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6.天使と魔女(暴力描写あり、暴力を許容する意図はありません)
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『数百年前、この国に魔女がいました。魔女は人を呪い、人を殺す恐ろしい存在です。国は脅かされましたが、王様が魔女を退治して平和を取り戻しました。魔女は真っ赤な髪をしていると言い伝えられています』
私がまだ三歳か四歳の頃に乳母が読み聞かせた絵本の内容だ。幼いゆえに魔女を恐ろしく感じたことを覚えている。
「マイロ殿下。あなたは魔女を退治した王様の子孫です。だから立派な国王様になって下さいね」
「わかった。ぼくはりっぱなおうになる」
十歳になった頃、王国の歴史を読んで思い当たることがあった。いつの時代か体に真っ赤な発疹が現れる病が流行し多くの死者を出した。あの絵本は流行り病を魔女に例え、王がそれを打ち負かした比喩で作られたものだった。
事実を知れば魔女など恐ろしくはない。それに私の心には天使が住んでいる。
私は王家の肖像画の一番古い絵が好きだった。初代国王が天使の祝福を受けている絵。その天使は金色の髪に陶器のような肌で可憐な笑みを浮かべている。天使はあまりに美しくて時間が経つのも忘れてその絵を眺めた。
私はある日、その天使に会った。美しい金髪を揺らし隣の女性に無邪気な笑顔を向ける。あの絵とそっくりの笑顔が眩しい。
「まさか実在するのか?」
我に返るとその天使の横には婚約者のオフィーリアがいた。
「あれは誰だ?」
すぐに調べさせると彼女は平民出身だが学園での成績が優秀でヒューズ公爵家の養女になったらしい。そう言えばそんな話を宰相がしていた。基本的に私も王も公務を宰相に任せている。些細なことは部下が処理するべきだからだ。報告は一応聞くが関心はないのでほとんど記憶に残らない。
私とルーシーは出会うべくして出会った。控えめな春の日差しのような笑みが何とも愛らしい。優秀でありながらオフィーリアに遠慮して一歩後ろを歩む控えめさは私の隣に相応しい女性だと思える。私は積極的に交流を持った。名前を呼んで欲しいと言っても遠慮する、その謙虚さは貴族令嬢にはまれでそんなところにも好感を抱く。彼女が私を愛していてもオフィーリアが存在する限り義姉を慮って言葉にはしないだろう。顔を合わせるたびに控えめなルーシーの態度にもどかしさを覚える。
私は婚約者のオフィーリアが嫌いだった。婚約が結ばれたのは十三歳のとき。貴族内は主に王家派と王弟派、そしてヒューズ公爵派に分かれていた。もちろん王家が実権を握っている以上王家派が圧倒的に力を持っている。だが王弟とヒューズ公爵が手を組めばその立場がひっくり返る。王命で決められた王家と私の立場を盤石にするための婚約だった。
婚約する前にオフィーリアを見たことがあった。王宮の庭園で叔父上と楽しそうに話をしていた。珍しい赤い髪だと思ったことが印象に残っている。彼女は無邪気な笑みを叔父上に向けていた。私の心はざわざわとした。その時はその正体が分からなかった。
婚約してオフィーリアと顔を合わせた時に心のざわめきが分かった。唐突に魔女の絵本を思い出したのだ。真っ赤な色の髪を持つ恐ろしい魔女。今の彼女は昔見た時と違い淑女らしい表情と佇まい。感情を見せない姿はまるで冷酷な、まさに魔女のよう。そう、あれは魔女に対する警鐘だ。
オフィーリアは優秀だった。しかも年上の私よりもだ。なによりも不愉快だったのが愛想もなく私の婚約者になれた栄誉に喜びも見せずニコリともしない。こんな女など愛せるはずがない。私は父上に婚約者を変えて欲しいと頼んだ。
