菩提樹の猫

無一物

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10章 運び屋を護衛せよ

19 最後の仕掛け

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◆◆◆◆◆
 

 パソバニの領主、アレクセイは焦っていた。
『運び屋』が持ってきた手紙の中身が入れ替えてあり、もし本物の手紙が欲しければ五百万ペリアで売るので、本人がメストまで買取に来いと書いてあったのだ。
 ご丁寧にもその場所まで指定してある。
 
(強欲な男め……金欲しさに領主である私まで強請るつもりなのか)

 だが、本物の手紙さえ取り戻してしまえばこっちのものだ。
 密輸に関する証拠は一切なくなる。
 最後に『運び屋』を始末すれば済む話だ。

 屋敷に訪ねてきた時、差し向けた私兵はすべて返り討ちにあってしまった。
 あの男は最初から、アレクセイが自分のことを口封じのために殺すと感づいていたのだろう。

 プートゥでカマキリの死体が見つかった。間違いなくカマキリは『運び屋』の後を追っていたはずだ。
 腕の立つと評判のカマキリまでもが殺されてしまうとは、大きな誤算だ。
 
(——あいつは相当腕の立つ護衛を雇っていたようだな……)

 領主であるアレクセイに手を出してくるような馬鹿な真似はしないだろうが、用心はした方がいい。
 
 メストに着くと、すべて極秘に物事を進めるため、アレクセイは供も付けずに一人で行動していた。
 その代わり、金で雇った腕に覚えのある男たちを護衛代わりに連れ歩く。
 金持ちや貴族は外を歩く時にはよくやることなので、そんな男たちはすぐに集まった。

 夜になり、アレクセイはある店の中へと足を踏み入れる。
 この店は、男娼街と呼ばれる通りにあった。
 特殊な性癖を持った金持ちや貴族たちが安心して遊べるように、客の身元を絶対に明かさないという口の堅さで有名だった。

 すり替えられた手紙に、この店の名前が書いてあったので、少しホッとしたのを覚えている。
 この店なら秘密が表に出る心配は取りあえずない。

 だが中に入ると、相変わらず男娼たちは多様性に富みすぎていて、アレクセイの理解の範疇を超えている。

 なぜ、顔は女みたいに化粧をしているのに、胸毛は生やしたままなのか。
 アレクセイは店の中に案内されながら、すれ違う男娼を見て思わず眉を顰める。

 案内された個室に入ると、すでに目的の人物は中にいた。

「待ってたぜ」

「例の物は持ってきたか?」

 アレクセイは単刀直入に本題に入る。

「ああ、五百万ペリアと交換だ」

 ふてぶてしく笑うと、ドプラヴセは手を差し出す。

「本物と中身をすり替え強請るとは、最低な奴だ」

「おっと、あんたがそれを言うか? 何度もあんたの差し向けた刺客に殺されそうになったんだ、これくらいやってもいいだろ?」

 さすがにそれを言われたら、アレクセイは反論できない。

「……その前に、手紙が本物なのか中身を確かめさせろ。また偽物を掴まされたらたまったもんじゃない」

「ほら、これだ」

 ドプラヴセは手紙をアレクセイに渡した。
 封を開け、アレクセイは急いで手紙の中身を確認する。
 渡された手紙は、間違いなくカシュパルの文字で書かれていた。

 やはり、予想通りの内容だ。

 密輸のことを鷹騎士団が嗅ぎつけているので、早く証拠を隠滅しておけという警告だった。
 気が動転している時に書いたとはいえ、カシュパルは馬鹿だ。
 もう少しぼかした書き方をすればいいのに、あからさまに密輸という単語まで使っている。
 それに双方の名前まで書いて、これが他人の手に渡ったならば、二人の悪事がバレるではないか。
 現に手紙は他人の手に渡り、アレクセイは五百万ペリアという大金を払う痛手を負った。
 カシュパルは早めに始末しておいて正解だったのかもしれない。

