烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

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 茅葺き屋根の集落はいつか男と見た里の風景と似ていて、少女に甘い記憶を呼び起こさせる静かな場所だった。
 飛行能力を削がれた清御鳥しんみちょうの糧は施設から定期的に届く物資と自分達の畑であり、土を耕す姿は人間と──翼を失った者は特に──酷似していた。
 彼らの暮らしに目を移ろわせながら沢鵟ちゅうひの後を歩く少女は、自分に注がれる好奇の眼差しに困惑した。彼らの眼差しの届く先は全て自分であり、翼を持たない真鶸まひわには一切向かない。同族でもここでは自分は余所者で、彼らには無い完全な翼を備えていることにより、まるで自分が別の獣人になっている気がした。

「あの……子供達はいないのですか?」

 無言で見られる気まずさに口を閉ざしていた少女だったが、姿の見えない子供達が気になり、堪らず沢鵟に尋ねてみる。

「皆、山の中で遊ばせている。日暮れ前には戻る」

 身重の少女に合わせて歩く沢鵟の視線が膨らんだ腹へと向いた。他の男とつがいになった夕鶴ゆうづるの姿が鮮明に蘇る。

「ここが私の家だ。入るが良い」
「失礼します……」

 暑い外気は土間に足を踏み入れるとすぐに遮られた。冷えた空気が滲んだ汗に触れれば肌の火照りは消え、清々しさだけが残る。
 真鶸の手を借りながら上がりかまちを踏んだ少女を見守り、沢鵟は奥の居間へと二羽を案内する。

「楽にしてくれ」

 通された居間は亜麻色を基調としており、床の間には細やかな生け花が飾られている。凛として咲いた夏の鮮やかな花は却って落ち着いた部屋に映え、見事な調和をもたらしていた。
 沢鵟は自分の対面に置いた座布団を示しながら、ゆっくりと腰を下ろす少女をじっと見つめ、しばし無言でいた。こちらを見る瞳の色以外、夕鶴と生き写しの少女。

「そなたは本当に母親と瓜二つだ。目の色だけは父親似だな」
「父のこと、何か知っているのですか?」

 父は自分が産まれる前に雷に打たれて亡くなった。当然ながら思い出は何も無く、母から聞いた話では腹越しの自分によく話しかけていたという。黒髪で濡れ羽色の美しい翼。薄紫色の瞳だと語った母は、思えば恋する乙女の顔をしていた。

「そなたの父──星鴉せいがは元々、別の群れの清御鳥だった」

 沢鵟の口から語られる、自分の知らない父の話。真鶸も口を挟まず、静かに耳を傾けている。

「星鴉は怪我をした夕鶴を抱えてやって来た。以来、二羽は逢瀬を重ね、結婚を機に二つの群れは一つになった」

 初めて聞かされる両親の話に時間の流れを忘れ、蝉の声も感じなくなるほど夢中になった。父の偽人ひととなりは伝わっていたが、自分の産まれる前のことと両親の出会った経緯は母がいない今、沢鵟と会わなければ知り得なかった。

「雷で星鴉を亡くした夕鶴は泣き崩れ、腹のそなたは流れるところだった。食事もろくに摂らない彼女の姿は……悔しかった」
「……悔しい……?」
「何も出来なかった。誰も星鴉の代わりにはなれない。ただ、夕鶴に生きよと働きかけたのは小毬こまり、そなただった。星鴉の魂を半分宿し、腹を蹴るそなたの存在こそが夕鶴に生きねばという思いを奮い起こさせたのだ。夕鶴は救われた」

 哀しくも、愛しい。
 絡んだ感情は止めどなく溢れ、形を成して涙となった。病で亡くなる寸前の母は自分に何度も礼を言っていた。もう何も話さないで。残った体力を使わないで。逝かないで。そんな思いで傍にいた少女は、母の感謝の真意をどこか分かった風に生きてきた。が、本当はだったのだ。

「夕鶴は……苦しんでいたか?」

 震える肩を真鶸に抱かれながら、何か言葉を紡げる訳でもなく、少女は嗚咽を洩らしている。

 ──生きる意味を……与えてくれてありがとう。

 そんな母の声が今にも聞こえてくるようで。肩を擦る真鶸の手と胎内を蹴る赤子の存在に、かつての母と自分の状況を重ね合わせては夫の顔を思い浮かべる。
 この訪問が終われば、崖の住み処へ帰ることが出来る。またずっと男の傍にいられる時間が待ち遠しく、部屋に射す日の暮れる気配に少し微笑む。早く会ってこの話をしたい。共に赤子の胎動を朝から夜まで感じていたい。
 そう思い、沢鵟を見た少女は、はたと動きを止めた。

「……沢鵟さん……?」
「…………だがな……」

 明らかに様子がおかしい。今まで健康そのものだった沢鵟の顔色は死人のように色を失い、息をするのも辛そうでいる。たった数分、目を離した隙に変わってしまった彼に真鶸も焦った声を上げた。

「え、沢鵟さん……? なに……」

 滲み出た汗は額に浮かんだ血管に沿って歯の食い込んだ唇に落ち、赤い血のぬめりと混じった。
 外ほど暑くはなく風も通るこの場所で沢鵟の汗は止まらず、さりとて熱く火照る色とは程遠い……青白い肌。

