未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の極日2-

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心なしかぐったりとした母上とつるばみ、そして楽しそうな兄上と一緒に再び温泉へと戻ってきました。火の月の頃には何もなかった所に、今は脱衣場が作られています。広さは前世の自宅の脱衣場よりずっと大きく、学校の更衣室よりは小さい感じです。今のところ一度に温泉に入る最大人数が4人だから、そこまで大きくなくても良いかなと判断しました。今日はその最大人数の日ですね。中にあるのは入って右手に脱いだ服や着替えを置いておく棚。その反対側の壁沿いに細長いテーブルとそれに高さを合わせた椅子を4つ。本当はこのテーブルのある壁に鏡を設置したかったんだけど、この世界の鏡っていわゆる銅鏡で私の望む物ではなかったので断念しました。何時か余裕ができたら鏡も再現したいです。後は隅に設けた小さな水場です。浄水された川の水がちょろちょろと流れるようになっているので、水分補給をしたいときはここでします。

そんな脱衣場の中に入った私は早々に甚平もどきを脱ぎ、脱いだ服をちゃんと備え付けの棚に置きます。流石にきれいに畳んで……とはいかなかったけれど、ぐちゃぐちゃにはならないようにしたつもりです。うーん、やっぱりここに籠が欲しいかもしれません。そんな私を見て母上が吃驚したように聞いてきます。

「着ているものを全て脱ぐの?」

「あい、れんぶぜんぶ ぬいますぬぎます

そう言ってから兄上が服を脱ぐのを手伝います。まぁ引っ張っているだけな気がしないでもないですが。

「お嬢ちゃま、大人もですか?」

橡も服を脱ぐ決心がつかないようで、重ねて聞いています。

「みーーんなれす」

どうも神社かむやしろで執り行われる様々な儀式に出席する際に禊というものをするにはするのですが、基本的には専用の着物を着てするものらしく……。浴衣のような簡素な着物を身に着け蒸し風呂に入ってから、桶に汲んだ水を頭からかぶる事が各神社の基本的な禊のやり方らしいです。なので裸になるという習慣が母上たちには全くないのですね。

少し迷っていたような母上でしたが、きゅっと唇を引き締めて橡の肩をポンと叩きました。まるで「諦めましょう」とでも言いたげです。

まぁ……私だって本来なら裸にならない場所で裸になれって言われたら間違いなく躊躇しちゃうだろうから、母上たちの気持ちも解らなくはありません。

でも、母上たちが着ている服を綺麗にしたいので、申し訳ないけれどここで全部脱いでもらうのは確定事項なのです。せっかく温泉に入って身体を綺麗に洗っても、服が今のままでは意味が無いですしね。




少々支度に手間取ったものの、何とか4人で温泉へと続く扉を開ける事ができました。明るい日差しの元で見る温泉は初めてで、何だかちょっと特別感があります。その温泉部分にも以前とは大きく変えた部分が幾つかあります。

以前は浴槽が一つに、私がのぼせた時に横になる為に作られた石製のベンチが一つという殺風景さだったのですが、今は脱衣場を出てすぐの場所に「かけ湯」をするための小さいけど腰の高さに作られた水場と木桶。その近くには本来の浴槽よりも二回り程小さく作られた、ぬるめのお湯を溜めた浴槽があります。この浴槽は今日の母上たちや旅から戻ってきた叔父上たちにまず入ってもらう為の浴槽で、「浄水」の霊石が仕込んであります。本来の浴槽に入る前に酷い汚れを落す為の浴槽ですね。

そして本来の浴槽や石ベンチの方には、大人の背丈以上もある巨石からにょっきり晩夏の向日葵シャワーが高さを変えて4つ生えてきています。大人が立って使うのにちょうど良い高さと、子供が立って使うのにちょうど良い高さです。後者は大人が座って使うのにも丁度良いと思います。なので木製の小さな風呂椅子も置いてあります。巨石の中にお湯を通す水路というか管を作ったのは勿論金さん、そして晩夏向日葵シャワーを作ったのも金さんです。トイレとは違って温泉は金さんの技能もかなり活用されています。

そしてそれら温泉のあれこれを囲うようにグルッと竹垣が設置されています。現状は女性と兄上、そして三太郎さんしかここに住まないとはいえ、外から丸見えなのは流石に私でも嫌です。

後は浴場の大半を覆うように屋根がつけられています。雨の日だって雪の日だって温泉には入りたいですしね。でも全てを覆っちゃうのは風情が無いので大浴槽の半分程は露天のままとなっています。




