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76. 迷探偵フルールの推理
しおりを挟む(……そういえばお兄様、戻って来るのが遅くない?)
ふと気になって時計を見た。
帰って来ると言っていた時間からはだいぶ過ぎている。
「……そういえば、アンベール様のお戻り……遅いですね」
オリアンヌ様も同じことを思ったのか、私と同じように時計を見た。
「オリアンヌ様もそう思いましたか?」
「そうですね、アンベール様って時間にはきっちりされている方だと思うので」
オリアンヌ様が寂しそうな声でそう言う。
その表情は心配だと言っていることが伝わって来た。
「大丈夫ですよ! リシャール様と話が盛り上がっているだけかもしれませんし──……」
私がそう口にした時、馬車の音が聞こえた。
二人でハッとする。
「アンベール様でしょうか?」
「ほら、噂をすれば! きっとお兄様ですわ!」
「そうですね」
私が手を叩きながら笑うとオリアンヌ様も安心したように笑う。
安心した私たちは、立ち上がってお兄様を出迎えるために部屋を出て玄関に向かった───のだけれど。
「───お兄様!? お顔がとんでもないことになっていますわ!?」
「アンベール様!?」
「……」
「大丈夫ですか!?」
顔を真っ青にしたオリアンヌ様がお兄様に駆け寄った。
なぜか帰宅したお兄様はボロボロで、リシャール様ほどの国宝ではないけれど、家宝くらいは名乗れるそれなりに整っているはずの顔が……
(こ、これは明らかに誰かに殴られた後……! それも、平手打ちではなく、拳!)
「ア、アンベール様……」
「……」
オリアンヌ様に向かってお兄様は力無く微笑むとコクコクと無言で頷く。
これは、おそらく大丈夫だと言っている。
口を動かすと痛いのか上手く喋れないらしい。
「───お医者様を呼んできますわ! それから、馭者に話を聞いてきますのでオリアンヌ様はお兄様をお願いします!」
「は、はい!」
オリアンヌ様にお兄様を託して私は駆け出した。
─────
お医者様からは、やはり誰かに殴られたあとだという診断結果が下された。
「それでお兄様? いったい何がありましたの?」
「……」
「馭者が言うには、王宮で待機していたら、すでにそんな顔になられたお兄様が駆け込んで来たと言っていましたわ?」
つまり、帰宅途中に馬車が事故にあったり誰かに襲われたりしたわけじゃない。
“王宮”で何かがあった。
馬車に乗り込んだお兄様はそのまま逃げるように出発しろと言ったとか。
「……リシャール様は? リシャール様とも会っていたのですよね、お兄様」
王宮で何かあったのかと思うと一気にリシャール様のことも心配になってしまう。
馭者はリシャール様の姿は見ていないと言う。
「……!」
「お兄様……?」
お兄様は私の腕を掴むとじっと私の目を見た。
(言葉はなくても私には分かるわ)
───心配いらない。
お兄様の目はそう言っている。
「……リシャール様は無事……ということで間違いありませんわね?」
「……」
お兄様は無言で頷く。
では何故? そう思った時、お兄様から覚えのない香りがフワリと漂って来た。
(……?)
お兄様が普段つけている香りとも違う。
リシャール様の香りでもない。
むしろ、この甘ったるい感じは女性が好みそうな香り。
(でも、私やオリアンヌ様がつけている香りじゃない……)
「……お兄様、知らない“女”の香りがしますわ」
「!?」
「え?」
お兄様がギョッとした顔で私を見る。
オリアンヌ様も驚いて私とお兄様の顔を交互に見つめる。
「───なるほど、分かりましたわ……お兄様」
「!」
「その顔は女性絡みですわね?」
「……!」
お兄様がハッとする。
(その顔、やはり間違いありませんわ!!)
私は自分の考えを確信する。
実は! 前から! 密かにそうではないかと思っていたの!
「お兄様、実は……私は薄々気付いていましたわ」
「……?」
私はそっと目を伏せる。
「お兄様はずっと道ならぬ恋に悩んでいたのでしょう?」
「!?」
「そう。そのお相手はワケありで求婚するのが難しい方……」
お兄様が呆然とした顔で私を凝視する。
その横ではオリアンヌ様が小さく息を呑んだ。
「そのため、人前では堂々と出来ない理由があった……」
お兄様は呆然とした顔のまま今度は口をパクパクさせている。
どうやら私が名推理を披露しているので驚いているのね!
