対に、できます』

 食料の備蓄も底を尽き、いるのは怪我人ばかり。

 気まぐれな反乱軍がひとたび剣を振り上げれば、皆が命を落とすこの状況が、自分に残された最後の時間だったとしても。

 ――それでも。

 生まれて初めて、自分で考え決断し、重い責任を背にひた走る今が、ドナテラには、とてもとても誇らしかった。






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