「はーうえ、あいうえ、うーばみ!
 ここ、ずんばんにはいーてじゅんばんにはいって

かけ湯には抵抗がなかったようでさくっと終えた三人に、ぬるめの浴槽を指さします。ですが母上も橡も動いてくれず、やはりお湯に入るのは妖が怖いようです。

だいよーぶだいじょうぶ、ほら、だいよーぶっ!」

そう言ってまずは自分がお湯に入って見せます。こちらの浴槽にも対ガタロ対策がしてあるので安全安心です。そんな小浴槽に私が入る事でほんの微かに水が光って「浄水」が発動した事が解りました。ここの「浄水」の霊石は人がお湯に入る事で発動するようになっているのです。その光に母上たちも「精霊様の御力」とやらを実感したようで、母上が兄上を抱え上げて入りました。それと同時に私は出ます。「浄水」の効果が母上たちに集中してほしいので……。

その母上たちが入るとビカーーッと水が盛大に光りました。私の時よりも高出力の「浄水」が発動したようです。実験的に中に入る人の汚れ具合に合わせて「浄水」のレベルを変動させられないか試した結果、何度か失敗はしたもののどうにか作る事ができたのです。ただ天位の技能ならば別なのかもしれませんが地位の技能の場合、浦さんの「浄水」レベルが高い事も作用してか、籠める技能のレベルが高かろうが低かろうが使う精霊力に大きな差はなく、ついでに霊石の耐久度にも大差なかったので次からは変動型ではなく固定型で作ると思います。

「さ……櫻、今のは?
 どうして櫻の時とは光が違うの?」

母上が眩しそうに目を細めてつつ訪ねてきたのですが、どう説明したものか……。私よりも母上たちの方が汚れていたのですとは、ちょっと言い辛いです。

「きりぇーにする しぇーれーしゃんの ちから らよ。
 はーうえ、おちょなおとならから ひかり ちあうちがうのかも?」

ちょっと言葉を濁しつつ誤魔化しておきます。幸いな事に次いで入った橡も同じように盛大に光ったので、母上は私の言葉を信じてくれたみたいです。

この小浴槽の浄水だけで身体が完全に綺麗になれば良いのですが、そうはいかないのが残念な所です。なにせ「浄水」で綺麗にできるのはあくまでも水のみなので、体表の汚れがまず水に溶けださないと意味がありません。なので水に溶けださないタイプの汚れやこびりついた汚れなんかは、この小浴槽、或は浄水技能では綺麗にはできないのです。

なので次に工程に入ります。

「はーうえ、こっちらよ」

そう言って母上の手を引っ張ります。誰かの手に掴まっていないと立って歩けないので仕方がありません。それでなくても浴場の床は滑りやすいので注意が必要ですしね。手をつないだ母上たちを石のベンチまで連れてきて、そこに座ってもらいます。さて……と、

「はーうえ、あいうえ、うーばみ、さいしょ だーれ?」

同時に3人は無理なので、順番に母上たちを綺麗にしていきたいと思います。この日の為に色々と準備をしてきましたし、頑張って母上たちを綺麗にしていきましょう。

「で、では私から……」

そう決死の覚悟を決めた表情の橡が手を上げました。仕方がない事とは解っていますが、そこまで覚悟をする必要がある事じゃないんだけどなぁ……。

「橡、ちょっと待って。 櫻、先に私をお願いするわ。
 橡は櫻がする事を見て覚えてちょうだい。そして後で私に教えて」

立ち上がった橡に母上が待ったをかけました。そんな母上の提案に橡が反論しようとしたのですが、すぐさま母上に

「精霊様がお望みの禊の方法は全員が覚えた方が良い事でしょ?
 なら私も自分で出来るようにならなくては」

と言われて反論できず。まずは母上からのようです。




「はーうえ、いたいいたい ごめーね?」

まずは母上に座ってもらってその後ろに立ち、髪を梳かす事から始めます。天都の碧宮邸に居た頃には綺麗に毎日梳かれていたであろう母上の髪も、長い隠遁生活の間に艶が無くなって絡まりあった場所がところどころに出来てしまっていました。それをまずは歯の粗い櫛で毛先から少しずつ梳かし、それが終わったら歯がもう少し細かい櫛で再び梳かす予定です。

母上も橡も……というかこの世界の人は基本的に髪が長いので大変です。女性は基本的に腰下まであるし、男性も髪を結う習慣があるので短くても肩甲骨の下ぐらいまではあります。