これは名探偵を目指せちゃう?
「そして、今日もこっそり王宮でその方との逢瀬を過ごした───しかーーし、遂に……!」
「……」
「ええ、密会現場をその相手の夫に見つかってしまったのでしょう?」
そう、お兄様の相手は人妻。これぞ道ならぬ恋!
大変よ、今度は我が家が慰謝料請求される側に!
「今日、現場を押さえられてしまったお兄様は相手の夫からガツンッと一発……」
「くらうかーーーー! フルーール! そのとんでもない妄想から早く現実に戻って来い!!」
沈黙を破ったお兄様の大声が部屋中に響き渡った。
───残念ながら名探偵フルールは迷探偵だったらしい。
「全く……フルール! お前はドロドロした人間模様の小説を読みすぎだ!」
「う……面白いんですのよ? えっと、それで……お、お兄様、喋れるようになりましたの?」
「お医者様に打ってもらった痛み止めが効いてきたからな」
なるほど……と私は頷く。
では、肝心なことは……
「えぇと、つまり? お兄様は道ならぬ恋などはしていない……?」
「そうだ……全く! フルールには俺がそんな男に見えるのか!」
「そんなことはありませんわ! ですけど……」
そう考えてしまうくらいお兄様には、ここ数年さっぱり縁談の話がなかったんですもの。
「……そう思いたくなる気持ちは分かるんだが……フルールの妄想力を舐めていたよ。それはどんな修羅場だ!」
「……アンベール様に限ってそんなことは絶対にありえないとは思うのに、でも何故か本当にありえそうな話に聞こえてしまいドキドキしてしまいました……!」
「え? オ、オリアンヌ嬢……」
横から興奮気味にそう語るオリアンヌ様。
お兄様が大きなショックを受けた顔をしてオリアンヌ様を見る。
お兄様と目が合ったオリアンヌ様は、その美しい顔の頬を赤く染めながら言う。
「で、でも、フルール様の妄想の話で良かったです……」
「え?」
「…………も、もし、本当だったら……その……お、面白くない、嫌だなと思って……しまいました」
「そ、それって……」
「……」
今度はお兄様まで頬を赤く染めてオリアンヌ様を見つめ返す。
「オ、オリアンヌ嬢……お、俺!」
「アンベール様……!」
「───ですけど、それならお兄様から漂うこの“女”の香りは何かしら?」
私はスンスンと鼻で匂いを嗅ぐ。
まだ甘ったるい匂いは残っている。
「え!」
「!」
見つめ合っていた二人もハッとする。
「それにお兄様、殴られたのは女性絡みでは? と指摘した時も、図星をさされたような顔をしていましたけど……?」
「……フルール」
そうして、ようやくお兄様は大きなため息と共に語り出した───
「まず、先に言うけど、俺を殴ったのは王太子殿下だよ」
「え……!」
あの貧弱が!? と、驚いてしまう。
「リシャール様は今頃、暴れている殿下をどうにか押さえ込んでくれている所だ」
「どうしてそんなことに?」
私が聞き返すとお兄様は目を伏せた。
「───王宮でさ、帰ろうとした所で会ってしまったんだよ」
「会う? 誰にですの?」
お兄様はもう一度、深いため息を吐く。
「……妃教育から逃げ回っている王太子殿下の真実の愛の相手───」
「え!」
「エリーズ様と!?」
私とオリアンヌ様がお兄様に驚きの目を向ける。
お兄様は頷いた。
「リシャール様との話を終えて帰ろうとしたら、男爵令嬢が逃げ回っている最中だったんだ。だから、帰るのにリシャール様の案内で静かな道を選んだら……偶然現れた」
「そ、それで?」
「……」
続きを促したらお兄様は、ますます深いため息を吐いた。
ため息はもう何度目かしら? すごく嫌そう。
「それで……目を潤ませながら、この場を見逃して欲しいと言って俺に抱きついて来たんだ……まぁ、誘惑だったんだと思う」
「ゆ……!」
(お、お兄様を誘惑ですってーーーー!?)
バキッ
(……バキッ?)
私が内心で憤りを感じたその時、お兄様の横にいるオリアンヌ様のいる辺りから変な音が聞こえた。
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