「……いれぬ……」

 地の底から響くような声に少女は身を乗り出し、耳をそばだてた。

「相……容れぬ……」

 斜陽を受けて陰影のくっきり浮かんだ幽鬼の顔は、血走った眼は、少女を突き刺すように微動だにしない。到底、同族に向ける眼差しとは思えず、少女が片膝を立てようとした次の瞬間──。

「狩人を愛する我ら清御鳥の裏切り者……奴らのせいで私達は谷間を追われ、殺され……だというのに、それだというのに。敵の子を望むお前が……憎らしい」

 これは夢か。夢を見ているだけなのかもしれない。耳の奥でやけにうるさい血の流れと、胸を叩く鼓動の強さも。傷を負った心の痛みも全て……夢?

「何故、傷一つ負わぬ!? お前と私達の何が違う!? お前だけが……!」

 かつて備わっていた両の翼の片割れを広げ、少女の真っ白な翼を睨みつける。生きながらにして翼を落とされた痛みと、殺されるかもしれない恐怖の末に命からがら逃げ出したあの日、忘れたくてもそうはいかない。
 皆、失った。命あるいは身体の一部、心までも蹂躙され無限の地獄に落とされた何の罪も犯していない清御鳥達。
 傷の一つすら負わず綺麗なままの小娘は一族の敵と恋に落ち、悪に染まったのにも関わらず……。

「お前など清御鳥ではないっ……! 人間の子を望むなど、お前は化生の女……夕鶴の魂を穢し裏切った、相容れぬ者……!!」

 辛かろう。悔しかろう夕鶴。
 お前が護ってきた娘はもう、娘ではないのだから。

「悔しかろうなぁ……」

 ぬらぬら光る赤い唇をニイッと歪め、沢鵟は少女ではない別の方向に目を向けた。虚空に話しかけるその姿は生者のものとは思えない。

「沢鵟……さん」

 その身に余る憎悪を受けた少女の頭は混乱し、じっと沢鵟が震える様を見ていることしか出来ないでいる。耳鳴りと共にじわりじわりと染まる視界の白に、真鶸の声を聞いた気がした。

「小……ちゃん! 小毬ちゃ……」

 ──ドサッ…… 

 何かが倒れ、床を打つ音。顔を動かそうとした少女のうなじに、衝撃が走った。

「……っ、ぁ……」

 ぐるんと視界が上を向き、前倒しになりながら正面にいる沢鵟の表情を捉えた。

「……鶴……夕……鶴」

 愛しいと思っていた女性と瓜二つの少女が気を失う様を、心ここに在らずと傍観する。

 ──辛かろう、苦しかろう……悔しかろう……。

「夕鶴……」



 ────────────



 一つ、二つと滴が打ち、三つ四つと窓を濡らす。積乱雲から落ちる雨は熱気の籠った大気を洗い、山々に恵みをもたらしては雷を招く。
 稲妻の走る重く垂れこめた空を見上げ、集落に向かった二羽を思いながら時刻を確認する。

「そろそろ迎えに行かないと」

 きっと狩人の男も急いでいるに違いない。
 今日こそ少女を連れ帰ることが出来る、男にとっては焦がれて仕方のない時。待ち望んだ日がやって来たのだから、この瞬間にも姿を現すのではないか。

真砂まさご様……!」

 ガラリと戸から現れたのはしかし、男ではなく警守の姿だった。
 鬼気迫る表情で駆け込んできた警守に真砂は一体、何があったのかと尋ねた。

「仲間が数人……姿を消しました。どこを探しても見当たりません……」

 連絡も無しに持ち場を離れるなど警守としてあるまじき行為だと口を開こうとした瞬間、差し出されたものに真砂は目が釘付けになった。
 警守の手にある、だらりとした細長い動物の死骸。

「蛇……この辺りにはいないはずの種類。猛毒よ……」

 冷静に分析をする真砂に、警守は更に続けた。

「壁の内側で発見され、今も駆除を続けています。いなくなったのは、駆除に当たっていた者だけです……」

 消えた警守と突如として沸いた毒蛇。死骸の三角形の頭をじっと見つめ、考え込んでいた真砂の顔がみるみる内に青白く変わった。

「……まさか……」

 ──ヒャアァァ……

 外で鳴り響く不気味な音に真砂も警守も揃って窓に目を向ける。音は止まず、雷の唸りと共に勢い良くこちらに近づいてくるようだった。

 ──ヒゃあァァッハァァッああぁ……あぁぁぁ……

 しわがれた翁の嗤い声。轟く雷の光を背景に大きくなっていく真っ黒な影。その正体を知った時、真砂は弾かれたように廊下へ駆け出した。
 あれは、告鴉つげがらすの凶兆を告げる声。それに騎乗していた人影は……。

「小毬さん、真鶸……!」

 雷に怯える馬を引っ張り、尻を打って山中へと向かう。肌を痛いほど打つ雨に視界を遮られながら必死で集落へと駆ける真砂の目は鬼のように血走り、鞭を振るわれた馬の嘶きは雷の轟にかき消えていった。
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