19 / 26
【5】
愛はときにうるさくて
しおりを挟む
函館と聞いて何を思い浮かべますか?
「えっ、社長、函館初めてなんですか!? それじゃ方角的にまずはベイエリアを目指しましょう! 駐車場に車を置いて、元町エリアを歩きながら向かっても良いかもしれません。せっかくの機会なので、ここぞとばかりに観光です!」
車載ナビにベイエリア赤レンガ倉庫群を目的地として入力し、龍子は助手席で意気揚々と言った。
「観光はやぶさかじゃないけど、古河さんはそれで良いのか。地元なら見慣れているだろ」
猫宮は反論というほど強くはないものの、不思議そうに尋ねてくる。
その一言一言に、龍子は早口かつ百倍の分量で返してしまった。
「何度来ても良いものは良いんです! ベイエリアは景色が綺麗で潮風が気持ち良いのでただ歩くだけでも楽しいですし、天気が悪くても屋内施設、明治館をはじめとした見どころがたくさんあります。だいたい、地元で成立したカップルはここで最初にデートするんじゃないでしょうか。遭遇率がすごいです。『あの二人付き合い始めたんだ!』て感じ。もちろんグルメも満喫できます。函館B級グルメの代名詞、ラッキーピエロの本店はいつも行列ですね。店内の座席がブランコになってるんですよ。その隣にはやきとり弁当で有名なハセガワストアもあります。コンビニなんですけど、お店の中で焼き鳥を焼いていて、その場で注文するシステムです。こう、焼き鳥のタレとのり弁のハーモニーがすごくて、一度食べたら忘れられない味になりますよ。そうだ、焼き鳥って北海道では鶏肉ではなく精肉の串を言うんですけど、ハセストのやきとり弁当も精肉です。美味しいのですよ~。もちろん私は、サイズは大で」
郷土愛(※うるさい)。
地元トーク(※過剰)。
……話しながら窓の外の景色を見て騒いでいるうちに、あっという間に目的地へ到着。
有料駐車場に車を入れ、最低限の荷物だけを手に持ち、降車。
海からの風が吹き抜け、龍子の長い黒髪を弄んだ。
今日は、自分で購入・準備している時間もなかったので、猫宮家のクローゼットに用意してもらっていた私服から、秋色のレトロ柄ワンピースを選んで着てきていた。
猫宮は、品の良いシャツにジャケット、チノパン。顔が小さく手足の長い黄金比のバランスで、シンプルな装いがスタイルの良さを引き立てている。
(最強彼氏コーデ……! こ、これは絶対にモテる。社長、人間形態もめちゃくちゃ格好いい)
いまさら気付いて慄いて、一歩ひいた龍子に対し、猫宮は肩越しに振り返る。
「どうした? ああ、ここ、地元カップルが最初に来るデートスポットなんだっけ。せっかくだから、手をつなごうか」
透き通るような目に煌めきを浮かべ、口角を上げつつ手を差し出してきた。
龍子はバッグの持ち手を握りしめて、小さく悲鳴を上げながらさらに後退した。
「やめてください! 知り合いに会ったら確実に付き合ってるって思われます! 上司と部下って言っても誰も信じません! 社長と平社員なのに、ありえないです」
「なるほど。上司と部下だな。だとするとこれはセクハラだ。危ない危ない」
深く納得したように言われ、龍子はがくがくと頷いた。
(誰がどう見ても釣り合わないし、社長には婚約を噂されるご令嬢もいるっていうのに。私と変な噂になったら、どうするつもりですか)
十分に距離をおいてから息を吐きだし、念押しをする。
「言い訳が必要なことはしない方が良いです。自分の立場を考えてください」
「俺の立場というと、猫なんだなぁ」
「ああ~、そうだった。猫チャンだった……。急に格好いい私服姿を見せつけてくるから、人間みたいな気がしていたけど、猫でした。すみません。人間でも格好いいってあんまり意識したことなくて。仕事中のスーツももちろん格好いいんですけどね。できる男っぽくて、ドラマかよっていう」
余計なことまで言い過ぎた。自分の口を呪う。
猫宮は口元をほころばせて「はいはい」と流して先に立ち、歩き始めた。すぐに立ち止まって、「古河さん」と声をかけてくる。
「俺が先に歩くと、たぶん道に迷うよ。案内を頼む。頼りにしてるんだ、地元民」
「はいっ。おまかせください!」