「オフィーリアを婚約者にしたのはお前のためだ。そうでなければ王太子の立場が危うくなる」
そう言われれば引き下がるしかない。
ルーシーと出会い私は思いついた。私の天使ルーシーは今、ヒューズ公爵令嬢となった。オフィーリアと同じ公爵令嬢だ。それならばルーシーが私の婚約者になればいい。婚約者の交代を頼んだが父上も母上も平民の血を王家に入れることを絶対に許さないと言った。
仕方なく私は毒を用意し両親に少しずつ盛った。ルーシーを私の天使を手に入れるためだ。認めなかったあなた達が悪い。そしてオフィーリアに冤罪をかけ婚約者から退かせる。理由は些細な、何でもいい。同じヒューズ公爵令嬢に変更するだけだ。問題はない。
どうせなら劇的にと学園卒業式後の夜会を選んだ。ちょうどオフィーリアがルーシーに靴を贈った。夜会で履くためのパンプス。商人を脅して細工をした。予定では私の手を取り並んだ時にヒールが折れて倒れるはずだった。それでオフィーリアがルーシーに恥をかかせ怪我をさせようとしたと断罪するつもりだった。
馬鹿馬鹿しい理由だが後は適当な罪をでっちあげて無理やりこじつけるつもりだった。オフィーリアは領地に閉じ込めてしまえばいい。
ところがルーシーが階段を登りきる前にヒールが折れてしまった。ほぼ上段から下まで真っ逆さまに落ちていく。私は酷く焦った。彼女に怪我をさせるつもりはなかった。大騒ぎになり夜会は中止になった。気が動転したが私はすぐにルーシーを抱えて部屋に運んだ。医者を手配する。騎士にはオフィーリアを捕らえ牢に入れるように命令し、ヒューズ公爵は屋敷に軟禁し監視をするように指示をした。
医者によるとルーシーは無傷だった。本来なら大怪我か下手をすれば命を落としていた。それが無事だったということは彼女こそ神に愛された本物の天使だ。
父上に今回のことはオフィーリアが企てたことだと、彼女は王太子妃に相応しくないから婚約を解消してルーシーを迎えると伝えた。
「駄目だ。平民だけは許さん!!」
そうか。やはり分かってくれないのか。それならば仕方がない。父上は必ず寝酒をする。忠実な従者にその酒に致死量の毒を入れるように命じた。
そのあと私は地下牢へ向かった。牢ではオフィーリアが毅然と顔を上げて私を見た。真っ先に問いかけたのは自分がここに連れてこられた理由ではなくルーシーの安否だった。
「マイロ殿下。ルーシーは無事ですか?」
「もちろん無事だ」
「ああ、よかった!」
オフィーリアが心底安心したという表情を浮かべた。呑気な女だ。自分の立場を理解していない。
「安心する振りなどやめろ。あれはお前のしたことだ。ルーシーに怪我をさせるために」
オフィーリアは目を見開いた。そしてスッと表情を消すと静かな声で言った。
「違います。そんなことをするはずがありません。どうかきちんと調べて下さい。そして私をここから出して下さい」
その冷静さに無性に腹が立った。いつになく大声を出してしまった。
「お前は……お前は本当に可愛げがない。こんな時でも取り乱さない。なぜ私に助けを求めない。泣いて懇願しろ。許しを乞え。そうすれば……」
そうすれば? どうだというのか。自分の気持ちが分からない。私はただオフィーリアを領地に閉じ込めるだけのつもりだった。地下牢に入れたのは衝動的だった。どうしてもこの女を屈服させたいという気持ちが心の底にあった。彼女の懇願を見ればそれですむはずだった。でもオフィーリアはいかなるときもオフィーリアだった。私はそれが許せなかった。
「私に疚しいことはございません。どうか調査を――」
潔癖なまでに澄んだ瞳で私を見上げるオフィーリアに私の中の何かが爆発した。感情のままにオフィーリアの髪を掴んでそのまま拳を振り下ろした。苛立ちは治まらず手は止まらない。やめて、助けてと声が聞こえた気がしたが耳には入らない。もっと早く許しを請わなかったオフィーリアが悪いのだ。
