小さくなった夫が可愛すぎて困ります

piyo

文字の大きさ
3 / 4
一章

2.ノエル、夫を自室へ拉致する

しおりを挟む


「今日も、ですか」
「はい。今日も旦那様は、職場に泊まられるそうです」
「……わかりました」

サフィールのもとへ嫁いで、早くも一か月。
夫の姿を屋敷で見たのは、片手で数えられるほどだった。

管理職でありながら研究者気質の彼は、自ら率先して働くタイプで、仕事に没頭するあまり職場に仮眠室まで作っているほどだ。
そのため屋敷に戻ることはほとんどなく、戻ってきたとしても寝室は別々――子どもは、まだ作らない約束だからだ。

帰宅したことすら知らぬまま朝を迎えることもあれば、彼が朝早く出勤してしまい、結局顔を合わせられない日も珍しくなかった。

ノエルは借金を肩代わりしてもらったため、生活のために働く必要はなくなった。
それでも、夫にほとんど構ってもらえず手持ち無沙汰で、週に二回と日数を減らしたうえで、街の薬屋の仕事を続けている。

しかも、結婚式は未だに挙げていない。
籍は入れたものの、彼が仕事を休めないため、落ち着いてからにしようという話になっていた。

生活に不自由はしていなかった。

サフィールは爵位こそ継がないものの稼ぎがよく、仕事一筋でこれまでお金を使う機会もなかったらしく、かなりの蓄えがあった。
それに加え、さすがは侯爵家育ちというべきか、屋敷の管理や身の回りの世話はすべて使用人に任せており、複数人を雇っていた。
そのため、ノエルが家事に追われることはなかった。

使用人たちは皆ノエルに優しく、屋敷での暮らしは快適だった。
また、顔合わせの際に会ったキングリー侯爵家の人々も、真面目で明るいノエルに好意的で、義実家との関係にも問題はなかった。

一見すると、申し分のない結婚生活だった。
――夫との関係が希薄であることを除けば、だが。

(契約結婚だとわかっていたけれど……
一生、こんなふうに過ごすのかな……)

お飾りの妻としての同居人。
いつしかノエルは、自分のことをそう呼ぶようになっていた。
その響きが胸に落ちるたび、言いようのない虚しさが広がっていくのだった。



……そんな中、夫が重体だという知らせが届いた。
もちろん心配はする。
だがそれ以上に、この先どうなるのかという不安の方が、正直なところ強かった。

(劇薬を浴びたということだけど……見た目が悪くなっても、働けるのかしら?
いえ、きっと療養が必要よね。
心にも傷を負っているはずだし……私が、しっかり養ってあげないと)

ノエルは悲観するよりも、これからどうやって生計を立てていくかへと、意識を強引に切り替えた。

そのとき、再びアレックスが慌てた様子で告げた。

「それで、旦那様はすでに職場を後にし、屋敷へ向かっているそうで……」

「えっ!? 重篤なのに、病院ではなく、こちらへ向かっているのですか?」
「は、はい……」

アレックスは額に浮かんだ汗を必死に手拭いで拭うが、追いついていない。
使用人たちもサフィールの知らせに動揺し、屋敷の空気は一気に騒がしくなった。

「み、みんな落ち着いて!
とりあえず、旦那様の寝室を優先して整えて、迎え入れる準備をしましょう。
私は玄関前で、旦那様の到着を待ちます」

なるべく気丈に振る舞ったつもりだったが、体の震えで足元がふらついた。

「お、奥様、こちらにお掛けください」

古参の侍女であるマーラが椅子を持ってきてくれたので、ノエルは「ありがとう」と礼を言って腰を下ろす。
アレックスとは違い、ノエルの額からは汗が引き、代わりに血の気がすうっと引いていった。

(落ち着いて――どんな姿になっていようと、ちゃんと出迎えて、受け入れてあげなきゃ)

屋敷内に、ぴんと張り詰めた緊張が走る。
皆が玄関前でサフィールの到着を固唾をのんで待つ中、遠くの道の向こうに、こちらへ向かってくる馬車の姿が小さく見えた。

「我が家の馬車よ!」

ノエルの声に、使用人たちがずらりと並び、すぐにでも彼を介抱できるよう身構える。
ノエルもまた、何度も深呼吸を繰り返した。

やがて玄関前で馬車が停まり、御者が扉を開ける。

ゴクリ。

(命に別状はなく、会話も可能……
馬車も、いつものもの。
ということは、自力で歩けるのかしら?)

そして――

中から、小さな影が降りてきた。
降りる際、御者に抱きかかえられ、そのまま地面へと降ろされる。

ノエルを含め、皆がその“小さなもの”へと視線を集めると同時に、息をのんだ。

御者はというと、そのまま扉を閉めてしまう。

――あれ、旦那様は乗っていなかったの?

