烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

お父さん

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 闇に閉ざされ、時間の流れは分からない。窓から見える、雲の向こうにあるはずの陽も完全に傾き、少女の目には一切の光も届かない。二度と陽の目を浴びられず、赤子も奪われてしまうかもしれない事態を恐れ、少女の心は磨り減っていった。

 ──こんな闇ではない。自分の傍に在るのはいつだって温かい。
 ──こんな闇ではない。孤独に落とし込む沼のようなものとは違う。
 ──こんな闇ではない。息さえ吸えないような、塗り込めた暗がりではない。

 陽に輝く大海の蒼い瞳を見たい。あの腕の中に戻りたい。

「出なさい」

 いつの間にか、つぐみが目の前に立っていた。開いた扉から吹き込む風は生暖かく湿っている。気づかぬ内に雨は止んでいて、その余韻を孕んだ空気は重く、手足に絡まる枷のように少女の身の内を暗くさせた。

「早くしないと殴るわよ」
「っ……ぃ……!」

 翼に絡んだ鎖を力任せに引っ張り、少女を強制的に立たせたつぐみは悲痛な声に眉一つ動かさないまま背後の百舌もずを振り返った。

「やっぱり躾といた方が良いんじゃないかしら?」
「君のはただの憂さ晴らしだろう。早く行くぞ」

 二人に合わせ、他にも複数の人間の影が少女を取り囲んだ。少女を荷台から下ろすと、地に広がる泥濘を踏みながら拠点へと急ぐ。時折チラチラと後ろを振り向き、追手の存在を確認する。少女も少女で、すぐ傍まで助けが来ているのではと目を凝らすも、ただ恐ろしい暗闇が立ち込める先の見えない不気味な……ぽっかりとした空間に呑まれそうになっただけだった。



 少女が連れてこられたのは拠点の地下。わずかな灯りと冷たい石で囲まれた、堅牢な監獄。檻の一つ一つに目を向ければ何かが息づく気配が感じ取れる。移動と共に敵の手にある灯りが部屋を照らし、そこに見えた存在に少女は息を詰まらせた。

「──っ!」

 翼が、鳥の脚が灰暗い中に浮かび上がる。恐れを抱いた表情で、小さな身体を縮こまらせて一箇所に集まっているのは、清御鳥しんみちょうの子供達だった。

「そんな、子供を……!?」

 自分だけではなかった。
 身を寄せ合い、親を求める声が木霊する。弟や妹を抱えて背を擦る幼子の光景に声を上げた少女は鎖の巻き付いた翼をギリギリと膨らませた。

「ここまでするなんて……! 決して道具では……!」
「黙れ。そんな腹じゃ自慢の鉤爪さえ振るえない」

 百舌は少女の訴えなどどこ吹く風と言うように舌打ちをし、着いた牢の鍵を取り出した。中に少女を押し込むと乱暴に扉を閉ざし──その響く音に驚いたのだろう。子供の泣き声が扉越しに届く。

「家畜の声を気にする人間などいない」
「違う……!」

 人と同じ心がある。人の為に存在しているのではない。好きにされて良い訳がない。

「黙らないと、子供殺すわよ?」

 つぐみの冷えた笑いに、次なる抗議をしようとした少女は慌てて口を噤んだ。何も出来ない悔しさに唇を噛み、掌に爪を食い込ませる。
 扉の向こうでは人間達の足音が遠ざかり、覗き窓から漏れる頼りない灯りに喉から引き攣った声が出た。
 ポツンと一人、残された空間。他の子供達とは違う牢の造りに項垂れ、頑丈な扉に背を預けながらずるずると床に座り込んだ。

(また、私は……)

 この命一つに限らず、他の存在までも道連れにしてしまう。前に捕えられた時もそうだった。また自分は人間の手に堕ちて、我が子と同族の子を脅かしてしまっている。

(母親失格だわ……)

 ぽたり、ぽたり……。衣に涙が染みる。

(ごめんね、ごめんね……こんなお母さんで……)

 自分のせい。自分のせい。
 強く在ろうとした。故に気丈に振る舞うも、自分はやはり何の力も無い鳥。
 いつしか呼吸は嗚咽に変わり、雫だった涙は一つの連なる流れとなって少女の哀しみは現れた。

(私が、こんなだから……烏京うきょうさま……)