「殿下。これ以上は……」
後ろに控える従者の声で我に返る。従者は青ざめ震えていた。オフィーリアの顔は腫れ鼻血で汚れている。私の手も血で赤く染まっていた。気を失ったのか反応がない。
「湯を持ってこい」
怯えた従者が湯を運ぶまでの間オフィーリアをじっと眺めた。真っ赤な髪が床に広がる。この女は魔女だ。災いの根源。私の心をかき乱す。そうだ。だから私と私の国を守るために退治しなければならない。従者に命じオフィーリアに湯をかけさせた。
「きゃあああああああ――――――」
熱さと痛みに呻く魔女を一瞥し私は天使の待つ部屋へと向かった。もう私を惑わす者はいない。私たちは幸せになる。
「ルーシー。今日は良いことばかりだ。何もかも順調だ。しばらく慌ただしくなるが君はここにいて欲しい。大丈夫。きっと上手くいく」
「マイロ様。私、嬉しいです」
「ああ、ルーシー。幸せになろう」
柔らかい笑みを浮かべる彼女の肩を抱き寄せる。
以前彼女を誘惑しようとした公爵家の馬屋番は処分した。オフィーリアも排除した。これで二人を邪魔する者はいない。私は父上を葬り宰相たちを黙らせてルーシーとの婚約を成立させ安心しきっていた。
だからヒューズ公爵と叔父上が手を組んで動いていることに気付かなかった。
部屋に何の前触れもなく押し入ってきた叔父上が言った。
「私が許可をした。マイロ、陛下を弑した罪で捕縛する」
私は王太子だ。そしてすぐに王になる。体に触れることは許さない。
「私の許しもなく無断で部屋に入っただと。正気か? おい。お前たち叔父上を捕縛せよ」
騎士は私の言葉に動かない。それどころか叔父上の命令に従った。
「やれ」
私は騎士に押さえつけられ身動きが取れない。くそっ。覚えていろよ。
「私に触れるな。下賤なものたちめ。こんなことをして後悔するぞ!!」
すると突然体験のしたことのないほどの、言いようのない、激しい痛みが全身に走る。自分の体の異変が理解できない。
「ぎゃあああああああああああああ――――――!!」
堪えがたい痛みにじっとしていられず床を転げまわる。一体何が起こっているのだ。
ふと目の前に見知らぬ真っ黒い姿をした男が現れる。その男は最初に髪を掴み殴り出した。何度も何度も加減することなく。ようやく手を離したと思ったら熱湯をかけられた。熱い熱い熱い!! 次に剣で切りかかり何度もその腕を振り下ろす。何故私はこんな目に合っている? どうして誰も止めない!!
「痛い!! やめろ、やめてくれ!! うわああああ。だれかこいつを止めろ。私は王太子だ。こんなこと許さない。熱い、熱い、熱い――痛い――――――やめろ――――」
すると目の前から真っ黒な男が消えた。目を瞬くとそこにルーシーがいた。私の天使。私は救いを求めるようにルーシーを見上げた。理由は分からないが彼女なら私を助けられると思った。
「ル、ルーシー。助けてくれ。君は天使の生まれ変わりだ。だから……痛い、痛いんだ。はやく……」
そこには先ほど私に向けてくれた笑みはない。まるで虫けらを見るような侮蔑を含んだ目で冷たく突き放す。可憐で愛する天使の口からは憎しみのこもった声が発せられた。
「ジャックもお義姉様も、もっと苦しんだ。二人ともやめてと助けてと言わなかった? あなたはそれを聞き入れなかった。あなたは同じ痛みを思い知る義務がある」
窓から差し込む夕日がルーシーの髪を真っ赤に染めた。その姿は間違いなく――――。
「お、お前は魔女だったのか……」
いつの間にか私は意識を失ったようだ。次に目を覚ました時は地下牢にいた。饐えた臭いのする灯りのない真っ暗な場所。足は鎖で繋がれ逃げることは出来ない。いや、それ以上に体中が痛くてピクリとも動かせない。どこがどう痛いのかも分からないほどの苦痛に呻く事しか出来ない。何の手当てもされないまま放置されていた。
