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【久しぶり!】

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「ん゙、うぅ……ッ♡またやりすぎちゃったな……。アオツキ、大丈夫か?」
『大丈夫ですっ♡クーエンさまがしてくれること、ぼく、ぜんぶうれしいですからっ♡』
「もぉ……♡そう言われると、調子乗っちゃうからやめろって……♡」

 アオツキの言葉にでれでれと頬を緩ませるクーエン。こんな表情だけでもクーエンが自分をきちんと愛してくれていることが伝わり、それだけでアオツキは嬉しくなる。
 ヒトとケモノ。元来生き方も身体のつくりも異なる種族の生活は、何事もスムーズにいかない。言葉でさえ、魔力がなければ同じ言語で伝え合うことができないのだ。
 些細なことでも困難で、一筋縄ではいかず。
 日々は、難しいことばかりだ。
 だからこそアオツキは、ケモノの自分をΩのつがいとして受け入れてくれたクーエンに心から感謝し、愛を誓っている。まだ一般的な社会では数が少ないヒトとケモノのつがいとして契約をし、運命の相手と認め、毎日毎日、満たされたセックスに明け暮れて……。
 そんな幸せな日々をクーエンが形作ってくれたこと、それがこうやって続いてくれていることを、アオツキは歓ばずにはいられないのだ。

「──ん?あれ、ノック?誰か来たのかな?ごめんアオツキ、出てくれる?」
『わうっ♡』

 遅めの朝食をとり、お互い皿を洗いながらなでなで♡すりすり♡いちゃいちゃ♡と睦まじくしていると、コツコツと玄関のドアを叩く音がする。ちょうど泡まみれで手が離せないクーエンから来訪者を任されたアオツキは、元気に鳴いてドアへと向かう。
 既に森の住人にアオツキは紹介されており、皆顔なじみなので誰が来ても問題ない。しかしそれにしては随分低い場所からノックが響いてくるな、と首を傾げたアオツキがドアを開けると──。

『! え、えっ──!』

 瞬間、家の中へ流れ込む懐かしさに、ぴこん!とアオツキは耳を立てる。山中の冷えた空気。そこに浮かぶ様々な色彩の紋様。魔術を使い、野山を駆け、ただ自由に生を謳歌していたあの頃。今とはすこし違う、生命という幸福をただ享受していた過去。
 それを、呼び起こすのは──。

『……やぁ、アオツキ。久しいな』
『え!?うそっ──ツキカゲっ!?』

 なんと。
 玄関先に燦然と立っていたのは、同じ『セツゲツ』のツキカゲだった。
 彼はαのしるしを持つ者で、元々は同じ山奥で暮らしていた同郷の仲間だ。アオツキと異なる漆黒の紋様は力の発露で白光に光り輝き、その目映さは恒星のようだと讃えられていた。もう故郷からは出ないと話していたはずなのに、一体どうしてこんな所に……と目を開けば、自信げにツキカゲはワフ、と鳴き声を上げる。

『おまえがどんなつがいを見つけたのか、一度は見ておきたくてな。俺の影響でヒトの子を捜しに行ったんだ、それを見届けるのは当然だろう?』
『──!』

 故郷に居た頃とひとつも変わらない落ち着いた威容で、ツキカゲは堂々と話し始める。瞬く灰色の瞳。かつての思い出。ここに至るきっかけ。そう……ツキカゲの言う通り、実は彼が、アオツキの『つがいの運命』を見出した相手なのである。
 ツキカゲは閉鎖的なセツゲツのコミュニティに否定的な考えを持ち、見聞を広めるために故郷から旅立った経緯を持つ。旅に出てからは何年も音沙汰がなく、死んでしまったものだと思われていたが──突然ふらりと、人間の男を連れて帰ってきた。なんでも旅の途中で出会ったヒトの子と運命に導かれ、『つがい』になったのだという。
 つまりツキカゲはアオツキと逆に、Ωのヒト種とつがいになった存在なのだ。
 元々他種族との関わりをほとんど持たなかったセツゲツ達は突然の人間の来訪に驚き、戸惑った。ヒトを拒む者も居た。だがツキカゲのつがいである「マホロ」は親身にセツゲツ達へ接し、その振る舞いに、彼らの警戒や不安も徐々に溶け、ほどけていった。
 なによりツキカゲとマホロが仲睦まじく過ごし、子作りや交尾で日々交じり合う姿を見て、ケモノとヒトがあれほど自然に、あれほど情熱的に愛し合えるのだと周囲が強く納得したことも大きかった。
 アオツキも同様だ。その時初めて人間を見たアオツキは、青天の霹靂のような衝撃を受けた。「ヒト」という存在が、自分の血に強く反応する相手だと本能的に気づいたのだ。それはマホロと親しく接したことで更に強い確信に変わった。同じΩ同士の共鳴や異種族をつがいにした先駆者の存在で、自分も『つがい』になるのはヒトの子なのだと……そう、確かに悟ったのだ。
 ゆえにアオツキも里を離れ、こうしてクーエンと出逢う次第になったのである。幸い五感に優れているセツゲツは運命を辿ることも容易く、そう苦労なくアオツキはクーエンの住まいを知ることができた。
 つまり元を辿ればツキカゲは、アオツキにとってつがいの恩人のようなものなのだ。
 元々無骨だが気は優しいツキカゲの佇まいを「格好いい」と憧れていたアオツキは、突然の来訪者にぶんぶんとしっぽを振り、たっと彼へ近づく。

