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ご贔屓チームが二勝一敗で開幕カードを勝ち越したので、葉菜も脇坂も顔には出ないがすこぶるご機嫌だ。ちなみにこの間二人は毎日会っている。初日は球場、二日目は我が家、三日目は脇坂のアパート。そして四日目の今日はこの春から高三になる葉菜のために、参考書を探すべく脇坂の車で郊外の大型書店に行くのだそうだ。
「水島を借りるぞ」
十分ほど前に葉菜を迎えにきた脇坂は、これまでと何ら変わることなく名字呼び。そこに甘さなど全く含まれていない。それでもずっと女嫌いだった友人は仕方がない。でも妹はどうよ?
「遅くなってすみません、脇坂」
準備に手間取ったという葉菜は、玄関で待っている脇坂を呼び捨てにしたままだ。しかも何の準備なんだかお洒落のおの字もしていないときた。これだけ毎日一緒にいて友人と言い切れる、妹の思考回路が俺には不可思議でならない。
「脇坂、ちょっといいかな?」
助手席に座った葉菜の姿を確かめてから、俺はさも用事がある振りを装って、同様に運転席に乗り込もうとしていた脇坂に手招きした。
「訊きたいことがあるんだけど、脇坂は葉菜が好きなんじゃないの?」
まどろっこしいのを嫌う脇坂には、単刀直入に切り出すのが一番だ。横に並び立った仏頂面の男は更に眉間の皺を深くする。大抵の女の子はこの顔を拝んだ時点で逃げ出してしまうことだろう。
「だったら何だ」
素直に吐いた友人に目を細める。ちゃんと自覚しているのにどうして態度に現れないのか。損と言えば損な奴だ。
「気持ちはまだ伝えていないの?」
「伝えた。ちゃんとつきあっている。弄んでなどいない」
お前は馬鹿なのかと言わんばかりの台詞に俺は目が点になった。元カノに振り回されて女嫌いになった脇坂が、葉菜を悲しませるようなことをする筈がない。それは分かっている。いきなり弄ぶという発想になるのがびっくりだが、問題はそこじゃない。
「つきあって、いる?」
間抜けなくらい声がひっくり返っていた。
「あぁ。大晦日の日から」
しばし待ちたまえ。ではまるまる三ヶ月、二人は恋人同士だったというのか? それにしてはこの葉菜との認識の違いはどう説明するのだ。
「つまり一緒にモーニングコーヒー飲んだわけ?」
「もーにんぐ?」
任侠映画の主役を張れそうな雰囲気で凄まれる。
「元日の朝か。確かに飲んだな」
頭の中で情報を処理していた脇坂が、珍しく表情を緩めて呟いた。もしや当時の記憶が蘇って照れているのだろうか。
「うちにはコーヒーしかないからな」
浮き立ちかけた期待ごと奈落の底に突き落とされた。そんなオチ要らなかったのに。
「時間を取らせてごめん。葉菜をよろしく」
泣きたい気分で二人が乗った車を見送る。それにしても脇坂はどんな言葉で告白したのだろう。あの葉菜のことだ。勘違いしている可能性は多大にあるが、「好き」「つきあって」の文言さえあったなら、少なくとも友人という答えを導き出さないと思うのだが。
夕方葉菜と脇坂が書店から帰ってきた。ついでに以前から探していた本も見つかったと、葉菜は大きな袋を抱えて喜んでいる。その傍らに佇む脇坂の口元は僅かに綻んでいて、本人でも気づいていないであろう変化に、彼の妹への想いが確かなものだと知った。
これは二人のために兄ちゃんが一肌脱いでやらねばなるまいよ。
「あのさ、脇坂。個人の領域に踏み込んで悪いけど、葉菜に告白するとき何て言ったの?」
葉菜が母親の手伝いで台所に向かってすぐ、俺は自分の部屋に脇坂を引っ張り込んだ。中央に置かれたテーブルを挟んで腰を下ろす。
「何でだ」
友人じゃなかったら絶対絞められているな。一気に温度を下げた脇坂にそう感じた。
「二人の仲にあまり変化がないから」
君が葉菜の彼氏なのか疑わしいからとは、さすがの俺もうっかりでも洩らすことはできない。
「重要なのか?」
「かなり」
当然だが渋る脇坂。本来感情表現が苦手な彼に、俺だってこんな真似はしたくない。だがこのままでは二人は八十歳になっても九十歳になっても、友人として球場に通いかねない。想像したただけで身震いする。
「試合終了」
脇坂の口から唐突に野球用語が飛び出した。
「は?」
前後の脈絡が掴めなくて目を瞬く俺。
「だから試合終了だ」
その単語がどうこうじゃなくて、何故ここで発するのかが分からない。しかし繰り返す脇坂は不機嫌極まりなくて、凄く真面目に答えているのが見て取れる。
「嫌いな女に惚れてしまったんだ。潔く自分の敗けを認めるしかなかろう」
冗談抜きで泡を吹きそうになった。脇坂にとって恋愛は勝負なのか? どちらかが敗けるまで続く試合なのか?
