婚約破棄の裏側で

豆狸

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最終話 私の結論

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「やあ、スザンナ嬢」

 王都のブルーノ伯爵邸でカストロ様とお会いした翌日、私はコスタ侯爵邸を訪ねていました。
 突然の訪問にもかかわらず、パトリツィオ様は応接室で私を迎えてくださいました。もちろん私の侍女とコスタ侯爵家の侍従もいます。
 私は彼に向かって頭を下げました。

「パトリツィオ様、このたびは誠にありがとうございました。おかげでカストロ様の命が助かりました」
「気にすることはない。貴女の話を聞いて思いついたことをブルーノ伯爵にお伝えしただけだ。カストロ殿が助かって本当に良かったよ」
「サーラ様にお聞きしていますわ。わざわざ下町にあのふたりのことを調べに言ってくださったと。私を狙う企みも暴いて潰してくださって……」
「貴女は妹の大事な親友だからね。それに私にとっても唯一無二の恩人だ」
「恩人……ですか? どちらかと言えばパトリツィオ様のほうが私の恩人だと思いますけれど。今回のことがなくても、素晴らしい解毒剤を提供してくださいましたし」

 パトリツィオ様が微笑みます。

「貴女は私の恩人なんだよ、スザンナ嬢」

 いい加減慣れたつもりでいましたが、微笑みながら名前を呼ばれると心臓の動悸が激しくなってしまいます。
 応接室の窓から吹き込んだ風が、パトリツィオ様の赤い髪を揺らしました。
 低く掠れた声が言葉を続けてくださいます。

「私は話すことが得意ではない。目の前で母が亡くなってからは特に。父は私の研究を支援してくれていたが、それが母の無念を晴らして妹を守りたいという気持ちからだとは理解してくれていなかった。妹は毒の研究ばかりしている私を気持ち悪い兄と嫌っていた」
「そんな……サーラ様の場合は嫌うというよりも、ご自分をかまってくださらないので拗ねていらっしゃったのだと思います」

 私が言うと、パトリツィオ様はそうかもしれないね、と優しく頷きました。

「でもどちらにしろ、私が父にも妹にもきちんと気持ちを伝えられていなかったのは事実だ。貴女が私の研究を知って求めてくれなかったら、きっと今も妹とは上手く話せていなかっただろう。それに、せっかくの研究を上手く活かすことも出来ていなかったに違いない。貴女が私を見つけてくれた。貴女は私の恩人なんだよ」
「過剰なお言葉だと思いますけれど、パトリツィオ様のお役に立てたのなら嬉しいですわ」
「……私も少しは貴女のお役に立てたかな?」
「少しだなんて! とても……とても感謝していますわ」
「それは嬉しいね。……さて、そろそろサーラを呼ぼうか。カストロ殿と再婚約したのだろう? 私とふたりきりで話をしていて、彼に疑われたら大変だ」

 パトリツィオ様のお言葉に、私は無言で首を横に振りました。

「スザンナ嬢?」
「確かに再婚約を申し込まれたのですが、お断りしました」
「……どうして?」

 私はパトリツィオ様から視線を逸らしました。

「今ごろになってわかってしまったのです。……本当は、私と結婚してデモネさんを囲うだなんて言われたときに気づくべきだったのに、愚かな私は今になってわかってしまったのです。カストロ様が私を愛することはないと」

 昨日再婚約を申し込まれたとき、カストロ様の瞳を見て気づいてしまったのです。

「彼の心にあるのは義務感だけだと。私とカストロ様が上手く行っていなかったのには、彼が騎士科へ進むのを私が反対したことやネメジ様の悪意、デモネさんの存在などいろいろな理由がありました。でも一番の理由は、カストロ様が私に興味をお持ちでなかったことだったのです。私はただの政略結婚の相手で、騎士として守ることは出来ても男性として愛することは出来ない、魅力のない……」

 どんなに目に力を入れても堪えきれなくなって、頬に涙が伝わります。
 私の気持ちは独りよがりなものでした。
 私は子どものままだったのです。想い続けていれば想い返してもらえると、勝手に信じていただけだったのです。いっそネメジ様が言ったように、殺してでも自分だけのものにするというくらい強い気持ちがあったなら、カストロ様に女性として意識してもらえていたのかもしれません。

「……スザンナ嬢……」

 パトリツィオ様が腕を伸ばし、机越しに私の頬に触れました。
 骨ばった長い指が、優しく涙を拭ってくださいます。
 私の侍女とコスタ侯爵家の侍従が困ったような顔でパトリツィオ様を見ています。

「パトリツィオ様……あの、私達は、その……」
「そうだね。婚約者でもない女性の肌に触れてはいけない。でも……貴女に触れた責任を喜んで取りたいと思うくらい、私は貴女を魅力的だと思っているよ。カストロ殿になにかあったら貴女が悲しむと思ったから、私は下町へ調査に行ってブルーノ伯爵に自分の考えを伝えたんだ」
「ありがとうございます……」

 私が微笑むと、パトリツィオ様も微笑んでくださいました。
 心なしかパトリツィオ様の頬が赤く染まっている気がします。
 えぇと、さっきパトリツィオ様はなんとおっしゃったのでしたっけ。私が魅力的だと言ってくださったような気がします。そんなことがあるのでしょうか。

 わかりません。
 わかりませんが……カストロ様からの再婚約のお申し出を断って良かったのだと、私は思いました。彼はもう私の騎士ではないのです。私を助けてくれた、あの幼い騎士はどこにもいないのです。
 そして、私は──

「あらあらまあまあ、お邪魔だったかしらぁ?」
「サ、サーラ。スザンナ嬢が来ているよ。……カストロ殿と再婚約はなさらなかったそうだ」
「へーえ。良かったわね、お兄様」

 応接室にサーラ様が現れたことでパトリツィオ様の手が頬から離れたことが、少しだけ寂しいと感じていたのでした。
 ……もう少ししたら、新しい婚約者のことを考えられるようになるかもしれません。
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