牧瀬くんは猫なので【完結】

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【第二章】

27.ベンガルの恋心

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 週末の夜、僕はケイに指定された店に向かった。この前マタタビ状態になったあたりにある店でちょっと気が引けてしまったけど、秘密を守って貰うには行くしかない。
 秋山には莉央や河本と一緒だと嘘をついてしまった。今度こそ門限破りをするわけにも行かず、念の為外泊届を出し、レオンに朝まで過ごせる『ネットカフェ』の場所を教えてもらった。
なんとそこはドリンク飲み放題でお菓子もいっぱいた食べられるらしくて、むしろ僕はそっちの方が……

「おまたせ、ちゃんときてくれてよかった」

呑気なことを考えていたら、ケイが現れた。
待ち合わせはなんの変哲もない、ファミレスだったから安心したけど、ケイは席には座らず「じゃあ行こうか」と言うと、僕を店から連れ出した。

 連れてこられたのは表通りよりも人気が少ない裏路地だった。派手な女の人がかなり年上の男性と体を寄せて歩いている。店の明かりも原色が多く派手に光っていて、僕は少し目の奥が痛んだ。
 その道を進んだ先の、ちょっと古いビルにたどり着いた。ケイはエントランスから地下に降りる階段を示して「コッチ」と言っている。後に続いて階段を降りると、何やら外国の言葉が綴られた背の低い立て看板が光っていた。
 何かお店のようだったけど、鉄の扉が重そうで中の様子が伺えない。
 僕がちょっと怖気づいていると「大丈夫だから」と言いながら、ケイが僕の手をひきドアを開けた。
 ケイの大丈夫はちょっと信用できない。だけど、思いのほかお店の中は覚えのある雰囲気だった。
 以前合コンで連れてきてもらった、ちょっと暗いイタリアンレストランの雰囲気に似ている。ただ違うのは、もう少し店の広さはこじんまりとしていて、テーブル席もいくつかあるけど、どちらかというとカウンターがメインの席になっているような作りだった。
 カウンターの中の棚にはたくさんのお酒やらグラスが並んでいて、その手前にはTシャツにGパンというラフな格好をした筋肉質の男が立っていた。多分この店の店員だろう。その男はケイが店に入ってきたのに気がつくと「あら」と気さくに手を挙げた。

「久しぶりね。もう来ないかと思ったわ」

カウンター席に腰をおろしたケイに店員の男はそう言った。その後で、一緒に入ってきた僕に視線をむける。

「ツレ?」
「そ。牧瀬くん、こっち座って」

そう言ってケイは僕に手招きすると、自分の隣のスツールをひいた。僕は促されるまま腰を下ろした。
 店員の男は少々不躾に僕のことをジロジロとまるで品定めでもするような様子だった。しかし、無意識の行動だったよで、すぐにハッと気がついたような顔をして「何のむ?」と尋ねてきた。

「俺、ハイボールちょうだい。牧瀬くんはどうする?」

「甘いやつ」

僕が言うと、店員は頷き親指を立てた。

「ケイちゃん、随分いい男捕まえたじゃない」

そう言って耳打ちする店員にケイは「まあね」と笑っている。店員は男の人に見えるけど、女の人のような喋り方で、体をちょっとくねくねさせる癖があるみたいだ。
 僕が首を捻っていると、ケイはさりげなくスマホの画面を僕に向けた。
その画面には『話合わせて』とだけ書かれている。
 程なくして飲み物が出され、ケイが僕の持ったグラスに自分のグラスをカチンと当てた。口をつけた飲み物は、色も味もミルクティーみたに甘くて美味しい。
 店の中は僕ら以外にも数組の客がいて、店員さんは一人で変わるがわるその客の相手をしている様だった。忙しそうにも見えたけど、出すのはほとんど飲み物だけなようで、そっちよりも話をするのに忙しいと言った印象だ。
 
「牧瀬くんってこういう店初めて?」

 しばらく何するでもなく黙って飲み物を飲んでいたケイが、不意にそう切り出した。

「こう言う?」
「あー、なんか。ゲイバーってか、そんな感じのとこ」

僕は首を捻って少し考えた。
 居酒屋、イタリアン、コーヒーショップ・・・ゲイバー?は初めてだ。
 僕はケイに頷いた。

「そっか。もしかしてさ、誰にもカムアウトしてないの?俺しか知らない感じ?」

「んん?」

「えーっと、牧瀬くんの秘密。誰にも言ってないのかってこと」

僕の秘密。本当は猫だってこと。

「家族と、秋山と春日は知ってる。あとはレオンと……」

僕は指折り数えたけど、そもそも両手の指でも足りなかった。家族や三毛猫仲間たち、牧瀬家の人間は全員僕の秘密を知っている。

「へえ、家族も知ってるんだ。理解があっていいね。でも、友達は知らないんだ?」

友達は、吉良くん、莉央、河本、サークルのメンバーのことだ。僕は頷いた。

「うん、だから言わないで?」

僕が念押しすると、ケイは分かってると頷いて手もとのドリンクを傾けた。グラスの中でカランと氷の音がして。店員が「次何にする?」とすかさずケイに尋ねている。「同じの」とケイは短く答えて笑んだ。

