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第二話 抱き合う二人と、息絶えた男
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美しいドレスに身を包んだシャルロッテは、蒼白な顔をして佇んでいる。
そしてヨハンはそんなシャルロッテの肩を背後からそっと抱えた。
「……愛していたの……」
「うん」
「彼を救いたかったの……」
「わかっているよ」
シャルロッテとヨハンの前には、血濡れた一人の男が倒れていた。
倒れた男は、紺地に唐草模様の金の刺繍が施された、他に類を見ない素晴らしい出来のジュストコールにクラバット、といった豪奢な装いに身を包んでいる。
生気のなく蝋のように白い顔は、額に穴があき血に濡れ、艶のある薄紫色の巻き髪に囲われて、その表情はわからない。
ぴくりとも動かないその手には、回転式小銃があり、反対の手の先には純金製の王印が転がっている。
震えるシャルロッテの手には小型拳銃が握りしめられていた。
3.3インチバレルの携帯性に優れ、グリップセイフティを装備した、シャルロッテの細く小さな手でも扱える護身用の銃。装弾数は八発で、十分なストッピングパワーを有し、反動は少ない。
「ロッテ、これは私が」
トリガーに指をかけたまま固まっているシャルロッテの手。ヨハンは丁寧にほどき、凶器からそっと離した。
それから倒れた男に近寄り、その手の先にある金印を拾い上げる。ジレの胸ポケットからシルクのハンカチーフを取り出して、ヨハンはそれを丁重に包んだ。
ハンカチで包んだ金印を左ポケットに仕舞うと、ヨハンは再びシャルロッテの方へと戻ってくる。
その様子をぼんやりと眺めていたシャルロッテは、ヨハンが銃を自身の内ポケットに仕舞うのを目にすると、途端、弾けるようにヨハンのジュストコールを掴んだ。
「だめ! だめよ、ヨハンお兄様! 何をしていらっしゃるの!」
ヨハンは穏やかに微笑み、蒼白なシャルロッテの頬を撫でた。
「大丈夫。ロッテは何も心配しなくていい。この男が何をしようとしていたか、私が皇帝陛下に諫言するから」
シャルロッテは必死になって、ヨハンに言い募る。
「違いますわ! そういうことではなく! その銃はわたくしのものです! わたくしが、その銃で彼を――」
「ロッテ」
ヨハンがシャルロッテの唇を指で押しとどめる。
「いいかい? ロッテ。君は今晩、具合が悪いと休憩室に下がったパートナーが心配になり、夜会を抜け出した。しかし控室にも応接室にも、ましてや彼に与えられた客室にも、彼の姿はない。どこに行ったのだろうと、彷徨ううち、君は私に出会った」
「ちが……っ」
ヨハンが首を振る。
「パートナーの行方を捜していると聞いた私は、君と共に彼を探すことにした。私達は城の皇族居住区域にまで足を伸ばした。行き詰った私たちは、一度外の空気を吸おうと近場のバルコニーに出ることにした。そしてそこで驚くことに、君の探し求めていた彼、アステア王国の王太子殿下は皇帝陛下の金印を間諜の手に堕とそうとしていた」
シャルロッテはその大きな瞳に涙を湛えて、ヨハンに縋る。
「王太子の裏切りを目の当たりにした君は、動転して悲鳴を上げた」
「ヨハンお兄様……!」
「己の所業を知られたと悟った王太子は、君に銃を突きつけた」
ヨハンは笑みを深め、シャルロッテの震える手を取り、口づけを落とした。
「私は君を守ろうと、咄嗟に君のドレスのポケットにある小型銃を奪い、彼を撃った」
ヨハンは肩を竦める。
「生憎今日の夜会参加に銃の携帯は認められていなかったし、私は君の幼馴染で、昔から誰より君の近くにいた。君がいつも、どこに護身用の銃を隠しているかなんてことは、当然知っている」
シャルロッテの流れ落ちる涙を指で拭うと、ヨハンはそのままシャルロッテのつるりと陶器のような頬に手を置く。
