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王子とマイア
②国王の苦悩
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アリスの実家であるハリス男爵家に血相を変えて押しかけてきたのは、ウ゛ァレンタイン公爵家の長男で、婚約者でもあるレオンだった。愛するアリスが、昨夜王家に戻ったまま、帰ってこないという連絡を聞いて、駆け込んだのだ。
「どういうことですか、ハリス男爵。アリスが王宮から帰ってこないというのは?」
「それが、王家に食事に招待されて、出かけたまま戻って来ないのだ」
娘を思い、心配で眠れなかったのだろう、目の下にクマを作り、オロオロと心配する父親の姿がそこにあった。
「すぐに、王宮に行ってアリスを連れ戻しましょう。さぁ、すぐに」
レオンは、男爵の手をとって、乗ってきた馬車に引っ張っていく。
レオンには、王宮と聞いて、嫌な予感しかなかった。王子の女癖の悪さは有名である。自分の気に入った女は、権力を笠に着て、自分の女にしてしまう。婚約者のアリスは、絶世の美女として名高い。そんな彼女を王宮に呼んで、何もしないはずがないのだ。
アリスは、そもそもなぜ、王宮に行ってしまったのだ。もし、事前に聞いていたら、何が何でも阻止したのに。レオンは、悔しさに唇を噛んだ。
(頼む、アリス。無事でいてくれ)
レオンは、男爵とともに馬車に乗ると、先日贈ったばかりのペアリングをつけた指を見つめた。
「あのときだ。あのときオレが気付いてさえいれば……。くそ、くそ。オレはなんて愚か者なんだ」
レオンは、男爵が向かい側に座っているのも構わず叫んだ。
婚約指輪としてリングを贈ったのは、わずか三日前のことだった。
公爵家の中庭で本を読んでいる
季節は初夏なのに、すでに夏真っ盛りといってもいいぐらい気温は高く、雲一つない青空は清々しさを感じた。新緑が濃さを増し、日光をいっぱいに浴びた木々が、夏に向けて躍動し始めている。
日差しを避けて、公爵家の中庭の木陰で読書をしていたのだが、知らず知らずに額には汗が浮いていた。「今日は暑いな」と呟いていると、侍女が、気を利かせて飲み物を運んできた。それを口に含むと、待ち人の愛しい声が聞こえる。
「レオン様。遅くなってすみません」
時計を見ると、訪問すると告げていた時刻きっかしだ。だが、普段は必ず早めに来るアリスにしては、珍しいことといえる。
そんなことよりも、アリスの美しさに、暑さが一瞬で吹き飛び、息をするのも忘れそうになる。逆光で光に包まれた中に、彼女はいた。
眩いばかりの美しい金髪が、爽やかな風に揺れている。吸い込まれそうなほど美しい瞳に、目が離せなくなる。美しいだけでない。潤んだような熱っぽい瞳が、レオンの心を惹きつけて止まなかった。
「時間通りだよ。それに、少しぐらい遅れてもぼくは気にしないよ」
レオンは、照れたように目を反らした。アリスとは、学院時代から付き合いだ。これまで長い付き合いがあったにも関わらず、新鮮な気持ちでいられるのは、アリスへの恋心に気付いたのが、ごく最近だったからだろう。
あまりに近くにいすぎて、アリスの存在が当たり前のように感じていた。だが、アリスが社交界にデビューし、脚光を浴びるようになると、同級生という気安い関係から、一気に遠くなったような気がした。
学院では毎日顔を合わせていたのに、卒業すると頻繁に会うということもできなくなる。そんなときに、アリスが、いかに自分にとって大切な人だったのかを骨身に染みるようになっていた。
アリスへの思いに気付いてからの行動は早かった。アリスには、たくさんの婚姻の申し込みがあったことはすでに知っていたからだ。レオンは、アリスにプロポーズをした。
アリスは、一瞬驚いたような顔をしたが、満面の笑みを浮かべ、差し出したレオンの手をとった。レオンは歓喜し、その勢いのまま、男爵家に結婚の承諾をもらいに二人して向かった。男爵は大喜びし、レオンとアリスの婚約を大々的に、発表したのだった。
