クズ男はもう御免

Bee

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45 過去と今

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 暗い中、草の上で抱かれたままでいると、なんだか小屋に戻ってきたような錯覚に陥る。
 
 風の音が耳をくすぐり、少し湿った草木の匂いは、小屋の外の長椅子で昼寝をしているときに感じたものと同じものだ。
 
 なんだかとても気が休まる。

 しばらく目をつむっていると、ハクラシスが背後から起きているのを確かめるように目元を指で撫でてきた。
 
「——出兵の日が決まった。しばらくは本当に会えなくなる。一人にするが大丈夫か」
 
「大丈夫ですよ。俺は部隊でうまくやれてます」
 
 目元に置かれた手を、レイズンは両手でキュッと握って引き寄せる。
 
「……それならいいが。そういえば最近は親しくしている者がいるようだな。あと仕事も手を抜き始めたらしいな。怠け癖が出ていると聞いたぞ」
 
「ひょっ!? だ、誰から……!」
 
「部隊長だ」
 
「な、なんで!?」
 
「あいつは俺の元部下だからな。こっそりレイズンの動向を報告するように言ってある」
 
 レイズンの口から「ひえっ」という小さな悲鳴のような声が出た。
 
 会えなかった間、ハクラシスだけはレイズンの行動を把握していたというわけか。
 レイズンは寂しくても我慢していたというのに!
 
 レイズンがズルいとか部隊長殿めなどと心の中で悪態をつきながら、あーとかうーとか口の中でモゴモゴと言い訳に困っていると、ハクラシスがふっと笑った。
 
「怒ってなどいないから落ち着け。お前は小隊にいた頃から真面目ではあったが、いささかやる気にムラがありすぎる。——ん? なんだその顔は」
 
 レイズンがギョッとした顔で振り返ったので、ハクラシスが目を丸くさせた。
 
「……え、いや、小隊長殿から小隊にいた頃のことが聞けるなんてと思って……」
 
 レイズンはそのままゴロリと仰向けになり、首だけをハクラシスに向けた。
 
「……ああ、そうだな。俺はあまりお前たちとは交流をしてこなかったからな。指導もおざなりで、好き勝手やらせていたから、放置していると思われていたかもしれんが……一応全員のことは見ていたつもりだった。だが——」
 
 そこでハクラシスは一旦言葉を止めた。
 そして自分を見つめるレイズンの頬をそっと撫で、少しだけ顔を歪ませた。
 
「……? 小隊長殿?」
 
「——俺はお前に謝らなければならない」
 
「え?」
 
 レイズンはキョトンとした。ハクラシスに謝って貰うことなどあっただろうか。
 
「あの事件のことだ。……あの頃、お前たちは手柄をたて俺にいい所を見せようと躍起になっていたな。だが俺は一辺倒のやり方で押さえつけ、話を聞いてやらなかった。あの時もっと俺がお前たちの言い分に耳を傾け、無茶をしないように気をつけておくべきだった」
 
「……小隊長殿それは——」
 
 それは違う。全ては自分たちが上官の命令を守らず、勝手な行動に出たのが悪いのだ。
 ハクラシスのせいなどでは決してない。
 
「いや、俺のせいだ。俺が部下の行動を把握できていなかったせいで、戦でもないのにあの日四人もの部下を一度に失うところだった。本当はもっと迅速に救出できるはずだったんだ。お前たちが路地に消えたという報告も、実はリヒターたちからすでに上がっていたというのに」
 
「……リヒターが?」
 
 リヒターたちのチームとはその頃別行動していたはずだった。それなのになぜ——
 
「リヒターはお前たち——特にラックが俺に反発し、勝手な行動をとり始めたことを心配していた。だからあの日お前たちのチームの行動を密かに監視していたらしい。お前たちが路地に消え、悲鳴が聞こえた段階で何かが起こったと察知したリヒターは、慌てて俺の元に駆け込んできた」
 
 まさかリヒターが俺たちの行動を見張っていたとは思いもしなかった。
 
「……リヒターは助けに行かなかったことを後悔していた。本当は路地の奥へ確かめに入ろうとしたらしいが、パートナーのレンに止められたと言っていた。レンが路地の入り口を見張り、リヒターが俺を呼びに来た。だが……あの中は入り組んでいて、警備兵もお前たちが報告書にあげていた娼館を見つけられなかったんだ。路地の中で迷い、やっと諜報部隊と落ち合い、そこでようやくあの古い娼館を突き止めたんだ。あの時お前たちともっと会話をしていれば、娼館の場所を事前に突き止められていたかもしれなかった。そうすれば——」
 
