未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

10歳 -火の陰月3-

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この世界では牛車と馬車の両方が活用されているのですが、牛車は華族が使うモノで馬車は商人が使うモノという不文律があります。そして牛車にしろ馬車にしろ一頭立てが主流なのですが、王族を含む高位華族や豪商は多頭立ての車に乗ります。それはそういった人たちが乗る車は大きく煌びやかだったり荷物が多かったりする為に重量が増し、一頭立てでは牽引が難しくなるからという事が主な理由ですが、同時に牛や馬を何頭も使える程の地位だと見栄を張るためだったりもします。

そして茴香ういきょう殿下の牛車はなんと驚きの4頭立て。

ただ見栄は一切関係ありません。牽引しなくてはならない車が大きすぎる為、4頭いなければならないだけです。何せ一番普及している牛車は大人が4人座れば余分なスペースが殆ど無くなるという広さなのに対し、茴香殿下の牛車は前世でいうところの4畳半~6畳の部屋ぐらいのサイズがあります。しかもその中には文机などの家具や大量の書簡が積み込まれていて、これを牽引しなくてはならない牛たちが可哀想になるほどです。簡単に言えば移動中も読み書きが出来るように作られた、動く執務室といった感じの牛車なのです。

(なんで私だけ殿下の牛車なのかなぁ。
 いや、まぁ理由は解るし納得もするんだけど
 寡黙な茴香殿下相手だと場が持たない……。
 心配していた疫病の情報をそれとなく聞けたという面では助かったけども)

殿下に「もし王都で疫病が流行ったら」という仮定の話しを聞いたのですが、その場合は茴香殿下か蒔蘿じら殿下のどちらかは確実に王都を離れておく事になるそうで、今回のように2人揃って王都に戻るなんて危険な事はしないんだそうです。二人同時に疫病にかかっては大変ですから、当然の対応かもしれません。同じように国王は残りますが、殿下たちの父親の王太子殿下は王都を脱出すると決められているそうで……。つまり王族の直系男士全員が王都に集まる算段になっているという事は、疫病の気配は全く無いという事になります。

(本当に良かった……)

上げられた御簾から外を見れば綺麗に舗装された道がずっと遠くまで続いて、その途中には叔父上の馬車の姿も見えます。この世界ではまだまだ土を踏み固めただけの道が多く、各国の主要な道路ですら砂利を締め固めた道です。なのでアマツ大陸広しと言えどこんなにもしっかりと舗装された道があるのはヤマト国の王都とアスカ村を繋ぐ通称「茴香街道」と、同じく王都と蒔蘿殿下が治めているサホ町を繋ぐ通称「蒔蘿街道」の二つのみです。アスカ村やサホ町に続く道は元々、牛車が通るどころか馬がすれ違えないぐらいに狭く険しい場所がある道でした。それが今や殿下たちが乗る牛車の幅に合わせて道幅が15m強もある大街道へと変貌を遂げたのです。その道幅は前世の片道2車線(合計4車線)+歩道ぐらいの幅なのですが、天都の中心部にある一条大路が幅30m強なので、それに比べれば可愛いものだと思っていたのです。ところが実際に幅15mの道を見ると思っていたよりも大きく……。よくよく考えてみたら片道2車線の道のど真ん中を歩いた事なんてある訳がなく、歩道から反対の歩道を見て感じていた距離でしかありませんでした。


街道の作り方は古代ローマの街道をモデルに、街道予定の場所を2m近く掘り下げて(地盤によっては杭をうって補強をしてから)大きさの違う岩や石・砂利を層を作るように積み重ねます。金さんがいれば技能「圧縮」や「硬化」で簡単確実に石や砂利を締め固められるのですが、人間には無理なので地道に転圧していくしかありません。そうして固めた上をローマン古代コンクリートと固い岩から作った石の板で覆います。石は出来るだけ摩耗しないように「とにかく固い岩で!」と指定しましたが、そのために石工職人泣かせな仕事になってしまいました。そして微妙に中心を高く両サイドを低くすることで水はけにも考慮し、その両サイドには排水溝も設けました。その排水溝の外側には歩道も作ったので、徒歩で行商をする商人や旅人も移動しやすくなったと思います。

私の前世の記憶は映像として保管されてあるので、一度でも見聞きしたものなら調べ直す事ができます。逆を言えば一度も見聞きしたことがない物は調べようが無いという事です。「走れメロス」の舞台背景を詳細に調べさせた高校一年の時の担任の先生には本当に感謝しかありません。あと古代ギリシャと古代ローマの比較を、図付きで詳しく調べてくれた元クラスメートにもグッジョブ!と言いたいです。




「さて、少し休むとするか。忍冬すいかずら、茶を頼む」

私が外を見ている事に気付いた茴香殿下が、書き物をしていた手を止めました。そして外を見て太陽の位置からおおよその時間を察したようで、軽く肩をほぐすような仕草をしてから休憩に入る指示を出します。