「わ、わたしは、おうになるおとこだ。だれか、たすけろ……」
やっとの思いで絞り出した声に返す者はいない。ここには誰もいない。私は静かな絶望の中にいた。
苦痛はまだ始まったばかりだった。
私がまだ三歳か四歳の頃に乳母が読み聞かせた絵本の内容だ。幼いゆえに魔女を恐ろしく感じたことを覚えている。
「マイロ殿下。あなたは魔女を退治した王様の子孫です。だから立派な国王様になって下さいね」
「わかった。ぼくはりっぱなおうになる」
十歳になった頃、王国の歴史を読んで思い当たることがあった。いつの時代か体に真っ赤な発疹が現れる病が流行し多くの死者を出した。あの絵本は流行り病を魔女に例え、王がそれを打ち負かした比喩で作られたものだった。
事実を知れば魔女など恐ろしくはない。それに私の心には天使が住んでいる。
私は王家の肖像画の一番古い絵が好きだった。初代国王が天使の祝福を受けている絵。その天使は金色の髪に陶器のような肌で可憐な笑みを浮かべている。天使はあまりに美しくて時間が経つのも忘れてその絵を眺めた。
私はある日、その天使に会った。美しい金髪を揺らし隣の女性に無邪気な笑顔を向ける。あの絵とそっくりの笑顔が眩しい。
「まさか実在するのか?」
我に返るとその天使の横には婚約者のオフィーリアがいた。
「あれは誰だ?」
すぐに調べさせると彼女は平民出身だが学園での成績が優秀でヒューズ公爵家の養女になったらしい。そう言えばそんな話を宰相がしていた。基本的に私も王も公務を宰相に任せている。些細なことは部下が処理するべきだからだ。報告は一応聞くが関心はないのでほとんど記憶に残らない。
私とルーシーは出会うべくして出会った。控えめな春の日差しのような笑みが何とも愛らしい。優秀でありながらオフィーリアに遠慮して一歩後ろを歩む控えめさは私の隣に相応しい女性だと思える。私は積極的に交流を持った。名前を呼んで欲しいと言っても遠慮する、その謙虚さは貴族令嬢にはまれでそんなところにも好感を抱く。彼女が私を愛していてもオフィーリアが存在する限り義姉を慮って言葉にはしないだろう。顔を合わせるたびに控えめなルーシーの態度にもどかしさを覚える。
私は婚約者のオフィーリアが嫌いだった。婚約が結ばれたのは十三歳のとき。貴族内は主に王家派と王弟派、そしてヒューズ公爵派に分かれていた。もちろん王家が実権を握っている以上王家派が圧倒的に力を持っている。だが王弟とヒューズ公爵が手を組めばその立場がひっくり返る。王命で決められた王家と私の立場を盤石にするための婚約だった。
婚約する前にオフィーリアを見たことがあった。王宮の庭園で叔父上と楽しそうに話をしていた。珍しい赤い髪だと思ったことが印象に残っている。彼女は無邪気な笑みを叔父上に向けていた。私の心はざわざわとした。その時はその正体が分からなかった。
婚約してオフィーリアと顔を合わせた時に心のざわめきが分かった。唐突に魔女の絵本を思い出したのだ。真っ赤な色の髪を持つ恐ろしい魔女。今の彼女は昔見た時と違い淑女らしい表情と佇まい。感情を見せない姿はまるで冷酷な、まさに魔女のよう。そう、あれは魔女に対する警鐘だ。
オフィーリアは優秀だった。しかも年上の私よりもだ。なによりも不愉快だったのが愛想もなく私の婚約者になれた栄誉に喜びも見せずニコリともしない。こんな女など愛せるはずがない。私は父上に婚約者を変えて欲しいと頼んだ。
「オフィーリアを婚約者にしたのはお前のためだ。そうでなければ王太子の立場が危うくなる」
そう言われれば引き下がるしかない。
ルーシーと出会い私は思いついた。私の天使ルーシーは今、ヒューズ公爵令嬢となった。オフィーリアと同じ公爵令嬢だ。それならばルーシーが私の婚約者になればいい。婚約者の交代を頼んだが父上も母上も平民の血を王家に入れることを絶対に許さないと言った。