「私は銃の名手だ。アステア王国の王太子が懐に手をかけるのを目にしてすぐに君のドレスから銃を奪えば、彼より先にトリガーを引いてその額に命中させることなど、造作もない」
頬に置かれたヨハンの手をシャルロッテが自身の手で包み込む。
「わたくしの方が、ヨハンお兄様より小型拳銃の腕は上です」
ヨハンは笑った。
「そうだね、ロッテ。君のピストルの腕は帝国一だ。だけど、君は実戦で人を撃ったことはない」
「先ほどわたくしは……!」
「ないんだよ、ロッテ」
ヨハンは愛おし気な慈愛に満ちた目でシャルロッテに微笑みかける。
「大丈夫。私が彼を撃ったことは正当防衛だ。何も疚しいことはない。私の次期大公としての地位が揺らぐこともないし、アステア王国の奸計から帝国と皇女殿下をお守りした勲章を賜りこそすれ、その逆は決してない」
逆に、シャルロッテが王太子を撃っていたなら。
それがたとえ正当防衛だろうと、シャルロッテは確実に離宮に閉じ込められるだろう。女が男を、ましてや婚約者を撃つなどあってはならない。それも一国の王太子。
属国であったアステア王国の裏切りが背景にあったのだとしても、シャルロッテが女だてらに王太子を撃ち命を奪ったと、アステア王国はシャルロッテが魔女だと糾弾し、王国の罪を軽減しようと、もしかすれば全てが魔女であるシャルロッテの謀であったと言い逃れる手に出るかもしれない。
そうなれば帝国の正当性を各国に示すのに、障害が生じる。
この大陸で女性の地位はとても低く、帝国皇女であろうと例外ではない。
女は男の所有物であり、決して男に逆らってはならない。王侯貴族であればなおのこと。
平民であれば、妻が夫の尻を叩くことはあるかもしれない。
だがシャルロッテは数多の属国を束ねる大帝国の皇女で、平民ではない。
「ロッテ、私の可愛いお姫様。君は私の女王様になるんだ」
ヨハンはシャルロッテを抱きしめる。
バルコニーに降り注ぐ月光が、抱き合う二人と、息絶えた男を照らしていた。
そしてヨハンはそんなシャルロッテの肩を背後からそっと抱えた。
「……愛していたの……」
「うん」
「彼を救いたかったの……」
「わかっているよ」
シャルロッテとヨハンの前には、血濡れた一人の男が倒れていた。
倒れた男は、紺地に唐草模様の金の刺繍が施された、他に類を見ない素晴らしい出来のジュストコールにクラバット、といった豪奢な装いに身を包んでいる。
生気のなく蝋のように白い顔は、額に穴があき血に濡れ、艶のある薄紫色の巻き髪に囲われて、その表情はわからない。
ぴくりとも動かないその手には、回転式小銃があり、反対の手の先には純金製の王印が転がっている。
震えるシャルロッテの手には小型拳銃が握りしめられていた。
3.3インチバレルの携帯性に優れ、グリップセイフティを装備した、シャルロッテの細く小さな手でも扱える護身用の銃。装弾数は八発で、十分なストッピングパワーを有し、反動は少ない。
「ロッテ、これは私が」
トリガーに指をかけたまま固まっているシャルロッテの手。ヨハンは丁寧にほどき、凶器からそっと離した。
それから倒れた男に近寄り、その手の先にある金印を拾い上げる。ジレの胸ポケットからシルクのハンカチーフを取り出して、ヨハンはそれを丁重に包んだ。
ハンカチで包んだ金印を左ポケットに仕舞うと、ヨハンは再びシャルロッテの方へと戻ってくる。
その様子をぼんやりと眺めていたシャルロッテは、ヨハンが銃を自身の内ポケットに仕舞うのを目にすると、途端、弾けるようにヨハンのジュストコールを掴んだ。
「だめ! だめよ、ヨハンお兄様! 何をしていらっしゃるの!」
ヨハンは穏やかに微笑み、蒼白なシャルロッテの頬を撫でた。
「大丈夫。ロッテは何も心配しなくていい。この男が何をしようとしていたか、私が皇帝陛下に諫言するから」
