修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第四章『因縁、交錯して』

第二百八十九話『その結論に影の刃を』

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『なんでそんなに強いのに、貴女はこんなところにいるの?』

 まだ出会って一年もしない頃、リリスはツバキにそう問いかけた覚えがある。影魔術という自分にも扱えない魔術を自在に操る上に体術も会得しているツバキは、幼いリリスにとってとても完成された存在だった。

 最悪な巡り会わせで商会に所属することになってしまった中で、ツバキと巡り会えたことは唯一にして特大の幸運だと言ってもいい。……そう思っていたからこそ、こんなどん底のようなところにツバキのような人物がいるのが不思議でならなかった。

『あはは……。うん、まあ色々とあってさ』

 だがしかし、そこで返ってきたのは曖昧極まりない答えだった。普段も少し回りくどかったり分かりづらいことを言うのがツバキではあったが、その言葉の中には真意を察するためのヒントを配置しておいてくれるのがツバキという人物だ。……だが、その時の答えにはそれすらなかった。

 そのやり取りから二年ほどしてから、リリスはやっと『故郷が襲われた』という事実をツバキから聞くことになった。きっとその二年の間でリリスとツバキの関係もさらに深まり、そこに年月の経過が加わることでやっとその事実を噛み砕くことができるようになったのだろう。……そう、リリスは解釈していたのだが。

(……想像以上に、ひどい)

 惨劇として目の前に繰り広げられている光景は、一商会が起こしたものとしてはあまりに異常なものだった。里の家屋は焼け、里のあちこちには交戦していたのであろう人たちがいろんな格好で倒れている。……それを見るだけで、里と商会の衝突が激しいものだったのははっきりと分かった。

 そしてその果てに、ツバキの身柄は大の大人三人がかりで拘束されている。子供一人に対してあまりに厳重なその構えは、しかしツバキの実力を正確に評価しているという証でもあった。

――いやだ、離してよ‼

 どうにか抜け出して皆のもとに返ろうとツバキももがいているが、八歳の筋力では男の体格に敵うはずもない。……こうして取り押さえられた時点で、ツバキが抜け出すのは困難を極めていた。

 下手に動くとツバキに――時代の『影の巫女』候補に傷がついてしまう可能性もあるからか、周囲にいる面々もうかつに突っ込むことができない。……そんな中、リリスの視点が震えながらも動いた。

――お姉ちゃんを離せ! どうしても攫うって言うんなら、僕が代わりに攫われてやる!

 幼い声、だけどはっきりとした声で、視点の主――メリアは叫ぶ。立つのもいっぱいいっぱいなぐらいにその体は傷ついていたけれど、そんなことはお構いなしだった。

 こちらに手を伸ばすツバキの手を取ろうと、メリアは今出せる全力でツバキへと突っ込んでいく。……だがしかし、その目の前に一人の男が立ちふさがった。

――へえ、駆け込みのセールスか。面白いことをするガキだな。

 どこか嘲るような笑みを浮かべながら、その男は腰につるしていた剣の鞘に手をかける。……その次の瞬間、メリアの体を強い衝撃が走った。

「が……ッ⁉」

 まるでそれに同調するかのように、リリスもその衝撃をリアルに感じる。影と影が衝突することで、だんだんと感覚が同調しつつあるのだろうか。……なんにせよ、異様な体験だ。

 その一撃を受けたメリアは紙屑のように吹き飛ばされ、地面を情けなく転がる。体が弾むたびにどこかが擦り剝けて行って、ただでさえ全身に負っていた傷はさらに深いものになっていった。

 状況的に鞘で打ち据えられたのだろうが、問題なのはその軌道を全く目で追えなかったことだ。……こんな剣術を使う奴が、あの時の商会にいただろうか。

 いや、それは今問題ではない。……真に絶望的なのは、今のメリアではその男に太刀打ちすることなどできないという、絶対的な事実だった。

――自分の価値を売り込んで初めて、セールスってのは相手の心を動かせるものだ。……お前の実力じゃこの嬢ちゃんと交換するにはちっとばかし……いや、こんな小さな子供にお世辞はいらねえか。

 つかつかとメリアの前にまで歩み寄ってきて、男はどこか嘲るような口調で話す。その隙を吐けば一撃を与えることぐらいできそうなのに、体が動かない。……打ち据えられた体は、もう言う事を聞いてくれない。

 それを男も分かっているのか、警戒なんて何一つする様子もなく倒れるメリアの顔を覗き込む。……そして、その頬をニイッと不気味に釣り上げて――

――お前とお前の姉ちゃんじゃ、その価値に違いがありすぎる。……取引ってのは、互いに対等だと思った相手としかやらねえもんだぜ?

 一切の遠慮もなく、男はメリアに事実を突き付ける。……メリアが今まで必死に磨き続けてきた、積み上げてきた『強さ』という価値は、この場で何の価値も持たなかった。

――じゃあな、未来ある少年。……もしお前が俺たちの眼を見張るような価値を持つようになったら、その時はまた買い付けに来てやるよ――

 くるりと背を向けて、男は悠々とメリアの下から離れて行く。強さで真っ向から上回られ、ツバキという大切な存在も失って。……挙句の果てに、自分が積み上げてきた価値すら根底から崩される。……メリアにとって、それは悪夢の一日でしかなかった。

 ツバキの才能を半分奪って生まれてきて、それでも価値を得ようと、強くなろうともがき足掻いて。……ツバキを守り続けることで、メリアはずっと最愛の姉の傍に居ようとして。しかし、それは失敗に終わった。