それからは、レオンにとって夢のような幸せな時間だった。彼女の可憐な唇からつむぐ言葉一つ一つに心が躍った。事故のような身体の触れ合いも、意図せずに手と手がつながった瞬間でさえ身体が熱くなった。
(ぼくは、もう君に夢中なのだから)
申し訳なさそうにして、椅子に座るアリスに心の中で呟いた。
「暑かっただろう?飲み物でもいかが?」
そう言うと、侍女が、タイミングを計ったように、アリスの前に冷えた飲み物を置いた。公爵家の侍女だけに、よく鍛えられている。
「ありがとうございます。もう真夏のような暑さですね」
急いで来たのだろう。よく見れば、アリスの額にも汗が流れ、やや息も荒く感じる。飲み物を口に含むと、ほっと一息入れる。
「ふぅ~、生き返りました」
「ずいぶん急いで来たようだけど、何かあったのかい?」
すると、アリスの顔が急に強張ったように見えた。おやっと違和感を感じたが、口にはしなかった。
「えぇ~、急に来客があったものですから」
訪問者が誰だったのか興味はあったが、あまり詮索するのもどうかと思い、レオンは、本題に話をかえることにした。
「だったら、あまり無理に急がなくてもよかったのに」
レオンは、にこにこして立ち上がると、アリスの座る椅子の後ろに立った。そして、ポケットから小さな小箱を取り出した。
心臓が、ドクンドクンと早鐘のように鼓動を打つ、手には緊張のためか、汗ばんでいた。
「どうかされました?」
不思議そうにアリスが、首を傾げた。それが何とも言えず愛らしく、ただでさえ赤い顔が、さらに赤みを増した。
「アリス。手を借りるよ」
手がかすかに震える。アリスの手に触れると、アリスの身体がピクッと反応した。小箱からリングを取り出すと、アリスの指に嵌めた。白魚のように細く白い指に、光輝くリングは、とてもよく似合っていた。
「こ、これは……?」
アリスは、驚いた顔で、指に嵌められた指輪を見つめた。
「婚約指輪だよ。ぼくも同じものを着けている。これで離れていても、心は繋がっているね」
レオンの指にも、同じ指輪が着けてあった。
「あぁぁぁ、レオン様。わたし、とても幸せです」
アリスは、レオンに抱きついていた。これ以上ないというくらい幸せな顔で。
「ぼくもだよ。アリス。愛している。心の底から君を愛しているよ」
「わたしも。わたしもレオン様を愛しています」
二人が抱き合う姿を、侍女達は微笑ましいものを見るかのように、温かく見守っていた。
それなのに、翌日には、王宮に行き、帰ってこないという。おそらく、急に来た客というのは、王宮からの使者に違いない。あのとき、あきらかにアリスの様子はおかしかった。
(待っていろ、アリス。必ず助けてやる)
精一杯飛ばしている馬車のスピードでさえ、まるで止まっているように感じた。苛立ちと怒りで、レオンは今にも爆発しそうだった。
エイジス国の玉座に座る国王は、宰相の話にじっと耳を傾けていた。息子であるオースティン王子が、また婚約者のある女性をレイプし、いまだに王宮の一室に監禁しているという。これがまだ庶民や使用人であれば、なんら問題はなかったが、これが貴族となればそうはいかない。しかも婚約者は公爵家である。
「男爵家と公爵家が猛然と抗議に訪れ、国王陛下との面談を希望しています。このまま無視し続けるのも、社交界で注目を浴びていたアリス様のことですので、難しいかと思います。また、貴族に動揺が走り、王家への不信を生むものと考えます」
国王は、はぁーっとため息をつくと、力なく宰相に問うた。
「で、そちは、どのようにすればいいと思う?」
切れ者と評判の宰相は、かけている眼鏡を人差し指で触れた。考えを整理し、思考を集中するとき宰相の癖である。
「アリス様を側室にするしかないでしょう。マイア様との結婚も控えていますので、同時に挙式を行ってもよろしいかと思います」
「それで、公爵家と男爵家が納得するかな?男爵家はいいとして、公爵家の長男は、かなりアリスに執心と聞く。恋にとち狂って、また面倒をかけることはないだろうか?」
