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不穏
しおりを挟む三拍子のビートを刻むワルツがパーティ会場に流れる。そこでは週に一回開かれる舞踏会が行われていた。
周りの目を自分に向けようと派手派手しく着飾る令嬢、今夜こそ理想の結婚相手を見つけようと躍起になっている子息たちが大勢目についた。
今夜もルーシアはその〝戦場〟に参加していた。お気に入りのシンプルでありながら上品なブルーのドレスを身に纏い、また本人のあずかり知らぬところで周囲の目線を独占している。
しかし当のルーシアは気もそぞろであった。理由はただ一つ。理由は、明日の朝一番からアレックスと逢瀬の約束をしているからだ。
付き合い始めたということを正式に発表し、場を混乱させ、大ごとにすることに不安を覚えたルーシアは、アレックスと手紙によって連絡を取り合うことにしていた。
恋人になってから早速届いた手紙には、
「早く君に逢いたい」
「好きだ」
と愛に溢れる言葉が連なっており、読んだルーシアは顔を真っ赤にしたことが記憶に新しい。そして手紙の最後には、「舞踏会の次の日、屋敷で待っている」という約束を取り付ける文字があった。ルーシアはすぐさま了承の返事を出したのだ。もちろん愛の言葉とともに。
ルーシアは壁の花になってしまいたいと考え、人混みを避けつつ歩く。アレックスという恋人がいるというのに、不誠実な真似は出来ないという考えもあったからだ。
それならば出席しなければいいと思わなくもないが、アレックスの了承も得ず「彼と交際をしているので舞踏会に出席することは出来ません」と王である父に報告することは出来なかった。
それに、ルーシアは王女。父親の命令は絶対だ。そんなことを考えていると、自らに近づく女の姿が見えた。
「ご機嫌よう、王女様」
(またなのね)
ルーシアは思った。
視線を合わせれば、いつも通り派手に着飾ったリリアが澄ました表情で立っていた。
近頃のリリアは、アレックスの女性関係の噂ばかりを話題に出してくる。ルーシアが舞踏会でアレックスとともに踊っていた頃は、彼が他の令嬢とも踊っていた為か、嫌味を言われることはなかった。
それなのに何故か。
それもこれもルーシアがアレックスの屋敷へと頻繁に通っていると、どこからか噂を嗅ぎつけたせいだろう。
幼い頃からアレックスに対して恋慕の思いを抱いているはずのリリアにとって、彼と親密な関係を持ちつつあるルーシアは邪魔な存在だろう。そう考えることは想像に容易い。
(追い払うために酷くあしらっているのに、なんでしぶとい人なのかしら)
ルーシアはリリアのしぶとさに対して、ある意味で尊敬の意も持ち合わせそうになった。
「ご機嫌よう、リリア。私に何か用でもありますの」
ルーシアは冷たく言い放つ。
「用がなければ声を掛けてもいけないんですか?王女様はなんと心が狭いこと!」
「……矮小な心で悪かったわね」
リリアは、ルーシア見つめながら反撃を繰り出してきた。何故かいつも以上にニヤついた笑みで口を開く。
「実は、王女様のお耳に入れたいことがありますの。……アレク様のことについて、ですわ」
「……」
またしょうもない噂や、過去の女性関係について告げ口をしてくるのだろうか。
ルーシアはため息を吐きたい気持ちになったが、リリアは早く言いたいとばかりに気を急かしている。
「それで、なんですの?」
「あのですね!大変申し上げにくいことなんですが……王女様はアレク様に騙されているのですわ!!」
(…………はい?)