と、私が作業をしていたら橡がやってきて変わってくれました。ちょっと頭頂部までは手が届かなかったので助かります。

この櫛は「お風呂で使う水に強い櫛が欲しい」と言ったら、金さんが巨大ハマグリの貝殻を加工して作ってくれました。櫛の歯の間隔を変えたものを幾つか作って、お風呂ではその中でも一番間隔が広いモノとその次のものを使っています。

丁寧に髪を梳かし終えたら、シャワーの所に作った小さな台の上にある油を手に取ります。油は生活の様々なシーンで必需品なので、火の陰月の頃から色んな素材で油作成を試し続けてきました。その結果、アケビのような外見の木の実の種からとれる油が量・質共に一番良い事が解り、その種を絞って作っています。このアケビモドキ、アケビのように外の固い皮が割けると中に白いゼリー状の果肉があるのですが、その中央に丸い大きな種があり、それがまるで死人の濁った目のように見える事から嫌われまくっている木です。その目(実)に見つかると死者に目を付けられて死んでしまうと信じられていて、林檎と同じく人里からは徹底的に排除されているそうです。三太郎さんに確認したところ、そんな事実は無いとの事だったので安心してたっぷり採取しまくりました。

そのアケビモドキの実から作った油を母上の髪にたっぷりめにつけます。更には頭皮をマッサージして汚れを浮かしにかかります。

「お嬢ちゃま、これ……まさか油ですか?
 も、もったいないですよ、こんなにたっぷり使うなんて!!」

橡が目を丸くして私の手元を覗き込んできます。確かに今までの生活を振り返ると油は貴重品で、母上たちも大事に使っていました。岩屋にも油の備蓄はありましたがその大半は夜の灯り用で、少量が調理用という感じでした。とてもじゃないけれど髪に使うなんて勿体なくて出来ないという貴重さで、事実髪に使っているところは一度も見た事がありません。

「だいよーぶ。しぇーれーしゃんが つうってうれたつくってくれたから。
 うーばみ、はーうえの あちゃま もみもみ して!」

そう言って橡に母上の頭皮マッサージを代わってもらいます。思っていたより指が疲れます。母上は普段刺激される事のない頭皮を揉まれて少し痛そうですが、こればかりは仕方がありません。私も経験ありますが、入院でしばらく頭が洗えなかった時、久しぶりのシャンプーは指の刺激ですら少し痛く感じました。

母上のオイルマッサージを終えたら、そのまま暫く放置して汚れが浮いてくるのを待ちます。その間に今度は橡と兄上の髪と頭皮を油まみれにしなくては……。指がもつかなぁ……と思っていたら、橡は母上が頭皮マッサージをしてくれました。橡は「姫様にそんな……」とか言って辞退しようとしていましたが、おっとりしているように見えて押しが強いというか、こうと決めたら曲げない母上には勝てませんでした。

兄上は最初は私がオイルマッサージをしていたのですが、途中から自分でもやってみたくなったみたいで、兄上の頭上で私の手と兄上の手で追いかけっこをするように二人がかりで頭皮マッサージをすることに。兄上の楽しそうな笑い声に私もついつい嬉しくなってしまいます。

そうして全員の頭がテラテラになったら、温泉に入って身体を温めます。最初に入るのは当然ながら私です。少しでも母上に安心してほしいですしね。未だに匍匐前進ならぬ匍匐後進で温泉に入りますが、以前に比べればだいぶ簡単に入れるようになりました。そして私に続いて母上たちも温泉に入りますが、本当におっかなびっくりといった感じで、まずは足先だけちょこんとお湯に入れたり様子見しつつな感じ。今まで自分が信じてきた価値観とか常識って、やっぱり簡単には変えられないものなんだなぁと思います。

私だって自分の常識を貫こうとしていますしね……。




さて、最初は短時間の入浴にとどめます。以前と同じ失敗はしませんよ。

「はーうえ、こっち もーいちろいちどすわって」

そう言ってシャワーの前に座ってもらいます。巨石には私が背伸びをすれば届く高さと、もっと高い場所にシャワーの数×2個の霊石がはめ込んであります。それぞれ「浄水」と「流水」の霊石でタッチする事で作動します。今、思いついたのですが、一つの霊石に二つの技能が籠められないか、いずれ試してみたいところです。

