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やさしくなれない〖第7話〗

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 この少年との奇妙な関係に深山はいまだ慣れずにいた。深山と少年との生活は、もう、三ヶ月以上が過ぎた。

朝食はトーストと、ママレードにバター。そして、少年が上手に剥けるようになった林檎。必ず添えられる、熱いミルクティー。

また、少年は、冷蔵庫の様子を見ながら、サラダだったり、ホウレン草のソテー。目玉焼きやスクランブルエッグを追加したりすることもある。それから、

『おはようございます、ふかやまさん』

 と、透明な曇りのない声で、ガウンを軽く引っ張り朝の八時きっかりに起こしに現れる。寝ぼけ眼で視線を合わせると、柔らかく少年は微笑む。深山は、何も言わず目を逸らす。

 深山は日に日に上達していく少年の一生懸命作った料理を丁寧に食べる。深山は少年の料理を残したことは一度もなかった。

最初の食事──嫌味を言った林檎──以来、文句もつけたことはない。けれど、いつも深山の斜め前に立ち、少年がじっと深山の手元を見つめる。『不興をかったらどうしよう』とでも言いたげな面持ちだ。

「ご馳走様」

 いつも、それだけを言って深山は席を立ち、アトリエへ消える。

 少年から深山へ毎日の息が詰まる程の気遣い。そして、そうさせているのは自分だということが、深山に、胸の奥を引っ掻くような痛みを覚えさせる。
少年にとってはきっと自分は、ただの愛想のない気分屋の主人にすぎないのだと深山は思う。

 深山はあの少年に、素直になれない。優しい言葉をかけることが出来ない。

けれど深山が、ただ素直に優しい言葉を伝えたとしても、それは少年の望む物ではない。少年が望むものは『マスター』からの労りや、褒め言葉だ。

「いつも食事と美味しい紅茶をありがとう」
「私は愛想がないね。いいマスターではないな」
「君のことを大切に思っているよ。いいカップだ」

 伝えなければならないことがたくさんある。口に出すことは簡単なはずなのに、伝えることが出来ない。少年の求めている『マスター』になれない……なりたくない。

深山が欲しているのは『ふかやまさん』──そのままの深山自身だ。だがそんなものなど、少年にとっては何の意味も価値もないのではないか。

 それにまず、あの少年は深山が『マスター』として感謝やねぎらいの言葉を伝えられたなら、喜んでくれるのだろうか?散々不機嫌に当たり散らしてきた。『今更何を?』と呆れられるのではないか。

カーテンの隙間から午後の光が傾いていくことが解る。

「もう七月か」

 ぼんやりと呟いた深山の目に、初夏の陽光は強すぎる。眩しさがしみるように痛い。蝉の声が遠くから聴こえるが、エアコンの排気音に混じり、濁る。

それでも、鳴きやむことはない蝉たちの生き急ぐ悲しい声に、アトリエの温度は上がっていく感じがした。深山は夏の緑を見なかったことのように、ぴったりと遮光カーテンを閉ざす。

 絵筆を持ち、ため息をつく。アトリエで独りになるといつも、深山はあの少年のことを考えている。そしてぼんやりと少年のスケッチを描くようになった。何故だろう、苦しい。切ない。そっと指先で、描きあげた少年のスケッチに触れる。温度もないただの紙じゃないか。ため息をつき、いつも最後に、

『所詮はティーカップだ。人ではない』

というところに落ち着く。人の細やかな感情など理解できないだろう、と。

そして今の一番の悩みは、深山自身でもよく解らない不可解……優しく接したいのに、要らない言葉が邪魔をすること。少年の間違いや粗相など、たいして腹をたてたりしない。

 なのに、口をついて出るのは嫌味や皮肉。怒声を飛ばすときもある。少年は傷ついた表情を浮かべ『申し訳ありません』と立ち尽くす。
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