「はい、かしこまりました。
 そういえば槐君も来ると思って少し多めにお菓子を用意しておいたのですが、
 槐君はこちらに来られなかったのですか?」

「兄上は叔父上に馬車の操縦を教えてもらうそうです。
 ゆっくりと進む事ができる今が丁度良い機会だからって」

茴香殿下の近くで書簡の仕訳けをしていた忍冬さんも殿下の声に手を止めて顔を上げ、軽く伸びをしてからこちらへと振り返りました。王族である殿下の誘いを断るなんて本来ならばありえませんが、あらゆる面で好条件な今を逃すと何時馬車の操縦訓練ができるか解らないので、叔父上が「すまないが」と断ってしまいました。兄上も車の中でじっと座っているよりも、外の景色が見れて新しいことに挑戦できる方が良かったみたいで、先程窓からチラリと見えた姿はとても楽しそうでした。

「それにしてもこの石の板を敷き詰めた道は良いな。
 揺れを殆ど感じない」

効率重視の茴香殿下が牛より高速&長距離移動が可能な馬を使わない理由は、周囲に外聞が悪いと止められたからということもありますが、何より牛車の方が揺れが少なくて書類仕事が可能だったからなんだとか。

「それに殿下の牛車は重い為に、一度泥濘ぬかるみにはまると大変なのです。
 その心配が無いだけでも、この道を作って良かったと思います」

そう言いながら、お茶を淹れていた忍冬さんの眉間に皺がビシッと刻まれます。その皺の深さが今までに少なくない回数、泥濘にはまった事があると雄弁に物語っています。殿下たちは神事や祭事や外交などであちこちに出かけるので、その度に泥濘の心配をしなくてはならないんじゃストレスが凄そうです。




殿下が初めて石畳の道を見たのは3年前に私達の拠点に来た時でした。
流石にこんなに道幅は広くはなく、荷車が通れる程度……せいぜい幅1m半ぐらいしかありませんが、母屋と主要な倉庫を繋ぐ道は同じ方式で作られています。殿下たちは初めて見た石造りの道に興味を持ち、構造の説明を受けたところ

「大小様々な石に砂に砂利、それに漆喰によく似たものや石板……。
 何故、こんなにも様々な材料を道に使うのですか?」

と盛大に首をひねっていましたが、石畳の強固さや荷車の引きやすさなどを知って考えを変えました。もっとも当時は利点を頭で理解はできても実感が湧かないようでしたが、今なら舗装された道の利便性を良く解ってもらえるはずです。

「今年の無の月には王都と天都を繋ぐ道の天都に近い部分を整備する予定だ。
 ヤマト国内の主要道路も順次整備したいところだが、
 人足が集めやすい無の月には雪に埋もれてしまう所が多いからな……。
 工事を何時行うか、調整が難航しているんだ」

どうやら石畳の街道はあちこちで評判が良いようで、次々と殿下の元に施工依頼が届いているそうです。現代人にとって道はあって当たり前のものですが、時代をうんと遡ればあえて道を作らなかった時代もあります。道があればそれだけ流通が盛んになりますが、同時に敵の進軍を助ける事にもなりかねません。アマツ大陸も戦乱の時代であったら道の施工依頼なんてありえなかったでしょうが、小さな小競り合いはあっても大きな戦乱は遠い昔となった今では利便性が優先されるのも当然です。

「殿下の役に立てたのなら良かったです」

元々多忙な殿下に、更に街道の施工依頼の処理まで増やしてしまって大変申し訳ないですが、私は少し肩の荷が下りた気がしてホッと息を吐きました。

霊石に技能を込める技術の開発に勤しんでいる茴香殿下ですが、それとは別に早急に万人に恩恵のある明確な実績が必要でした。それは研究所やアスカ村周辺に不審者が入り込まないように衛士えじ志能備しのびを出来るだけ多く配置する為です。山を下ろせない技術が大半の中、殿下の気持ちに応える為にも何か伝えても大丈夫な知識や技術が無いかと悩んでいた時、金さんが

「ならば道を教えれば良い。
 我はこの地にて、あのような道は見た事が無い。
 それに大地に属する技術はヤマト国の民と相性が良い」

とまさしく道を示してくれたのです。

ただ実績を道だけに頼る訳にはいきません。次々と新しい品物や技術を開発するからこそ大勢の衛士えじ志能備しのびが必要だと周りに思ってもらえるのですから。

「そういえば精霊様から提案されたという浄水場というモノの仕組みを、
 もう少し詳しく聞きたいのだが?」

「えと、例えば泥水も静かに置いておくと水と泥に分離していきますよね?
 それと同じで汚水をゆっっっくりと流す事で汚れを沈殿・分離させるんです。
 ようは自然の川と同じことを人工的にやろうって事ですね」

「なるほど、だがそれだけでは水は綺麗にならないと思うが?」

「はい。そこから先を皆悩んでいて……」

「ふむ……」

汚水を綺麗にできたらこれ以上は無い実績になると思うのですが、なかなか良い案は浮かびません。前世では沈殿させた後は、微生物による更なる沈殿を経てから薬品による消毒へと続くのですが、そんな便利な微生物に心当たりはありません。消毒に関しては手に入りやすい貝灰から作る消石灰を水に溶かした石灰乳が消毒液として使えるとは思うのですが、強アルカリなので大量に川に流すのは流石にマズイでしょうし……。