小走りに横に追いついて、並んで歩き出す。どうかすると肩がぶつかるような距離で、龍子は慌てて少しだけ離れた。
今はこれが精一杯で、この先はこれ以上近づくことはないはず。
猫化の問題が解決するまでの、期限付きの関係なのだから。
「せっかくなら、そのお弁当買って行こうか。天気も良いし、外で食べても気持ちよさそう」
「そうですね! さめても美味しい、なぜならお弁当なので。ぜひ!」
赤レンガの立ち並ぶ石畳へと、龍子は足取りも軽く踏み出した。
* * *
日本全国、あちこちに同じ地名があり、たとえば町の元になった地域をさしていう「元町」などは、横浜、神戸と有名どころがずらりと並ぶ。
函館の元町もまた例にもれず。江戸末期からの海外交流がもたらした異国情緒色濃い街並みが特徴で、現在も観光地として人をひきつけている。
「これは日本最古のコンクリート電柱です。地味にすごいです。ちなみに函館山のふもとの函館公園には、現存する国内最古の観覧車もありますよ」
目当ての弁当をテイクアウトで買い求めて後、ベイエリアから元町へと抜ける間、龍子はここぞとばかりに見どころを猫宮に説明し続けた。
「この道沿いの建物も、明治・大正期のものが多くあって、今でもお店として使われているものがいくつもあります。坂の上の教会は外から見るだけでも楽しめますし、旧相馬家住宅のように、かつての個人宅でいまは一般公開されている建物もあります。あとはレトロ建築好きとしては旧函館区公会堂、旧イギリス領事館もおさえておきたいですね。猫宮邸に普段からお住まいの社長には『うちと似てるな』くらいの感覚かもしれませんが……」
「いや、興味ある。時間があったらぜひ行こう」
さしあたりの目的地である、元の祖父母の屋敷へと向かう道すがら、龍子は目についたものをさらに休みなく話す。その龍子にとって、猫宮は良い聞き役であった。地元の話を熱心に聞いてもらえると、素直に嬉しい。
険しい坂を登り、だんだんと山に近づいて、いよいよ未舗装の道へと到達。
そこは、車でも通れなくはないが、すれ違うのは難しいほどの細い道。
鬱蒼と茂った木々が左右から枝を張り巡らせていて、明るく晴れ渡った昼間だというのに、少しだけ薄暗い。奥の方は判然とせず、案内板などももちろんないので、立ち入るには少々覚悟がいる。
「ここです。この先です」
龍子が言うと、猫宮は神妙な面持ちで道の先を見やった。
人通りは少し前から絶えていて、梢が揺れて葉擦れの音だけがざわざと耳につく。
「……行こう」
猫宮の決然とした横顔に、それまでのべつくまなく話し続けていた龍子も急に緊張してきた。
(やっぱり、紗和子さんの手記に何か、函館に関する記載があったのかな……)
前の日曜日は二人で資料を当たっていたし、平日の夜も家に帰ってから資料読みを進めてはいた。だが、一族で最後に猫化が確認されたという女性の手記は、あまりに達筆で龍子には解読が不可だった。
犬島と猫宮が額を付き合わせて、かろうじて読み進められる、というレベル。したがって、そこに何が書かれていたのか、龍子は説明を受けた以上のことは把握していない。
もちろん気にはなっていたが、必要であれば話してくれるだろうと信じて、自分からは教えて欲しいと騒がないようにしていた。
今になって、それで良かったのか、と気がかりになってきた。
焦りとも言う。
そもそも、ここまでの道でとにかくテンションを上げてきたのも、そうしていなけれな落ち着かなかったせいでもある。
もちろん、単に郷土愛が強くて話したくて仕方なかったというのも理由のひとつではあるので、あまり深刻ぶるものでもなかったが。
「社長、もしかして屋敷に関して、何かあたりをつけていることがありますか」
気になるなら、ここで聞いておくに限る。
そう決意して、歩きながら龍子は尋ねてみた。
返事はなく。
「社長?」
呼びかけたそのとき、強い風が吹いてざわざと梢が揺れた。
同時に、ぐらぐらと地面が揺れるような、天地が逆さまになるような感覚があった。
足元をふらつかせながら、視線を走らせる。猫宮の姿がない。
にゃあん。
猫がひとこえ鳴いた。
そちらを見ようと龍子が顔をめぐらせたとき、足元をすり抜けて、三毛猫が走り出した。
道の先、屋敷の方角へと。
(社長、猫化!?)