まずは浄水を発動させておいてから流水を発動させ、透明度の高い綺麗なお湯が晩夏の向日葵シャワーから雨のように降り注ぐと、母上たちは吃驚し

「こ、これはいったい?!」

と目を白黒させました。それに私は

「しぇーれーしゃんの ちから らよ」

と即座に良い笑顔で応えます。

《何でもかんでも私達の力というのも如何かと……》

と私の中から浦さんの心話が聞こえてきますが、母上たちが安心納得してくれる事が一番大事だし、そもそも嘘は言ってません。


シャワーを「暖かい雨」と言って驚いている母上を尻目に、霊石の横に設置された私には馴染みある形の押上式石鹸水容器の下の突起を押し上げて、液体石鹸を桶に少し入れます。前世の学校の手洗い場などにあったアレです。結局液体石鹸の粘度は生クリーム5~6分立ての一番ゆるめのモノになりました。この液体石鹸容器で使いやすいのがその粘度だったのです。ただ前世と違ってこの世界にはプラスチックはないので、材質は三太郎さん合作による陶器製です。できれば硬くて吸水性のない磁器で作りたかったのですが、材料の手に入れ易さから陶器になりました。この世界にも釉薬はあるようなので、それを使えば吸水性はどうにかなります。何よりべとべとさんの殻の中心部を溶かした例の液体を使えば撥水させることが可能でしたし。

そうそう、石鹸容器といえばポンプボトル。今でも毎日少しずつやっている記憶フレームの整理と汚れ落としをしている際に、シャンプーの詰め替えをしている記憶があり、それによって外から見える部分に関しては再現できそうな所もありました。ただやはりプラスチックが無い為にポンプ部分の強度だったりバネの錆等の劣化の問題だったりがあり、それを解消しそうな材質や方法に現状は心当たりがなく。これまた後々の課題となりました。


その液体石鹸を更にお湯で薄めて、薄めて、薄めて……。
かなーーり薄めの石鹸水を桶に作ります。母上たちは今まで一度も石鹸を使った事がないので、いきなり通常と同じ使い方をすると刺激が強すぎる可能性があるので、最初はかなり薄めてから使う事にしました。

当然ながら桶の中では軽く泡立っているものの、髪を洗うと瞬く前に泡が消えていきます。なので石鹸液ですすぐように洗ってはお湯で流し、もう一度薄い石鹸液ですすいで……を何度か繰り返します。それと同時に橡にお願いして母上の頭皮を石鹸液で濡らしながらマッサージもしてもらいます。

「はーうえ、かいかい ないれすかー?」

「大丈夫、良い気持ちよ」

とは言いつつも若干頭皮マッサージが痛そうな母上でしたが、頭皮の痒みが楽になった事も事実なようです。3回目ぐらいになると泡が少し残るようになり、後数回やればいけそうかなという手応えが感じられるようになりました。ただ後これを橡と兄上にもしなくてはいけないので、なかなか大変な作業になりそうです。




そうやって薄めた石鹸液で何度も何度も髪と頭皮を洗い流したあと、油の横にある容器の中に入ってる液体を桶に少し入れて、これまた薄めます。

この液体は林檎から作っていた例のお酢……と言えれば良かったのですが、アレはまだお酢になっている途中です。数日前ぐらいから漸くアルコール臭の中にお酢の臭いが混じるようになってきているので、更にここから前世感覚でいうところの2ヶ月ぐらいはかかってしまいそうです。つまり出来上がるのは土の陰月の終わり頃か無の月に入ってからに。しかもそこから最低でも1ヶ月ぐらいは熟成させなくてはいけないのです。お酢を作るのも大変な作業ですね。

でも石鹸で髪を洗うだけだとゴワゴワになってしまうので対策は必須です。ようはアルカリ性に傾いた髪を酸性の何かで中和すれば良いので、以前もお酢代わりに使った柚子モドキの果汁を使う事にしました。最初はべたつきが残るんじゃないかと心配だったんですが、思いのほかサラサラの髪に仕上がりました。

えぇ、当然ながら自分で実験済みですよ。

最終的にはリンゴ酢と柚子果汁、好きな香りで選べるようにすれば良いかなと思います。そういう楽しみ方を石鹸でもやりたいので、石鹸にも色んな香りをつけたいのですが当然ながら後回しです。




髪を洗った後は、身体も薄めた石鹸水で何度も何度も丁寧に手で撫で洗いしました。全てにおいて出来る限り綺麗に、出来るだけ低刺激でを心がけた結果、全員が洗い終わる頃には私は疲れ果ててぐったりです。もちろん母上や橡も出来る事は手伝ってくれたのですが、それでも疲れました。

あぁ、温泉に入ってゆっくりしたい……。
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