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さよならは終わりの合図
しおりを挟む「お前が俺を待たせるとはな、いい度胸だ」
そう言って灰皿にタバコを置いた彼に、私はごめんなさいと謝る。
「考え事があって」
「考え事?んだよ、それ」
苛立っているのが見てわかる。その理由までは知らないけれど、知ろうとも思わない。触らぬ神に祟りなしとやらだ。
「えぇ、まぁ少し」
「…まだ怒ってんのか?昨日のこと」
「昨日?そのことはもう何も」
そうか、今日はたくさんの出来事がありすぎて忘れていた。
「怒ってませんよ。奥様を優先なさるのは、当たり前のことですから」
「じゃあ何だよ」
「何がです?呼び出したのは、貴方でしょう」
「…今日はお前のところに行く」
「…いいえ、奥様のところへ」
「おい!」
ガンッとテーブルを叩かれ、私は自嘲気味に笑う。
「これで会うのは最後にしましょう」
「…は?」
「もちろん、会社では会いますけれど。私的な用事で会うのはもうこれで終わりにしましょう」
「何言ってる?お前が俺のこと好きだというから…」
「ここまで付き合ってくださったことには感謝してます。いつか奥様と別れてくださると、そう思った私が愚かでした」
この人はそんなことをしたりしない。会社が欲しくて仕方ない、権力が欲しくて仕方ない人。現社長の令嬢である奥様と別れる理由がない。
「課長、言ってましたよね。早く他の男を探せって」
「……」
無言で睨んでくる彼に笑いかけるのは多分、これが最後だろう。
「夢を見るのは疲れました。私は私なりに、幸せを掴むことにします」
「…どうせすぐに、俺が好きだと戻ってくるだろう。ここで一度終わらすなら、もう遊んでやらねぇぞ」
「結構です」
「俺しか見えてねぇくせに、よく言う」
泣きたくなる。そうだ、私はこの人しか見えていなかった。社内不倫が皆にバレていることも気にならないくらい、彼を好きでいた。
「後悔するのはお前だぞ?会社で俺を見るたびに後悔するんだろうな」
「…そのことですが」
さよならを言う前に、一つ伝えておくことがある。
「仕事は今月付けで辞めさせて頂きたいと思います。今月残り半月もありますから、引き継ぎは十分出来ますし」
「…何を考えてる?もしかして、沙希子に何か言われたのか?」
沙希子。奥様の名前。
もうその名前を聞くたびに心苦しくなるのは嫌だ。
「…私、結婚するんです」
今日、先ほど貰ったばかりの指輪を見せる。気付いてくれそうになかったからだ。
「……は?」
「課長の言うとおりでした。他の人でも素敵な人はたくさんいた。二年間、ありがとうございました」
「待てよ!!」
帰ろうと立ち上がった私の腕を彼が掴む。まさかこの人に引き止められる日が来るなんて思いもしなかった。
「…なにか?課長」
「あ、相手誰だよ」
「……課長もよく知る方ですよ」
そう言った瞬間、「まさか」と課長が零す。
「取引先の永井さんです。確か、課長とは大学時代からの親友だったとか」
自分でも酷いことをしている自覚はある。それでもこの人の方が遥かに酷いことをしてきた。
「結婚式にはお呼びしますね。…さよなら」
そう言って、彼の手を振り払って店を出る。
彼はもう引き止めはしなかった。
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