「言わないよ。てか、ごめんね。脅すようなやり方して」

ケイは店員から新しいグラスを受け取り、すぐにまた口をつけた。少しペースが早い気がする。

「俺さ、逆に家族に言えてないんだ。だから、ちょっと立場違うけど、牧瀬くんの気持ちわかる」

ケイの言葉に僕は驚いた。思わずケイの横顔を凝視してしまう。

「ケイ、猫なの?!」
「ブホッ!!」

ケイが口をつけていたドリンクでむせたようだ。
それを向こうでみていたらしい店員がまたすかさず近寄っておしぼりを渡している。

「ほんと、面白いね牧瀬くん。急にストレートに聞くからびっくりしたよ」

ケイはおしぼりで口元を拭いながら目尻を下げて笑った。
 その後で、少し身をかがめ僕に体を寄せてくる。

「どっちも平気なんだけど、どちらかというとネコなんだよね俺。まあ、この界隈そういう人の方が多いよ」
「えええ“?!」

僕は思わず大きな声をあげてしまった。店にいた全員がこちらを向いて、僕は咄嗟に自分の口を手で押さえた。僕と一緒にケイもすみませんと、周りに頭を下げている。
 僕は店中を見渡した。店員さんも、あの隅のテーブル席で体を寄せ合っている二人も、折れ曲がったカウンターの斜向かいで、店員さんとおしゃべりしているあの人も……

「みんな猫なの?!」

僕が聞くと、ケイは眉を上げた。

「いや、みんなではないと思うけど、そう言う人が多いってだけ」

知らなかった。確かに猫になれる三毛猫のうち人間研修を終えた三毛猫たちの何匹かとは面識があるけど、確かに全員を知っているわけではない。
 それに、もしかしたら牧瀬家に所属する三毛猫以外にも、人に姿を変えられる猫がいて、彼らも人間に紛れて暮らしているのかもしれない。

「ケイは、何猫なの?」
「え?何それ?エッチな話?」
「ん?」
「牧瀬くんから教えてよ」
「僕は三毛猫」

僕が言うとケイはまた前みたいにゲラゲラと笑い始めた。
 三毛猫の僕を笑うとは、血統種なんだろうか。毛色的にベンガルかもしれない。

「え、なになに?エッチな話ー?」

店員が急にスッキップしながら近寄ってきた。さっきまで斜向かいのカウンターで話していた別の客も、俺も混ぜてと気さくに声をかけてくる。

「牧瀬くん、三毛猫なんだって」

ケイが店員に言うと「やだ、可愛いー」などと言いながら、店員が口元に手を当てている。

「俺は何猫?」

「ケイは、ベンガル?」

「え!アタシはアタシは?」

店員が自分を指差しながら体をクネクネさせている。

「んー、メイクーン」

「いいわねぇ、あの毛の長いゴージャスなやつでしょ?アタシにピッタリ」

「ねえねえ、俺は?」

とカウンターの斜向かいの男。

「……スフィンクス」

僕が言うと、なんだスフィンクスって?と言いながら、みんな手元でスマホをいじり出した。一拍おいて笑いが起きる。

「確かにあなた、似てるわ~!」

そう言いながら、店員は斜向かいの男の広いおでこをペチペチ叩いた。
 やめろと言いながら、叩かれた男も笑っている。仲が良さそうだ。
 僕の答えが正解かどうかは誰も教えてくれなかったけど、否定されないからあっているのかもしれない。三毛猫とベンガルと、メイクーン、そしてスフィンクスが、一緒にカウンターに連なっている。
 そんな雰囲気の中、店の扉の鈴が鳴り、誰かの来店を知らせた。
 みんなそちらに顔を向ける。入ってきたのは綺麗なスーツを着た男性だった。年は僕らより上に見える。だけど秋山や春日よりは若そうだ。20代後半くらいだろうか。

「あら、慎さん、いらっしゃい~」

店員がまた体をくねくねとさせながら、カウンター内を移動した。
慎と呼ばれた男はネクタイを緩めながら入口近くのカウンター席に座った。コの字型のカウンターのその位置だと、ちょうど僕らから顔が見える。
 慎はやや色素が薄い繊細な顔立ちで、スッと鼻筋が通ったいわゆる美形と言うやつだ。

