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24. この言葉をあなたに。

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 騎士団に向かう馬車の中で、わたしはナタナエルに訊ねる。

「ねぇ、ナタナエル。一応確認なのだけど」
「うん?」

 窓の外を見ていたナタナエルは、わたしの方に顔を向ける。
 相変わらずのきょとんとした顔。

「────あなたは自分がプリュドム公爵家の人間だと名乗り出るつもりはあるの?」
「ないよ。俺はただの“ナタナエル”だからね」
「!」

 ナタナエルは悩む素振りは一切見せずに即答した。
 ナタナエル・フォルタンでもなく、ナタナエル・プリュドムでもなく、
 ……ナタナエル。

「辺境伯でもそうやって生きてきた。王立の騎士団に入ってもそれは変わらない」
「……」

(それが、ナタナエルの決めた道ならわたしから言うことは何もないわ)

「……そう、分かったわ」
「うん!」

 ナタナエルはにっこり笑って頷く。

「……あ、そうだ。アニエス!」
「なに?」

 わたしが聞き返すとナタナエルは今度は怪し気にニンマリと笑う。

「俺、戻って来てからずっと言いたかったんだ」
「ずっと?」
「うん」

 ナタナエルは、そっとわたしの手を取ると優しく握り締める。
 その手付きがとても優しかったせいで胸がドキドキした。

「な、なに……?」
「────アニエス、ただいま!」

 ナタナエルはとびっきりの笑顔でそう言った。

「……っ!」

 その言葉と晴れやかな笑顔に驚いて目を大きく見開いたわたしは一瞬、固まる。

(た、ただいまって……そんなこと言われたら……)

 わたしは恥ずかしくてナタナエルから目を逸らしたくなった。
 けれど、耐えた。
 ……だって、この言葉はちゃんとナタナエルの目を見て言いたいから。

「……っっ、お……」
「アニエス?」
「お……」

(そうよ。本当は、わたしもずっとこの言葉をあなたに言いたかった……)

 わたしはしっかりナタナエルの目を見つめて、そして笑顔を作ってから口を開く。

「アニ……」
「───ナタナエル、おかえり!」

 ナタナエルがびっくりしたのか、わたしから手を離す。
 そしてそんな驚き顔のまま固まった。

「ア……アニエスが…………おかえりって俺に……えが、お……」

 ナタナエルはそこで言葉を切ってしまう。
 わたしもわたしでナタナエルの反応に恥ずかしくなってしまい、もうナタナエルの顔と目が真っ直ぐ見れない。
 頬を赤く染めながら慌てて下を向く。

「……」
「……」

 それから、ナタナエルもわたしも無言だった。
 しばらくお互いそのまま何も言葉を発しない。発せない。
 でも、さすがに心配になって目線だけそっと上に向けてみた。

(───ナタナエル……)

 ナタナエルは、両手で顔を覆っていた。
 その隙間から見える顔が赤いのは、絶対にわたしの気のせいではないと思う。

「…………た」
「え?」
「まさか、アニエスに……笑顔でおかえ、りと言われる、とは思わなかった……よ」
「ナタナエル……」

 ナタナエルはそっと顔から手を離すと、再びわたしの手を握る。

「アニエスの笑顔……めちゃくちゃ可愛いかった」
「……なっ!?」 

 そして、ナタナエルはそのままの勢いでわたしにとどめを刺してきた。

「───大好きだよ、アニエス」
「~~~……っっっ!!」

 愛情たっぷりのその言葉の破壊力にわたしはそのまま撃沈した。

(む、む、無理ーーーー!)




「あー…………甘い、甘い、甘い、甘すぎる!  主もアニエス嬢も揃って俺の存在忘れているだろーー……」

 ナタナエルに撃沈していたわたしは、ロランのそんな苦いものを求める声すらも全く耳に入らなかった。


─────


「───アニエス!」

 無事にソレンヌ嬢たちの身柄を騎士団に渡して、ナタナエルと別れて屋敷に戻る。
 するとお父様が駆け寄って来た。

「お父様、ただいま」
「アニエス、その……無事で……ナタナエル殿……は」

 お父様はわたしがヴィアラット侯爵家にナタナエルを迎えに行ったことを聞いて落ち着かなくなっていたらしい。

「お父様。ナタナエルは無事よ」
「そ、そうか!」

 お父様は分かりやすくホッとした。

「でも、ヴィアラット侯爵邸は半壊したわ」
「なっに!?」
「ソレンヌ嬢と彼女の護衛は騎士団に置いて来たわ」
「……騎士団に?」

 お父様が明らかに困惑している。

「……ナタナエルは徹底的に潰すつもりみたい」
「そ……そうか」

 頭を手で押さえながら、お父様は大きく息を吐いた。

「……それから、ナタナエルから全て聞いたわ」
「───!」

 お父様がハッとして顔を上げた。
 わたしたちの目が合う。

「あの本……そういう意味だったのでしょう?」
「アニエス……」
「お父様」

 わたしは真っ直ぐお父様を見つめる。
 そして頭を下げた。

「───ありがとう。ナタナエルを助けて守ってくれて」
「なに?」
「お父様たちがナタナエルのことを守ってくれたから……わたしは彼に出逢えたわ」
「……本当に聞いたんだな」

 わたしは頭を上げるとコクリと頷く。

「そうか……」
「お父様。ナタナエルはね、ナタナエルなの」
「アニエス?  何を言っている?」
「フォルタンでもプリュドムでもなく、彼はナタナエル……なのよ」

 その言葉にお父様はハッとして息を呑む。

「そうか。そうして生きていく……それが彼の望み……なのか」
「ええ───それでね、お父様。わたし、お父様に一生のお願いがあるの」

 え?  という顔をしたお父様。
 でもすぐにわたしの言いたいことを察したらしい。

「アニエス……」
「……」

 わたしはお父様の目をじっと見つめて頷く。
 フゥ……と息を吐いたお父様もしっかりとわたしの目を見つめ返してきた。

「本気、か?  フォルタン侯爵家も捨ててプリュドム公爵家のことも明かさない───そうなるとお前もナタナエル殿も周囲に何を言われるか分からないぞ?」
「構わない。嫌味でも何でも好きに言えばいいわ」

 わたしは負けないもの。

「わたしは、わたしの思う“最高の男”と結婚する。他の人の意見なんて知らないわ」

 わたしはお父様に向かって力強く頷くと、そう吐き捨てる。

「……アニエス」
「お父様───わたしは、これから先を“ナタナエル”と生きていきたい。いえ、生きていく!」

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