シャルロッテは必死になって、ヨハンに言い募る。
「違いますわ! そういうことではなく! その銃はわたくしのものです! わたくしが、その銃で彼を――」
「ロッテ」
ヨハンがシャルロッテの唇を指で押しとどめる。
「いいかい? ロッテ。君は今晩、具合が悪いと休憩室に下がったパートナーが心配になり、夜会を抜け出した。しかし控室にも応接室にも、ましてや彼に与えられた客室にも、彼の姿はない。どこに行ったのだろうと、彷徨ううち、君は私に出会った」
「ちが……っ」
ヨハンが首を振る。
「パートナーの行方を捜していると聞いた私は、君と共に彼を探すことにした。私達は城の皇族居住区域にまで足を伸ばした。行き詰った私たちは、一度外の空気を吸おうと近場のバルコニーに出ることにした。そしてそこで驚くことに、君の探し求めていた彼、アステア王国の王太子殿下は皇帝陛下の金印を間諜の手に堕とそうとしていた」
シャルロッテはその大きな瞳に涙を湛えて、ヨハンに縋る。
「王太子の裏切りを目の当たりにした君は、動転して悲鳴を上げた」
「ヨハンお兄様……!」
「己の所業を知られたと悟った王太子は、君に銃を突きつけた」
ヨハンは笑みを深め、シャルロッテの震える手を取り、口づけを落とした。
「私は君を守ろうと、咄嗟に君のドレスのポケットにある小型銃を奪い、彼を撃った」
ヨハンは肩を竦める。
「生憎今日の夜会参加に銃の携帯は認められていなかったし、私は君の幼馴染で、昔から誰より君の近くにいた。君がいつも、どこに護身用の銃を隠しているかなんてことは、当然知っている」
シャルロッテの流れ落ちる涙を指で拭うと、ヨハンはそのままシャルロッテのつるりと陶器のような頬に手を置く。
「私は銃の名手だ。アステア王国の王太子が懐に手をかけるのを目にしてすぐに君のドレスから銃を奪えば、彼より先にトリガーを引いてその額に命中させることなど、造作もない」
頬に置かれたヨハンの手をシャルロッテが自身の手で包み込む。
「わたくしの方が、ヨハンお兄様より小型拳銃の腕は上です」
ヨハンは笑った。
「そうだね、ロッテ。君のピストルの腕は帝国一だ。だけど、君は実戦で人を撃ったことはない」
「先ほどわたくしは……!」
「ないんだよ、ロッテ」
ヨハンは愛おし気な慈愛に満ちた目でシャルロッテに微笑みかける。
「大丈夫。私が彼を撃ったことは正当防衛だ。何も疚しいことはない。私の次期大公としての地位が揺らぐこともないし、アステア王国の奸計から帝国と皇女殿下をお守りした勲章を賜りこそすれ、その逆は決してない」
逆に、シャルロッテが王太子を撃っていたなら。
それがたとえ正当防衛だろうと、シャルロッテは確実に離宮に閉じ込められるだろう。女が男を、ましてや婚約者を撃つなどあってはならない。それも一国の王太子。
属国であったアステア王国の裏切りが背景にあったのだとしても、シャルロッテが女だてらに王太子を撃ち命を奪ったと、アステア王国はシャルロッテが魔女だと糾弾し、王国の罪を軽減しようと、もしかすれば全てが魔女であるシャルロッテの謀であったと言い逃れる手に出るかもしれない。
そうなれば帝国の正当性を各国に示すのに、障害が生じる。
この大陸で女性の地位はとても低く、帝国皇女であろうと例外ではない。
女は男の所有物であり、決して男に逆らってはならない。王侯貴族であればなおのこと。
平民であれば、妻が夫の尻を叩くことはあるかもしれない。
だがシャルロッテは数多の属国を束ねる大帝国の皇女で、平民ではない。
「ロッテ、私の可愛いお姫様。君は私の女王様になるんだ」
ヨハンはシャルロッテを抱きしめる。
バルコニーに降り注ぐ月光が、抱き合う二人と、息絶えた男を照らしていた。
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