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54. 月下の告白

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デリンダが危険だと分かったものの、その後彼女の消息は依然掴めないでいた。

ただし、レナードが一度また呪いの眠りに落ちた以外は、その身に何か危険な事が起こるような事は無かったので、気を揉みつつも粛々と、満月の日は近づいていたのだった。

そして今日。レナードは夜の中庭でアイリスからの最後の加護を受けている。
彼女がバートラント卿に襲われてから十日。明日はいよいよ待ちに待った満月の夜なのだ。


アイリスはいつもの通りレナードの手を取って、厳かに呪文を唱えていた。今夜で最後かと思うと寂しい気持ちが込み上げてきたが、そのような感情は表に出さずに彼女はいつも通りに振る舞っていた。

身の程は弁えているつもりだ。この想いは自分の胸の中だけに留めて、この王太子の安寧と繁栄を願った。

ただ、気付かれないように少しだけ、いつもより長目に彼の手を握ったのだった。それ位は許して欲しかった。


***


「傷の具合はどうだい?」
「はい、少し引き攣る感じはしますけど、概ね順調に治っていますわ。昨日抜糸もしましたし。」

最後の加護をかけ終わり、アイリスがそっとレナードの手を離したのをみて彼が彼女の傷の具合を気遣う言葉をかけると、アイリスはニコリと微笑んで、もう大丈夫ですと答えたのだった。

「そうか、それは良かった……」
その健気な微笑みに見惚れると、レナードは思わず言葉に詰まってしまった。

何か言葉をかけなくては、直ぐに彼女がこの場から去ってしまいそうで、少しでも長く彼女をこの場に留めて置く為に何か言葉をかけたかったのに、上手く言葉が出てこなかったのだ。

月の花が咲けば、この急に眠るという厄介な呪いから解放される。それは喜ばしいことなのだが、しかし、そうなると彼女を側に置いておく理由が無くなってしまう。

この、彼女との時間を終わらせたくなくてレナードはとても悩んでいた。
理由など無くても彼女を側に置きたいと思っているのだ。

アイリスが誘拐されたと聞いた時は、胸が潰れそうになったし、彼女が怪我を負った時も頭が真っ白になって何も考えられなくなった。

彼女を失うその怖さを知ってしまったから、もう二度と、彼女を手放したく無いと思ってしまったのだ。

勿論、王太子の自分が望めば簡単に彼女が手に入る事は分かっている。けれどもそれではダメなのだ。それでは彼女の心までは手に入らないから。


「アイリス嬢は、この前の話を覚えているかい?」
「どのお話でしょう?」
「……呪いが解けた後も、ずっと私の側に居て欲しい。以前そう話したよね。」

いつもの通り噴水に横並びに腰を掛けて、レナードは意を決して切り出した。彼女の気持ちを知りたかったのだ。思い詰めて余裕のない表情で、じっとアイリスを見つめた。

しかしアイリスは、そのようなレナードの態度に気付いていなかった。

「そのお話でしたか。えぇ。謹んでお受けしますわ。王太子付きの魔導士になればサーフェス家の名誉回復になるし父も喜びますわ。」
彼女は、未だに魔導士としての自分を必要としてくれていると思っている為、嬉しそうにその問いに快諾したのだった。

けれども、それはレナードが求めている答えでは無いのだ。彼が欲しているのは、月の魔法を使える魔導士などでは無く、アイリス彼女自身なのだから。

「アイリス!」
レナードは、堪らずアイリスの両腕をガッシリと掴んで彼女の目をじっと見つめた。

「俺が言っているのはそういう意味じゃ無い。」
真っ直ぐにアイリスを見つめて、真剣な表情で遂にその想いを伝えたのだ。

「貴女を初めて見たのは一年前の幻月祭だ。あの時見た櫓で踊る貴女の姿がずっと忘れられなかった。それが偶然にもこうやって知り合ってみると、貴女は聡明で強く、国や領民の事を大切に思う心優しい女性だと知ってしまった。俺は、アイリス、貴女に惹かれているんだ。」

レナードは最後まで目を逸らさずに、思いの丈をぶつけた。
そうして、愛しい人に縋るような目を向けて、祈る様にアイリスからの返答を待ったのだった。


「……殿下は、誤解なさっています。あの幻月祭の日の私に目を奪われたのは、それは、あの時私が自分を魅力的に魅せる魔法を使っていたからです。だからそのお気持ちは……きっとまやかしです。」
アイリスは目を逸らして、そう答えた。
顔を俯けられてしまったので、レナードに彼女の表情は確かめられなかったが、その声からは動揺が窺える。

「そうだったとしても、今は使っていないだろう?俺には今も、貴女が輝いて見えるよ。」
彼女から否定されても、レナードはアイリスを掴んだまま離さなかった。この手を離してしまったら、彼女は逃げてしまうのでは無いかと思ったから。


「……婚約者の打診を受けて欲しい。」
少しの沈黙の後、レナードはようやく核心を具体的に言葉にした。
拒絶されるのは怖かったが、それでも、何も伝えないまま彼女を逃す事は出来なかったのだ。
レナードは、アイリスを掴んでいる手に力を込めた。

「……私はしがない地方の貧乏伯爵家の娘です。殿下とは釣り合いません。」
「家柄とか身分とか関係なく、貴女の気持ちを聞かせてくれないか。」
アイリスは俯いたまま間接的にレナードの申し入れを謝絶したが、それでもレナードはアイリスを離さなかった。直接的な言葉を聞くまでは諦められなかったのだ。

「……お願いです、一晩考えさせて下さい。」
絞り出した様なか細い声で、アイリスはそう答えた。
それが、彼女の精一杯の答えだった。

レナードはそれを聞くと、「分かった」と小さく呟いて、掴んでいたアイリスの腕をそっと離した。
すると彼女は、すっと立ち上がって無言でお辞儀をすると、直ぐにその場を走り去ってしまった。

アイリスは最後まで顔を上げずに、レナードの前から立ち去ったのだった。


***


その胸の鼓動は、爆発してしまうのでは無いかと思うくらいバクバクとうるさい音を立てていて、この赤い顔をレナードに見られたくなくて、彼の前で顔を上げる事が出来ず走り去ってしまった。

アイリスは、一人になって気持ちを落ち着けようと、深呼吸を繰り返したが、全くもって心臓は静かにしてくれなかった。

(まさか殿下から、あの様な申し入れをされるなんて……)

アイリスは赤くなった顔を両手で押さえると、その場にうずくまった。レナードからの求愛は、飛び上がりたくなる程嬉しかったが、けれども彼は王太子なのだ。

自分は彼の横に堂々と立てるような身分では無い。田舎の貧乏な伯爵家の娘なのだから。

なので彼の気持ちは痛いほど伝わったが、それでも、アイリスはどうしても受け入れる事が出来なかったのだ。

自分の生家では、レナードの後ろ盾にはなれないから。

(殿下の事は勿論お慕いしている。でも、そんな私の気持ちだけで考えてはダメ。この国にとって、殿下にとって、最良な事を考えなければ……)

アイリスはぐちゃぐちゃになった自分の気持ちを胸に抱いたまま、どうしたらレナードを傷付けずに、自分の事を諦めてもらえるか、張り裂けそうな思いでそんな事を考えていたのだった。
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