一堂の心の声が、ぴたりと重なる。

しかし次の瞬間、全員の度肝が抜かれることになる。

「……ただいま。
主人の帰宅に、屋敷の一堂が揃うとは、錚々たるお出迎えだな」

小さなもの――
外套のような布を全身にまとった幼子が、その姿に似つかわしくない口調で口を開いた。

ノエルの目の前にいるのは、ひとりの幼子。
巻き毛の金髪に青い瞳。
ただ一点、不機嫌そうな表情を除けば、天使と見まがうばかりの容姿をしている。

ノエルは、その姿から目を離すことができなかった。
声も出ず、完全に固まってしまう。

それは使用人たちも同様で、
ただ一人、老齢の執事であるアレックスだけが幼子のもとへ駆け寄り、

「なんと……“サフィール坊っちゃん”の姿を、またこの目にできるとは……」

と、驚きと感極まった様子で、静かに呟いた。

アレックスの言葉で、ようやく皆が我に返る。
それはノエルも同様だった。

(え、この小さな男の子が……旦那様?)

「……坊っちゃんはやめろ」

確かに大きさは決定的に違うが、眉間に皺を寄せるその表情は、紛れもなくサフィールそのものだった。

困惑する一同を代表して、ノエルは夫らしき“子ども”におずおずと問いかける。

「あ、あの……劇薬を浴びたとお伺いしたのですが……
その……本当に、旦那様で合っていますか?」

半信半疑のまま口にしたせいで、問いかけは終始、疑問形になってしまう。

ノエルの問いに、幼子は小さくうなずき、

「ああ。私だ」

と短く肯定を返した。

「……ッ」

ノエルも使用人たちも、全員が息を飲む。

確かに、旦那様は「元の姿とはかけ離れた姿」になっている。
(あ、そっち……?)と皆が思ったのは、言うまでもない。

だが、生きている。
無事に帰ってきたのだ。

そこから、一気に緊張が解ける。
「ああ、良かった」と肩を抱き合い、無事を喜ぶ使用人たち。
こんな非現実的な事態が起こっているにもかかわらず、である。

しかし――ノエルだけは、依然として固まったままだった。

やがて、わなわなと震えはじめ、
「な、なんですか、そのピンクのほっぺは……」
と、思わず零してしまう始末である。

そして――冒頭に戻る。

ノエルは逃げようとするサフィールを、いとも簡単に捕まえ、両手で抱え上げた。
このときの彼女の表情は、結婚してから一番と言っていいくらい、生き生きとしていた。

「おい、降ろしてくれ!」
「はいはい、運んであげますからねー」

サフィールは抵抗するようにぽかぽかと叩いてくるが、ノエルにはまるで効いていない。
あらあら、ご機嫌斜めですか? とでも言わんばかりの慣れた手つきでいなす。

「誰か、急いで今の旦那様に合うお召し物を、下着も含めて十着ほど手配してちょうだい。まだ昼過ぎだから、お店も空いているでしょう」
「かしこまりました!」

使用人たちが慌ただしく動き出す。

「いや、私はすぐに元の姿に戻る算段でいる。だから新しいものを揃える必要は……」
「何を言ってらっしゃるんですか!?」

突然、ノエルの声が張り上がった。
思わぬ剣幕に、サフィールは思わずきょとんとした顔で見上げる。

「あなたは……ご自分の価値を、まるでわかっていない!」

ノエルの目が血走る。
そしてサフィールを抱いたまま、使用人たちの方をぐるりと振り返った。

「ねえ、みんな、そう思うでしょう!?」

同意を求められた使用人たちは、もはや反射的にノエルの味方だ。
全員でうんうんと頷き返した。

「価値って……」
「あなたは、元の姿に戻る前に、存分に色んなお召し物で、私の――私たちの目を楽しませないといけないんです!」
「待て、なぜそんな必要があるんだ」

サフィールのもっともな問いに、ノエルは答えない。
その代わり、使用人たちに向かって宣言した。

「私は、旦那様と少しお話をします。皆、私が出てくるまで、部屋には入ってこないように」

威厳ある女主人のように、ぴしゃりと言い放つ。
だが、その顔は赤く、口元はだらしなく緩んでいた。

(うん、気持ち、わかります)

使用人たちの心の声が、見事に一致する。

そうしてノエルは、嫌がるサフィールを華麗にスルーし、自分の自室へ“拉致”することに成功したのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どんなあなたでも愛してる。

piyo
恋愛
遠征から戻った夫の姿が変わっていたーー 騎士である夫ディーノが、半年以上の遠征を終えて帰宅した。心躍らせて迎えたシエラだったが、そのあまりの外見の変わりように失神してしまう。 どうやら魔女の呪いでこうなったらしく、努力しなければ元には戻らないらしい。果たして、シエラはそんな夫を再び愛することができるのか? ※全四話+後日談一話。 ※毎日夜9時頃更新(予約投稿済)&日曜日完結です。 ※なろうにも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

夫が勇者に選ばれました

プラネットプラント
恋愛
勇者に選ばれた夫は「必ず帰って来る」と言って、戻ってこない。風の噂では、王女様と結婚するらしい。そして、私は殺される。 ※なろうでも投稿しています。

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

処理中です...