見失ってはいけないと、龍子も後を追って駆け出した。
「えっ、社長、函館初めてなんですか!? それじゃ方角的にまずはベイエリアを目指しましょう! 駐車場に車を置いて、元町エリアを歩きながら向かっても良いかもしれません。せっかくの機会なので、ここぞとばかりに観光です!」
車載ナビにベイエリア赤レンガ倉庫群を目的地として入力し、龍子は助手席で意気揚々と言った。
「観光はやぶさかじゃないけど、古河さんはそれで良いのか。地元なら見慣れているだろ」
猫宮は反論というほど強くはないものの、不思議そうに尋ねてくる。
その一言一言に、龍子は早口かつ百倍の分量で返してしまった。
「何度来ても良いものは良いんです! ベイエリアは景色が綺麗で潮風が気持ち良いのでただ歩くだけでも楽しいですし、天気が悪くても屋内施設、明治館をはじめとした見どころがたくさんあります。だいたい、地元で成立したカップルはここで最初にデートするんじゃないでしょうか。遭遇率がすごいです。『あの二人付き合い始めたんだ!』て感じ。もちろんグルメも満喫できます。函館B級グルメの代名詞、ラッキーピエロの本店はいつも行列ですね。店内の座席がブランコになってるんですよ。その隣にはやきとり弁当で有名なハセガワストアもあります。コンビニなんですけど、お店の中で焼き鳥を焼いていて、その場で注文するシステムです。こう、焼き鳥のタレとのり弁のハーモニーがすごくて、一度食べたら忘れられない味になりますよ。そうだ、焼き鳥って北海道では鶏肉ではなく精肉の串を言うんですけど、ハセストのやきとり弁当も精肉です。美味しいのですよ~。もちろん私は、サイズは大で」
郷土愛(※うるさい)。
地元トーク(※過剰)。
……話しながら窓の外の景色を見て騒いでいるうちに、あっという間に目的地へ到着。
有料駐車場に車を入れ、最低限の荷物だけを手に持ち、降車。
海からの風が吹き抜け、龍子の長い黒髪を弄んだ。
今日は、自分で購入・準備している時間もなかったので、猫宮家のクローゼットに用意してもらっていた私服から、秋色のレトロ柄ワンピースを選んで着てきていた。
猫宮は、品の良いシャツにジャケット、チノパン。顔が小さく手足の長い黄金比のバランスで、シンプルな装いがスタイルの良さを引き立てている。
(最強彼氏コーデ……! こ、これは絶対にモテる。社長、人間形態もめちゃくちゃ格好いい)
いまさら気付いて慄いて、一歩ひいた龍子に対し、猫宮は肩越しに振り返る。
「どうした? ああ、ここ、地元カップルが最初に来るデートスポットなんだっけ。せっかくだから、手をつなごうか」
透き通るような目に煌めきを浮かべ、口角を上げつつ手を差し出してきた。
龍子はバッグの持ち手を握りしめて、小さく悲鳴を上げながらさらに後退した。
「やめてください! 知り合いに会ったら確実に付き合ってるって思われます! 上司と部下って言っても誰も信じません! 社長と平社員なのに、ありえないです」
「なるほど。上司と部下だな。だとするとこれはセクハラだ。危ない危ない」
深く納得したように言われ、龍子はがくがくと頷いた。
(誰がどう見ても釣り合わないし、社長には婚約を噂されるご令嬢もいるっていうのに。私と変な噂になったら、どうするつもりですか)
十分に距離をおいてから息を吐きだし、念押しをする。
「言い訳が必要なことはしない方が良いです。自分の立場を考えてください」
「俺の立場というと、猫なんだなぁ」
「ああ~、そうだった。猫チャンだった……。急に格好いい私服姿を見せつけてくるから、人間みたいな気がしていたけど、猫でした。すみません。人間でも格好いいってあんまり意識したことなくて。仕事中のスーツももちろん格好いいんですけどね。できる男っぽくて、ドラマかよっていう」
余計なことまで言い過ぎた。自分の口を呪う。
猫宮は口元をほころばせて「はいはい」と流して先に立ち、歩き始めた。すぐに立ち止まって、「古河さん」と声をかけてくる。
「俺が先に歩くと、たぶん道に迷うよ。案内を頼む。頼りにしてるんだ、地元民」
「はいっ。おまかせください!」
小走りに横に追いついて、並んで歩き出す。どうかすると肩がぶつかるような距離で、龍子は慌てて少しだけ離れた。
今はこれが精一杯で、この先はこれ以上近づくことはないはず。
猫化の問題が解決するまでの、期限付きの関係なのだから。