「そういえば足湯は受け入れられるようになりましたか?」

ふと思い出したのは、殿下に何とか湯に入る習慣を根付かせたいと言われて出したアイディアの事でした。

「あぁ、どうにか足だけならば入ってくれるようになった。
 3年前は近付くのも嫌だという風情だったんだが、
 去年あたりから特に寒い日には人が集まるようになったな。
 正確な統計を出すにはもう少し時間をかけなくてはならないが、
 足湯に通っていた者を中心に死亡者や罹患者が減っているように思う」

どうやら私と同じく浄水に行き詰まっていたらしい殿下はハァと大きく溜息を吐いてから、渋かった表情を少しだけ緩めて教えてくれました。そんな殿下を慰めるかのように忍冬さんが

「おそらくですが足湯に入って身体を温めた事で
 無の月が僅かながらも過ごしやすくなったのだと思います。
 知り合いの老人が無の月の夜は冷えすぎて眠れないと言っていましたが、
 試しに足湯に入ったら、その日だけは眠れたそうで……。
 今年の無の月には自宅に足湯を作ると息まいていましたよ」

なんて具体的な例を出してくれました。こちらの世界では水に手足をつけているだけでガタロ河童とよく似た水の妖によって命を奪われてしまう事があるので、水に対しての警戒心や恐怖心がかなり強くあります。幸いにもガタロと違って陸には上がってこないので、水にさえ手足を入れなければ被害にあう事はないのですが……。

「それは良かったです!
 ただ……うーん。殿下、自宅に足湯やお風呂を作ったら必ず申請してもらって、
 定期的、或は抜き打ちで清掃や水質の検査をした方が良いかもしれません。
 後は鉄が錆びていないかも確認した方が良いかも……。
 ついうっかりでガタ……じゃない、水の妖が出現したら困りますから」

「そうだな。私が作った足湯には管理人と清掃人を配置しているが、
 個人宅の中に設置されたモノは私の権限ではどうにもできない。
 早急に法整備を行おう」

そんな殿下の言葉を受けて、忍冬さんが扇を広げてササッと素早くメモを取りました。おそらく王都に戻ってからやらなければならない仕事一覧みたいなものに今の事を追加したんでしょうね。ちなみに扇とはいっても紙ではなく、竹や木を薄く切ったモノを束ねた物です。紙は高級品ですからメモ帳扱いなんてできません。

高級品といえば……

「忍冬さんのお知り合いの方も、今度殿下が発表される羽毛布団があれば
 もっともっと眠れる日が増えるかもしれませんね」

ヤマト国では毎年土の月に新技術研究者や新製品開発者の発表会があり、殿下はそれに毎年出席されています。今年の発表会では昨年から準備しておいた羽毛布団を出す予定で、使用する鳥の羽根もフェザーじゃ羽軸がない、ほわっほわのダウン部分のみを使った超高級品です。茴香殿下はこの1年の間に様々な鳥のダウンを選別しては集めて比較研究し、洗浄・乾燥も研究し、布にもこだわって製作しました。

殿下としてはそれらの技術を王家のお抱え技術者にだけ教えて王家からの恩賜品にしたいと思っていたようですが、温かい寝具の有無が生死に大きく関与する土地柄なので、紛い物や鳥の乱獲を防ぐ法整備をしっかりとして技術は公表する事にしたようです。

「あぁ、そうだな。
 何時か王族や華族だけでなく、あらゆる地位の人が
 何の心配もなく無の月が越せるようになれば良いな……」

何時か……そんな未来を語る殿下の眼差しはとても力強くて、絶対に夢なんかでは終わらせないという決意が見て取れました。そんな殿下に思わず「格好良い……」と口から零れ落ちそうになるのを慌てて止めました。

ふぅ、危ない危ない……。




その後。
私は連日、殿下の牛車に乗せてもらっては様々な提案し、報告を聞きました。殿下たちからすれば私を通して私の中にいる三太郎さんの提案を聞いたり報告したりしている感じなのだと思います。ですが精霊の強い気配を消す為に、金さんと浦さんはうたた寝、桃さんは爆睡中なので後でまとめて情報共有する事になります。


3年前に殿下たちと叔父上たちが流行らせたのは縄跳び。これは外出が難しい無の月の子供たちをターゲットとした商品でしたが、導入が縄1本で済むというお手軽さと期待以上の効果に今では国軍が鍛錬に取り入れています。

他にもこの3年で積み木や足蹴り車といった子供の玩具や、醤油とそれを元にした加工品は富裕層を中心にあっという間に普及していきました。また蒸留という新しい技術とそれによってつくられた度数の高いお酒と消毒用アルコールは、王家が認可を出した人だけが作れる、所謂王家の秘技扱いにするんだとか。まぁ高濃度のアルコールは色々と危険ですから、きちんと管理するに越したことはありません。

そういった殿下たちの努力のおかげで、今やアスカ村は王都に次ぐ厳重警戒都市になっています。

あれだけ色々と心配していたけれど、何だか大丈夫みたい。
私は10年経って、ようやく「大丈夫かもしれない」と思えるようになりました。
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