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第一章 輪廻のアルケミスト

第53話 兎の追跡者

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 単身で父を助けに行った僕は、感謝と叱責を同時に受け、生まれて初めて母に叱られた。その叱責は、不思議なことに僕自身のみならず両親にも向けられていたのが、いかにも母らしく、叱られているのに温かな想いを感じたのは貴重な経験だった。

 父は軍の病院で精密検査を受けることになったが、特に大きな問題もなく、翌日には三人で食卓を囲むことができた。

「リーフのおかげで、こうしてまたナタルの美味しいごはんが食べられる。本当に感謝だな」

「……それはそうですけど、あんなことは本当にもう御免ですよ」

 そう話す両親の笑顔を見ると、心からの安堵を感じる。他の人間は信用ならないと思っていたはずの僕にそう思わせてしまうなんて、改めて凄い夫婦だ。

「……ありがとうございます。父上、母上」

 二人の笑顔を見ているうちに、感謝の気持ちが溢れてこの言葉が口を突いて出た。二人は本当に僕のかけがえのない両親だ。リーフは、紛れもなくこの二人の子供なのだ。

「ありがとうは、私の方よ。……ありがとう、リーフ。一人で嵐の中を飛び出したと知った時には、本当に生きた心地がしなかったけれど」

 母はそう言って僕の手を取り、確かめるように握りしめた。その上に父の手が重なる。

「でも、今、我々はこうして生きている。リーフには感謝してもしきれない」
「ええ――」

 頷く母の目から一筋の涙が零れる。良く見れば父の目も潤んでいた。大人の、しかも男の人が泣くところを見たことがなかったので驚いたが、いつしか僕の目も涙で滲んでぼやけてしまった。

 僕が涙もろいのは、この両親の遺伝なんだろうな。


◇◇◇


 嵐が去り、平穏な日常が戻った数日後――。

 僕は錬成に成功したダークライトと、儀式に必要な水銀を用意して再び街の外の森を目指した。水銀はエーテルの影響を受けず、魔法陣を書くのに最も適している素材だ。古くから錬金術では水銀が広く用いられており、流体でありながら金属という特徴を僕も便利に使っていた。

 儀式を急ぐ理由は、ダークライトの結晶をいつまでもそのままにしておきたくないということもあったが、先日の嵐の一件もあり、魔導書『真なる叡智の書アルスマグナ』を早く手許に戻したいという想いが強くなった。調べ直したが、真理の世界に行くことも、恐らく自ら記した魔導書を手に取ることもこの世界では禁忌ではない。単純に、錬金術師たちの目指す方向性が変わっただけのことだ。

 だが、念のためアルフェを巻き込むのは避けた方が良いと考え、適当な用事をでっちあげて誤魔化した。そうして僕は、アーケシウスで単身、街の外に出たはずなのだが――。

「リーフ、みっけ!」
「アルフェ!」

 何故か街の出口でアルフェが待っていた。

「どうしてここに……?」
「リーフがダークライトをあーけしうすに乗せてるのを見たから。アルフェのこと、置いてくんじゃないかって……」

 出発前の点検整備をアルフェは見学していたけれど、まさかそんなところまで見ているとは思わなかった。

「ねえ、リーフ。その『真理の世界』に一人で行っちゃうの?」
「……ああ、あっちは資格がある者しか入れないからね」

 詳しく話すと長くなるので、割愛してアルフェに伝える。

「でも、すぐに戻ってくるよ」
「本当に? いつ? なんじ?」

 やはり僕が向こうの世界に行って戻って来ないと思っていたようで、アルフェは疑い深く言葉を変えながら何度も繰り返し僕に尋ねた。

 儀式は一人で行うつもりだったが、アルフェには未知の領域だし、言葉だけで説明するのはどうにも限界がありそうだ。それに、ここまで巻き込んだからにはある程度は説明した方がいいな、と考え直した僕は、アルフェに同行を許可することにした。


◇◇◇


 アーケシウスの頭上、いつもの定位置でアルフェが鼻歌を歌っている。こうして遠出する時にアルフェの歌がついてくるのは、なんとも調子が狂うな。グラスの時には全くなかった習慣だが、ある意味で僕の中のグラスとリーフを切り替える基準みたいになっているのが面白い。それに、アルフェは歌が上手くて、耳に心地良いから儀式に伴う緊張感も和らぎそうだ。僕としては、転生しているとはいえ三百年振りの儀式という高揚感は否めないのだけれど。