仕方なく私は毒を用意し両親に少しずつ盛った。ルーシーを私の天使を手に入れるためだ。認めなかったあなた達が悪い。そしてオフィーリアに冤罪をかけ婚約者から退かせる。理由は些細な、何でもいい。同じヒューズ公爵令嬢に変更するだけだ。問題はない。
どうせなら劇的にと学園卒業式後の夜会を選んだ。ちょうどオフィーリアがルーシーに靴を贈った。夜会で履くためのパンプス。商人を脅して細工をした。予定では私の手を取り並んだ時にヒールが折れて倒れるはずだった。それでオフィーリアがルーシーに恥をかかせ怪我をさせようとしたと断罪するつもりだった。
馬鹿馬鹿しい理由だが後は適当な罪をでっちあげて無理やりこじつけるつもりだった。オフィーリアは領地に閉じ込めてしまえばいい。
ところがルーシーが階段を登りきる前にヒールが折れてしまった。ほぼ上段から下まで真っ逆さまに落ちていく。私は酷く焦った。彼女に怪我をさせるつもりはなかった。大騒ぎになり夜会は中止になった。気が動転したが私はすぐにルーシーを抱えて部屋に運んだ。医者を手配する。騎士にはオフィーリアを捕らえ牢に入れるように命令し、ヒューズ公爵は屋敷に軟禁し監視をするように指示をした。
医者によるとルーシーは無傷だった。本来なら大怪我か下手をすれば命を落としていた。それが無事だったということは彼女こそ神に愛された本物の天使だ。
父上に今回のことはオフィーリアが企てたことだと、彼女は王太子妃に相応しくないから婚約を解消してルーシーを迎えると伝えた。
「駄目だ。平民だけは許さん!!」
そうか。やはり分かってくれないのか。それならば仕方がない。父上は必ず寝酒をする。忠実な従者にその酒に致死量の毒を入れるように命じた。
そのあと私は地下牢へ向かった。牢ではオフィーリアが毅然と顔を上げて私を見た。真っ先に問いかけたのは自分がここに連れてこられた理由ではなくルーシーの安否だった。
「マイロ殿下。ルーシーは無事ですか?」
「もちろん無事だ」
「ああ、よかった!」
オフィーリアが心底安心したという表情を浮かべた。呑気な女だ。自分の立場を理解していない。
「安心する振りなどやめろ。あれはお前のしたことだ。ルーシーに怪我をさせるために」
オフィーリアは目を見開いた。そしてスッと表情を消すと静かな声で言った。
「違います。そんなことをするはずがありません。どうかきちんと調べて下さい。そして私をここから出して下さい」
その冷静さに無性に腹が立った。いつになく大声を出してしまった。
「お前は……お前は本当に可愛げがない。こんな時でも取り乱さない。なぜ私に助けを求めない。泣いて懇願しろ。許しを乞え。そうすれば……」
そうすれば? どうだというのか。自分の気持ちが分からない。私はただオフィーリアを領地に閉じ込めるだけのつもりだった。地下牢に入れたのは衝動的だった。どうしてもこの女を屈服させたいという気持ちが心の底にあった。彼女の懇願を見ればそれですむはずだった。でもオフィーリアはいかなるときもオフィーリアだった。私はそれが許せなかった。
「私に疚しいことはございません。どうか調査を――」
潔癖なまでに澄んだ瞳で私を見上げるオフィーリアに私の中の何かが爆発した。感情のままにオフィーリアの髪を掴んでそのまま拳を振り下ろした。苛立ちは治まらず手は止まらない。やめて、助けてと声が聞こえた気がしたが耳には入らない。もっと早く許しを請わなかったオフィーリアが悪いのだ。
「殿下。これ以上は……」
後ろに控える従者の声で我に返る。従者は青ざめ震えていた。オフィーリアの顔は腫れ鼻血で汚れている。私の手も血で赤く染まっていた。気を失ったのか反応がない。