 そうすればレイズンはあんな辱めを受けずに済んだかもしれない。
 
 ハクラシスは言葉を詰まらせ、「本当にすまなかった」と苦しそうに声を絞り出した。
 
「……俺は…………」
 
 こんな時何を言えばいいのだろうか。
 許す? それとも許さない?
 ——いや許すも許さないもない。
 
 すべてはただの『かもしれない』という結果論にすぎないのだ。
 
 ではすぐに娼館を探して当てていたらレイズンは助かったのだろうか。
 
 もしかするとリヒターがハクラシスを呼びに行っている間に殺されていた可能性だってある訳だし、本当に助かったかどうかなど分からない。
 
 ——それにこれはもう終わったことなのだから、今更振り返る必要はもうないのだ。
 
 レイズンの心についた傷は、奥のほうではまだ血が出て膿んではいるけれど、表面はきれいに癒えている。
 
 そしてそれを癒してくれたのは他の誰でもない、ハクラシスその人だ。
 レイズンがハクラシスから貰いたいのは謝罪なんかじゃない。
 
 
「——小隊長殿が俺を好きになった理由は、俺がかわいそうだからですか? それとも責任感から?」
 
 レイズンはハクラシスの目をじっと見つめた。
 
「……お前と同居を始めた理由は、そのどちらもだ。だが、お前を好きになった理由は違う。お前と毎日一緒に過ごして俺の生活は豊かになった。生きる気力をなくしていた俺に活力を与えてくれたのはお前だ。お前が笑うたび、俺の心も軽やかになり、気持ちが華やいだ。お前がかわいくて仕方がなかった」
 
「へへへ」
 
 レイズンは顔面一杯をくしゃくしゃにして笑った。
 
「今はどうですか?」
 
「今は……そうだな。愛しくてたまらない。お前がいればそれだけでいい。お前のまずい飯を食べて、一緒に狩りにでも行ければ俺は幸せだ」
 
「ま、まずい飯はヒドイですよ!」
 
「よく卵や野菜が焦げてる」
 
「それは小隊長殿が作っても同じでしょう!」
 
 はははと笑ってハクラシスがレイズンの振りあげた拳を受け止めた。
 二人はそのまま絡みあうように笑いあって、それから長い口づけを交わした。
 
「そろそろ戻らねばならないな」
 
「もう?」
 
 とはいえ確かにもうかなり夜も深い。
 寮も裏からこっそり入らなければならない時間だ。
 
「明日は出立の準備をして、それから出る。俺たちが抜けた後、騎士団は人手が足りなくなるだろう。お前たちに負担をかけるが、しっかりやってくれ。計画ではひと月もしないくらいで戻れる予定だ」
 
「分かりました。ご武運をお祈りしています。……でもあんまり無茶しないでくださいよ」
 
「アーヴァルもいるから大丈夫だ」
 
 ハクラシスはなんだかんだと言って案外とアーヴァルのことを信用している。
 
 二人の間にはレイズンには分からない絆のようなものがあるのだろう。
 
(でもそういえばアーヴァル様といえば……)
 
 レイズンはふとあの・・騒ぎのことを思い出した。
 
「アーヴァル様との喧嘩! あれはどうなったんですか!?」
 
 いい雰囲気で別れのキスをしようと体を起こしたハクラシスが、ギョッとして目を丸くした。
 
「あ、ああ……。あの騒動のことか。まあ、いろいろあってだな。とりあえずは噂通りと思っていてくれればいい。仔細はまた戻ってきてから話そう」
 
「えーーーー!」
 
 せっかく本人から詳しく聞けるかと思ったのにと、レイズンはがっかりした。
 一体二人に何があったのか。レイズンの中で謎は続く。
 
「でも仲違いしたままって、その、部隊の統率とか大丈夫なんです?」
 
「ああ、そのへんは心配ない。いつも通りだから安心しろ。なるべく早く片付けて戻ってくる」
 
 ハクラシスは本当に何事もないかのようにしれっとしている。
 
 いささか不安ではあるが、ハクラシスがそういうのなら大丈夫なのだろう。
 
「……本当無茶だけはしないでくださいよ」
 
「ああ。行ってくる」
 
 ハクラシスはレイズンの頬を両手で包み、じっと見つめると、ゆっくりと口づけを交わした。
 
 
 
 ーーーー
 
 
 
「お、もう出立か」
 
 出発式が終わり、王城に高々とラッパが鳴り響いた。その音を合図に、討伐部隊が次々と城門をくぐり抜けていくのを見て、城壁の上で見物していたライアンがつぶやいた。
 
「……ああ、いよいよだな」
 
 その横ではレイズンもまた、仕事そっちのけでその光景を食い入るように見つめていた。
 
「お、あれ団長と閣下じゃないか」
 
 先頭の歩兵部隊が過ぎ、しばらくするとマントを翻し騎乗する者の姿が見えた。あれは見まごうことなき騎士団長であるアーヴァルだ。
 彼は体も大きい上、騎士団長しか身につけることを許されない緋色のマントのおかげで目を引く。
 
 そしてその隣にいるのは、おそらくベイジルとハクラシスだろう。
 ハクラシスも短いマントを羽織っているのか、背中側でヒラヒラと何かが動くのが遠目で見える。
 
 堂々たる出陣だ。
 
「くっそー俺も参加したかったぜ! 次は絶対に選ばれて見せる!!」
 
 ライアンが行軍に興奮したのか、鼻息荒く叫んだ。
 
「——俺もだ」
 
 国同士の戦ほど危険ではないものの、それでも魔獣相手では何が起こるかは分からない。できれば近くにいて、助けになりたかった。
 
 レイズンは小さくなっていく行軍を見つめながら、ハクラシスの無事を祈り、弓を強く握りしめた。
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