「……ねえ、リーフ。あの兎さん、まだいるよ」
「ああ、群れからはぐれたのかな?」

 街を出たあたりから、シャトーラビットと呼ばれる小型の長い耳の魔獣がアーケシウスの後ろをついてきている。草陰にその姿を見つけたアルフェが、目ざとく指摘した。

「従機が怖くないのかな? ハンターに狩られそうだし、ここまで人懐っこいのも珍しい気がするけど」
「……そうなの?」

 僕の説明を聞いたアルフェが、アーケシウスの上で首を傾げている。

「シャトーラビットの肉はすごく美味しいからね」
「あ、そっか。聞いたことあるよ。すごく高級だって!」

 うっかり喋ってしまったけど、リーフとしての僕はまだシャトーラビットを食べたことがないんだった。街の生活にも慣れたから油断してたけど、街の外ではもっと気をつけないとな。

「へー、そうなんだぁ……」

 アルフェは僕の失言に気づいた様子もなく、そう言いながらシャトーラビットを見つめている。アルフェは肉より魚が好きだったけど、こういうのにも興味があるのかな。

「……食べてみたいの?」

 あまりにも真剣に見ている気がしたので、気になってアルフェに聞いてみる。アルフェは僕の発言に首を横に振ると、改めてシャトーラビットを凝視した。

「そうじゃなくて、なんだかこの兎さん、エーテルが身体よりおっきいなぁって……」
「エーテルが、身体より大きい……?」

 アルフェの浄眼は、一体なにを見ているのだろう。その発言の異質さに、僕の肌の表面は一気に粟立った。

「うん。……あっ、なんだか女の人みたいな形に見えるよ。兎さんになる前は、人間だったとかなのかな?」

 無邪気に答えるアルフェの言葉は、核心に迫っている。

 ――女神だ!!

 頭の中で警鐘が鳴り響いている。こんな時に、こんなところで女神と遭遇するわけにはいかない。

「アルフェ、ちょっと速度を上げるよ」
「え? あ、うん」

 相手がシャトーラビットならば、アーケシウスの最大速度で振り切れるかもしれない。さすがにアルフェが乗っているので噴射式推進装置バーニアは使えないけれど。

「掴まって」

 だが、速度を上げてもシャトーラビットは同じくらいの速さで荒れ地を駆け、明確に僕たちを追いかけてくる。最早隠す気などないらしい。一体なにが目的なのだろうか。
 そう考えながら懸命に足踏板を踏み続けていたその時。

「ああああっ!」

 アルフェの悲鳴が集音機を通じて操縦槽に響き渡った。こちらに向かってくるシャトーラビットが、むくむくと巨大化していく。その姿は小動物のような愛らしさからかけ離れ、赤い目の邪悪な魔獣としての本能を剥き出しにしていく。

「あいつの狙いは僕だ、アルフェ、逃げろ!」

 アーケシウスを追い越したシャトーラビットの姿に、アルフェは恐怖で声も出ない。だが、どうにか浮遊魔法でアーケシウスから浮き上がって上空に逃れてくれた。

「こっちだ、来い!」

 シャトーラビットは、アルフェには目もくれずに僕の操縦するアーケシウスを追いかけてくる。噴射式推進装置バーニアを起動させて移動しながら映像盤でアルフェを確認すると、高い岩場に逃れたころで気を失って倒れたのが見えた。

 巨大化したシャトーラビットのせいか、他の魔獣の姿は見えない。アルフェはとりあえず、あの場所にいれば安全だろう。

 ――問題は、僕だ。

 僕が無事でなければ、街から離れたあの場所からアルフェを連れ帰ることができない。女神の目的がなんであれ、僕は絶対に生きてアルフェとともに街に帰らなければならないのだ。

「……どうすれば……。何が目的なんだ、女神……」

 心の声が苛立ちとなって零れる。その刹那、鋭い一風の刃がアーケシウスの脇を次々と抜けていった。

「あっ!」

 目の前の木々が次々と倒され、進路が塞がれる。急停止したアーケシウスの元に、シャトーラビットがゆっくりと迫ってくる。

「……ただの魔獣じゃないのはわかっているぞ……。僕に何の用だ、女神?」

 僕の問いかけに、巨大化したシャトーラビットから穏やかな女性の声が応じる。

「久しぶりですね、グラス」
「その声――アウローラか?」
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