菩提樹の猫

無一物

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11章 金鉱山で行方不明者を捜索せよ

番外編 狼vs猫4

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◆◆◆◆◆


「レネ、目が覚めたみたいだよ」
 
 近くでボリスの声が聞こえる。

 見慣れない白い天井がぼんやりと見えてくると、視界に黄緑色の瞳が現れる。
 寝台の上に寝かされているバルトロメイを、レネが上から覗き込んでいるのだ。
 
(レネ? ……ここは医務室か?)

 一人だけスッキリした顔で見下ろされ、負けたバルトロメイとしてはムカつくのだが、そんな小憎たらしい表情さえいちいち可愛い。
 これも惚れた弱みだろうか。

「お前……一人だけスッキリした顔すんなよ……こっちは負けて欲求不満だってのに……」
 
 こうなったらわざと困らせてやろうと不貞腐れた顔をする。
 
「いや……お前との手合わせが楽しかったからな」
 
 あれを楽しいと表現するレネの感覚に、バルトロメイは思わず舌を巻く。
 暴力とは縁もなさそうな顔をしたこの華奢な美青年は、日ごろ、団長や副団長とどんな鍛練を行っているのだろうか?

「お前、負けた俺の気持ちも少しは考えろよ」
 
 はっきり言って、まさかレネに負けるとは思わなかった。
 
「うん。でも今までで一番ゾクゾクした」
 
(その顔してそんな台詞……反則だろ……)
 
 黄緑色の瞳を獲物を捕る猫みたいに爛々と輝かせて語るレネに、バルトロメイは魅入ってしまう。

 
「クソ……マジでお前に一発ぶち込んでやりてえ……」

 バルトロメイは顔を顰めて吐き捨てた。
 
(なにも知らずに無邪気に挑発してきやがって……)
 
 
「バルトロメイ、それはどういう意味だい?」
 
 聞き捨てならないとばかりに、ボリスが口を挟む。
 その顔はニッコリと笑っているのに、背筋がスッと冷たくなる。

「いちいち気にすんなよ。捨て台詞だって」
 
 レネも言っていたように、この男が一番手強いかもしれない。
 
「そうには聞こえなかったから気になってね」
 
 ボリスは、治療をしていたのかまだ上半身裸だったレネの身体を、大判のタオルで包むとサッと自分の後ろへと隠してしまった。

 バルトロメイはどうしても納得いかないことがある。
 自分が今ボリスと同じことをしたら「女扱いした」と騒ぐはずなのに、なぜレネはこの男には黙って好きなようにさせているのだろうか?
 レネはボリスのことを兄みたいなものだと言っていたが、ボリスのレネに対する接し方はそれ以上のものが含まれている。

『私にはこの世で大切なものが二つある。レネはそのうちの一つだ』
 
 恋人であるレネの姉と、レネがまったくの同等であると言っているようなものだ。

(気に食わねえな……)
 
 バルトロメイはイライラしながらボリスを睨んだ。

 

「なあ一休みしたら、久しぶりにお婆ちゃんたちの家に行かね?」
 
 こちらの一発触発の空気などお構いなしに、レネがバルトロメイに提案してくる。
 その脳天気な発言に一気に脱力するが、レネと知り合うきっかけになった老夫婦の家にはしばらく顔を見せていない。きっと一緒に行けば二人も喜ぶだろう。

「そうだな、手土産に果物でも買っていくか」
 
 この落ち着かない気分を、おっとりとした老夫婦に癒してもらうのもいいかもしれない。 
 レネの提案がとてもいいものに思えてきた。

「よし決まり! 準備ができたらバルトロメイの部屋に行くから」
 
 本来ならば半年間は本部に住み込みなのだが、たまたま私邸の一階宿舎から退職者が数名出て、バルトロメイは運よく私邸の個室に転がり込むことができた。
 ヴィートも同時に私邸に移ってきたのだが、同期のアルビーンとエミルとの相部屋だ。
 
 レネとは同じ屋根の下で暮らすことはできたのだが、あの二階がどのようになっているのかはよくわからない。
 団長のプライベートな空間は、団長本人からの呼び出しがかからない限り立入禁止だ。
 バルトロメイは、いつかこっそり忍び込んでやろうかと思わないでもないが、あの親父に見つかったらきっと生きて帰れないだろうと思いとどまっている。


 レネと二人並んで本部から奥の私邸へと歩いて帰っていると、後ろから嫌な声が上がる。

「なあなあレネっ、こいつと手合わせして勝ったんだろっ!」
 
 仕事帰りなのかサーコートを来たままのヴィートが走り寄ってくる。
 
 それも先ほどの手合わせの結果を誰から聞いたのか、もう知っている。

(糞ガキめっ……俺が横に居るのに嬉しそうに言うんじゃねえよ!)
 
 バルトロメイはこめかみに青筋を浮かべる。

「まあな。でもまぐれだよ」
 
「そんなわけねえって。ゼラと真剣でやった時も惜しかったじゃん。なあなあ、この後ひま? ミルシェの店に行こうと思うんだけど、一緒にどうかなと思って」

(残念でした。もうレネには先約があるんだよ)
 
 心の中でべぇーっと舌を出し、バルトロメイは余裕の笑みを浮かべる。

「あ~ちょうどバルトロメイとミルシェのとこで、お土産買おうと思ってたんだよ」
 
「……なんだよ? ミルシェの店って」
 
「ん? こいつの妹が働いてる八百屋。さっきお婆ちゃんとこに果物買って行こうって言っただろ?」

 そうは言ったが、なぜこうなる?
 話が怪しい方向に進み始めた。

「前言ってたさ、老夫婦のとこに行こうって言ってたんだけど、お前も来る? お前も別になにか手土産持って三人で力仕事でもすれば、喜ぶと思うぞ」
 
「えっ!? 俺も一緒に行っていいかな?」
 
 ヴィートの顔がキラキラと輝きだすと対照に、バルトロメイの顔が曇る。

「オレたちもいつもこっちにいるわけじゃないし、お前もちょくちょく様子を見に行ってもらうと安心だしな」
 
(おい、そこで俺が断るとただの悪人みたいになるじゃねえか)
 
 バルトロメイはレネを苦い顔で見つめるが、こちらの様子などお構いなしだ。

「ぜんぜんいいよ。俺メストにいることが多いしな」
 
「じゃあ決まりな。オレ、ちょっと着替えてから下来るから休憩室で集合な」

 結局、バルトロメイは一度も意見を求められぬまま、ヴィートまで同行することが決定した。

 
 ヴィートの妹(兄に似ずに可愛い)が健気に働く姿を見守って、ワイワイと果物を選び老夫婦の家を訪ねると、久しぶりに顔を見せた二人ともう一人の新顔を見て、想像していた以上に二人は喜んでくれた。
 老婆が食事を作っている間に老爺の現場監督のもと、三人で力仕事をこなして、腹を空かせて食べる家庭の素朴な味に、バルトロメイの心はすっかり癒やされていた。

 先ほどまで、ヴィートも一緒だとういうことにあれほどまで苛ついていたのに、今では三人で来てよかったかもしれないと思っている自分が不思議だ。

 賑やかに食卓を囲んで、幸せそうに笑うレネの笑顔を眺めていると、なんでも許せてしまうのだ。


(——俺はやっぱり、こいつには一生勝てねえかも……)
 
 バルトロメイはすっかり腑抜けた大型犬の顔で、美しい猫を見た。


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