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第一話 狐の嫁入り~お祝いまんじゅう~

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卯月うづきの終わり―――ぱらぱらと雨が降るのを硝子がらす越しに眺めていた。
店の横開きの硝子戸は時強く吹く風で水滴をはりつかせてガタガタとうるさく音をたてる。
雨に濡れ光った石畳の上では雨粒が白く跳ねていた。
その雨の粒を数えながら微睡まどろんだ。
湿気で陳列台の木の香りが微かに漂っている。
それがまた心地よい。
遠くで雷のゴロゴロという音が聞こえ、うっすらと目を開けた。

「今年の春は雨が続くな……」

にゃーと猫が鳴いたような気がして椅子から立ち上がり、裏の勝手口へと向かった。
本日、俺の仕事は猫のエサやりのみ。
それで、終わり。
あー、俺、今日は頑張ったなー。
ちゃんと動いた。
よし! 今日は人間らしい活動をしたぞ。
猫にエサをやったら、俺は雨の降る庭を縁側から眺めて昼寝でもしよう。
桜は終わってしまったが、庭の赤や白のツツジの花が今は見ごろだ。
やはり、和菓子職人たるもの美意識を高めるため、花をでるのは大事なことだ。
たとえ、昼寝が目的だとしても。
味噌汁に入っていた煮干しを小皿にとって、それをノラ猫にやった。
毎朝やってくるこのノラ猫はつややかな黒の毛並みに緑の瞳をしている。
こいつはどこかで飼われているのかもしれない。
ノラのわりに丸々と太っている。
もしや、俺よりいいものを食べているのでは―――いやいや、まさかな?
太りすぎな黒猫はダシの出きった煮干しを食べ終わると、顔をぷいっとあさっての方を向けた。

「おい……。そこは感謝の気持ちをあらわせよ」

エサをやっても感謝どころか、『ごくろうさん』とでもいうように尻尾をぶんぶん振って去って行った。
なんだか納得がいかない。
愛想のカケラもない猫だ。
しかし、その堂々たる背中は嫌いじゃない。
無駄な愛想は振りまかぬ。
それが猫の生きざまというものだろう。
俺には俺の生き方がある。
とくと見よ! 俺の生きざまを!

「さて。昼寝をするか」

いそいそと綿入り座布団を手にして店を閉めようとしたその時、店の硝子ガラス戸が開け放たれた。
店に湿った空気が一気に流れ込んだ。

「なにが昼寝だ。この無気力店主。働けよ」

「お前は知らないだろうが、今、俺は猫のエサやりという重大な任務を果たしたばかりだ」

「おおげさに言えば、許されると思うな。まだ正午のドンも鳴っていないってのにとんだ怠け者だ」

正午のドンとは昼どきを知らせてくれる大砲の音だ。
その正午のドンも鳴らないうちにやって来たのは一之森いちのもり有浄ありきよという男で、俺の幼馴染だ。
近所の神社で神主を生業なりわいとしている。
有浄は黒いコウモリ傘を店先でたたむと、雨粒をはらった。
そして、外の軒下にある竹の長椅子の横にコウモリ傘を置き、後ろ手で戸を閉める。
ガラガラと音をたてて硝子戸が閉まり、俺と有浄は目で会話した。
無言の会話も幼馴染ならではだ。

『今すぐ帰れ』

『お断りだ』

有浄は目を細め、にっこりと微笑んだ。
くそっ! こいつ……!
まさか長居をしていくつもりか。
心の中でチッと舌打ちした。

「どうして俺の昼寝宣言がお前に聞こえたんだ? 店の中に入ってくる前だっただろう?」

「俺は陰陽師だからね」

出たよ、自称陰陽師。

「あー、そういうの間に合ってるんで」

有浄は変わっている。
明治が過ぎ、大正の世になったとはいえ、まだまだこの辺じゃ着物姿が主流。
そんな中でも有浄は最新のジャケットにベスト、ワイシャツとネクタイという派手な服装をしている。
お前は外務省のお役人か貿易商かよとツッコミをいれたくなるほど洋装でいることのほうが多い。
有浄の生業なりわいは神主だってのに洋風化されすぎだろってくらい俗世に馴染んでしまっている。
まあ、百歩譲って洋装はよしとしよう。
趣味嗜好だしな。
だが、自称陰陽師はどうなんだ?
胡散臭い上に怪しげな男すぎるだろ。
幼馴染でなければ、とっくに店の外に追い出していた。