思わずルーシアは思わず目を見開いて驚いた。そんなルーシアの様子も気にせず、リリアは話を続ける。
「アレク様は王女様を使ってゲームをしているのです。なんでも、王女様を落とせば欲しいものが手に入るとか!」
「……」
ルーシアはそんな適当な噂を信じることは出来ず、リリアを訝しげに見つめた。
「証拠はありますの?」
アレックスと自らに関する悪烈な噂を耳にし、ルーシアは語彙を強めて聞いた。
「ええもちろん!なんでもバード家の使用人が、アレク様とそのご友人のマイク様が屋敷廊下にて立ち話をしているのを聞いたそうです。それが巡り巡って私の耳に届いた。そういうわけですわ」
「……」
「嘘だと思うのであれば、本人に直接確認してみては如何ですか」
リリアはそう告げると颯爽とドレスを翻し、ルーシアの目の前から姿を消した。
(あり得ない、わ)
ーーアレックスを信じたい。こんな噂は信じるに値しない。
そう考えつつも、女性関係に奔放だったアレックスのことを考えると不安になってくるのはどうしてだろうか。
告白され情を交わしてから、まだ二人は一度もあっていない。ーー明日、確かめねば。
信じる気持ちと信じられぬ気持ち。二つの間で揺れ動く気持ちにルーシアは息を吐いた。
「早く部屋へ戻りたいわ」そう呟く声は、会場の音楽へ溶けていった。
*
ーーーガタンゴトン
馬車が揺れる。
窓からゆったりとした風が入り、ルーシアの黒髪をさらっていく。
約束の時間よりも早めに着くように出てきた。どうしても、昨日のリリアの言葉が何度も頭の中を反復してしまう。そのために昨夜はぐっすりと眠ることが出来ず、目の下には薄っすらとクマが浮かんでいた。
アレックスの屋敷への道中でも、考えることは同じだった。ルーシアはブルーサファイアの瞳を閉じで、何度も心に言い聞かせる。
(アレクはそんなことしていない)
この心の苦しさを晴らすには、アレックスに直接、または手紙で聞くしかない。どうせならばと、失礼にならない限りの時間で早めに出てきた。
(もうそろそろ着くわね)
ルーシアは窓の外を見てそう思った。この道は何度も何度も往復した。もう、見慣れた道だ。
窓から少し身を乗り出してアレックスの屋敷の方を見つめれば、一つ馬車が止まっているのが分かった。
(あれは、バード家のものではないわね)
紋章から言って、クライアン家だ。マイクがアレックスを訪ねてきているのか、とそう思った。
「ここで止めてくださらない?」
ルーシアは少しの間思案したのち、御者に向かってそう言った。御者は戸惑いながらも「え、えぇ」と述べ、近くの道に馬車を止める。
ルーシアは馬車を降り、アレックスの屋敷へ徒歩で行く。護衛が少し後をついてきているのが分かった。
ふんわりとしたドレスのスカートの裾を引きずらないよう、指先で持ち、ヒールのある靴をコツコツと鳴らせて歩いた。
ものの1分程度で、衛兵の守る屋敷の門まで辿り着いた。
「ルーシア・ライオネルです。どうか屋敷へ入れてくださらない?アレク様と約束しているの」
王女であるルーシアが徒歩で歩いてきたことに、衛兵は一瞬ぎょっとした顔を見せたが、すぐいつも通りの真面目な顔に戻った。この衛兵は〝絶対零度〟のルーシアを前にしても、もの応じしない態度をとる。その事を非常に気に入っていた。
「ええ、聞いています」
衛兵は短く答え、門を開けた。
ここから屋敷の玄関口までは、少しの距離がある。そのために再度、歩みを進める。
玄関口には家令が待つ受けていた。
「マイク様がいらっしゃっていることは知っているわ。アレクにはまだ伝えないで。驚かせたいの」
そう言い、家令の表情を見る。
いかに一国の姫だろうと、主人の家を勝手に出入りされることに嫌悪感などを覚えるだろうか。
そう考えていたルーシアだが、家令の表情を見て安心した。
「それはいわゆる〝サプライズ〟というやつですね」
家令のニヤニヤとした顔をみて、短く「そうよ」と呟く。
ルーシアはバード家に足を踏み入れたのだ。
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