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五話 幸福な歌
教会に身を寄せた翌日、見慣れた鞄が私の個室に届けられた。
ブロリーン男爵家からローゼンタール伯爵家に嫁ぐときに持っていった、愛用の旅行鞄だった。
シスター・ハンナは微笑むだけで、誰が持ってきたのか教えてくれなかった。
ただ、「あなたは一人じゃない。あなたを大切に思ってくれる味方はいます。大丈夫。今は難しく考えないで心と体を労わりなさい」と、優しく声をかけられた。
そういえば、シャンドリー卿の傷をお医者様に診てもらえたという話を聞いた。
定期的に孤児院の子供達へ健康診断に訪れるお医者様がいるらしく、朝早くに来られて、シャンドリー卿の足の治療をしてくれたそうだ。
彼のいう通り、骨に異常はなく打撲と診断されたらしい。ただ、昨晩から熱を出しているとのこと。見舞いに行きたいと申し出たが、私も無理をすれば体を壊してしまうから、二人が落ち着いてから面会するように勧められた。
遅めの朝食を部屋でいただき、届けられた鞄の中を確認する。
そこには、オムツや赤子の服、女性の下着と、町娘風のワンピースや靴、金貨十枚、手紙が入っていた。
『リリーシア様へ
あまり時間がないので、手短に。申し訳ありません。
オムツや衣類等は店で適当に購入した物です。好みに合えば幸いです。
少ないですが金貨も入れてあります。
必要な物はそちらで購入してください。
リリーシア様の日記帳はお預かりしています。
私共で、独自に再調査し、リリーシア様の無実を証明してみせますので、どうか気持ちを強くお持ちください』
差出人の名前はどこにも記載がない。
滑らかで美しい字。
鞄に抜かりなく女性の下着等が入っていたので、服をつめた人は女性の可能性が高い。
私の日記帳を預かっていると記載がある。
ローゼンタール伯爵家の関係者ね……
誰だろう……
身の回りの世話は、基本的にイモージェンが取り仕切っていた。メイドのアンリ?サディア?それともクローズ?
たぶん、全員違うわ。
遠目だったが、ローゼンタール伯爵家の外門を閉じられたとき、玄関前で嘲笑している姿が見えた。
「……」
思い出すと胸が痛い。
あんなに仲良くしていたのに……
不意に頭をよぎるのは、妊娠中、気晴らしのため、庭園で彼女たちとピクニックをした光景だった。
『リリーシア様は本当にお優しいです』
『旦那様は幸せ者ですね』
『どこから見てもお似合いのお二人ですわ』
『お二人の幸せがいつまでも続くことを、家臣一同願っていますわ』
柔らかな日差しの中、彼女たちは笑って……私たちを祝福してくれた。
その裏で、イモージェンはエドワードと不貞行為をし、きっとメイドたちは私のことを笑っていたのだろう。
人とは、恐ろしいものなのね。
でも……
「これが貴族社会なのよね……」
隙を見せれば簡単に蹴落とされる。
エドワードに『愛されて結婚した』と、油断していたのは否めない。最終決定権を持っているエドワードが味方なのだから、必ず私を守ってくれると信じていた。
バカよね……
エドワードからの信頼や愛情を失えば、こんなにあっさり捨てられるのに。
「ふっ……ふぇ……」
娘がグズリ出した。
オムツかしら?
確認したけど汚れていない。
唇に指を当てると、唇がムニムニと動いた。
さっき授乳したのに足りなかったのかしら?
手早く前を開き、娘にお乳をあげる。
力強く吸い付く姿は、本当に可愛い。
「いっぱい飲んで、元気に育ってね」
返事をするわけではないが、お乳を飲む姿に娘の生命力のようなものを感じる。
生まれたばかりなのに、生きるために必死に飲んで、意思を伝えるために泣いて、大きくなるためによく寝る。
この愛しい存在を、守りたい。
いいえ、絶対に守るわ。
そのために、まずは名前を決めなくちゃ!
