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求婚者たち
(14)突然の来訪
しおりを挟む気の早い父は、さっそく求婚を辞退する旨を文面にし始めた。
こういうときにアルヴァンス殿がいると簡単なのだが、父も意外に文才があるようだ。その文面を見るかぎり、私が悲嘆に沈むたおやかな女のように錯覚する。
「こんな感じでいいかな?」
「素晴らしいですね。アルヴァンス殿に読ませて差し上げたいくらいです」
「ふむ。ではアルヴァンスにもこれを送ってやるか」
どうせ皇帝陛下への返書はあれ経由だしな。
父はそう言って楽しげに笑う。
どうやら父も、宴で彼が私に求愛していたことを忘れていないらしい。
あきれた私が言い返そうとしたとき、外で馬の鳴き声がした。
私は何の気なしに窓辺に行き、外を見た。明るい太陽の光の中、街道から続いている道から早馬がかけてくるのが見えた。
だが、私が聞いた馬の声はそんな遠くのものではない。
私は下の方に目を転じた。
玄関に見慣れない立派な馬車が着いている。母やご側室方が使う馬車より大きく、車輪まわりの作りもいい。マユロウ家が所有するどの馬車より立派に見えるが、そんな高価そうな馬車に旅の汚れがついている。どこか遠くから来たのだろうか。
しかし、しつけられた馬車用の馬たちがあのように荒々しい声をあげるとは思えない。
カラファンドが新しい馬でも買い入れたのかと、窓から身を乗り出して周辺を見回す。
弟の姿はなかった。
そのかわり、玄関から少し離れたところに美しい毛並みの馬がいた。見るからに大柄で、全身についた筋肉もすばらしい。
たてがみは綺麗に切り揃えられていて、まだ背にある馬具の類も遠目にも見事だ。見覚えのないその名馬は、館の従者に手綱を引かれて馬小屋へと向かっている。
私が見始めてからも落ち着かない様子で首を上下に動かしているから、私が聞いた声はこの馬のものだろう。気は荒らそうだが、乗りこなせれば素晴らしい馬だ。
「何か面白いものが見えるのか?」
父は立ち上がり、伸びをしながら聞いてきた。
窓から振り返った私は、首をかしげた。
「客人のようですが、どなたか御予定でも?」
「客? 何も聞いていないな。何を使って来ている?」
「馬と馬車です」
父はようやく顔をしかめ、私の横に立つ。
しかし見慣れぬ馬は厩舎に向かっているから、父は馬車しか確認できなかった。
「馬は……もういないか。しかし、あの馬車は知らんな。同時に来るとは珍しいことだ」
「早馬もこちらに向かっているようです。何かきな臭い動きがあったんでしょうか」
「今の時期にか? わからぬな」
マユロウ伯の顔で父は首をかしげた。それから間も無く扉を叩く音がし、家宰が入ってきた。いつも表情を変えない家宰が、本当に珍しく困惑した様子をしている。
「旦那さま。エトミウ家のメトロウド様がおいでになりました。何かお約束でもありましたか?」
エトミウ家のメトロウド殿。
なるほど、先ほどの美しくもたくましい馬は、本物の軍馬だったのか。
父は私のほうを見た。私が目配せを返す間もなく、またすぐに扉を叩く音がする。入ってきたのは侍女頭だった。
「旦那さま、カドラス家のルドヴィス様がお見えになっております」
「ルドヴィス殿も? これは珍しい」
父はあきれたようにいったが、私は何も言う気力が無くて、ぼんやりと窓の外に目をやった。
どうやら、あの馬車に乗ってきたのがカドラス家のルドヴィス殿だったらしい。馬車の作りが立派だったはずだ。……だがよく考えると、カドラス家がそんな見栄を気にするとは聞いたことがない。あの馬車ではカドラス家の所有ではなくて、ルドヴィス殿とやらの個人所有のものかもしれない。
そんなことを考えていた私は、早馬が玄関についたのをぼんやりと見ていた。
「メトロウド殿は一の間にお通ししております」
家宰は恭しく告げる。
侍女頭も負けじと頭を垂れた。
「ルドビィス様は二の間にお通しいたしました」
「そうか。そなたらの配慮に感謝する」
父は半分白くなった髪を無頓着にかき乱し、私を見やった。
「さて、どうしたものか。ご本人たちが乗り込んでくるとは思ってもみなかったぞ。せっかくの名文が無駄になったな」
「仕方がありません。……今から私は出奔しましょうか」
状況として追い詰められた私は、半ば以上本気だ。頭の中では早くも逃走経路を描いていた。
それを悟っているのだろう。父は苦笑して腕組みをした。
「賛成してやりたいが、エトミウ家のメトロウド殿が来ているのなら逃げ切れないぞ。狩人としても有能な男だからな。……しかし、何も同じ日に来なくてもいいものを」
最後は愚痴めいた父の言葉に、私は深く頷いた。
でもすぐに、そういえばと早馬のことを思いだして扉のほうを見た。
「どうした、カジュライア」
「いえ、早馬も我が家についておりましたので」
「早馬……いや、まさかな」
父が苦笑を崩さずにそう言ったとき、廊下が急に騒がしくなり、すぐその後に扉を叩く音がした。
扉は慌ただしく開き、青ざめた青年が入ってきた。私の異母弟カラファンドだ。
悲恋の貴公子というにはいつも元気のいい異母弟だったが、今は繊細な顔立ちに相応しいくらい血の気を失っていた。体力のある弟が息を乱しているということは、どれだけの勢いで階段と廊下を走ってきたのだろうか。
「カラファンド、どうした?」
「父上! 姉上! 早馬によると、ファドルーン様が間もなく到着するようで……!」
異母弟はそこで言葉を切って咳き込む。もっとも、それ以上はわざわざ聞く必要はなかった。それでも父は誰よりも早く正気に戻り、カラファンドに問う。
「ファドルーン様は、いつお着きになるのだ?」
「そ…それが、すでに近くまで来ているらしく……」
「近くだと? ではもう着くのか?」
「……父上。ファドルーン様とは、あの方ではありませんよね?」
反射的に窓の外を見た私は、震える声を絞り出して街道から延びている道を指さした。
父はそちらを向いて、絶句した。
街道ならよく見かけそうな傭兵風の一団がマユロウの本邸に近付いてくる。その中の一人が、窓から身を乗り出している私たちに気付いたようだ。かぶり物を取り、馬上から優雅な礼をする。
嫌な予感がした。
そっと横をみると、今度こそ父の顔が白くなっていた。
「あのお姿は、間違いなくファドルーン様だ……」
父がこれほど慌てるとは、家宰の動揺した顔以上に珍しいかもしれない。
動揺を通り越して諦めの境地に至った私は、逃避でそんなことを考えていた。
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