「湯を持ってこい」
怯えた従者が湯を運ぶまでの間オフィーリアをじっと眺めた。真っ赤な髪が床に広がる。この女は魔女だ。災いの根源。私の心をかき乱す。そうだ。だから私と私の国を守るために退治しなければならない。従者に命じオフィーリアに湯をかけさせた。
「きゃあああああああ――――――」
熱さと痛みに呻く魔女を一瞥し私は天使の待つ部屋へと向かった。もう私を惑わす者はいない。私たちは幸せになる。
「ルーシー。今日は良いことばかりだ。何もかも順調だ。しばらく慌ただしくなるが君はここにいて欲しい。大丈夫。きっと上手くいく」
「マイロ様。私、嬉しいです」
「ああ、ルーシー。幸せになろう」
柔らかい笑みを浮かべる彼女の肩を抱き寄せる。
以前彼女を誘惑しようとした公爵家の馬屋番は処分した。オフィーリアも排除した。これで二人を邪魔する者はいない。私は父上を葬り宰相たちを黙らせてルーシーとの婚約を成立させ安心しきっていた。
だからヒューズ公爵と叔父上が手を組んで動いていることに気付かなかった。
部屋に何の前触れもなく押し入ってきた叔父上が言った。
「私が許可をした。マイロ、陛下を弑した罪で捕縛する」
私は王太子だ。そしてすぐに王になる。体に触れることは許さない。
「私の許しもなく無断で部屋に入っただと。正気か? おい。お前たち叔父上を捕縛せよ」
騎士は私の言葉に動かない。それどころか叔父上の命令に従った。
「やれ」
私は騎士に押さえつけられ身動きが取れない。くそっ。覚えていろよ。
「私に触れるな。下賤なものたちめ。こんなことをして後悔するぞ!!」
すると突然体験のしたことのないほどの、言いようのない、激しい痛みが全身に走る。自分の体の異変が理解できない。
「ぎゃあああああああああああああ――――――!!」
堪えがたい痛みにじっとしていられず床を転げまわる。一体何が起こっているのだ。
ふと目の前に見知らぬ真っ黒い姿をした男が現れる。その男は最初に髪を掴み殴り出した。何度も何度も加減することなく。ようやく手を離したと思ったら熱湯をかけられた。熱い熱い熱い!! 次に剣で切りかかり何度もその腕を振り下ろす。何故私はこんな目に合っている? どうして誰も止めない!!
「痛い!! やめろ、やめてくれ!! うわああああ。だれかこいつを止めろ。私は王太子だ。こんなこと許さない。熱い、熱い、熱い――痛い――――――やめろ――――」
すると目の前から真っ黒な男が消えた。目を瞬くとそこにルーシーがいた。私の天使。私は救いを求めるようにルーシーを見上げた。理由は分からないが彼女なら私を助けられると思った。
「ル、ルーシー。助けてくれ。君は天使の生まれ変わりだ。だから……痛い、痛いんだ。はやく……」
そこには先ほど私に向けてくれた笑みはない。まるで虫けらを見るような侮蔑を含んだ目で冷たく突き放す。可憐で愛する天使の口からは憎しみのこもった声が発せられた。
「ジャックもお義姉様も、もっと苦しんだ。二人ともやめてと助けてと言わなかった? あなたはそれを聞き入れなかった。あなたは同じ痛みを思い知る義務がある」
窓から差し込む夕日がルーシーの髪を真っ赤に染めた。その姿は間違いなく――――。
「お、お前は魔女だったのか……」
いつの間にか私は意識を失ったようだ。次に目を覚ました時は地下牢にいた。饐えた臭いのする灯りのない真っ暗な場所。足は鎖で繋がれ逃げることは出来ない。いや、それ以上に体中が痛くてピクリとも動かせない。どこがどう痛いのかも分からないほどの苦痛に呻く事しか出来ない。何の手当てもされないまま放置されていた。
「わ、わたしは、おうになるおとこだ。だれか、たすけろ……」
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