「帰れ」

即決即断。
俺の昼寝(朝寝)を邪魔する奴はすべて敵。

「俺を押し売り扱いするなよ」

「押し売りのほうがまだマシだ。 もっと言えば、押し売りのほうが俺にとって無害だ」

「うまい冗談だね。俺も無害だよ?」

―――正直、イラッとした。
なにが無害だ。
どの口が言っているのか。

「この間、お前と女の痴話げんかに巻き込まれた俺に対する謝罪は?」

「痴話げんかじゃない。ちょっとした別れ話のもつれだ」

なにが別れ話のもつれだ。
有浄は日本人離れをした容姿をしており、色素の薄い瞳と髪に高身長、近所でも評判の美男子だ。
だが、陰陽師を自称しているせいか、胡散臭い男と思われ、『ぜひ、うちの娘を嫁に』という定番の流れにはならない。
その有浄は長居をするつもりらしく、かぶっていたフェルト帽をとった。

「有浄。また新しい帽子を買ったのか?」

「いいだろ。これ、イギリス製の帽子でさ」

ノリノリで帽子自慢を始めそうになったのを手で制した。
ここで止めなくては話が長くなる。

「神主が洋装ってどうなんだろうな」

「和菓子屋が書生姿っていうのもどうなんだよ」

俺と有浄はお互いの服装を見た。
お互い本業から大きくかけ離れた格好だ。

「神主の時はきちんと装束しょうぞくを着ているからな? 多数の女性から装束姿も素敵ですっていう感想が山ほどきている」

「きてねーよ」

神主の時はってなんだよ。
お前の陰陽師(自称)はもう仕事なのかよ。
しかもさりげなく、装束姿って言うな。

「お前の知らないところで女性に人気なんだよ」

「人間じゃねーだろ。人間に好かれろよ」

だいたいなにが山ほど、だ。
その山ほどが人間ならまだしも、こいつの場合は人間じゃない奴との付き合いが多すぎる。
人間なのか、それとも違うものなのか。
一見するだけではわからない。
だが、有浄にはわかる。
だから、自称陰陽師なのだろうが―――

「まあ、確かにお前が作る和菓子は評判がいい」

「人間にな」

「いや、あやかし達にな」

「そういう胡散臭いお客様は当店ではお断りしております」

「客を選ぶなよ」

「選ばせろよ」

「わがままな奴だな。あー、あれか?腕のいい頑固な職人は客を選ぶっていうやつか」

誰が頑固な職人だよ。
それは俺のじいさんだ。
道具を探し求めて旅をするくらいのこだわりようだった千年屋初代職人のじいさん。
そんな熱い情熱を持ったじいさんの血を引いているはずなんだが、どこでどう間違えたのか、三代目無気力職人、俺、誕生。

「まあ、いい。茶と菓子をひとつもらおうか」

「ない」

「……ここは和菓子屋だよな?」

「和菓子屋だ」

「商品のない和菓子屋が和菓子屋を名乗っていいと思うな!」

「ちゃんと看板でてるだろうが。千年屋ちとせやってな」

「看板を出しておけば、商品がなくても許されるとでも?」

「きっと俺の名前が悪かったんだな」

俺の名は千年屋ちとせや安海やすみ
和菓子屋千年屋の一人息子にして店主だ。
両親は数年前に大陸に渡り、上海シャンハイで饅頭を売っている。
働き者の両親は上海でなかなかの暮らしぶりをしているらしい。
そんな両親から生まれた俺は働き者―――にはならず、だらだらと生きていた。

「うまいこと言ったな。安海やすみだけに休みってことか」

「まあな。じゃ、そういうことで」

「いやいやいや、待てよ!」

いそいそと座布団を手に奥の茶の間に入ろうとしたのを有浄が止めた。

「お前の和菓子はあやかしに評判がいいんだよ。なにかないか?」

「……あやかしより人間相手に評判になりたいよ、俺は」

「なら、店を開けろ。それが嫌なら、あやかし相手に金稼ぎをしろ」

めちゃくちゃなことを言う有浄に俺は座布団で答えた。

「わかった。とりあえず、昼寝をしてから考えよう。じゃあな、有浄。早く帰れよ」

やる気なし。
今日の俺は昼寝をすると決めている。
座布団を片手に去ろうとしたその瞬間。
有浄が座布団をひとにらみし、俺の手から座布団を叩き落として蹴り上げた。
目の前を座布団が宙を舞うのが見えた―――
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