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324. フルールと子守唄
しおりを挟む「ふ、ふふふん、ふん~」
(あ、今、馬車の音が聞こえましたわ!)
久しぶりの子守唄を披露し終えて、鼻歌を歌いながらとある作業をしていた私はパッと顔を上げた。
この馬車の音は、モンタニエ公爵家の音に間違いありません。
つまり愛する夫、リシャール様の帰宅ですわ!
私は作業していた手を止めてパタパタと窓に駆け寄る。
「やはり、旦那様です!」
お出迎えしなくてはなりませんわ。
なぜなら……
「みーんな、すやすやと眠ってしまっているから、今、お出迎え出来るのは私しかいませんもの!」
────
「おかえりなさいませ、旦那様~!」
「あれ? フルールだけ?」
王宮から帰宅したリシャール様が目を真ん丸にして驚いている。
私だけで使用人が出迎えないことを不審に思ったみたい。
(これは、仕方がありませんのよ~)
「……あ、でもそっか。シャンボン伯爵家の馬車が止まっていたから使用人たちは皆の相手をしていて手が離せないのか」
さすがリシャール様。
シャンボン伯爵家の皆が来ていることをすぐに把握してくれましたわ。
ですが!
「……お相手……しているとはちょっと違うかもしれません」
「違う? それより、フルールも家族の皆のことはいいの? 僕らの子どものことで来てくれたんだろう?」
「はい! 皆でお祝いにと駆け付けてくれましたわ!」
私は満面の笑みで答える。
たくさん喜んで貰えて嬉しかった。
「それなら今は、家族団欒中だったんじゃないの?」
「そうですけれど、今は大丈夫ですわ」
「今は?」
不思議そうな表情を浮かべるリシャール様。
そのまま部屋に向かうために廊下を歩き出し、一つ目の角を曲がった所で悲鳴を上げた。
「うわっ! えっ!? な、なんだこれ!?」
「……」
(やっぱり驚いていますわ~)
一見、何事だ!? と思ってしまいますわよね。
「フルール!? 使用人がバッタバタと廊下で倒れているんだけど!?」
「旦那様、ご安心くださいませ。彼らは倒れているのではなく眠っていますの」
「眠る? どちらにしても安心出来ない! なんで!?」
なんで?
と、問われれば答えは一つしかありません。
「どうやら、元気いっぱいにと張り切ったら声が大きすぎたようです」
「どういう意味!?」
「ドアをキチッと閉めていなかったせいで、声が部屋の外まで漏れていたみたいなんですの」
「いや! だから、何の話!?」
私は目を伏せる。
さすがの私も驚きましたわ。
子守唄を家族に向かって元気いっぱいに歌い終えたあと、使用人に声をかけようと廊下に出てみたら……
「気が付いたらこうなっていましたわ」
「えっと……?」
「しかも、どうやら風に乗って随分と屋敷の奥に奥にと広がってしまっていたようなんですの」
つまり、奥もこんな感じで皆、寝こけていますわ~
「広がる!? そ、その広がった“何か”で皆が眠っているってこと?」
「そうですわ~」
リシャール様がサーッと青ざめて事件だ……と呟く。
「何が広がったんだ? 大惨事じゃないか。話が見えないし……はっ! フルール! フルールは無事なのか!? それに子ども……」
そこまで言いかけた所で部屋に入ったリシャール様。
次に部屋の中の光景を見て、またまた大きな悲鳴を上げた。
「え! なっ!? シャンボン伯爵家の皆まで倒れている……!?」
「はい! 皆もぐっすり安眠中ですわ~。廊下の使用人たちと同じ状態ですわよ~」
「これが安眠!?」
リシャール様の美しいお顔がどんどん青くなっていきます。
「え、ごめっ……フルール、本当に話が見えない! 襲撃事件!?」
「旦那様? 何を言っていますの?」
「愛しの妻の懐妊報告のために王宮に行っていただけなのに……? 何が起きたら屋敷内はこんなことになるんだ!?」
こんなに動揺するリシャール様もなかなか珍しいですわ~
「陛下の前でデレデレに惚気けたからか!? 惚気けたのがいけなかった!? え? でも、惚気けるのは普通だよね?」
なんと!
リシャール様はどうやらデレデレに惚気けて来てくれたようです。
そのお顔も見たかったですわ~
「フルール! 説明してくれ! いったい皆に何があったんだ!」
「えっと。ですから、皆、すやすや安眠中ですわ」
「皆だよ!? こんなの何か薬でも撒かれ…………ん? いや待て。さっき“声”って……」
ハタっと何かに気づいたリシャール様が動きを止める。
「屋敷中の人たちが安眠? しているのにフルールだけがケロッとしている? 声?」
顎に手を当ててブツブツと呟きだした。
「声が部屋の外に漏れた……? 風にも乗って……?」
「ふふふ、久しぶりなので、たくさん張り切りましたわ!」
「久しぶり……? ────う、うわうぁあぁぅ! ま、まさか!」
そこでリシャール様が顔を両手で覆うと少し変わった唸り声を上げた。
「旦那様?」
「フルール……ま、まさか、ききき君は、こ、この部屋で……」
顔から手を離し、おそるおそるこっちを見てきたリシャール様とバッチリ目が合う。
にこっ!