 アレクセイは鞄から、五百万分の金貨の入った箱を出して中身を確認させた。

「間違いない五百万ペリアだ」

 ドプラヴセは金貨を数え終わると満足そうに受け取り、手紙と交換した。

「お互い、これでもう顔を合わせることもないだろう。私は帰らせてもらう」

 そう言って立ち上がるが、ドプラヴセは引き止めることもしない。

(——よし、上手くいった)

 店から出てくると、アレクセイは張りつめていた気持ちが切れ、どっと疲れが出てきた。

 雇い主が戻ってきたので、外に控えていた男たちがアレクセイの所へと集まって来る。
 屈強な男たちに囲まれ、やっと身の安全を確保でき、これでもう一安心だ。
 アレクセイは、早く表の通りまで出て馬車を拾おうと、宿屋通りの手前の暗い通りを横切る。
 そこへ、一人の青年がアレクセイへ向かって歩いて来た。

「こんばんは、パソバニの領主様」

(——この青年はどうして私の正体を知っているんだ!?)

 男娼だろうか?
 黒いピッタリとした服は細身の身体に合っていて扇情的ではあるのだが、男娼にしては地味な服装だ。
 それに、この青年には男娼特有の媚びがまったく感じられない。

「貴方をこのまま返すわけにはいかない」

 アレクセイはとんでもないことを言われているのに、その妖艶な微笑みに思わず惹き込まれてしまう。

「おいおい兄ちゃん、ウリやってんのかい? 俺らが相手してやるよ」

 金で雇っていた男たちが面白半分でからかう。
 誰もその腰に差してある剣には、目がいっていない。

「お前たち、反逆者になってもいいのか?」

「わけわかんねぇこと言うんじゃねぇーよ。あっちで俺たちを楽しませてくれよ」
 男の一人が、手を引いて青年を通りの奥に連れ込もうとする。

「……!?」
「……ぐっ……はっ……」
「ごっ……」

 アレクセイは、一瞬なにが起こったかわからなかった。
 スッと青年が動いただけで、まともに悲鳴も上げることができずに、三人の男が地面へ倒れた。

 状況を判断しようと、動きを止めた護衛たちが次々と犠牲になっていく。
 身体が勝手に反応できるレベルでないと、このとつぜんの殺戮者の攻撃は躱せない。

 自分へと辿り着く前に、アレクセイは身を翻し、男娼通りに戻って助けを求めようと走り出した。
 こんなに一気に人が斬られているのに、叫び声さえ上がらず、周囲の人間は気付きもしない。
 まるで悪夢を見ているようだった。

「……たっ……助けてくれっ!」

 明るい通りに戻ると、近くにいる通行人へ助けを求める。
 暗い方から走ってきたので、逆光で相手の顔は見えないが、アレクセイは必死に縋った。

「どうしたんだよ領主様、血相変えて?」

 聞き覚えのある声に、アレクセイはハッと身を固くする。

「自分だけ逃げおおせた後に、こいつらを使って俺を始末しようとしてたんだろ?」

 ドプラヴセはニヤニヤ笑いながら、アレクセイの腕を掴む。

 今度はドプラヴセを振り切って逃げるために、後ろを振り向くと、いつの間にかあの青年が真後ろまで来ていた。

「……ひっ!?」

 青みを帯びた独特の瞳には、なんの感情も映していない。
 それがよけいにアレクセイの心を震え上がらせた。
 青年は慣れた仕草でアレクセイの腕を捻り上げると、手首を頑丈な縄で拘束していく。

「——アレクセイ・シュタク、密輸の疑いで逮捕する」

 ドプラヴセの口から出て来た台詞を聞いて、アレクセイが固まる。

「なっ……なにを言い出すっ!?」

 ドプラヴセの手には、あろうことか白い獅子と山猫の描かれた『ディヴォカ・コチカ』の記章が握られている。

(ああ……)

「……山…猫……」

 一番見つかってはいけない相手に目をつけられていたことに、アレクセイは呆然と立ち尽くすしかなかった。


「自分の領地に引きこもられると厄介だからな、わざわざそっちから出てくるように手紙を取り替えてたのさ。——観念しな」

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