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11.月と太陽の聖獣

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 部屋の外に出ると、運良く廊下には誰もいなかったので、早歩きで玄関に向かう。
 後もう少しで玄関が見えるという時、


「――あら? 帽子なんか被って、こんな時間にどこに出掛けるの、リリールア?」


 後ろから女性の声が飛び、アスタディアは思わずビクリと肩を跳ね上げてしまった。
 そこにいたのは、ルーゲント侯爵夫人……エミリアだ。


(お母様……! よりによってここで会ってしまうなんて……!)


「……少し夜風にあたって参ります。外出の許可をお許し願います、レディ・ルーゲント」


 シンがアスタディアを隠すように肩を強く抱き寄せながら、エミリアに言った。

「夜風に? 夜の散歩だなんて珍しいわね。……あなた達、くっつき過ぎじゃない? それにさっきからどうしてリリールアは声を出さないのよ」
「…………」
「リリールア?」

 アスタディアの頭の中が真っ白になり、心臓の音がシンに聞こえるかと思うくらい煩く鳴り響いている。
 声は似ているが、自分にあの人の喋り方は到底真似出来ない。
 あんな意地の悪い喋り方なんて……。


(ど、どうしよう。どうすれば――)


「……お嬢様の余りの煽情的な魅力に、私が止まれず無理をさせてしまい、今は声が出ない状態です。火照った身体を冷ます為に夜風にあたろうと提案し、お嬢様にも了承を得ました」
「……あら、そうだったの。今まで“お愉しみ”だったのね。早速手をつけるなんて、この子の男好きにも困ったものだわ」


 シンの返しに、エミリアはニタリと下品な笑みを浮かべる。
 アスタディアはギョッとしてシンの顔を見上げた。彼は美麗な顔に薄く笑みを作り、エミリアを見ている。

「あの子の身体はそんなに良かったかしら?」
「えぇ、溺れるほど至高で至福の時間を過ごさせて頂きました。他の女性が霞んで見えなくなるほどにお嬢様は素晴らしく魅力的です」
「あらまぁ、すっかりその子に骨抜きね」

 エミリアの低俗な質問にもサラリと返答するシンに、アスタディアは口をあんぐりと開けたまま黙って見ていた。

「では行って参ります」
「外でもするんだったら人目に気を付けなさいよ?」
「ご忠告痛み入ります。その際は帰宅が遅くなりますことをご了承下さい」
「あらまぁ、する気満々じゃないの。フフッ、どうぞごゆっくり?」

 ニヤニヤしているエミリアに、フッと意味ありげな微笑みを向け一礼すると、シンはアスタディアの肩を深く抱き、玄関の扉を開け外に出ていく。
 外はすっかり暗くなり、深蒼色の空にはいくつもの星と共に、銀色の月が淡い輝きを放ちながら静かに佇んでいた。
 

「……ちょ、ちょっとシン! なんてこと言ってくれるのよ貴方はっ!」


 侯爵家の敷地を出てテトディニス公爵家に向かう道を早足で歩きながら、アスタディアがシンを見上げ抗議の声を上げた。
 彼はアスタディアを見返すと、真剣な表情で頷く。

「勿論、終始アスのことを考えながら言ったぞ。想像しただけでヤバかった。顔のニヤケを抑えるのに必死だったよ。想像でもヤバイのに、現実になったらオレ理性保てるかな……」


(あの意味深な微笑みはニヤケを抑えた結果の表情なのね……!)


「――って、ヘンな想像しないでよスケベ!!」
「ははっ! 暗闇でも分かるくらい真っ赤になっちゃって。初々しくてすっげー可愛いな、アス。もう大好き」
「~~~っ!」
「あの夫人、ああいう俗っぽい内容が好きそうだったから、振ってみたら案の定だ。遅くなる許可も貰えたし成功だったな」

 アスタディアはシンの言葉を聞き、悲しそうに顔を伏せる。

「お母様……。そんな品のない話なんて一切したことなかったのに……。まるで別人のようだわ……」
「別人かもしれないよ」
「えっ!?」

 アスタディアは伏せていた頭をバッと上げ、目を見開いてシンを見つめた。

「ニセ《月の巫女》は、相手が思い浮かべたものに変身させる魔法を使える。アスが両親だと思っているあの二人にも魔法を使ってる可能性がある」
「…………っ!」
「アス、あの二人がおかしくなったのはいつ頃?」
「それは……」