「それならば、正室にすればいいかと思います。貴族に生まれたからには、自分の思い通りに結婚できないことは分かっているはずです。男爵家の娘を王家の正室にすると言えば、何も言われませんよ」
宰相の瞳の奧にどす黒い闇が広がる。
「それでは、アルバーン公爵家が黙っていまい。アルバーン公爵家は、この国で王家の次に力があるところだ。王家から干渉できず、税の支払いも免除された独立した貴族と考えれば、王家と対等と言える。
今回マイアと息子が婚約したのも、王家の力を高めるためでもあるのだ。それを破談にするようなことはできない。それに、息子の女癖を直すには、マイアぐらい豪傑であった方が良いと考えるのだ」
「マイア様の姉ローラ様が、ガウスト伯爵との婚約が決まっていたのにも関わらず、婚約を破棄させた一件ですね。そのまま結婚していれば、エイジス国西側は、ガウスト伯爵とローラ様が実権を握っていたはずです。
ところが、アルバーン公爵家を自分のものにするために、姉を追い出し、隣国のソート国の王子に嫁がせた。そのときに、国王様に直訴してきたと聞いています」
「あの娘は、悪か正義かは知らんが、強い信念をもっている。何者にも曲げられない強い信念がな。それになぜかは分からないが、あの娘が、この国の将来を握っているような気がしてならないのだ。だから、あのとき、あの娘を自分の味方につかせるべきと考え、息子との結婚を条件にした」
「国王陛下。姉のローラ様が、いかにマイア様を恨んでいるか噂を聞いていますでしょう?マイア様は、悪女にございます。そばにいれば、必ず災いとなりますでしょう」
「悪女……?あの娘が……?」
「そうにございます。ですから、アリス様を正室に迎えれば、問題は解決するでしょう。マイア様に関しては、わたしに考えがあります」
「そちに……?」
「はい。今回の問題は、王子が起こしたものですので、王子に解決させればいいかと思います。今後この国を引っ張っていく王子にとって、きっと大きな転機になるかと。万事わたくしにお任せ下さい」
「分かった。そちに任せよう」
宰相は、国王に背中を向け出口へ歩みながら、口角を上げた。
「アリスが王宮から帰らないとはどういうことです。納得できる理由を話して下さい」
王宮に来たレオンと男爵は、国王へのとりなしを宰相に頼み、別室で待機していた。しばらく待って、やってきた宰相の第一声が、「アリス様はしばらく王宮でお過ごしになります」だった。
宰相に今にも掴みかからんばかりの勢いで、レオンは、そう怒鳴った。
「言葉の通りです。アリス様は、昨日から皇太子の正室としてふさわしい教育を始めました。近いうちに、正式に発表することになります」
「皇太子の正室……?そんな馬鹿な。アリスは、ぼくの婚約者だぞ。そんな勝手なことが許されると思っているのか」
「これは国王陛下の意向です。許すも何も国王陛下が決められたことに反旗を翻すということでしょうか?」
「なっ、国王陛下が……?」
レオンは、国王の意思と聞いて、絶句した。
「宰相殿。反旗を翻すというのは大袈裟でございます。ただ、婚約者が、急に皇太子の正室になったから、諦めろと言われても納得できないと言っているに過ぎません。娘は?娘のアリスは何て言っているのでしょうか?」
ショックを受けているレオンに代わって、男爵が話を続けた。
「もちろん喜んでいます。今も皇太子の正室にと励んでいることと思います」
「そんなことあるか。アリスが……アリスがそんなこと言うはずがない。一昨日だってぼくを愛していると言っていたのだ」
「何を言われようとそれが事実でございます。わたしも忙しい身ですので、このままお帰り下さい」
「ふざけるな。自分の目で確かめるまで帰れるか。もういい。アリスのところへ行く」
レオンは、王や王子の部屋のある方へ進もうとする。
「近衛兵。国王への反逆の意思ありとして、引っ捕らえろ」
宰相の声が響き渡ると、近くにいた屈強な兵士達が、あっという間にレオンと男爵を拘束した。
「な、何をする。離せ、離すんだ。アリスに……アリスに会わせろ」
「お願いです、宰相殿。レオン様の願いを叶えていただけないでしょうか」