友人の俺でも難解なその心理を、更に人の斜め上を行くあの葉菜に理解しろと言う方が無理だろう。俺はがっくりと項垂れた。葉菜に非はない。試合終了どころかこれから試合開始だよ。
「水島を借りるぞ」
十分ほど前に葉菜を迎えにきた脇坂は、これまでと何ら変わることなく名字呼び。そこに甘さなど全く含まれていない。それでもずっと女嫌いだった友人は仕方がない。でも妹はどうよ?
「遅くなってすみません、脇坂」
準備に手間取ったという葉菜は、玄関で待っている脇坂を呼び捨てにしたままだ。しかも何の準備なんだかお洒落のおの字もしていないときた。これだけ毎日一緒にいて友人と言い切れる、妹の思考回路が俺には不可思議でならない。
「脇坂、ちょっといいかな?」
助手席に座った葉菜の姿を確かめてから、俺はさも用事がある振りを装って、同様に運転席に乗り込もうとしていた脇坂に手招きした。
「訊きたいことがあるんだけど、脇坂は葉菜が好きなんじゃないの?」
まどろっこしいのを嫌う脇坂には、単刀直入に切り出すのが一番だ。横に並び立った仏頂面の男は更に眉間の皺を深くする。大抵の女の子はこの顔を拝んだ時点で逃げ出してしまうことだろう。
「だったら何だ」
素直に吐いた友人に目を細める。ちゃんと自覚しているのにどうして態度に現れないのか。損と言えば損な奴だ。
「気持ちはまだ伝えていないの?」
「伝えた。ちゃんとつきあっている。弄んでなどいない」
お前は馬鹿なのかと言わんばかりの台詞に俺は目が点になった。元カノに振り回されて女嫌いになった脇坂が、葉菜を悲しませるようなことをする筈がない。それは分かっている。いきなり弄ぶという発想になるのがびっくりだが、問題はそこじゃない。
「つきあって、いる?」
間抜けなくらい声がひっくり返っていた。
「あぁ。大晦日の日から」
しばし待ちたまえ。ではまるまる三ヶ月、二人は恋人同士だったというのか? それにしてはこの葉菜との認識の違いはどう説明するのだ。
「つまり一緒にモーニングコーヒー飲んだわけ?」
「もーにんぐ?」
任侠映画の主役を張れそうな雰囲気で凄まれる。
「元日の朝か。確かに飲んだな」
頭の中で情報を処理していた脇坂が、珍しく表情を緩めて呟いた。もしや当時の記憶が蘇って照れているのだろうか。
「うちにはコーヒーしかないからな」
浮き立ちかけた期待ごと奈落の底に突き落とされた。そんなオチ要らなかったのに。
「時間を取らせてごめん。葉菜をよろしく」
泣きたい気分で二人が乗った車を見送る。それにしても脇坂はどんな言葉で告白したのだろう。あの葉菜のことだ。勘違いしている可能性は多大にあるが、「好き」「つきあって」の文言さえあったなら、少なくとも友人という答えを導き出さないと思うのだが。
夕方葉菜と脇坂が書店から帰ってきた。ついでに以前から探していた本も見つかったと、葉菜は大きな袋を抱えて喜んでいる。その傍らに佇む脇坂の口元は僅かに綻んでいて、本人でも気づいていないであろう変化に、彼の妹への想いが確かなものだと知った。
これは二人のために兄ちゃんが一肌脱いでやらねばなるまいよ。
「あのさ、脇坂。個人の領域に踏み込んで悪いけど、葉菜に告白するとき何て言ったの?」
葉菜が母親の手伝いで台所に向かってすぐ、俺は自分の部屋に脇坂を引っ張り込んだ。中央に置かれたテーブルを挟んで腰を下ろす。
「何でだ」
友人じゃなかったら絶対絞められているな。一気に温度を下げた脇坂にそう感じた。
「二人の仲にあまり変化がないから」
君が葉菜の彼氏なのか疑わしいからとは、さすがの俺もうっかりでも洩らすことはできない。
「重要なのか?」
「かなり」
当然だが渋る脇坂。本来感情表現が苦手な彼に、俺だってこんな真似はしたくない。だがこのままでは二人は八十歳になっても九十歳になっても、友人として球場に通いかねない。想像したただけで身震いする。
「試合終了」
脇坂の口から唐突に野球用語が飛び出した。
「は?」
前後の脈絡が掴めなくて目を瞬く俺。
「だから試合終了だ」
その単語がどうこうじゃなくて、何故ここで発するのかが分からない。しかし繰り返す脇坂は不機嫌極まりなくて、凄く真面目に答えているのが見て取れる。
「嫌いな女に惚れてしまったんだ。潔く自分の敗けを認めるしかなかろう」
冗談抜きで泡を吹きそうになった。脇坂にとって恋愛は勝負なのか? どちらかが敗けるまで続く試合なのか?
友人の俺でも難解なその心理を、更に人の斜め上を行くあの葉菜に理解しろと言う方が無理だろう。俺はがっくりと項垂れた。葉菜に非はない。試合終了どころかこれから試合開始だよ。
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