 思い出そうとしても、やはり脳裏に霞が掛かっているようで頭から引き出せない。

「オレが侯爵家に来た時、二人はもうあんな感じだった。オレもいつ侯爵家に来たか思い出せなくなってるからすっげーモヤモヤする。気持ち悪ぃ」
「お父様とお母様が別人……。だとしたら、本当のお父様とお母様はどこへ……? ま……まさかもう――」
「……アス、決めつけるのはまだ早い。少しでも多くの情報を得る為にアイツらに会いに行くんだろ? それから考えても遅くない。だから自分を追い詰めないで」
「シン……」

 シンは立ち止まるとアスタディアの頰にそっと手を添え、彼女の瞳を覗き込む。彼が本気で自分を心配していることが分かって、アスタディアは小さく微笑んだ。

「そうね……シンの言う通りだわ、ありがとう。貴方がいてくれて本当に良かった」

 シンはアスタディアの微笑みに笑って返すと、腰を屈めてその唇にキスをした。

「っ!?」
「……あ、ごめん。可愛くてつい」


(“つい”でやっていいものじゃないわよ!!)


「ついでにもう一回……いや十回してい?」

 そんなことを真顔で囁くシンの両頬を思いっ切りつねる。


「……睦み合うのは誰もいない屋内にしてくれませんか? 目のやり場に困るので」


 すると前方から声がし、見ると道の脇にソウが腕を組み、月の光が差し込む中呆れた表情で立っていた。
 いつの間にか公爵家の屋敷の近くまで来ていたようだ。

「よぉソウテン。わざわざお出迎えか? まだ呼んでねぇぞ?」
「君の気配がしたから外に出てきたのですよ。――しかし君、変わりましたね。里にいた頃は『聖獣の役目なんてマジめんどくせぇ。オレの相手はオレ自身で決める。《月の巫女》なんてくそくらえだ。会ったら鼻で笑い飛ばしてそのまま帰ってやる』とか言ってたのに。今ではすっかりその《月の巫女》にご執心のようで」
「ばっ……! んな昔のこと掘り返すなよ!!」

 シンが慌ててソウの言葉を遮る。

「シン、気にしなくていいわ。自分の意思じゃない役目をいきなりやれだなんて、誰だって戸惑うし、内容によっては嫌だもの。当たり前の反応よ」

 シンは眉根を下げ首を振るアスタディアに唇を震わせ噛み締めると、ギュッと強く彼女の身体を抱きしめた。

「アス……。でも今は、アスがオレの《月の巫女》で良かったって心から思ってるよ。だってずっとアスの隣にいられるんだから。大好きだよ、アス。ずっと大好き」
「あ、ありがとう……」

 そんな彼の台詞と行動に、ソウは驚きを隠せない様子で蒼色の両目を瞠った。


「……里でかなりの問題児で皆から恐れられていた君が、こんなに変わるなんて……。口調までも……。アスタディア様、どうやってその野蛮な獣をそこまで手懐けさせたのですか? 非常に気になるので、その辺り詳しくご説明を――」
「えっ!? わ、私、何もしていませんよ!? ほ、ほらシン、ソウさんが迎えに来てくれたし行くわよ!」
「んー、も少しこのままで……」
「ダメです! ソウさん、行きましょう!」
「……では付いてきて下さい。裏口から入ります」


 シンは自分の胸をグイグイ押すアスタディアを渋々離すと、素直にソウの後について歩き出す。


「フッ……。すっかり飼い慣らされた犬ですね、シンラン。彼女が撫でると尻尾を思い切り振り回しそうだ」
「るせ。お前だって《太陽の巫女》に対してそうだろーが」
「私は里にいる頃から変わりませんよ。私の生涯は《太陽の聖獣》になった瞬間からユリアンヌに捧げています。今までも、これからもずっと」
「……あぁ、お前は昔からそうだったな。里にいた頃はそんなお前が理解出来なくてアレコレ言っちまったけど、今なら分かる。……悪かったな、ソウテン」


 シンの謝罪に、ソウが再び大きく目を見開いて彼の方に振り向いた。


「……今から無数の槍が降ってくるのでしょうか? それとも巨大な隕石が大量に降り注いで――」
「お前あとでしばく。ぜってぇしばく」


(何を喋ってるのか聞こえないけど、この二人、何だかんだで仲良さそう……?)


 顔を向き合わせ小声で言い合う、同じくらいの身長の二人を微笑ましく眺めながら、アスタディアは二人に続き裏口へと入っていった。



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