「せっかくなら、そのお弁当買って行こうか。天気も良いし、外で食べても気持ちよさそう」
「そうですね! さめても美味しい、なぜならお弁当なので。ぜひ!」
赤レンガの立ち並ぶ石畳へと、龍子は足取りも軽く踏み出した。
* * *
日本全国、あちこちに同じ地名があり、たとえば町の元になった地域をさしていう「元町」などは、横浜、神戸と有名どころがずらりと並ぶ。
函館の元町もまた例にもれず。江戸末期からの海外交流がもたらした異国情緒色濃い街並みが特徴で、現在も観光地として人をひきつけている。
「これは日本最古のコンクリート電柱です。地味にすごいです。ちなみに函館山のふもとの函館公園には、現存する国内最古の観覧車もありますよ」
目当ての弁当をテイクアウトで買い求めて後、ベイエリアから元町へと抜ける間、龍子はここぞとばかりに見どころを猫宮に説明し続けた。
「この道沿いの建物も、明治・大正期のものが多くあって、今でもお店として使われているものがいくつもあります。坂の上の教会は外から見るだけでも楽しめますし、旧相馬家住宅のように、かつての個人宅でいまは一般公開されている建物もあります。あとはレトロ建築好きとしては旧函館区公会堂、旧イギリス領事館もおさえておきたいですね。猫宮邸に普段からお住まいの社長には『うちと似てるな』くらいの感覚かもしれませんが……」
「いや、興味ある。時間があったらぜひ行こう」
さしあたりの目的地である、元の祖父母の屋敷へと向かう道すがら、龍子は目についたものをさらに休みなく話す。その龍子にとって、猫宮は良い聞き役であった。地元の話を熱心に聞いてもらえると、素直に嬉しい。
険しい坂を登り、だんだんと山に近づいて、いよいよ未舗装の道へと到達。
そこは、車でも通れなくはないが、すれ違うのは難しいほどの細い道。
鬱蒼と茂った木々が左右から枝を張り巡らせていて、明るく晴れ渡った昼間だというのに、少しだけ薄暗い。奥の方は判然とせず、案内板などももちろんないので、立ち入るには少々覚悟がいる。
「ここです。この先です」
龍子が言うと、猫宮は神妙な面持ちで道の先を見やった。
人通りは少し前から絶えていて、梢が揺れて葉擦れの音だけがざわざと耳につく。
「……行こう」
猫宮の決然とした横顔に、それまでのべつくまなく話し続けていた龍子も急に緊張してきた。
(やっぱり、紗和子さんの手記に何か、函館に関する記載があったのかな……)
前の日曜日は二人で資料を当たっていたし、平日の夜も家に帰ってから資料読みを進めてはいた。だが、一族で最後に猫化が確認されたという女性の手記は、あまりに達筆で龍子には解読が不可だった。
犬島と猫宮が額を付き合わせて、かろうじて読み進められる、というレベル。したがって、そこに何が書かれていたのか、龍子は説明を受けた以上のことは把握していない。
もちろん気にはなっていたが、必要であれば話してくれるだろうと信じて、自分からは教えて欲しいと騒がないようにしていた。
今になって、それで良かったのか、と気がかりになってきた。
焦りとも言う。
そもそも、ここまでの道でとにかくテンションを上げてきたのも、そうしていなけれな落ち着かなかったせいでもある。
もちろん、単に郷土愛が強くて話したくて仕方なかったというのも理由のひとつではあるので、あまり深刻ぶるものでもなかったが。
「社長、もしかして屋敷に関して、何かあたりをつけていることがありますか」
気になるなら、ここで聞いておくに限る。
そう決意して、歩きながら龍子は尋ねてみた。
返事はなく。
「社長?」
呼びかけたそのとき、強い風が吹いてざわざと梢が揺れた。
同時に、ぐらぐらと地面が揺れるような、天地が逆さまになるような感覚があった。
足元をふらつかせながら、視線を走らせる。猫宮の姿がない。
にゃあん。
猫がひとこえ鳴いた。
そちらを見ようと龍子が顔をめぐらせたとき、足元をすり抜けて、三毛猫が走り出した。
道の先、屋敷の方角へと。
(社長、猫化!?)
見失ってはいけないと、龍子も後を追って駆け出した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
55
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる