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一生徒.2
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「ね、ね、松流さん。丸山センセ、アスリートっぽくてカッコイイよね」
「ん?」
柔らかいフェロモンに真綿のように包まれて、出欠名簿を読み上げる声に酔っていた。隣の席の明斗が、僕の左腕を指で突いてくる。
「ちょっと好み。センセの匂いはわからないけど、絶対アルファだよね」
明斗もオメガだ。同じように薄い肉付き、小柄な男体。僕がさらさら黒髪で柔和な顔立ちに対して、明斗はくるりと可愛い栗毛のキツめ美人。なのに、人懐っこい笑みには名門武田家の気取りなど微塵もない。
先生のフェロモンは、他のオメガは感じない?
僕だけがわかるのは、本当に、奇跡的に、運命の番、だから?
こんなにとろりと濃くて、何に例えていいのか言葉にできないほど蠱惑的なのに。不思議で仕方ないし、嬉しい。
そう、嬉しい。独占欲。僕だけのアルファ。
「それに、ただの担任じゃなくて、学園の理事やるのに転任してきたんだって」
内緒話が耳の中を通り過ぎていく。クラスメイトの瞳が驚きと好奇に光る。僕の顔には恍惚がうっとりと浮かんだまま。
「松流さん? ……松流さん!」
駄目だ。
表情が作れない。
恋心の露呈は、時間の問題。
恋?
いや、僕はそんな可憐な乙女じゃない。
運命だ。進化の末に備わった、遺伝子の強烈な新機能。
朝の会が早々に終わる。
先生の大きな背が教室から去っていく。明斗がキランキランした笑顔で問い詰めようとしてくる。
僕は、決断した。
「先生!」
人が少ない渡り廊下。やっと追いついて、声を上げる。振り返る前から、お互いから放たれたフェロモンが混じっていくのがわかる。
強い薬のおかげか、勃つこともない。蜜で溢れることもない。ただ、飢餓感で胎内がグラグラと熱い。嗚呼、もうすぐ。
「わかりますか?」
「はい。すぐにわかりました」
二人が手を伸ばしあっても、触れない距離。これからのことを想像して胸が詰まる。一瞬、近づくのを躊躇う。
遠くで楽しそうにじゃれ合う男の子たちの声が湧き上がり、消える。
「何かありましたら、数学準備室へ」
……は?
平坦な声でそれだけ言い残して、先生は離れていく。何の未練もない様子で、二つの薫りが離れていく。
……は? それだけ? 運命の番なのに?
怖かったのに。今だって怖い。
温かくて無風の世界。壊したのは先生。
ぼんやりとした単調な日常に、どんどん色がついていく。音楽が、言葉が、匂いが、はっきりと輪郭をもって迫ってくる。躰を揺さぶる強い感情。
僕は狂ってしまった。
戻れない。
狂うのは、一方的にオメガだけ?
なんだ。やっぱり、役割も与えられない人類の劣等種なのか。アルファに犯られて喰われるだけの弱い生き物。
広い世界で突き放すなら、最初から連れ出さないで欲しかった。
怖い。
せんせい。酷いね。
ねえ、僕に堕ちてきてよ。
生まれて初めて学園をサボる。専属の運転手を悪用した。
「松流さんおかえりなさいませ。申し訳ございませんがお留守番お願いしますね。お夕飯までには旦那さまは戻りますので」
「……ただいま」
一階玄関を通ると、すれ違いに出て行く家事代行員の後ろ姿。
旦那さまと聞けば素敵だけれど、血族会社の平の家。容色の衰えないオメガのパパも、何かと駆り出される。いつものこと。気にもとめずに遠い背中につぶやいて、子供部屋へと、プライベート階の内扉のロックを外す。
中央に据えたベッドに身を投げ出す。干したての掛け布団の匂いと、激しくきしむスプリングの音。
馬鹿みたい。
運命の番、だなんて。
狭い世界を合理的に効率良く泳いできた。教師は、より良い評価を下して僕を快適にしてくれる……ただの道具だ。
頭では理解しているのに、よく知りもしない先生の薫りが躰を覆って離れない。引きずられる。わかっているのに、声が耳奥に低く響いて消えない。
ゆるく兆した陰茎を取り出す。緊急用の強い方の薬は切れかけているのだろう。不自然な体勢で後ろにも手を伸ばし、うっすら湿り気を帯びた部分に指を挿してみた。
「ん……けい、兄ぃ……あ、助けて……」
「ん?」
柔らかいフェロモンに真綿のように包まれて、出欠名簿を読み上げる声に酔っていた。隣の席の明斗が、僕の左腕を指で突いてくる。
「ちょっと好み。センセの匂いはわからないけど、絶対アルファだよね」
明斗もオメガだ。同じように薄い肉付き、小柄な男体。僕がさらさら黒髪で柔和な顔立ちに対して、明斗はくるりと可愛い栗毛のキツめ美人。なのに、人懐っこい笑みには名門武田家の気取りなど微塵もない。
先生のフェロモンは、他のオメガは感じない?
僕だけがわかるのは、本当に、奇跡的に、運命の番、だから?
こんなにとろりと濃くて、何に例えていいのか言葉にできないほど蠱惑的なのに。不思議で仕方ないし、嬉しい。
そう、嬉しい。独占欲。僕だけのアルファ。
「それに、ただの担任じゃなくて、学園の理事やるのに転任してきたんだって」
内緒話が耳の中を通り過ぎていく。クラスメイトの瞳が驚きと好奇に光る。僕の顔には恍惚がうっとりと浮かんだまま。
「松流さん? ……松流さん!」
駄目だ。
表情が作れない。
恋心の露呈は、時間の問題。
恋?
いや、僕はそんな可憐な乙女じゃない。
運命だ。進化の末に備わった、遺伝子の強烈な新機能。
朝の会が早々に終わる。
先生の大きな背が教室から去っていく。明斗がキランキランした笑顔で問い詰めようとしてくる。
僕は、決断した。
「先生!」
人が少ない渡り廊下。やっと追いついて、声を上げる。振り返る前から、お互いから放たれたフェロモンが混じっていくのがわかる。
強い薬のおかげか、勃つこともない。蜜で溢れることもない。ただ、飢餓感で胎内がグラグラと熱い。嗚呼、もうすぐ。
「わかりますか?」
「はい。すぐにわかりました」
二人が手を伸ばしあっても、触れない距離。これからのことを想像して胸が詰まる。一瞬、近づくのを躊躇う。
遠くで楽しそうにじゃれ合う男の子たちの声が湧き上がり、消える。
「何かありましたら、数学準備室へ」
……は?
平坦な声でそれだけ言い残して、先生は離れていく。何の未練もない様子で、二つの薫りが離れていく。
……は? それだけ? 運命の番なのに?
怖かったのに。今だって怖い。
温かくて無風の世界。壊したのは先生。
ぼんやりとした単調な日常に、どんどん色がついていく。音楽が、言葉が、匂いが、はっきりと輪郭をもって迫ってくる。躰を揺さぶる強い感情。
僕は狂ってしまった。
戻れない。
狂うのは、一方的にオメガだけ?
なんだ。やっぱり、役割も与えられない人類の劣等種なのか。アルファに犯られて喰われるだけの弱い生き物。
広い世界で突き放すなら、最初から連れ出さないで欲しかった。
怖い。
せんせい。酷いね。
ねえ、僕に堕ちてきてよ。
生まれて初めて学園をサボる。専属の運転手を悪用した。
「松流さんおかえりなさいませ。申し訳ございませんがお留守番お願いしますね。お夕飯までには旦那さまは戻りますので」
「……ただいま」
一階玄関を通ると、すれ違いに出て行く家事代行員の後ろ姿。
旦那さまと聞けば素敵だけれど、血族会社の平の家。容色の衰えないオメガのパパも、何かと駆り出される。いつものこと。気にもとめずに遠い背中につぶやいて、子供部屋へと、プライベート階の内扉のロックを外す。
中央に据えたベッドに身を投げ出す。干したての掛け布団の匂いと、激しくきしむスプリングの音。
馬鹿みたい。
運命の番、だなんて。
狭い世界を合理的に効率良く泳いできた。教師は、より良い評価を下して僕を快適にしてくれる……ただの道具だ。
頭では理解しているのに、よく知りもしない先生の薫りが躰を覆って離れない。引きずられる。わかっているのに、声が耳奥に低く響いて消えない。
ゆるく兆した陰茎を取り出す。緊急用の強い方の薬は切れかけているのだろう。不自然な体勢で後ろにも手を伸ばし、うっすら湿り気を帯びた部分に指を挿してみた。
「ん……けい、兄ぃ……あ、助けて……」
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