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羽休め ─番外編─
最期
しおりを挟む暗い空に明け方の淡い色が滲む時分。寒い寒い冬の朝のことだった。我が子達を夫である雪加に任せ、瑠璃は生家に向かって飛んでいた。風を切る羽音も、息遣いも全て包み込む一面の銀世界に目をくれることもなく、時雨と並んで空を翔ける。
夫と子供達と住まう保護施設の集落に突然やってきた時雨を見た時、妙な胸騒ぎに襲われた。その嘴に咥えられている文に目を通し、父の字で書かれているその内容を起きぬけの頭でどうにか咀嚼し、急いで発ったのが四半刻前のこと。焦りと、肌を刺す凍てついた大気の不快さも相まって余計に心が粟立つ。
すっかり息を切らして着いた生家には、既に兄の姿があった。常ならば朗らかに笑いかけてくれるその顔は、一切の色を削ぎ落としたかのように静かだった。久方ぶりの挨拶も無しに目配せ一つ、父母の元へ重い足取りで歩を進める。そっと開けた部屋には、こちらに背中を向けて寝台の傍に座っている父の姿があったが、大きいはずのその背は別人と見間違うほどに小さく見えた。我が子の到着に振り向く様子も無く、ただ寝台の一点に視線を注ぐ父の、なんと穏やかな雰囲気なこと。それが、文に連なっていた乱れた字の持ち主とは到底思えず、瑠璃は口の端を引き結んだ。
段々と近づく気配にやっと顔を向けた男は娘達の姿を認めると、腕の中の存在に和やかに声をかけた。壊れ物、あるいは赤子を扱うようにして、男は妻の細い身体を抱く。日毎に弱くなっていくと同時に、妻を包む死の気配が濃く淀むのを感じ取っていた男は、片時もその身から離れようとしなかった。
夫の声に薄らと目を開けた妻──小毬は、弱々しいながらも馳せ参じてくれた子供達に笑いかけようと唇を震わせた。
何か話そうとしたのかもしれない。瑠璃に手を握られていてもあまり力が入らないようで、いよいよ今際の際だと皆が悟った。
白い肌に、少しばかりの白髪が混じる頭。幼い頃から大好きだった優しい母の手は、今は細い枝のよう。前々から状態を知ってはいたものの、やはり逝くのは早すぎると叫びたいが、それを一番に思っているであろう父は何も言わない。今この場には、父と母、彼方、瑠璃、そして時雨しかおらず、雪の静寂に閉ざされた家が母の最期の場所となろうとしている。本当はもっと大勢で囲んであげたい。自分の子供達と夫も連れて来たかったが、自分達だけで送り出してほしいという母の願いの為、瑠璃は二羽いる子供と夫を置いてきた。兄も同様に、妻子を連れてきてはいない。それは、まだ幼い孫達に死を感じ取らせるのは酷だという、実母を看取った母の経験上での判断らしかった。
父の指が母の髪をサラサラと梳る。最後の一呼吸、鼓動の一拍を見逃すまいとしている蒼い瞳はひどく優しいもので、普段から母に注ぐ眼差しと何ら変わらない。自分達にとって、見慣れた風景がそこに在るだけ。
徐々に白み始めた山際に、母の吐息も細くなっていく。やがて瞼も下ろされて、胸の上下も緩やかになったのが分かる。言おうと思っていた言葉が胸につかえたように出てこない。あれだけ感謝を伝えようとしていたのに、聞こえてくるのは自分の嗚咽だけ。瞬いても滲むばかりの視界には父母が重なっているように見え、端に映る兄の肩も小刻みに震えていた。本当に、蜉蝣のような母。
男は口元を緩め、小さく開いたものの、また閉じた。何も言の葉を交わさず、想いを込めて愛しい妻の顔へ唇を寄せる。
人と清御鳥の織り成す平らかな世。その礎を築いた小毬は冬の朝焼けの中、口づけと共に愛する男の腕の中で儚くなった。彼女は、最期まで美しかった。
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みんなの感想(4件)
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1000文字以内って言われた(・・、)連投ごめりんこ。
ネタバレするので、承認しないか、ネタバレボタンで隠してくださいね。
いやー、長かった(・∀・;)こりゃ2月中に他の方は回れないかな、と諦めつつ読み始めたら止まらない止まらない。
ボッボの大好きな監禁○姦ってのはヒーローヒロインをくっつけようとすると長くなるんすよね。
でないと頭おかしなチョロインになっちゃうので。
下地に烏京たんの獣人に両親殺された経験があって、小毬たんは小毬たんで人間に迫害され続けてきた種ですやん? 完全に解体する気満々の処刑人に監禁○姦されてるんすよ?
10万字やそこらでくっついたら逆にホラーっすよね!
でもお互い孤独すぎて、惹かれあっちゃう。晩霞さん作中で悪役(百舌だっけ?)に言わせてますね、洗脳だと。
ある意味洗脳なわけですけど、外の世界は常に殺される危険があって、種族は滅びていて、母親以外との触れ合いが無いという背景があるわけですよ。
自分を殺さない人間ってだけでもヒロインが心を許してしまう要素になるんやなと、ボッボは納得しました。
また烏京たんが真鶸たんや真砂たんたちから指摘されるまで、保護するのは義務で、愛だと気づいてない辺りは、自分でも認めたくないのかな、と思いました。
それだけ酷いことをした自覚があるんやなと。
それでも小毬たんを手放せないワガママ烏京たん。真砂にめっちゃなじられても、大人しく言われるがままですな。
(・・、)ま、あのままめでたしめでたしだったら納得できなかったので、真砂たんにブチ切れてまらえてグッジョブでした!
この拗れに拗れた2人をくっつける苦労、お疲れ様です。
あ、あと胡餅美味そう。
あの、怒らないでね。
∥д・)
びょるるるるる(短め)
ま、まさか読んでくださっていたなんて……お名前を2度見してしまいました……しかもこんなにも沢山のお言葉をありがとうございます!
初めて書いた小説で、登場人物(特に烏京たん)に振り回されて大変でした。プロットなんて無くて、頭の中で勝手に動いて。濡れ場なんか烏京たん、止めてくれないんですよ。
「これ以上は小毬が死んじゃうからっ……!一体いつまで繋がって……!?」
って何度も思いました。実は体格差、半端ないのですよ……最後まで奴の手綱は握れなかったです……。
私は烏京たん大好きですが、完全な善人にする気はありませんでした。やっぱり誰かに烏京たんを一喝させたいと思い、真砂たんに登場してもらいました。
愛に気づかせる部分は書いていて非常に楽しかったです。真砂たんと真鶸たん、良い仕事をしてくれました!
これは決して大衆向けではないので、認められることは少ないのだろうなと覚悟しておりましたが、ご感想に感謝しかありません(泣)
烏京たんと小毬たんの長い歩みと生み出された「形」。
貴重なお時間を削って見届けてくださり本当にありがとうございました……!
ご感想ありがとうございます!
アルファさんの求める恋愛小説とは違いますが、一か八かの出陣です……恐ろしや……。
そうなのです。鷹の爪と青紫蘇が入ったお出汁に茄子の甘味は絶品なのです!!じゅわぁとしています。
日々忙しい二人にあの頃の時間をまた過ごさせてあげたいという思いで書きました。このあと程良く酔いが回って寝台へ行きますが……さて、どうなることやら……(うふふ)