どんな名前にしようかしら……
この子には幸せになって欲しい。
いっぱい笑って、みんなに愛されて。
それから……強い子になってほしい。
ずる賢いとか、強かなといった強さではなくて、心に一本筋が通っている、誇り高く、誠実な人になって欲しい。
娘の顔を見たら、口を動かしながら目をつぶっている。どうやらお乳を飲みながら寝てしまったようだ。
「ふふっ……」
可愛くて、頭を優しく撫でると、思い出したように口を動かす。
このまま寝かせてあげたいが、ゲップをしないとお乳を吐き出してしまうわ。
私は娘の体を持ち上げ、背中をトントンと叩いた。
「……けぷっ……」
可愛いゲップだ。
「ふぇ……ふぇっ……」
「ごめんね、起こしちゃったね」
私は立ち上がり、体を優しく揺らした。
リズム良く揺れていると、外からかすかに歌声が聞こえた。
窓を開けると、子供たちの歌声だとわかった。
どうやら、子供たちが結婚式の聖歌を練習しているようだ。
『誠実な気持ちで進み行かれよ
愛の祝福に満ちた場所へ
誠実なる勇気と愛の恵みにより
汝等は貞淑で祝福された夫婦となろう
若き勇者 歩み行かれよ
若き花嫁よ 歩み行かれよ
祝宴のざわめきはもう過ぎ去った
心の歓喜に満たされる時なり』
貴族街の大聖堂で結婚式を挙げたときに、この歌を聞いた。規律を重んじるような一糸乱れぬ歌声だった。
同じ歌なのに、今聞いている歌はとても自由な気持ちになる。歌っている子供たちが自由に歌っているからだろうか?
窓の下を見ると、子供五人が輪になって、楽しく歌っていた。
みんな目を合わせお互いに意思疎通を図り合う。さらによく見ると一人で歌うパートがあるのかと思えば、また全員で息を合わせる、等々変幻自在に歌っている。
自由で、楽しく、そして何より美しいと感激した。
あぁ……
「アリア……」
古代語で『幸福な歌』という意味がある。
幸せな歌を誰かと歌い合える。そんな人生をこの子に歩んでほしいと思った。
「あなたの名前は、アリア。アリア」
名前を呼ぶと、瞳がこちらを見た。
「気に入った?」
返事をするわけではないが、何だか嬉しそうにしているように感じた。ふふっ、違うわね。私が嬉しいの。
私、母親になるのね。
ブロリーン男爵家からローゼンタール伯爵家に嫁ぐときに持っていった、愛用の旅行鞄だった。
シスター・ハンナは微笑むだけで、誰が持ってきたのか教えてくれなかった。
ただ、「あなたは一人じゃない。あなたを大切に思ってくれる味方はいます。大丈夫。今は難しく考えないで心と体を労わりなさい」と、優しく声をかけられた。
そういえば、シャンドリー卿の傷をお医者様に診てもらえたという話を聞いた。
定期的に孤児院の子供達へ健康診断に訪れるお医者様がいるらしく、朝早くに来られて、シャンドリー卿の足の治療をしてくれたそうだ。
彼のいう通り、骨に異常はなく打撲と診断されたらしい。ただ、昨晩から熱を出しているとのこと。見舞いに行きたいと申し出たが、私も無理をすれば体を壊してしまうから、二人が落ち着いてから面会するように勧められた。
遅めの朝食を部屋でいただき、届けられた鞄の中を確認する。
そこには、オムツや赤子の服、女性の下着と、町娘風のワンピースや靴、金貨十枚、手紙が入っていた。
『リリーシア様へ
あまり時間がないので、手短に。申し訳ありません。
オムツや衣類等は店で適当に購入した物です。好みに合えば幸いです。
少ないですが金貨も入れてあります。
必要な物はそちらで購入してください。
リリーシア様の日記帳はお預かりしています。
私共で、独自に再調査し、リリーシア様の無実を証明してみせますので、どうか気持ちを強くお持ちください』
差出人の名前はどこにも記載がない。
滑らかで美しい字。
鞄に抜かりなく女性の下着等が入っていたので、服をつめた人は女性の可能性が高い。
私の日記帳を預かっていると記載がある。
ローゼンタール伯爵家の関係者ね……
誰だろう……
身の回りの世話は、基本的にイモージェンが取り仕切っていた。メイドのアンリ?サディア?それともクローズ?