 心の中で、腹の赤子と自分に言い聞かせる。

(きっと、きっと……大丈夫。烏京さまがいる……)

「お父さんが今……助けてくれるからね……」

 思わず望みが口をついて出た。同時に流れを増す涙にまた顔を歪めた時、誰かの声が聞こえてきた。

「……お父さん……?」

 孤独に陥り、存在しない他者を望むあまり幻聴を感じてしまったのか。しばし閉口し、様子を窺う少女にまたあの声が届く。

「ねぇ、お父さんは来てくれるの? 本当……?」

 高い声音は暗がりの向こうから響いてくる。
 少女は更に目を凝らし、静かに身を動かした。

「何処にいるの……?」

 声の主を探し、少女は牢の奥へと進む。さほど広くはない空間に濃い闇が漂い、足元を掬われそうになる。気を抜けば底無しの冷たい闇に引きずり込まれる気がして、足先に自然と力が籠った。

「……誰?」

 再度、暗闇の先に問いかける。ジャラリ、ジャラリ……硬い鎖の音が返ってくる。少女がまた一歩足を踏み出した時、遂にあちらの姿が陰の中に垣間見えた。

「お姉さん……」

 見れば、四つか五つくらいの男の子が冷たい床に座ってこちらを見上げていた。自分と同じく翼には鎖が絡み、細い手首には枷が嵌められている。
 少女は男の子と目線を合わせると、今にも涙が零れ落ちそうな潤んだ瞳を覗き込んだ。不安げに下がった眉に、そっと微笑む。

「来てくれる。今もきっと、あなたを探しているわ」
「でも、お父さんも捕まっちゃったら……」

 目の縁に溜まった涙がぼろぼろと落ち、しゃっくりを上げる男の子に胸が締めつけられる。

「お父さん……痛くしてないかなぁ……」

 父の身を案じ、男の子は本格的に泣き始めた。
 縛られた手では小さな身体を抱き込むことは出来ず、代わりに肩を寄せて少女は温もりを伝えた。

「大丈夫。ここには私以外の大人の清御鳥はいなかったわ。だから、お父さんは捕まっていない」
「本当?」
「えぇ。もしかしたら、もう私達のすぐ傍まで来ているかも」

 そう言う少女に、男の子はわずかながらに希望を抱いた瞳を向ける。
 その無邪気な笑顔に少女がホッと口元を緩めると、笑っていた男の子がふと不思議そうな表情を浮かべた。

「お姉さん、お腹に赤ちゃんいるの?」

 一纏めにされた手を、そっと少女の腹に伸ばす。
 小さな手が上下に、優しく腹を撫でる。

「僕、お母さんいないんだ」

 ぽつり、と幼い口から零れた事実。少女はかける言葉を見つけられず、ただ押し黙って男の子を見つめた。しかし心配する少女の心情とは裏腹に、哀しみと寂しさに暮れるでもなく男の子は言う。

「お姉さんは、離れちゃだめだよ。一緒にいてあげてね」

 両親のいない自分。
 父と離された男の子。

「勿論。私は、この子といるわ……」

 ずっと護る。この腕に抱く。
 ずっと、ずっと傍に……。



 ────────────



 少女が消えた男の怒りの矛先は、片翼の清御鳥の長へと真っ直ぐに突き刺さり、今にも残った翼を切り落とさんばかりに息巻いて――刀の柄にかけた男の手と身体を、真砂まさごと警守は五人がかりで必死に留めていた。

「烏京殿、烏京殿……!」

 怒髪天。

 自分達の身代わりに少女を差し出した沢鵟ちゅうひに、男の毒牙が猛威を奮う。殺気にあてられ、再び床に縫いつけられた。

「……死に晒せ……」

 沢鵟は思わず己の首に手をやった。自分が肉塊に成り果てた光景がありありと脳裏に浮かび、男の一言一句全てが身を襲う。

「つまらん、つまらん命よ……」

 煮えたぎる怒りの奥底から絞り出る怨念。目を逸らしたら……殺されてしまう。

「せいぜい束の間の生を楽しめ」

 額に血管の浮いた修羅の男は相棒の告鴉つげがらすと共に闇に溶け入った。
 少女を追い、蒼い瞳はごうと燃え盛って……全てを──自分自身も憎むように、男は低く唸り声を上げた。
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