私は微笑んだ。
(その通りですわ~)
「久しぶりに子守唄を歌って、お母様の指南を受けようと思いましたの」
「こ、ここここ子守唄ーー!」
「私に子守唄を教えてくれたのはお母様ですから」
リシャール様の頬がピクピクピクッと引き攣った。
「う、歌った……の?」
「ンンンッ……はい! 久しぶりでしたので、声の大きさとか調整が色々と難しかったですわ」
「フルールの子守唄……壊滅的なおん……んんっ……殺傷能……い、いや、効果抜群という……あの子守唄?」
「ええ! その子守唄ですわ!」
私はにこっと笑う。
だって私の子守唄を聞いて眠れなかったという人はこれまで誰もいませんもの!
「ま、前にフルールが僕に披露しようとして、アンベール殿が必死になって止めていた……子守、唄なんだよ、ね?」
「そうです! リシャール様を拾った頃の話ですから、なんだか懐かしいですわね~」
あの時も披露出来なかったし、今回は久しぶりで張り切りすぎた結果なのか喉に多少の違和感がありますわね?
ンンッ、ンンッ……
「旦那様。これは、赤ちゃんが産まれる前にもっともっと歌い込んでおく必要があるかもしれません」
「もっともっと、う、歌い込む!?」
ギョッと驚くリシャール様に私は深刻な顔で頷く。
「はい。そうでないと、肝心の赤ちゃんを寝かしつけられないかもしれません」
「こんなに屋敷中の人をマルっと寝かせ? ……ておいて!?」
「大人と子どもは違うかもしれませんわ」
「……それより、赤ちゃんが聞いたらどうなるんだ……え? 聞いてたってことだよね? お腹の中はセーフ? セーフなのか!?」
「そういえば、今回はこの子もここで聞いてくれていましたのね……?」
私はフフッと笑ってそっとお腹をさする。
「しかし、肝心のお母様……ワンフレーズも聞かないうちに、夢の世界に旅立ってしまわれたので指南が受けられそうにありませんわ」
「ワンフレーズで……あの義母上を沈めた?」
「ですが! ふふふ。ご覧の通り、昔と変わらず皆ぐっすりの様子ですわ! 私の子守唄の腕前は鈍っていなかったようです!」
私は、得意満面に微笑むとババーンッと大きく胸を張る。
「う、うん……鈍ってなさそう。安眠……なのかはすごくすごーーく疑問だけど……」
「旦那様?」
「気絶……って言うんじゃないのかな、これ…………」
青い顔のまま何やら小声でブツブツ呟くリシャール様。
いったい何をそんなにブツブツ……
(はっ! もしかしてリシャール様ったら、僕も聞きたかったな……と? それでそんな顔色!)
リシャール様の青くなった顔色の理由を私はそう受けとった。
「大丈夫ですわ、旦那様!」
「え?」
私は微笑みながらギュッと両手でリシャール様の手を握る。
「旦那様と赤ちゃんには、もっとスペシャルなバージョン……最強で最高の子守唄を披露する予定ですわ!」
「え!」
息を呑んだリシャール様の目が大きく見開かれる。
「さ、最恐の子守唄……?」
私はにっこり笑う。
「確実に朝までぐっすり快適ですわ! 赤ちゃんの場合は酷くぐずった時に……旦那様にはとてもお疲れのご様子の時にでも披露しますから!」
「……! そ、そっか」
ハッとしたリシャール様は何かを決意したように頷いた。
そしてその真剣な目線は私のお腹に向かっている。
まるで、お腹の中の赤ちゃんに向かって何かを語りかけているみたいに思えた。
(ふふ、楽しみだね~! とかかしら?)
「そ、それでフルール。皆はどれくらいで目覚める……のかな?」
「分かりませんわ」
昔はたくさん家族の前で披露して来たこの子守唄。
目覚めのタイミング───そこはどうしても個人差がある。
「前にも言いましたが、揺すっても頬をつねっても顔に落書きしても起きないくらい効果抜群なので」
「あ、ああ。そう言っていたね? それでアンベール殿の顔に落ちにくいインクで落書き…………って! フルール!?」
リシャール様がギョッとして目を大きく見開いた。
現在、すやすや安眠中のシャンボン伯爵家の皆のお顔を三度見する。
そして、最後におそるおそる私の顔を見た。
「え? ……なにこれ、もしかしてフルール……が?」
「皆の眠っている顔を見たら、ついつい懐かしくなってしまいましたの」
私は、えへへ……と照れ笑いをする。
リシャール様が皆の顔をじっと見ながら読み上げる。
「すてきなおとーさま……かっこいいおかーさま、おにーさま、大スキ……」
「ふっふっふ。今度はちゃんと水で落ちるインクを使用しています! 間違えていませんわ!」
「ああ……こ……これがアンベール殿の言っていた……」
私は、かつて皆の顔に書いた言葉と同じ言葉を見て微笑む。
「それから───オリアンヌお姉様にもそっと書かせていただきましたわ!」
「なっ!?」
「仲間外れはいけませんからね! そしてお姉様と言ったらもうこれしかありません!」
「え……」
私はババーンッとお披露目する。
リシャール様はオリアンヌお姉様の顔をまじまじと覗き込むと悲鳴のような声を上げた。
「────肉っ!!!!」
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