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プロローグ

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「父上。そんなにたくさんあっても、使うのはせいぜい二つ。多くとも四つですよ」

 メルリーナの私室の隣の部屋で、ウロウロと落ち着きなく歩き回っていたディオンは、ソファーに座り、目の前のテーブルの上に山と積んだ紙の上に、更にまた新たな紙を追加しているアランに呆れた。

「……わかっている」

「犬や猫じゃないんですから、メルはいっぺんにそんなにたくさんは産めません」

「わかっているが、つい楽しくてな……おまえのときは、カーディナル皇帝に横取りされたから」

 むすっとした顔で言い訳する父に、余程悔しかったのだろうと同情はするが、百以上もありそうな候補の中から絞り込むだけで、幾日かかるかわからない。

 明け方から陣痛が始まったメルリーナは、現在出産の真っ最中だった。

 今から約一年前。一年越しのメルリーナとのチェスの勝負に辛勝し、ようやく求婚をやり直したディオンを待っていたのは、想像もしていなかった嬉しい驚きだった。

 一年越しの勝利を噛み締めるディオンに、メルリーナは驚きの事実を囁いたのだ。
 
 いつでも準備万端の母グレースの協力により、結婚式はディオンが勝利を収めた翌々日に行われ、それから少し時をおいて、メルリーナの懐妊が公式に発表された。 
 メルリーナは、勝負に手加減はしていないと言ったが、それが嘘だということはさすがにディオンにもわかった。
 妊娠したとわかったから、ディオンに勝利を譲ったのだ。
 つまり、メルリーナはディオンがメルリーナに永遠に勝てないことを知っていて、負ける時期を窺っていたということになる。

 いたく自尊心が傷ついたものの、メルリーナが言うには、ディオンはメルリーナ以外の相手なら、楽勝だろうということだった。
 何故メルリーナにだけ勝てないのかという謎は、何となく答えがわかっている。
 そして、その謎を解いたところで、やっぱり勝てないままだろうということも、わかっている。

 しかし、医者にも見せず、グレースにも感づかれなかったのに、自分のこととなると信じられないくらいに鈍いメルリーナがどうやって身ごもったとわかったのかという謎は解明しておきたかった。
 問い詰めると、メルリーナはあっさり白状したがとても信じられなかった。

 海鷲がお祝いの魚を持って来てくれたからだなんて、あり得ない。
 
 とは言え、海鷲だろうとコウノトリだろうと、子供を運んで来てくれたのには感謝しかない。
 あとは、母子ともに無事であることだけが望みだ。

 メルリーナは初産ということもあり、出産には時間が掛かるだろうとグレースは言っていたが、あまり長引けば母体が弱る。
 赤ん坊を腹の中で育てることも出産も、命がけの行為だが、無事に赤ん坊を産み落とした後だって、産後の肥立ちが悪くて命を落とす場合もある。

 俄かに不安になったディオンは、やっぱりメルリーナの枕元で付き添うべきではないかと部屋を出ようとしたところで、ちょうど部屋へ入って来ようとしていたセヴランとバッタリ行き合った。

「セヴラン、メルは……?」

 先ほどまで、廊下にあれこれと侍女たちに支持するグレースの声が響き渡り、時折メルリーナの呻き声や悲鳴のようなものが聞こえていたが、今はどうなのだと尋ねれば、セヴランは肩を竦めた。

「母子共々、無事ですよ」

 あまりにもあっさりと告げられて、一瞬何のことかと思った。

「生まれたかっ!」

 ポカンとしていたディオンの背後で、アランが嬉しそうに叫び、いくつかの候補が書かれた紙を握りしめて飛び出して行く。

「ま、……父上っ!」

 先を越されてなるものかと慌てて追いかけ、アランを押し退けるようにして隣室へと足を踏み入れたディオンは、桶に浸された血塗れの布を目にしてギョッとした。

 メルリーナは大丈夫なのかと怯えながら、母グレースの「出産したばかりの妻に優しく出来ない男は、即刻海に沈める」と言いたげな眼差し受けながら、寝台で白い布に包まれた小さなものを両腕に抱えているメルリーナに歩み寄る。

「メル」

「ディー」

「だ、大丈夫か?」

「大変だったけど、終わったらすっきりした。大丈夫」

 疲れていながらも元気そうな顔にほっとして、汗で顔に貼り付いた髪を拭ってやる。

「痛いところは?」

 男には一生わからないことだからこそ、不安でもある。
 ディオンの問いに、メルリーナは青銀の瞳でじっと見上げ、あっさりと答えた。

「全部」

「えっ!」

「でも、大丈夫」

 満足そうな笑みは、嘘を吐いているようには見えなかった。

 ディオンは、いつもメルリーナの笑みを見ると、朝焼けの海を見た時のような胸の高鳴りを覚える。
 何もせずにそれを鎮めるのは至難の業で、今、メルリーナにキスしたくて仕方がなかった。

 出産を手伝ってくれた母グレースや、子供の名前をメルリーナの妊娠がわかった日からずっと考え続けてくれていた父には悪いが、はっきり言って邪魔だ。

 メルリーナと今すぐ二人きり、いや、親子そろって四人きりになりたい。

「ディーも、抱いてみる?」 

 そんな身勝手な欲望に苛まれていたディオンは、差し出されたものを見下ろして戸惑った。

 生まれる前から、多分双子だろうとは聞かされていたが、メルリーナから一度に二人差し出されるとどうしていいかわからない。
 一人ずつ片腕で抱えればいいのだろうかと迷っていると、すかさずアランが横から一人掻っ攫う。

「あとは、グレースに任せてゆっくり休むんだぞ、メルリーナ」

「はい」

「それにしても……」

 突然新しい世界に放り出されたどちらの赤ん坊もアランとディオンにしばらくの間大人しく抱かれていたが、互いの様子を窺うように顔を見合わせ、示し合わせたように泣き出した。

「名前は……考えるまでもないな」

 ディオンの言葉に、メルリーナもくすりと笑って頷く。

「二人とも男の子だし……」

 ディオンとアランの武骨な手から、柔らかで居心地のよいメルリーナの腕へと戻った赤ん坊たちは即座に泣き止み、二対の青い瞳でディオンを見上げるとにやりと笑った。

 目の錯覚や気のせいだとは思えぬほど、見覚えのある笑みだった。

 ディオンは、驚きのあまり固まっているらしい、恐らく自分と同じことを思っているに違いないアランに告げた。
 
「父上が考えてくれた名前は、残念ながらどれも必要ないようですね。名前は、もう決まっている。……二人で船の旅に出るのは、間違いなさそうですから」
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