宰相は、二人の声を無視して、「牢へ入れておけ」と冷たく言い放った。兵士達は、二人を軽々と持ち上げ、奧へと引き連れていった。男爵とレオンの叫び声が、王宮の長い廊下で悲しく響いていた。
「どういうことですか、ハリス男爵。アリスが王宮から帰ってこないというのは?」
「それが、王家に食事に招待されて、出かけたまま戻って来ないのだ」
娘を思い、心配で眠れなかったのだろう、目の下にクマを作り、オロオロと心配する父親の姿がそこにあった。
「すぐに、王宮に行ってアリスを連れ戻しましょう。さぁ、すぐに」
レオンは、男爵の手をとって、乗ってきた馬車に引っ張っていく。
レオンには、王宮と聞いて、嫌な予感しかなかった。王子の女癖の悪さは有名である。自分の気に入った女は、権力を笠に着て、自分の女にしてしまう。婚約者のアリスは、絶世の美女として名高い。そんな彼女を王宮に呼んで、何もしないはずがないのだ。
アリスは、そもそもなぜ、王宮に行ってしまったのだ。もし、事前に聞いていたら、何が何でも阻止したのに。レオンは、悔しさに唇を噛んだ。
(頼む、アリス。無事でいてくれ)
レオンは、男爵とともに馬車に乗ると、先日贈ったばかりのペアリングをつけた指を見つめた。
「あのときだ。あのときオレが気付いてさえいれば……。くそ、くそ。オレはなんて愚か者なんだ」
レオンは、男爵が向かい側に座っているのも構わず叫んだ。
婚約指輪としてリングを贈ったのは、わずか三日前のことだった。
公爵家の中庭で本を読んでいる
季節は初夏なのに、すでに夏真っ盛りといってもいいぐらい気温は高く、雲一つない青空は清々しさを感じた。新緑が濃さを増し、日光をいっぱいに浴びた木々が、夏に向けて躍動し始めている。
日差しを避けて、公爵家の中庭の木陰で読書をしていたのだが、知らず知らずに額には汗が浮いていた。「今日は暑いな」と呟いていると、侍女が、気を利かせて飲み物を運んできた。それを口に含むと、待ち人の愛しい声が聞こえる。
「レオン様。遅くなってすみません」
時計を見ると、訪問すると告げていた時刻きっかしだ。だが、普段は必ず早めに来るアリスにしては、珍しいことといえる。
そんなことよりも、アリスの美しさに、暑さが一瞬で吹き飛び、息をするのも忘れそうになる。逆光で光に包まれた中に、彼女はいた。
眩いばかりの美しい金髪が、爽やかな風に揺れている。吸い込まれそうなほど美しい瞳に、目が離せなくなる。美しいだけでない。潤んだような熱っぽい瞳が、レオンの心を惹きつけて止まなかった。
「時間通りだよ。それに、少しぐらい遅れてもぼくは気にしないよ」
レオンは、照れたように目を反らした。アリスとは、学院時代から付き合いだ。これまで長い付き合いがあったにも関わらず、新鮮な気持ちでいられるのは、アリスへの恋心に気付いたのが、ごく最近だったからだろう。
あまりに近くにいすぎて、アリスの存在が当たり前のように感じていた。だが、アリスが社交界にデビューし、脚光を浴びるようになると、同級生という気安い関係から、一気に遠くなったような気がした。
学院では毎日顔を合わせていたのに、卒業すると頻繁に会うということもできなくなる。そんなときに、アリスが、いかに自分にとって大切な人だったのかを骨身に染みるようになっていた。
アリスへの思いに気付いてからの行動は早かった。アリスには、たくさんの婚姻の申し込みがあったことはすでに知っていたからだ。レオンは、アリスにプロポーズをした。
アリスは、一瞬驚いたような顔をしたが、満面の笑みを浮かべ、差し出したレオンの手をとった。レオンは歓喜し、その勢いのまま、男爵家に結婚の承諾をもらいに二人して向かった。男爵は大喜びし、レオンとアリスの婚約を大々的に、発表したのだった。
それからは、レオンにとって夢のような幸せな時間だった。彼女の可憐な唇からつむぐ言葉一つ一つに心が躍った。事故のような身体の触れ合いも、意図せずに手と手がつながった瞬間でさえ身体が熱くなった。
(ぼくは、もう君に夢中なのだから)
申し訳なさそうにして、椅子に座るアリスに心の中で呟いた。
