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第四章

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「それにしても、死んだじじいもいい物を遺してくれた」
「死んだ、じじい? 黒田は死んだのかい?」
「そうです。だからこれが俺の手にあるんでしょう」

 当たり前だと言わんばかりの黒田の態度。けれど、それは香澄も思う。黒田の祖父が持っていた弥生の遺言状であれば、亡くなったから次の世代へと受け渡された。それの何が気になるのだろう。

 けれど、その疑問に答えを与えてくれるわけではなく、杉下はさらに質問を続けた。

「黒田が亡くなったと言ったが、日付を教えてもらってもいいかな」
「日付ですか? 九月十三日ですが?」
「おばあちゃんの亡くなる、二日前……」

 香澄の呟きに、杉下は静かに頷いた。

「それならこの遺言状は無効だ」
「はっ? どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ」

 取り乱したのは黒田だけではなかった。周りで聞いていた人達も「どういうことだ?」「意味がわからない」と口々に言っているのが聞こえてくる。

 そして香澄にも、何が起きているのか理解が追いついていなかった。

「ちゃんと説明してもらえませんか?」
「そうだね。受遺者、この場合だと君のおじいさんのことだね。その人が今回であれば弥生さんよりも一日でも早く亡くなってしまった時点でこの遺言の効力はなくなるんだ。逆に一日でも遅ければこの遺言状は効力を発揮していた。君がここを相続する権利を持っていたんだよ」

 つまり、遺言状による相続人の黒田祖父が弥生よりも先に亡くなったか、後に亡くなったかで遺言状の効力が変わってくるという話らしい。

 と、いうことは。もしかして。

「私、この家を出なくて、いいんですか?」
「ああ、そうだよ」
「っ……!」
「香澄さん!」

 思わずその場に座り込んでしまいそうになる香澄を、慌てて青崎が支えてくれる。「ありがとう」と礼を言いつつも香澄の視線は黒田に向けられていた。 

「なんですか、それ」
「そういうルールなんだ」

 杉下の言葉に黒田は激高するかに思われた。ここまで来て全てをひっくり返されたのだ。腹立たしくないわけがないだろう。

 けれど、意外にも黒田は落ち着いた口調で「そうですか」と呟くだけだった。

 そもそもどうして黒田はレインボウを、そして香澄の自宅を譲り受けようと思ったのだろう。

 いや、そりゃあ遺言状でもらえると書いていたのだから受け取るのは変ではない。けれど、今まで何度も交渉した家賃を払うから住まわせて欲しいという案すら却下だったのだ。潰して何かを建てるつもりだったのだろうか。こんな商店街の端に? 安心したと同時に色々な疑問が湧いて出る。

 それは香澄だけではなかったようで、杉下も「黒田君」と声をかけると口を開いた。

「君はもしかして黒田と、おじいさんと仲がよくなかったのかい? だからここをめちゃくちゃにしたかった。違うかな」
「え?」

 どういう意味だろう。仲がよくないことと、この店を譲り受けること、それも杉下曰くめちゃくちゃにすることにどう繋がりがあるというのだろう。けれど黒田は肩をすくめると鼻で笑った。

「仲がいい? あいつのせいでうちの家族はめちゃくちゃになったんだ。あいつだけじゃない。こいつのばあさんのせいでもある。なら俺にだってやり返す権利があったっていいだろう?」
「おばあちゃんのせい? どうして……」
「……うちの母親の両親はずっと冷めきっていたんだ」

 黒田は吐き出すように話し始めた。

「何でだと思う? じいさんが外に女を作っていたからだ。そのせいで母親は苦しんできた。幼いながらに母親を泣かせるじじいを嫌悪していたよ。お前のばあさんのこともな」
「嘘……」
「だからじじいが死んであの遺言状を俺が引き継ぐこととなったとき、これはチャンスだと思った。俺らの家族をめちゃくちゃにしたお前の家を、今度は俺がめちゃくちゃに仕返す番だってな」
「もしかして、お母さんは」

 杉下が黒田を気遣うように言葉をかける。黒田は顔をしかめると目を逸らし答えた。

「生きてるよ。ただ相続の関係で俺は祖父の息子ってことになってるから、これを受け取る権利があっただけだ」
「ならよかった」

 どういうことかと香澄が思っていると隣にいる青崎が早口で説明してくれる。

「普通は遺言状でもない限り孫が相続することはありませんから。可能性としてあるのはあの人のお母さんがすでに亡くなっていて世襲相続となっていたのでは、と考えたんだと思います」
「詳しいんだね」
「最近、ちょうど授業でやったんです」

 授業。そういえば青崎がいったい何の学科に通っていてどういうことを選考しているのか、香澄は全く知らない。今まで知ろうともしなかったし、興味を持つこともなかった。

 隣に立つ青崎の姿を気づかれないように見上げる。

 ……この一件が落ち着いたら、少し話をしてみるのもいい、かもしれない。
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