『わぁ、わぁ、ツキカゲ!♡久しぶりだねっ、元気だったっ?♡』
『嗚呼、問題ない。おまえも大事ないようだな』
『もちろん!ぼく、元気が取り柄だもん。マホロさまは?もう臨月でしょう?大丈夫なの?』
『もう五人目だからな。逆にそう心配ばかりするなと叱られてしまったよ』
『あははっ♡マホロさま、相変わらずお優しいのにツキカゲには強いんだねっ』
『そこがマホロの良い所だからな。まったく、寝床ではあんなに乱れていやらしい甘えん坊になるのに……』
『マホロさま、えっちだもんねぇ。里の中でもすぐに服を持ち上げてとろとろおまんこでツキカゲを誘惑しちゃってさ。ほんとにどすけべさん!』
『おまえもそんなマホロに感化されたんだろうに。──そうだ、彼が例の……ヒトのつがいか?』

 まだ皿を洗っているクーエンの背中をツキカゲがそっと見やる。それに、コクコクと何度もアオツキは頷いた。

『そうだよっ♡クーエンさま!ぼくの愛する旦那さまですっ♡』
『そうか。おまえも幸せに過ごしているんだな』
『もちろんだよっ♡クーエンさまと一緒にいられて、ぼく、毎日しあわせっ!♡わふわふっ♡』
『ん。それは、なによりなことだ』
『わふ~♡』
 
 ツキカゲも仲間が穏やかに暮らしていることを知って安心したのか、アオツキの項に鼻を埋め、くしくしと毛を梳かすようにしてくる。懐かしい仕草を受け、アオツキもツキカゲの毛皮をゆっくりと舌であやしてゆく。こうした互いの毛づくろいは獣としてのコミュニケーションであり、種族同士の信頼の証でもある。
 里を離れてからはまったく行うことのなかった懐かしい感触に心地の良い声を上げ、アオツキも親身に毛づくろいを続けてゆく。現在の暮らしにまったく不満はないが、昔を喚起される行為は、アオツキに郷愁を感じさせるのには充分なものだった。
 里を思い出し、仲間を思い出す。
 ああ。このまま。ずっと、こうしていられたら……。
 ほんのすこしだけ胸の中に過ぎった想いは、しかし。
 ──低く鋭い声に、遮られた。

「おい……なに、やってるんだ?」
「ァウッ?」

 心の臓まで響く声に、思わずケモノとしての鳴き声を上げる。ハッと意識を取り戻して顔を上げると、そこには……今までになく怖い顔をしたクーエンが、濡れた手のままこちらへ睨むような視線を向けていた。いつもの優しい雰囲気はなく、そこには怒りや憤りが全身から滲んでいる。

「そいつ、誰だ?その紋様……セツゲツの仲間、なのか?α、だよな?」
『あ。あっ。く、クーエンさま。ちがうの、ツキカゲは……』
「アオツキは俺のΩだぞ。αなら誰が誰のつがいかぐらいわかるだろ?それなのに、俺のアオツキに……なに、してるんだ?」
『ッ。ぅ。うぅ……っ』

 明らかにツキカゲを敵視し威圧する雰囲気に、アオツキは動揺を隠せない。いつだって朗らかで優しいクーエンが、まさかこれほど恐ろしい表情や感情で相手に迫るなんて。突然のパートナーの変化にアオツキは恐怖と怯えに縮こまり、くぅん、と泣くような声色を見せる。