たぶん、全員違うわ。
遠目だったが、ローゼンタール伯爵家の外門を閉じられたとき、玄関前で嘲笑している姿が見えた。
「……」
思い出すと胸が痛い。
あんなに仲良くしていたのに……
不意に頭をよぎるのは、妊娠中、気晴らしのため、庭園で彼女たちとピクニックをした光景だった。
『リリーシア様は本当にお優しいです』
『旦那様は幸せ者ですね』
『どこから見てもお似合いのお二人ですわ』
『お二人の幸せがいつまでも続くことを、家臣一同願っていますわ』
柔らかな日差しの中、彼女たちは笑って……私たちを祝福してくれた。
その裏で、イモージェンはエドワードと不貞行為をし、きっとメイドたちは私のことを笑っていたのだろう。
人とは、恐ろしいものなのね。
でも……
「これが貴族社会なのよね……」
隙を見せれば簡単に蹴落とされる。
エドワードに『愛されて結婚した』と、油断していたのは否めない。最終決定権を持っているエドワードが味方なのだから、必ず私を守ってくれると信じていた。
バカよね……
エドワードからの信頼や愛情を失えば、こんなにあっさり捨てられるのに。
「ふっ……ふぇ……」
娘がグズリ出した。
オムツかしら?
確認したけど汚れていない。
唇に指を当てると、唇がムニムニと動いた。
さっき授乳したのに足りなかったのかしら?
手早く前を開き、娘にお乳をあげる。
力強く吸い付く姿は、本当に可愛い。
「いっぱい飲んで、元気に育ってね」
返事をするわけではないが、お乳を飲む姿に娘の生命力のようなものを感じる。
生まれたばかりなのに、生きるために必死に飲んで、意思を伝えるために泣いて、大きくなるためによく寝る。
この愛しい存在を、守りたい。
いいえ、絶対に守るわ。
そのために、まずは名前を決めなくちゃ!
どんな名前にしようかしら……
この子には幸せになって欲しい。
いっぱい笑って、みんなに愛されて。
それから……強い子になってほしい。
ずる賢いとか、強かなといった強さではなくて、心に一本筋が通っている、誇り高く、誠実な人になって欲しい。
娘の顔を見たら、口を動かしながら目をつぶっている。どうやらお乳を飲みながら寝てしまったようだ。
「ふふっ……」
可愛くて、頭を優しく撫でると、思い出したように口を動かす。
このまま寝かせてあげたいが、ゲップをしないとお乳を吐き出してしまうわ。
私は娘の体を持ち上げ、背中をトントンと叩いた。
「……けぷっ……」
可愛いゲップだ。
「ふぇ……ふぇっ……」
「ごめんね、起こしちゃったね」
私は立ち上がり、体を優しく揺らした。
リズム良く揺れていると、外からかすかに歌声が聞こえた。
窓を開けると、子供たちの歌声だとわかった。
どうやら、子供たちが結婚式の聖歌を練習しているようだ。
『誠実な気持ちで進み行かれよ
愛の祝福に満ちた場所へ
誠実なる勇気と愛の恵みにより
汝等は貞淑で祝福された夫婦となろう
若き勇者 歩み行かれよ
若き花嫁よ 歩み行かれよ
祝宴のざわめきはもう過ぎ去った
心の歓喜に満たされる時なり』
貴族街の大聖堂で結婚式を挙げたときに、この歌を聞いた。規律を重んじるような一糸乱れぬ歌声だった。
同じ歌なのに、今聞いている歌はとても自由な気持ちになる。歌っている子供たちが自由に歌っているからだろうか?
窓の下を見ると、子供五人が輪になって、楽しく歌っていた。
みんな目を合わせお互いに意思疎通を図り合う。さらによく見ると一人で歌うパートがあるのかと思えば、また全員で息を合わせる、等々変幻自在に歌っている。
自由で、楽しく、そして何より美しいと感激した。
あぁ……
「アリア……」
古代語で『幸福な歌』という意味がある。
幸せな歌を誰かと歌い合える。そんな人生をこの子に歩んでほしいと思った。
「あなたの名前は、アリア。アリア」
名前を呼ぶと、瞳がこちらを見た。
「気に入った?」
返事をするわけではないが、何だか嬉しそうにしているように感じた。ふふっ、違うわね。私が嬉しいの。
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