「ラグドール!」

僕はずばりそういった。

「ん?なんの話?」

慎は人当たりの良さそうな柔和な笑顔を浮かべている。

「なんか、この子がみんなを猫に例えてくれててね。アタシはメイクーンだって~」

店員はそう言った後「慎さん何飲む?」と親しげに尋ねた。慎はビールを頼んだようだ。

「面白い子だね」

ビールの注がれたグラスを受け取ると、慎は軽く僕らに向けてグラスを持ち上げてから、ぐいとそれを喉に流し込んだ。ネクタイの緩んだ慎の喉元がビールを流し込んでごくりと揺れた。

「てか、久しぶりだね、ケイくん」

慎が突然僕の隣に視線を向けて、ケイの名前を呼んだ。
僕がケイを振り返ると、彼は少し視線を泳がせ「うん、久しぶり」と少し声を吃らせながら答えている。僕の位置からだと薄暗くてもケイの顔が赤らんでいるのが分かった。

「彼、ケイくんのツレ?」

そう尋ねて、慎は首を小さく傾げた。

「あ、いや、その……友達」

ケイは一度何か別のことを言おうとしたようだったけど、途中で思い直したようだった。

「そうなんだ?隣座っていい?」

今度慎は僕に尋ねた。僕は頷き、スーツ姿のラグドールのために隣の席のスツールをひいてあげた。

「今日は二人で遊ぶの?」

グラスを持って移動してきた慎がやや意味深に、ケイに目配せをしてる。

「いや、そのぉ、今日は牧瀬くんの悩み相談を聞いてて」

僕がなんの話だとケイに顔を向けると、彼はくっと口元を結んで見せた。さっきの『話合わせて』を思い出して、僕はとりあえず頷いた。
それにしても、慎が現れてからケイの様子がなんだかおかしい。言葉の歯切れ悪くなり、目があちこち泳いでいて、慎のことをまともに見られないようだ。そのくせ、慎が別のところに顔をむけていると、チラチラと盗み見ている。

「悩み相談って、恋愛関係?」

慎に顔を覗き込まれて、僕は一瞬固まった。
話を合わせなければいけない。なので、また頷いた。

「え~、何それぇ楽しそう。混ぜて混ぜてぇ」

店員がまたクネクネしている。

「嫌じゃなかったら話してよ。一応、君らよりは長く生きてるし、多少アドバイスできるかもよ?」

慎はそう言って優しく笑んでいる。僕は考えた。
何か相談できること。しかし、目下僕の悩みといえば吉良くんに関することだけで、相談するとしたらそれを話すしかなかった。

「うわぁ、その男慎さんみたいじゃなーい」

吉良くんの話を聞いた後、店員がそう言って口元を押さえながら、慎に目配せをしている。それを受けて、慎は少し苦笑いを浮かべていた。
隣のケイが笑顔を浮かべながらも膝の上でぎゅっと拳を握っている。

「レオンが言うには処女だからいけないんだって、処女めんどくさいらしい」

僕が言うと、聞いていたみんなが少し驚いたように目を見開いた。

「あんた、だからって適当に捨てようっていうの?」

店員は眉間に皺を寄せている。
筋肉質で強そうなので、ちょっと迫力がある。

「捨てる?」

「初めてなのに好きでもない人と、やるつもりかってことだよ」

ケイが言った。
僕は言われて初めてそれについて深く考えてみた。
 吉良くんと仲良くなるために、処女じゃなくなると言うことは、誰か別の人としなければいけないと言うことだ。

「俺は、処女、嫌じゃないけど?」

慎がそういうと、僕のスツールの背もたれに片手をおいて体を寄せた。口元に笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んでいる。

「俺、優しいよ、ね?ケイくん」

そう言って視線を上げて慎は僕の向こうに座るケイに声をかけた。
 ケイはびくりと肩を震わせた後、顔を真っ赤にして言葉を濁している。

「どうする?君がいいなら、この後どう?」

また僕に視線を戻し慎が尋ねてくる。
 僕が言葉を発しようと、口を開いた瞬間だった。ガタリと椅子をひく音が鳴って、ケイが立ち上がる。

「牧瀬くん、ごめん。俺、帰るね」

そう言って、店員にごめんと手を合わせる仕草をした後、そそくさと店の外へ出ていった。声を掛ける隙もなく、僕は取り残されてしまった。

「もう!慎さん!あんた、ワザとやったでしょ!」

店員はそういうと、カウンター越しに慎の肩をペシリと叩いた。慎は少し戯けるようなだけど気まずそうな笑みを浮かべている。

「ごめんね、ここ払っとくから、追いかけてあげてくれないかな?」

慎に言われて僕は頷いた。
状況がよくわからないけど、ケイは少し様子がおかしい気がした。興奮してうっかり道端で猫になってしまったら、ケイの秘密もバレてしまうかもしれない。
 僕は椅子から立ち上がり、店のドアを開いて外に出た。
 
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