『クーエンさま、どうしたの……っ?そのお顔、やだよぉ……。こわいよぉ……っ』

 掠れるように漏れ出る声。しまい隠せなかった胸の不安。こわい。こわいよ。いやだよ。そんなクーエンさま。ぼく。知らないよぉ……っ。

「──っ。あ……ッ!」

 ……その切実な声を聞き、一歩も退かないと言った様子でツキカゲを睨みつけていたクーエンの意識が、まっすぐにアオツキへ向いた。どう見ても脅えているとわかるその姿に、ハッと怒りで濁っていた目に光が戻った。
 一瞬の怒りで、恐らく我を忘れていたのだろう。視線を戻したクーエンは、もう、いつもの表情だった。

「アオツキ……っ。ご……ごめん!俺……ッ」
『ぅ。うぅ……ッ』

 とんでもないことをしてしまったと感じたのか、慌てて歩み寄ってくるクーエン。しかし本能的な恐怖がまだ消えず、思わずアオツキは後ずさってしまう。クーエンが本気でツキカゲに怒ったわけではないと理解していても、身体がついてゆかなかったのだ。拒絶とも、抵抗ともとれるアオツキの態度にクーエンは足を止め、ぐっと拳を握り締める。とてもとても……傷ついた顔をして。

「……ッ、ごめん……!俺。俺……ッ。頭、冷やしてくる……っ!!」
『あ……っ!』

 暗く俯いたクーエンは、そのままアオツキをすり抜け、ドアを開けて外に飛び出してしまう。一度も振り返ることなく、遠くへ走り去っていく背中。なにも言えないまま呆然と立ち尽くすアオツキに、苦く言葉を発したのは……ツキカゲだった。

『……しまったな。完全に俺が原因だ』
『あ……っ。つ、ツキカゲ……!』
『俺が契約を結んだのがもう何年も前だったせいで、契約の際の衝動をとんと忘れていた。おまえ達はまだつがいの経験が浅い……契約に感情を振り回されてしまう時期なんだな』
『あっ。そ、そっか……っ』

 反省でもするようにしゅん、と耳を垂らすツキカゲに、たしかに、とアオツキも『つがい』の契約を思い返す。血の契約は厄介なもので、お互いへのつながりが確固たるものになる分、独占欲や嫉妬と言った他者に対しての感情がより増幅されてしまう側面がある。それは年月によって徐々に緩和されてゆくのだが、アオツキ達はまだつがいの契約を交わして三ヶ月も経っていない。そんな時期にαのオスと対峙してしまえば、衝突は目に見えている。
 そうでなくてもα同士は縄張りや所有権の意識が強く、どうしても荒々しい面が出てしまうことがある。それこそマホロからもしるしやつがいの注意点として何度も説明を受けてきた部分だ。しかし……幸せなふたりきりの夫婦性活で、そんなことはすっかりさっぱり、忘れてしまっていた。

『き……気にしないで!ぼくも久々にツキカゲに会って嬉しくなっちゃって……クーエンさまの前で別のα相手に身体を触ったりして、軽率だった……。もうツキカゲにはマホロさまが居るし、安心しちゃってた……』
『いや、俺だって似たようなものだ。彼は出て行ってしまったが……大丈夫か?』
『うぅ……わかんない。こんなの、はじめてで……』
『……そうか。今回のことは俺に原因がある、彼は俺がなんとかしよう。おまえは家で待っていろ。感情が高ぶっていると、身体にどんな影響があるかわからないしな』
『う、うん。ごめんね、ツキカゲ……』
『いや、俺のほうこそすまなかった。それじゃあ、行ってくる』
『わかった……あっ』

 そう言うと、開いたままの玄関から素早くツキカゲは飛び出ていく。風のような身のこなしにその姿が見えなくなるまでアオツキは彼を見守り、そしてそっと、ドアを閉めた。
 ひとりきりの家は初めてではないが、状況が状況だけに、さみしくて不安でたまらない。アオツキは寝室に向かい、ベッドの中に潜り込む。
 自分の行動のせいであんなにもクーエンを怒らせてしまった。あんなにも攻撃的で恐ろしいクーエンを、自分が呼び起こしてしまった。普段はあんなに心優しく、あんなにも元気な旦那さまなのに……。
 その申し訳なさと罪悪感にくぅん……と小さく鳴き、アオツキはちいさく蹲る。まだかすかに温もりが残るベッドの中、早くクーエンが帰ってきてくれることを願いながら。そして彼に早く謝って、はやく抱き締めてもらいたいと──そうつよくつよく、祈りながら。
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