「暑かっただろう?飲み物でもいかが?」
そう言うと、侍女が、タイミングを計ったように、アリスの前に冷えた飲み物を置いた。公爵家の侍女だけに、よく鍛えられている。
「ありがとうございます。もう真夏のような暑さですね」
急いで来たのだろう。よく見れば、アリスの額にも汗が流れ、やや息も荒く感じる。飲み物を口に含むと、ほっと一息入れる。
「ふぅ~、生き返りました」
「ずいぶん急いで来たようだけど、何かあったのかい?」
すると、アリスの顔が急に強張ったように見えた。おやっと違和感を感じたが、口にはしなかった。
「えぇ~、急に来客があったものですから」
訪問者が誰だったのか興味はあったが、あまり詮索するのもどうかと思い、レオンは、本題に話をかえることにした。
「だったら、あまり無理に急がなくてもよかったのに」
レオンは、にこにこして立ち上がると、アリスの座る椅子の後ろに立った。そして、ポケットから小さな小箱を取り出した。
心臓が、ドクンドクンと早鐘のように鼓動を打つ、手には緊張のためか、汗ばんでいた。
「どうかされました?」
不思議そうにアリスが、首を傾げた。それが何とも言えず愛らしく、ただでさえ赤い顔が、さらに赤みを増した。
「アリス。手を借りるよ」
手がかすかに震える。アリスの手に触れると、アリスの身体がピクッと反応した。小箱からリングを取り出すと、アリスの指に嵌めた。白魚のように細く白い指に、光輝くリングは、とてもよく似合っていた。
「こ、これは……?」
アリスは、驚いた顔で、指に嵌められた指輪を見つめた。
「婚約指輪だよ。ぼくも同じものを着けている。これで離れていても、心は繋がっているね」
レオンの指にも、同じ指輪が着けてあった。
「あぁぁぁ、レオン様。わたし、とても幸せです」
アリスは、レオンに抱きついていた。これ以上ないというくらい幸せな顔で。
「ぼくもだよ。アリス。愛している。心の底から君を愛しているよ」
「わたしも。わたしもレオン様を愛しています」
二人が抱き合う姿を、侍女達は微笑ましいものを見るかのように、温かく見守っていた。
それなのに、翌日には、王宮に行き、帰ってこないという。おそらく、急に来た客というのは、王宮からの使者に違いない。あのとき、あきらかにアリスの様子はおかしかった。
(待っていろ、アリス。必ず助けてやる)
精一杯飛ばしている馬車のスピードでさえ、まるで止まっているように感じた。苛立ちと怒りで、レオンは今にも爆発しそうだった。
エイジス国の玉座に座る国王は、宰相の話にじっと耳を傾けていた。息子であるオースティン王子が、また婚約者のある女性をレイプし、いまだに王宮の一室に監禁しているという。これがまだ庶民や使用人であれば、なんら問題はなかったが、これが貴族となればそうはいかない。しかも婚約者は公爵家である。
「男爵家と公爵家が猛然と抗議に訪れ、国王陛下との面談を希望しています。このまま無視し続けるのも、社交界で注目を浴びていたアリス様のことですので、難しいかと思います。また、貴族に動揺が走り、王家への不信を生むものと考えます」
国王は、はぁーっとため息をつくと、力なく宰相に問うた。
「で、そちは、どのようにすればいいと思う?」
切れ者と評判の宰相は、かけている眼鏡を人差し指で触れた。考えを整理し、思考を集中するとき宰相の癖である。
「アリス様を側室にするしかないでしょう。マイア様との結婚も控えていますので、同時に挙式を行ってもよろしいかと思います」
「それで、公爵家と男爵家が納得するかな?男爵家はいいとして、公爵家の長男は、かなりアリスに執心と聞く。恋にとち狂って、また面倒をかけることはないだろうか?」
「それならば、正室にすればいいかと思います。貴族に生まれたからには、自分の思い通りに結婚できないことは分かっているはずです。男爵家の娘を王家の正室にすると言えば、何も言われませんよ」
宰相の瞳の奧にどす黒い闇が広がる。
「それでは、アルバーン公爵家が黙っていまい。アルバーン公爵家は、この国で王家の次に力があるところだ。王家から干渉できず、税の支払いも免除された独立した貴族と考えれば、王家と対等と言える。