 地道に積み重ねてきたと思ってきた強さは、理不尽な暴力を前に何も価値を示さなかった。大切な人が伸ばした手には届かず、メリアは全てを失った。……全部、取り落とした。

 その後の記憶は、ひどく断片的なものだ。急遽新たな『影の巫女』が選定され、商会からの監視がこの里に居つくようになって。色々な物が変わりゆく中で、だけどゆっくり壊された里は復興していった。

 そんな中でも、メリアの心はあの日にずっと囚われたままだ。価値を否定され、大切な人を守れなかったあの日にずっと囚われて、メリアは剣を振り続けている。……そのことを責める人間もいなければ、止める人間も一人もいなかった。

 そのメリアの姿を見守る人々がどんな思いだったのか、それは知る由もない。だが、メリアの中にある感情ははっきりとしていた。……『強くならなければ』という、その一点だけだ。

 あの日あの場に居た誰よりも強くなれば、メリアは取引をする側になれる。そうすれば、ツバキを取り戻すことができる。……強くなって価値を証明すれば、そうすれば。

 そんな希望を抱いて、メリアは牙を研ぎ続けた。しばらくするとどういう意図か目をかけてくれる人も現れて、修練の日々はさらに加速していった。……その道中で、人を手にかけることもあった。

 だが、その全てはツバキを取り戻すためだ。それができれば、この十年間の苦悩も葛藤も何もかもが清算される。……ツバキとの穏やかな生活が取り戻せさえすれば、辛いことしかなかったこの時間にも意味があったのだと言い切れる――

――そのはず、だったのに。

『視野が狭すぎるのよ、二重の意味で』

 どこか呆れた様なその声と同時に、メリアの体は大きく吹き飛ばされる。……十年間研ぎ続けてきた牙は、ツバキを目前にしてあっけなく敗北した。

(……あ)

 時系列がやっとのことで今へと追いつき、リリスは小さく息を呑む。……あの時の敗北を見てしまうと、メリアがリリスに敗北したことの意味というのはより重たさを増すような気がした。

 もちろん、それが自分の心を守るための身勝手な動機であることには変わらない。……だけど、それでもかけてきた時間は確かにあって。……メリアからしたら、十年越しに回ってきたチャンスでもあったわけで――

『……ほら、お前にも分かっただろ? 姉さんを守れなかった僕に、価値なんて一つもないんだよ』

「……っ」

 唐突にメリアの声が聞こえてきて、リリスは思わず息を呑む。……それはきっと記録なんかではなく、影の奥深くに潜んでいる今のメリアの意志だった。

 あの映像を目の当たりにしている間にも、リリスは影の剣を押し込み続けていた。……だから、ここはきっと最深部なのだ。二度の敗北を喫したメリアと、リリスは意識を同調させている。

『姉さんの才能を奪って生まれてきた時点で、僕は里にとって忌み子だった。せめてその才覚を里のために使いつくさないと、僕の価値はないも同然だった。……それなのに、僕は失敗した』

 ぽつぽつと、まるで自分の罪を告白するかのように、メリアはリリスへと語りかける。……それを聞いて、リリスの中で小さな感情が芽生えた。

『僕は強くなかった。姉さんを守れなかった。しかも一度じゃなく、今ここでもそうだ。僕の強さは誰にも届かなかったんだよ。……それじゃあ、何のために僕はあの里で生まれたの?』

 その感情はぐんぐんと成長して、リリスの中でその勢力を増している。同庁の影響を受けているせいなのか、普段よりも感情の動きが大きくなっているような気がした。

『僕のせいで姉さんの才能は半分になった。僕が弱かったせいであの日姉さんの運命は変わってしまった。……与えられた最低限の意味すら果たせない僕の存在意義なんて、ないも同然じゃないか』

 しかし、そんなことは察する様子もなくメリアは滔々と語り続ける。……そして、ついに核心へと迫る言葉を吐いた。

『……なら、僕なんて生まれてこなければよかった。僕の存在さえなければ、姉さんは『影の巫女』としてもっと幸せな運命を辿れたかもしれないのに――』

「……黙りなさい」

『生まれてこなければよかった』という最大級の存在否定に、リリスの中で渦巻いていた感情がついに爆発する。今までメリアに抱いていたモヤモヤとした感情が、ついに明確な名前を持ってリリスの体を突き動かした。

 なるほど、メリアの視点から見ればその考え方に行きつくのも納得できる話だ。ツバキの才能を半分奪ってしまったことがどれだけ罪深いか、そこまでしてなお強くなれなかったことがどれだけショックを伴う事なのか、今となれば少しだけ理解できる。

 だが、あくまで少しだけだ。……その果てに行きついたメリア・グローザの結論を肯定してやるつもりなんて、微塵も存在するわけがない――

「……ツバキはね、死なせたくないって言ったのよ。あなたがしたことは許せないけど、それでも実の弟が死ぬのは嫌だって私たちに我儘を言ってきたの。……それなのに、黙って聞いていれば『生まれてこなかった方がよかった』ですって?」

 体を震わせる感情をギリギリのところで押しとどめて、リリスは淡々と語る。気が付けばメリアに感情が引っ張られることもなくなって、剣を握る手の感覚も戻ってきていた。

 今の独白に同情しないというわけではないし、メリアも運命に翻弄された被害者の一人であることは分かっている。……だけど、その末に導きだされた結論だけは認めない。自分の存在を否定して身勝手に終わろうなんて真似、リリスは絶対に認めない――

「――グダグダうだうだとふざけた理屈並べ立ててんじゃないわよ、この自己陶酔野郎‼」

 目一杯の声を張り上げながら、リリスは全体重をかけて影の球体を完全に両断する。……リリスの身体を突き動かしていたのは、腹の底からせりあがってくるかのような燃え滾る怒りの感情だった。
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