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165. 里帰り
しおりを挟む「フルール様! モンタニエ弟はいい感じにナヨナヨしていますよ!」
その日、王都に滞在中のニコレット様の元で久しぶりに身体を鍛えていたら、ニコレット様が目を輝かせながらジメ男の件を報告して来た。
そして、なぜかニコレット様はジメ男のことをモンタニエ弟と呼ぶ。
新しい呼び方だと思った。
どうしても思い出せなくて、そして今さらもう一度教えてとは聞けず……相変わらず私の中で本名が不明なジメ男。
(ジメジメ感は薄れたけれど、すっかり定着してしまったわ)
「いい感じにナヨナヨ?」
「そうなんです。あの気の弱そうな顔! ひ弱な体、でも根は素直!」
ニコレット様は、若干興奮気味にそう語る。
「モンタニエ弟って確か、王女殿下と手を組んで兄のリシャール様……フルール様の夫を追放しようと企み陥れたのでしょう?」
「ええ、そうですわ」
「オドオドしているのは、その時の罪悪感に苛まれているからかしらね……とにかく! もう、彼は全てにおいて私の理想のナヨナヨなんです!」
「……」
(理想のナヨナヨなんて初めて聞いたわ)
私はチラッとジメ男に目を向ける。
今日は彼も私と同じでドーファン辺境伯家を訪れて鍛錬を受けていた。
(えっと? 彼はこれから……腕立て伏せね?)
そんなジメ男はちょうど腕立て伏せをしようとしている所。
しかし、筋力も体力もないジメ男は三回ほどで苦しそうにへばってしまう。
それでも、もう一度……とジメ男は諦めず、身体をプルプルさせながらも何とか起き上がり……とにかく頑張っていた。
ニコレット様はその光景を微笑ましく見守っている。
「ニコレット様、とても楽しそうですわね?」
「はい! とっても楽しいですよ! だって私、ああいう弱いのに無駄に根性だけはありそうな男の人が好きなんですよ」
「まあ!」
無駄に根性だけ……
ニコレット様の言っていることはなかなか酷いけれど、嬉しそうに語っているその顔を見ているとお好きなのはしっかり私にも伝わって来た。
「ニコレット様、それってやっぱり……」
「もちろん! だって鍛えがいがあるでしょう?」
今度はニヤリと笑うニコレット様。
しかし、ついにジメ男は奮闘も虚しく力尽きてその場に倒れ込んでしまった。
「あちゃ……フルール様、ちょっと失礼します。モンタニエ弟の所に行ってきますね」
「あ、はい。いってらっしゃいませ」
ニコレット様は、倒れたジメ男の元に向かうと何やら彼に厳しそうな言葉を告げる。
ジメ男はその言葉を聞いて悔しそうな表情をすると再び起き上がった。
(すごいわ! 本当にジメ男が成長している……!)
あの数ヶ月前のジメジメした姿を思い出した私は感動した。
やっぱり今回の弟子入りは正解だったかも!
それに、あの様子。
二人の相性は結構いいのかもしれない、と思った。
────
その日の夜、私はリシャール様に本日、ドーファン辺境伯家で見たジメ男の様子を語る。
「───というわけで、なんとか必死に頑張っている様子ですわ。 ニコレット様もニコレット様で、新たな鍛えがいのある弟子が出来てとても楽しそうですの!」
「へぇ……あいつが?」
リシャール様はジメ男の頑張りを聞いて目を瞬かせた。
「ニコレット様とも仲良くやれているようですわよ!」
「うん、それも良かったよ。あいつ今、社交界の令嬢たちからは見向きもされていないから」
「ニコレット様はそんなこと気にしていませんからね!」
明らかにホッとした様子のリシャール様。
やはり、国宝を陥れようとした罪は重く……結婚式でもジメ男は孤立していた。
だから、リシャール様のその顔を見て私は思った。
「……やっぱり心配でしたか?」
私が聞き返すとリシャール様は困ったように笑う。
「それは、まあ……ほら、ドーファン辺境伯令嬢に弟子入りでもしたら? と、焚きつけたのは僕だからさ」
「……」
「でも、頑張っているならって安心した」
そう口にしながらどこか嬉しそうに微笑むリシャール様は立派な“兄の顔”だった。
(……お兄様)
そんなリシャール様の兄顔を見ていたら、何だか無性にお兄様の顔が見たくなった。
「───と、いうわけで里帰りですわ!」
お兄様が恋しくなってしまった私は、リシャール様にお願いをして里帰りの許可をもらった。
さっそく私が意気揚々とシャンボン伯爵家に向かうと、残念ながらお兄様は出かけていて、なんと留守!
なので、私はオリアンヌお姉様とお兄様の帰りをのんびり待つことに。
そして、ようやくお兄様は帰宅したのだけど───
「え? フルール? 何で伯爵家にいるんだ!」
帰宅してすぐに私の姿を見つけたお兄様が驚いている。
そして何故か顔がどんどん青ざめていく。
「ですから、里帰りですわ!」
私がもう一度説明するとお兄様は、ははは……と力なく笑った。
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そんなに私に会えて嬉しかった?
「……そうか。里帰り……まあ、そうだな。いくら愛する男と毎日胸焼けしそうな結婚生活をおくっていても実家が恋しくなる時もあるだろう……」
「ええ! その通りですわ」
私がにっこり笑顔で大きく頷くとお兄様がなぜかジロリとした目で私を見た。
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「六杯目ですわ!!」
「──前より増えている……!!」
お兄様の帰宅を待っている間にご飯の時間を迎えてしまったので、使用人たちがそれはそれは楽しそうにご飯を運んできてくれたのよ?
これは食べない方が失礼だと思うの!
「空になった器が八……ということはオリアンヌが四杯目なのか……こっちも」
「ふふ、だってフルール様とご飯を食べていると美味しくて止まらないの」
オリアンヌお姉様がお兄様に向かって照れ臭そうに言った。
「く……ずるい、そんな顔で……」
「どうしました? お兄様も食べます?」
「───今は要らん!」
私はたっぷり実家の味と元気いっぱいなお兄様を堪能した。
「そういえばお兄様、どうして昔、私から刺繍を取り上げたのですか?」
「え?」
ふとレース編みの件でついでに思い出したことを訊ねてみた。
「私が初めて刺繍したあのハンカチはあんなにも大事にしてくれていましたのに」
私がそう訊ねるとお兄様はギョッとした。
「まさか、フルール……覚えていないのか?」
「なんのことです?」
「アンベール? 大丈夫? 身体が震えているけれど?」
「……」
しばらく無言になったお兄様は遠くを見つめる。その目はどこか虚ろ。
やがて小さな声で呟いた。
「そうか、覚えていないのか…………“フルール不器用すぎてうっかり血だらけになっちゃった事件”を……」
「はい?」
「ち、血だらけ!? まさかフルール様が!?」
何とも不穏な匂いのする話が始まった。
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