今回マイアと息子が婚約したのも、王家の力を高めるためでもあるのだ。それを破談にするようなことはできない。それに、息子の女癖を直すには、マイアぐらい豪傑であった方が良いと考えるのだ」
「マイア様の姉ローラ様が、ガウスト伯爵との婚約が決まっていたのにも関わらず、婚約を破棄させた一件ですね。そのまま結婚していれば、エイジス国西側は、ガウスト伯爵とローラ様が実権を握っていたはずです。
ところが、アルバーン公爵家を自分のものにするために、姉を追い出し、隣国のソート国の王子に嫁がせた。そのときに、国王様に直訴してきたと聞いています」
「あの娘は、悪か正義かは知らんが、強い信念をもっている。何者にも曲げられない強い信念がな。それになぜかは分からないが、あの娘が、この国の将来を握っているような気がしてならないのだ。だから、あのとき、あの娘を自分の味方につかせるべきと考え、息子との結婚を条件にした」
「国王陛下。姉のローラ様が、いかにマイア様を恨んでいるか噂を聞いていますでしょう?マイア様は、悪女にございます。そばにいれば、必ず災いとなりますでしょう」
「悪女……?あの娘が……?」
「そうにございます。ですから、アリス様を正室に迎えれば、問題は解決するでしょう。マイア様に関しては、わたしに考えがあります」
「そちに……?」
「はい。今回の問題は、王子が起こしたものですので、王子に解決させればいいかと思います。今後この国を引っ張っていく王子にとって、きっと大きな転機になるかと。万事わたくしにお任せ下さい」
「分かった。そちに任せよう」
宰相は、国王に背中を向け出口へ歩みながら、口角を上げた。
「アリスが王宮から帰らないとはどういうことです。納得できる理由を話して下さい」
王宮に来たレオンと男爵は、国王へのとりなしを宰相に頼み、別室で待機していた。しばらく待って、やってきた宰相の第一声が、「アリス様はしばらく王宮でお過ごしになります」だった。
宰相に今にも掴みかからんばかりの勢いで、レオンは、そう怒鳴った。
「言葉の通りです。アリス様は、昨日から皇太子の正室としてふさわしい教育を始めました。近いうちに、正式に発表することになります」
「皇太子の正室……?そんな馬鹿な。アリスは、ぼくの婚約者だぞ。そんな勝手なことが許されると思っているのか」
「これは国王陛下の意向です。許すも何も国王陛下が決められたことに反旗を翻すということでしょうか?」
「なっ、国王陛下が……?」
レオンは、国王の意思と聞いて、絶句した。
「宰相殿。反旗を翻すというのは大袈裟でございます。ただ、婚約者が、急に皇太子の正室になったから、諦めろと言われても納得できないと言っているに過ぎません。娘は?娘のアリスは何て言っているのでしょうか?」
ショックを受けているレオンに代わって、男爵が話を続けた。
「もちろん喜んでいます。今も皇太子の正室にと励んでいることと思います」
「そんなことあるか。アリスが……アリスがそんなこと言うはずがない。一昨日だってぼくを愛していると言っていたのだ」
「何を言われようとそれが事実でございます。わたしも忙しい身ですので、このままお帰り下さい」
「ふざけるな。自分の目で確かめるまで帰れるか。もういい。アリスのところへ行く」
レオンは、王や王子の部屋のある方へ進もうとする。
「近衛兵。国王への反逆の意思ありとして、引っ捕らえろ」
宰相の声が響き渡ると、近くにいた屈強な兵士達が、あっという間にレオンと男爵を拘束した。
「な、何をする。離せ、離すんだ。アリスに……アリスに会わせろ」
「お願いです、宰相殿。レオン様の願いを叶えていただけないでしょうか」
宰相は、二人の声を無視して、「牢へ入れておけ」と冷たく言い放った。兵士達は、二人を軽々と持ち上げ、奧へと引き連れていった。男爵とレオンの叫び声が、王宮の長い廊下で悲しく響いていた。
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